反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

「馬に乗った水夫」~ジャックロンドン、創作と冒険と革命~アーヴィング、ストーン著←気になるところの引用。「荒野へ」の、アラスカに大地に潰えたマッカンドレス青年について。

   「馬に乗った水夫」~ジャックロンドン、創作と冒険と革命~アーヴィングストーン。引用
 失業者、ホーボーの国会への仕事よこせ運動にジャックロンドンは参加した。当時の社会の雰囲気がよく解る
    2、冒険への船出
P89引用 「リーノ分隊は、24時間というもの、一口の食べ物も無しに貨車の中に閉じ込められたままで、嵐の中を乗りとおした。ネブラスカの平原にたどり着くと、寄付を募ることにし、正午頃につくはずのグランドアイランド氏の市役所に85人の健康で腹ペコの人間が食事に到着する予定なので、食べ物用意を頼むという電報を打った。
家syが駅に到着すると、警察や臨時接待位階の者たちが彼等を行列させてホテルや料理店へ送り込み、食事をさせついでにまた駅まで送り返して、彼等のために待たせてあった貨車に乗り込ませた。」
 
P91引用 「幾度かの小衝突も不成功に終わった結果、ケリー将軍(W、失業者の行進軍)は全軍を徒歩でワシントンに乗り込ませ、コクシイ将軍の軍隊と合流する決意を固めた。オーマハやカウンシル、ブラフスの住民たちの競うになる食料やキャンプ用品を積み込んだ12台の荷馬車を連ね、旗のぼりをひるがえし、熱狂的な市民の寄贈になる立派な黒馬にまたがったケリー将軍を先頭に立てての、堂々とした威容で、彼らは行軍を開始した。
靴籠にジャックの靴はそこが擦り切れ、彼は靴下はだしで歩いていた。彼は代表委員会に交渉したが君に回せる靴は一足もないということだった。
その翌日には、マメが一杯できてきてほとんど歩けないくらいになった。彼は抗議の意味ではだしで歩いた~。
するとたちまち代表委員会から靴が回ってきた。アイオワ州は好意的で、歓待してくれた。失業者軍がある町についたときなどは、全町民が旗やのぼりを掲げて大通りにすらりと並びで迎えてくれた。
彼等が設営すると、直ぐに町民たちもやってきて、合唱に加わったり、政治演説に耳を傾けたり、町のチームと失業者軍との野球戦を見守ったりした。
女性たちも、寒さでしわがれてしまっている少年たちの声に彼女たちの黄色い声を交えて、声援してくれたと、ジャックは手帳に書き付けている。
彼らはまた、誰もが失業者軍に好感を持ってくれただけでなく、若者たちの紳士的な態度や正直そうな風貌を意外に思ったものも多かった、徒も書き記している。(W。ジャックは後のアラスカ金鉱堀のときと同じように、創作に生かすために几帳面にメモを取っていた)」
 
     3、文学と革命とアラスカ
P100引用 「彼に考えを変えさせたものは、最下層階級が次々に補充されてゆく驚くべき事実だった。
浮浪者生活にいる前には、浮浪者は、冒険を求めて無責任に彷徨いたいがためか、生まれつき放浪癖があったか、気がへんか、怠け者か、飲んだ暮だった生で浮浪者になっているものと、彼は想像していた。
これ等に連中の何割かはどういう経済制度の元でも落伍者になるに違いないことは彼は悟らされたが、大部分のものはかつては自分と同じように有用な資材であり、、同じようなブロンドの獣として暮らしてきたものたちだということが直ぐ解った。」
 
P127引用 「チルクート峠は荷物の運搬には世界でも最大の難所の一つだといわれている。はじめから終いまで岩だらけの道だし、ほとんど一直線の登りでもある。
ジャックは150ポンド(W、約70kg)の食料を背負い、登りにかかった。6マイル(W、約10km)に渡るその坂路はふもとから頂上まで、人間の列で埋まっていた。
道端のそこここには年長者や体力のない者たちが、事務所で鉛筆より重いものを持ち上げたこともなかった連中が、つかれきって倒れていた。~いづれは次の船でアメリカへ変えるしかないもの性質だった。
ジャックは坂路の途中で上着もワイシャツも脱ぎ、赤いフランネルのシャツ姿で猛然と上り続け、インディアンたちをビックリさせた。
一応に含まる一日掛かり、ジャックは他二人は8000ポンド(W、約4トン)の荷物を背負い挙げるためには、掛け値なしに90日を要した。
その後書いたどの著作よりも彼がうれしさを感じたのは、インディアンのポーターに混じってふもとを出発し、インディアンは誰一人として彼以上の荷物を背負っていたものはなかったのだが、ソレで見しばしば彼等よりも先に頂上にたどり着いたことがあったという時事だった。」
 
