反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

私の宗教的体験 非宗教的な信仰者。http://www.asahi-net.or.jp/~VS6H-OOND/sinkou.html 引用。W結論「イエスと釈迦は互いに通じ合うものを持っている。」

               
 
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Amália Rodrigues - Grândola, Vila Morena
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引用   私の宗教的体験  
非宗教的な信仰者 http://www.asahi-net.or.jp/~VS6H-OOND/index.htm
 
                イエスは覚者
 
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われわれは、お仕着せの教理に頼らず、自分の目で教典を読み返して真の信仰にたどり着くべきではなかろうか。
 
         
私は福音書を読んで、キリスト教会ではあまり語られることのないイエスの素顔を発見して驚いたものだ。
>優れた文学作品に出てくる登場人物には、現実の人間よりもっと強いリアリティが感じられる。
>福音書に姿を現すイエスにも、その種のなまなましい実在感があるのである。
       

 
 
        引用<「伝道初期のイエスほど好感の持てる人物は他にない」>
イエスは、世に出る以前から、孤独な陰影を色濃く身にまとった男であった。
 
>彼は二十九才になっても末だ独身のまま、多くの弟妹を養っている無名の労働者だった。
この無口な家長に率いられた弟妹達が、長兄に対して親愛の情を抱いていたとは、とても思えない。
 
後に、イエスが弟子達にかこまれて帰省して来た時、たまたま表に出て来てこの光景を認めた弟の一人は、家の中へ引き返すなり、「兄さんが気違いになったんで、皆が連れて来てくれたぞ」と家族に告げている。
少くともこの弟は、イエスをそのうちに発狂しかねない変人だと思っていたのである。
隣人達も同様であった。
 
イエスが村の会堂で説教した時、人々は、「彼は何時、こんなに物識りになったろう」と怪しむばかりで、彼の言葉に耳を傾けようとする者はなかた。
 
① 彼は周囲に誰一人、理解者を持たない独身者として二十九年間をナザレ村で過したのである。
 
② >世の中をすっかり諦らめ切ていたこの男が、急に胸をときめかしたのはヨルダン河畔に出現したヨハネの噂を耳にした時であった。おれと同じようなことを考えている男がいるらしいとイエスは思い、稼業を休んでヨハネという男を「見物」しに出かける。
>そして、イエスは相手が自分よりもっと鋭利に、もっと徹底的に、現世の腐敗を糾弾するのを聞いて、ヨハネの弟子になることを決意する。
 
***********
 
>だが、イエスはヨハネの下で日夜その痛烈な現世否定の説教を聞いているうちに、
③>逆にすべてを許す神というイメージを育てはじめる。
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④*彼はその着想を育てる為にヨハネの下を去り、荒野にこもって四十日四十夜の瞑想にふけるのである。
 
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⑤ 荒野を出たイエスは、ガリラヤ湖畔のカペナウムを拠点にして新しい福音を説きはじめる。
       
 
**********
>伝道初期のイエスほど好感の持てる人物は他にない。
彼の周囲に集ってくる聴衆は無教養な庶民達だった。
 だから彼は、葡萄園労働者の賃金の問題だの放蕩息子への遺産分けの問題を例にして、
*「神の国」に関する極めて単純平明な説明を試みたのだ。「神の国」とは私達が対世間的な生き方をしているうちに見失ってしまった本来的な世界を意味している。
「山上の垂訓」でイエスが描写した本来的な人間関係、この世に処する人のあり方は、レトルトの中から取り出したばかりの純粋結晶体を見るように美しい。
       <イエスは世間というものを交換原理で動く「算術的な世界」だと考えている>。
たえず祈り断食をする者は、世間からその行動に房わしい篤信者としての敬意を集める。私達が誰かに好意を示せば、相手も私達に愛を返してくる。
 
>イエスは世間が不公平で片手落ちだと非難したことは一度もない。
 
むしろ世間は「神」のごとく公正であって、私達が努力すれば、その量に応じた報酬を正確に返してくれる点で信頼に値する機械装置のようなものなのである。
*だからこそ、世間的営為は空しいのだ。
世間を相手に何かすることは、山彦を求めて叫ぶようなものである。大きく叫べば大きな山彦が、小さく叫べば小さな山彦が戻ってくる。
それは土を堀り返して、又その上で地面を埋め戻すようなものではないか。
 
