反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

狼が家の外で人間と<その犬>に近づく。W、感想。<その犬>は神々しく美しい。

狼が家の外で人間とその犬に近づく
2004年、アラスカの野生動物専門の写真家ニック・ジャンズは、雪が降る中、犬を散歩に連れ出していました。そしてその時、彼は家のちょうど外で大きな狼に遭遇したのです。ニックはその狼が自分の犬や他の誰かを傷つけるのではないかと恐れましたが、次に起こった出来事は人々を驚愕させました。
狼がどこからともなく現れた
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2014年、ニック・ジャンズはアラスカにある自宅のポーチに座っていて、隣には彼の犬「ダコタ」がいました。ニックがアラスカの景色に見惚れていた時、大きな黒い狼が木の後ろから現れて、ニックの家の前に立ちはだかりました。ニックが反応する前に、彼の犬ダコタが、その野生動物めがけて突進して行きました。彼女はその狼がただ遊びたがっている他の犬だと思ったのか、それともこの獰猛な捕食動物からご主人様を守ろうとしていたのかもしれません。
イヌ科同士のにらみ合い
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最初ニックは恐怖を覚えました。その狼がダコタを傷つけるのではないかと思ったのです。ダコタがその大きな黒い狼にスレスレまで近づいた時、ニックはどうしたらいいのか分かりませんでした。そして次の瞬間、ニックが思いもしなかった事が起こりました。
ダコタと狼はまるで古くからの友達のように、一緒に遊び始めたのです。ダコタが安全だと分かるとすぐ、ニックは家の中に戻ってカメラを持ってきました。そして彼はこの写真を撮ったのです。
狼の名前
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ニックはその狼が、ニックの家の近くで遊ぶ事が好きなことに気づきました。狼は新しくできた友達ダコタと遊ぶために、よくそこを訪れました。ニックは狼に名前が必要だと考え、しばらく考えた結果、その狼に「ロミオ」という名前を付けました。

ロミオはフレンドリーに見えましたが、ニックは彼が野生動物だということを理解していました。ニックはロミオとダコタが遊んでいる時はしっかりと目を見張り、ロミオには決して近寄り過ぎないようにしました。
他の犬達はロミオにどう反応したのか?
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ロミオは新しい友達をたくさん作った
ロミオがダコタと出会い遊ぶようになってからしばらくした後、彼はメンデンホール氷河公園に向かい、そこにいる犬達の様子を見て回りました。そしてロミオは現地の犬達と遊ぶため、頻繁にそこへ出かけるようになったのです。
ダコタがロミオに、他のイヌ科の友達と会う自信をくれたのでしょう。ロミオはすっかり人気者になっていました。彼は他の犬達と遊んだり取っ組み合いをするのが大好きでした。
人々は彼をすぐに受け入れた
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最初、公園の人々はその大きな野生の狼を警戒していました。何人かの訪問者は、狼が彼らやそのペットを傷つけるのではないかと恐れましたが、ロミオが他の犬達と遊ぶ時の優しさを見て、彼らの不安のほとんどは消えていってしまいました。

ロミオはメンデンホール氷河公園の一番大きな犬よりも断然大きかったのですが、それでも人々は、ロミオがただ楽しむためだけにそこにいるのだとすぐに理解しました
犬達もロミオの存在を受け入れた
公園の犬達の一部はロミオに対して少し懐疑的でした。やはり狼は狼。
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見た目はかなり怖い。一部の犬達は最初、ロミオと遊ぶのをためらっていましたが、公園の人達と同じように、彼らもすぐにロミオと打ち解けました。

ロミオはただ、新しい友達を作りたかっただけなのです。彼は社会的交流に飢えていました。おそらく彼は群れから逸れてしまい、新しい群れを探していたのでしょう
ロミオは大きな犬のように振る舞った
ロミオは犬の友達だけではなく、人間の友達も作りました。インタビューでニックはこう答えました。「ロミオは自分が隠していたオモチャを
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持ち出して、よく公園の人々に持って行きました。」彼はアラスカの住人達に気に入られるよう、あらゆる手を尽くしていたのです。