P129引用 「それでも結果、彼らはぐずつき過ぎていた。~とどろくような音を立てて降る白雪と共に冬が襲い掛かり、彼らはもうそれ以上進めなくなった。
そこでユーコン河の岸にあった見捨てられた小屋を占領し、まき用にエゾ松を切り倒し、長い冬篭りに備えた。
スチュアードで動きのつかなくなった50人から70人の人間のうちには、医者も言えば、判事や大学教授や土木技師もいた。(W。アメリカ人のニューフロンティア精神なのか。アラスカの荒野へ溶けていったマッカンドレスは、最期に何を思ったのか?http://d.hatena.ne.jp/mo_tomoco_mo/20090927/1254063535。W。「荒野へ」 (集英社文庫)文庫– 2007/3/1ジョン クラカワー(著), マッカンドレス青年はジャックロンドンに影響を受けていたそうだ。「荒野へ」は文庫本になる前の単行本で読んで素晴らしいノンフィクションだと思った。
アラスカの大地から得られる地のもののみによって、生きていくというマッカンドレスのチャレンジは潰えた。
死の原因は、毒性の雑草を食して、体力を徐々に消耗して食料を確保することができなくなったからである。
だから、明晰な意識を維持しながら、徐々に死を迎えたということでアラスカの荒野へ溶けていったマッカンドレスは、最期に何を思ったのか?ということなのだ。私も、そういう想像をした。
チャレンジ前に入念に詳細な植物図鑑を持参したにも拘らず、食べられる雑草とそっくりの毒性の雑草を見分けられなかったのだ。
越冬をして帰還するチャンスも十分あったのに足元をすくわれた、という見方もできるので、当時の読後感としては、無事帰還したマッカンドレス青年のその後を思い描いたものだった。
チャレンジは報われなかったが、単独者としてチャレンジする精神は素晴らしい。当時、アマゾン探検で一時行方不明が伝えられた、日本の大学の探検部と引き比べてみてそうおもった。
 
    5、海図の無い海
P208引用 「彼は仕事に精を出し、タイプライターや書物の前に座り続けたために、夕刊とりにベランダへ出る以外は、玄関から一歩も外へ出ない日が何日も続いた。体重が減り、体にしまりがなくなるにつれて、精神も臆病になってゆき、自分が云いと思っている作品を書くのが怖くなったり、はたしてこの原稿は売れるだろうか、読者に喜んでもらえるだろうかと、気にしだしている自分に気づいた。
虚弱な肉体には健全な頭脳は宿りえないというのが、前からの彼の信念だったから、アレイを買ってきて毎朝、開けっぱなしの窓の前で体操をし、それから原稿に取り掛かることにした~。
齟齬との後では、バークレイの丘の向こう側まで狩猟に行くか、サングランシスコ湾へ釣りに行った。体も引き締まってき、ソレとともに勇気も戻ってきた。」
 
P213引用 「君は刺激に満ちた生活、ロマンス、人間生活の様々な局面や死、ユーモアや哀歓を扱っているわけだが、~君自身が読者に浮浪者哲学を語ってはいけない。
登場人物に彼等の好意、行動、対話を通じてかたらさせるのだ。~これ等の作家がどのように自己を消去し、生気を帯びた躍動する物語を想像して、読者の心をつかみ、つい夜更かしをしないでは折れないようにさせているかを悟るがいい。
雰囲気は常に作者そのものの消去の代わりをしてくれるものだ。適切な力強い言葉を、深浅で世紀のある言葉を常に捉えてくること。
余すことなく長々と、加工としないで、集中的に書くこと。物語ってはいけない。描くのだ!写すのだ!築き上げるのだ!創造するのだ!」