*****
 
*祈る時に密室で祈れば、他人の賞讃は期待できない。
*だがそのことで神への通路が開けるのだ。
*対世間的収支を考慮に入れなければ全く新しい収支の世界が展開するのである。
*****
 
イエスは、目に見えるものを相互間で単に置き換えてみるに過ぎない算術的交換原理の上に、目に見えないものを授受することによって成り立つもう一つの世界を置く。
与えることによって自らを救済し、与えることがそのまま受けることになる<非算術的な世界>である。
 
*********
 
>イエスの説く神は、人間の世間的幸・不幸とは、直接かかわりを持たぬ神であった。カイザルのものは、カィザルに返せという神である。この神は現実の世界を今直ぐにどうこうしようとはしない。
      
 
  *世界をこのままにしておいて、世界に対する私達の態度だけを転換させようとするのだ*。
>結局は自己愛の変形でしかないような肉親愛・祖国愛を棄てて、<この世界を丸ごと受容する全体愛>を持てと勧める。
そうすれば、救済はたちどころに現成し、私達はこの身このままで天国にあることを実感する。
 
>イエスの神は、こういう内面的な体験の中で感得される神であり、この内面体験を欠いては見ることも聞くこともできない神である。

ヨハネ伝は「いまだかつて神を見た者はいない」と断言する。
だが、私達が態度を転換しさえすれば、神の国は「汝らのただ中にある」のである。
 

⑥ 「人を裁くな」と教えたイエスがパリサイ人を厳しく裁き、<この世のことはこの世に委せよと言った男がエルザレムヘの挑戦の旅に出る>のである。
 
しかも彼はそこへ赴けば、自分が犬のように捕殺されるであろうことをはっきり予感しつつ旅立つのである。
W。- ソクラテスWikipedia プラトン~ソクラテスの弁明 - Wikipedia元前469年頃 - 紀元前399年4月27日
 W。フィンリーの古代ギリシア、アテナイの民主政を記事にしたとき、通常流布されているアテナイ衆愚民主政
批判の視点からのソクラテス擁護論に対する、堂々たるアテナイ民主政弁護論に感銘を受けました。
彼の観点はソクラテス→プラトン(スパルタの優位性の承認)→マケドニア(その完成形態)のアレクサンダー王の系譜を現代民主政の始原であるアテナイ民主政への敵対として、とらえるものです。
フィンリーの確信はそれまでの繁栄を支えてきた特異な政体、神々を共有するアテナイ共同体(古代ギリシア世界共通の神々をたくさん存在)に高い評価を与え、ソクラテスをその敵対者とするものです。
 
現代において古代ギリシア民主政に、現代民主政にかけている点を見出します。
>日本ではよく「デモス」の理解を「民衆」と称していますが、全く違います。アテネ市民のデモスはクレイテネス
の地縁血縁を克服するため、抽選によって策定した、市民の<デモス>所属区分と市民としての権限に端を発します。
確かにアテナイ市民資格の特権的な要素はありましたが、戦艦の漕ぎ手の大衆政治参加によって全市民に拡張されました。、古代ローマ帝国の市民権の帝国領域への拡大と比較した古代ギリシア都市国家群の歴史的限界は仕方のない、ことだと考えます。
日本の民主主義論議はアテナイ論におけるソクラテス→プラトン過大評価です。
以上のような日本的議論の方向では、市民と武装の観点は出てきません。合衆国憲法修正第二条、世俗化よりも、フランス国家の脱宗教化の先行してきた歴史(ムハンマド風刺漫画が出てきてしまうフランス共和制の戦闘性)を理解する鍵は、フィンリーのようなアテナイ民主政論にあります。
又、この観点は、安保法制以後の日本の民主政を戦っていくカギでもあると考えます。
 
今度の参院選が自由主義下の最後の選挙などと云うのは、民衆の生活政治感覚、又情勢の具体的推移からかけ離れた見解です。
自分の想いは、今回のイエスと釈迦の記事で、その一端を遠まわしに述べたつもりです。民主主義制度とは少数者の多数支配の道具であり、その意味で、抵抗、反抗は永遠に続けなければならないものです。