彼はただ、周りの人々や動物達から受け入れてもらいたかっただけなのです。ニックは、ロミオが人間や犬達にとって脅威ではないことを確信していました。
ロミオが好きだったお決まりのゲームとは?
彼は「取って来い遊び」をするのが好きだった。
ニックは、ロミオが公園の人々に持って行ったアイテムについてさらに
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詳しく話してくれました。「その中の一つは発砲スチロールのボールでした。ロミオはそれを拾って、僕の友達ハリーに持って行くのです。」

おそらくロミオは他の犬達が取って来い遊びをするのを見ていて、自分もやってみたかったのでしょう。もしかしたらこれはイヌ科の動物が生まれながらにして備えている行動なのかもしれません。どうやら大きな犬も小さな犬も、飛んでいる物体を追うのが好きなようです。
ロミオは半分犬のように見えた
ロミオは飼いならされた犬ではあり
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ませんでしたが、犬達が見せるのと同じような行動を数多く見せました。ニックはこう加えました。「ロミオは、私達が犬に見る同じ行動を確かに理解していました。」

ロミオは犬達と長い間一緒にいたので、彼らがどのように遊び、どのように交流するかを理解していました。彼はダコタや公園の犬達と同じ種ではありませんが、彼はその中に溶け込んでいました。
人間と狼と犬
人間と犬と狼が揃って、アラスカの大地にいました。全員が仲良くその大地を満喫し、一緒に遊ぶ…ニックはそれがどれだけ特別な経験なのか実感せずにはいられませんでした。
ニックはこう説明しました。「私達3つの種は、調和的に仲良くする方法を探っていました。そして私達はそれを実現したのです。」このような状況について聞くことはそんなに多くありません。ニックはその貴重な経験をしたのです。
ロミオは家のようにくつろいだ
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ロミオはニックとダコタと長い間一緒に暮らしました。もちろん、彼が実際にニック達の家の中に入って生活することはありませんでした。彼はやはり野生動物なのです。しかし彼はその後6年間に渡って、ニック達を頻繁に訪問しました。

もしあなたが2004年から2009年にかけてメンデンホール氷河公園を訪れたなら、ドッグパークで大きな黒い狼が犬達と遊ぶのを目にしたことでしょう。
ジュノーの人々にとってロミオはどんな存在だったのでしょうか…
ロミオは、野生動物と地元の人の架け橋となった。←W.怒
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ついにロミオは、コミュニティーの信頼を獲得しただけではなく、その中で欠かせない存在となりました。地元の人達(犬を持った人々、また話題の狼を見に公園にやって来た人々の両方)はその美しい動物に目を奪われました。

コミュニティーは、野生動物を信頼できるという事実に喜び、彼もコミュニティーを信頼しました。地元の人達にとってロミオは、彼らが大地や周りの野生生物達と一つになれるという意味を持った、重要なシンボルだったのです。
人々はロミオを見るためだけに湖を訪れた
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ロミオの人気が広がるにつれて地元の人達は、ロミオを見るためだけに、彼が犬達とよく遊ぶ湖を訪れました。最初の頃はみんな、自分達の犬の周りに狼が存在していることに怯えていましたが(それは十分理解できることですが)、その頃から考えると状況はかなり変わっていました。

それでもなお、ロミオについて聞いたことがない多くの人達は、彼らの犬と遊びたがっているその狼を初見では警戒しました。
一部の訪問者は警戒していた
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地元の人達は皆、ロミオが危害を加えることがないことを知っていましたが、一部の訪問者達は野生動物に近寄ることに関して警戒していました。狼に全信頼を預けるのは難しいことです。特にロミオのように大きく強い狼には。

「大きな悪い狼」に関するお話や言い伝えは数多くあります。しかし実際には、狼はまったく悪い動物ではありません。彼らはただ本能にしたがって生きているだけなのです。
良いことには全て終わりが来る
「ロミオは最初からとてもリラック
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スしていて、寛容的でした」ニックはこう話します。「まるで空から落ちてきたユニコーンのように。」