イエスは自分から望んでネズミ取りにかかりに行くネズミに似ている。
彼の直弟子の多くは、イエスが首都を制覇するであろうことを疑わず、喜々としてイエスの後に従ったが、イエスの表情は旅の最初から暗かった。浮かれ切った弟子達にかこまれた沈痛な指導者。奇妙な師弟による異様な旅であった。
 
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エルサレムに入城した時、イエスの孤独は絶望的なまでに深まっていた。
彼は身に振りかかる火の粉を、一がけらも払おうとしなかった。群集への説教には不可解なものが混じり、次第にそれは独語のようなものに変って行った。
⑦ 彼はすべてをあきらめ切った悲しげな表情でユダの裏切りを許し、程なく逮捕の手が迫ると知れ切ったゲツセマネヘと赴くのだ。
逮捕されてからは救助の手をことごとく拒み、ゴルゴタの丘への道を黙って歩いて行った。
イエスは自分の前に待ち構えているものを何一つ避けることなく、それらの一切を自らの負うべき業苦として残らず引き受けた。
     
 
   
 
 
     *私は福音書を読むたびに、ハビーエンドをもって終らない物語を読むような気がする。
イエスは私心のない男だった。愛すべき人間だった。その彼が最後には犬よりもみじめに打ち殺されるのだ。
      
 
 
      *およそ、キリスト教ほど奇妙な宗教はない。
>開祖は、「貧乏人の子沢山」というような家に生まれた大工で、これに従うのは漁夫や娼婦など社会の底辺にうごめく貧民たちだった。
そして、このホームレスの群のようなグループを率いるリーダーは、最後にはペテン師として泥棒たちと一緒にゴルゴダの丘で処刑されてしまうのだ。

>たいていの宗教的指導者は、数多くの苦難にさらされるが、最後には勝利者になっている。
*彼らは求めていたものを成就し、それを弟子たちに語り伝えながら幸福な生涯を終えるのである。
*だが、イエスは、最低・最悪の運命に見舞われ、この世の敗残者として僅か33才で死んでいる。
それぞれの教団には、殉教者がいる。
>しかし開祖自身が現世的に最悪の運命に見舞われる、というようなケースは皆無に近いのだ。
*しかし、これを「神の国」に生きるものは、現世的には暗い一生を送ることになるということの象徴と解釈すれば、首尾一貫する。
 
*イエスの一生は、リルケのネガ・ポジ関係を持ってくれば実によく分かる。
*イエスを敗残者と見るのは、ネガフィルムで見ているからで、
*より高い宗教的な視点から見れば、彼の生涯は一転して輝かしいものに変わるのである。
 
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イエスの説く「神の国」とは、「開かれた世界」にほかならない。
彼は貧富の差、貴賤の別を透過して、すべての人間を無飾の「ひと」としてとらえていた。
そのような「ひと」が、兄弟のように睦み合って生きる世界が「神の国」なのである。その世界を小さく囲い込めば、それは「カエサルの国」になる。
キリスト教徒は、「カエサルの国」での幸・不幸を問題にしないで生きる方法をイエスの生涯をたどることによって学ぶのである。
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イエスはクリアな目で現世を見ていた。
 
「閉ざされた世界」を見る彼の透徹した目は、悟脱した仏教者の視線に酷似している。
 
一部の仏教学者は、イエスを「覚者」の一人と考えているけれども、裸像の人間を「開かれた世界」に置いて眺め、その全体を慈愛の光で包むという点で、イエスと釈迦は互いに通じ合うものを持っているのだ。

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            釈迦の修業時代
ゴータマ(釈迦の本名)とイエスは、生まれも育ちも対照的で、イエスはしがない大工の子だったのに対し、ゴータマの方は国王の世継ぎだった。
彼は、ヒマラヤ山麓にあったカピラという小さな国の王となるべき星の下に生まれてきたのだった。
ゴータマは、幼い頃から聡明で穏和だったと言われる。これは、出生直後に母が死んで、継母に育てられたという事情も関係しているかもしれない。
*****

その継母が間もなく男の子を産んだから、ゴータマの立場はデリケートなものになった。王位継承の問題が絡んできたからだ。
彼は19才で従妹のヤショーダラと結婚する。しかし、なかなか子供が産まれず、二人の間にようやくラゴラという長男が生まれたときには、ゴータマは29才になっていた。
待ち望んでいた男子出生を祝って祝賀会が開かれたその夜、ゴータマは城を出て出家してしまうのである。
 
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W。従妹。引用 「自分からみて親の兄弟姉妹の子供である。4親等の傍系親族の一つ」。W。ユーラシア中央部では拡大家族は基本家族形態。日本も江戸初期までは拡大家族。
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ゴータマはこの夜、あらかじめ後門に用意させて置いた馬にまたがって王宮を脱出し、
夜が明けて、王宮から十分に離れた森林地帯まで来たとき、馬の轡をとっていた従者のチャンナに別れを告げた。チャンナは必死になって、思い止まるように懇願した。

ゴータマは答えた。
「お前は、家族のために思い止まれという。しかし家族といっても、一夜を同じ木の枝で過ごす鳥たちのようなものではないか。夜が明ければ、皆、思い思いの方向に散っていってしまうのだ。W。単婚家族形態と拡大家族の違い。
お前は王宮に帰って皆に告げるがよい。私を追っても無駄だ、と」
そのあと彼は一言もいわず、両手で木の枝を押し分けて暗い森の中に入っていった。それっきり、彼の消息は絶えてしまうのだ。
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>ゴータマが出家した理由について、色々な説話が残っている。それらは皆、人生の実相を苦悩と見ていた彼の厭世的な気分を物語るものばかりである。
彼はすべてのいきものが、他の生命をむさぼり食うことによってしか生きられない現実に絶望していた。彼の目からすれば、生きることは、それ自体で罪なのであった。

>他の生命を奪って生きのびても、たちまち襲ってくるのが老・病・死である。
>人は苦しむために、この世に生まれてくるのだ。ゴータマは、「嘆き悲しむ人々の涙を集めたら、四つの海の水より多いだろう」と語っていたという。
 
生きることを業苦と感じている彼には、王族の生活が耐え難いものに感じられた。ゴータマにとって、華やかな宮廷行事に参加するのは苦痛以外のなにものでもなかった。
    *名主の家に生まれた良寛も、父の名代として行動することに耐えきれなくなって出家している*。
W。その後の良寛の宗教体験を問題にした(反俗日記、良寛特集記事への)コメントは参考になった。W?「世界の何たるかを体感しないうちは、光に遭遇することはないのである。」~道元を例に挙げた記述~

>ゴータマには、わが子の誕生も「切り捨てなければならない煩悩が一つ加わった」というふうに感じられ、出家を加速する原因になったのだ。
*********
 
① 王宮を出てから、ゴータマは6年の間、各地を放浪して修行を続けている。
 
彼が6年間の大半を過ごしたのは、ウパニシャッド系の精神的指導者の下であった。
これらの指導者は、たいてい修行中に内的な光を体験し、そこからブラフマン即アートマンというウパニシャッド理論を確信するにいたった面々である。
 
現代のアメリカ西海岸で活動しているインド人教祖の多くも光の体験者で、彼らの語る言葉には、バラモン教の奥義書の影響が色濃く現れている。
その著書を読めば、ウパニシャッド文書の焼き直しではないかと疑われてくるほどだ。だからといって、彼らを軽く見る積もりはない。
>一度、「光」を体験すれば、*宇宙の本体が光であり、それは人の内面にも宿っている*
*というバラモン哲学を信じないではいられなくなるからだ。
                   ↓
               <梵我一体説>
(<梵とは><宇宙の根元>であるブラフマン、
<我とは><本来的自己>であるアートマン。
この<両者が同一>であるという理論)は空理空論ではなく、<体験上の事実>なのである。
>ブラフマンは自己展開して万物に遍在し、すべての人間の心にランプのように宿る。
 
******
 
>われわれが、光を体験するのはさほど難事ではない。が、その為にはある程度の年令を重ねることが必要になる。
<道元は>、歳月が生きた力になって人を悟りに導くと言っている。
壮年に達し、世界の何たるかを体感しないうちは、光に遭遇することはないのである。

聡明なゴータマも、30才を越えなければ梵我一体の境地を体験することができなかった。
******
 
② >そして、一旦彼がそれを体験すると、その体験の質の高さや、体験に対する解釈の深さによって、彼は周囲の尊敬を集めるようになる。
修行者たちは、競ってゴータマの指導を求めるようになった。
 