ボーダーコリー、ラブラドール、プードルに至るまで、ロミオはあらゆる種類の犬達と友情を築いていました。
残念なことに、いくつかの友情は永遠には続きません。結局のところ、すべてのものにはいつか終わりが来ます。メンデンホール氷河公園でのロミオの時間は終わりを迎えようとしていました。ロミオはその名前と同じような運命に苦しむことになるのでした。
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ロミオはどのようにして悲劇的な最後を迎えたのでしょうか…
ロミオはシェイクスピアの悲劇に出てくる人物にちなんで名付けられました。そして悲しいことに、彼もまた悲劇的な最後を迎えることになっ
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たのです。2009年、ロミオはハンターによって撃たれ、殺されました。
メンデンホール氷河公園の近くに住むすべての人達は、大切な友の死に衝撃を受け、深い悲しみに打ちひしがれました。ジュノーの住人達はロミオのために告別式を行うことを決め、ロミオを追悼した飾りの額を作りました。ロミオは永遠に人々の中に生き続けることでしょう
ロミオにふさわしい賛辞
 
その飾り額は今もなおジュノーに置かれています。
もしあなたがアラスカに旅行に
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行くことがあれば、かつてロミオが散策していたその場所を訪問してみてくだ
さい。その美しい町の住人達は、飾り額をこれからもずっとそこに残しておくつもりです。



W、感想。このオオカミが一番、美しい。

「ロミオと呼ばれたオオカミ W。そういうことだったのか。
引用著者のジョン・クラカワーも冒険家であり、その中で死線を潜った体験談を作中で吐露しているがその中でアラスカ冒険旅行で私が生き残りマッカンドレスが命を落としたという事実はほとんど偶然にしか過ぎない。。私が氷冠から戻ってこなかったら死を望んでいたといううわさが飛び交っただろう。。だが死の衝動には駆られていなかった。。。ただ死すべき運命という謎めいた神秘には心を揺さぶられた。死の間際まで近づいていき崖っぷちから覗き込まずにはいられなかった。それは死の願望とは全く異なるものであった」
という記述があるが全く同感
山登りでも、一人旅で治安が悪いところに行くのもそうだと思うが、常に危険が隣り合わせである。でもまた危険に挑戦したくなる。しかも前の体験よりもより困難なものを目指したくなる。それは死という神秘に少しでも近づいてみたいという好奇心がそうさせると思う。
かくいう自分自身も数年前になるがアメリカ大陸横断中に肺炎にかかり死にかけたことがある(日本に帰って手術し、1ヶ月間の入院生活を送った。医者にはあと1週間処置が遅れれば死んでいたと言われた)。この経験で死んでいたら一人旅に共感を抱かない人々からしたら、なぜ自分は死に急いだのかと言われていたと思う。でも自分は死ぬつもりで旅なんかしたことがないし、長生きしたい。でもちょっぴり死に近づいてみたいと考えることはよくある。(今でも惹かれる。それがスリルというやつかもしれない)
おそらくクリスもそうだったと思うし死の神秘と、一人であるという自由が彼のアラスカでの生活を満足させていたのだと思う。
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この写真はクリス・マッカンドレス本人だが、そうじゃないとこんなに幸せそうな顔はしていないと思う。
こちらはクリスの最後の写真。
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顔は骸骨のようで餓死寸前だと思うけど、それでも顔には笑顔が浮かんでいるしとても自殺する人間には見えない。
ちなみにこの時に持っている紙は最後のメモで「僕の一生は幸せだった。ありがとう。さようなら。皆さんに神のご加護がありますように!」と書かれていたそうである。」引用終了
W。クラカワーの本は書店に出たときに早々と読了した。映画は見ていない。映画化されているのをしったのはずっと後、反俗日記で「荒野へ」を少し取り上げた時だったが~~早大探検部アマゾン遭難事故との比較~~(彼の内面的な部分は映像化できず、読者個々の体験と想像力によって推し量るしかない、と考える)。
著者はマッカンドレスのアラスカ旅立ちまでの軌跡にかなり長いページを割いてその人となりを浮かび上がらせるようにしている。
マッカンドレスは二つの心を持つ男であった。