******
だが、ゴータマは不満だった。
 <彼は伝統的な見方に従って、霊的な生活を妨げるものを「無明(盲目的な生存意志)」だと考えていた>。
          <周囲の喧噪を離れ、樹下で静かに瞑想している時には無明は意識されない>。

          <しかし、瞑想することをやめると、無明はたちまち姿を現すのだ>。
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>③ ゴータマは瞑想主義の修行者集団に別れを告げ、孤独になって出直すことを決意する。
*********
 
 
④<当時、瞑想主義の立場をとるバラモン出身の修行者たちに対抗して、クシャトリア階級(武士階級)出身の修行僧は苦行によって無明を克服しようとしていた>。
 
*********
          <ゴータマは、方向転換して瞑想主義から苦行主義に乗り換えたのだ>。
彼は断食を続けることで肉体を痛めつけ、無明の根を絶とうとしたのである。
彼は、各地を転々としながら、「一麻一米の修行」を続けた。一日に胡麻一粒、米一粒しか口にしないという修行である。
ゴータマは食を絶ち、呼吸法に従って出す息、吸う息を調節し、化石になったように座り続けた。
警戒心を解いた鹿が彼の膝元まで来て草をはみ、小鳥は彼の肩にとまり、村の子供たちは彼の耳や鼻に草の穂を挿して遊んだといわれる。
*********
⑤ クシャトリア出身の修行僧の間に、「苦行僧ゴータマ」の名声が次第に高くなっていった。何時となく、ゴータマに傾倒する五人の修行者が、影のように彼に付き従うようになった。
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*********
 
後年、ゴータマは弟子たちに語っている。
「私は一麻一米の修行をしたり、野生のリンゴ一個で一日を過ごしたりした。そのため、手足は枯れ葦のようにやせ細ったが、少しも真理に近づけなかった」
          
 
 ⑥ <瞑想主義を捨てて苦行主義に移ったゴータマは、出家6年目にその苦行主義も捨ててしまう>。
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********

  ⑦    *その朝、ニレン川のほとりで座禅をしていたゴータマは、川に入って水浴を始めた*。
近くで同じように座禅をしていた5人の修行僧は、これに気がついて、
(おや)
と思った。
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⑧ >修行中の僧侶が川に入って水浴するなどということは、あまり感心したことではなかったからだ。
>水浴を済ませてさっぱりしたゴータマは、川べりを歩いてきた小娘を呼び止め、何か話しかけている。
>修行僧が若い娘と口をきくときには、相手を直視しないで横を向いていなければならない。にもかかわらず、ゴータマは真っ直ぐ娘を見ている。
********
>やがて、娘は携えていた壺をゴータマに手渡した。彼は娘が路傍の神像に備えるために持参した乳粥を貰い受けて、平然と飲み干している。
>修行僧が乳粥のような御馳走を口にするなど、もってのほかのことだった。

(さすがのゴータマも、ついに持ちこたえきれなくなったか)
 
⑨失望した5人は、ゴータマを見捨てて、その場を立ち去ってしまう。

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*******
*一人になったゴータマは、川を渡って対岸に出てブッタガヤに至り、そこの菩提樹の下で思索に入る。そして真理を悟るのである。
 
*彼はこのときのことを、「無師独覚」によって「古仙人の道」を掴んだと語っている*
確かに彼の思索は独創的だった。だが、それは「知る者は言わず」という形で古くから連綿と伝わってきていた「隠された真理」だったのである。
 
*この時、ゴータマは、彼自身の神秘体験をを含めて、これまでに学んできたことの一切を「無記」であるとして捨て去ったのだ*。
          
 
*宇宙の本体が何であるか、自己の内部にアートマンが存在するか否か、死後に輪廻転生するかどうか、
          *それらについては客観的に判断する資料は与えられていない*。
          *「無記」なのである*
 
*これら不確かな問題を排除して、思考の対象を目の前にある確実な事実だけに絞るべきだと彼は考えたのだ
 
>そして、これまでの蓄積を一切合切焼き捨てたあとの一種思想上の更地に、前人未踏の哲学をうち建てたのだ。
 
>すべては相互に関連しあいながら存在する。ゴータマは、このテーゼを広大無辺な世界的規模まで拡張する。
   <因縁(因は直接原因、縁はそれを成り立たせる背景)による連鎖関係>は、<世界の隅々にまで行き及んで、万有を不可分の全体に組み上げている>。
目の前にある一本の草も、世界全体が協力しなければ生えてこない。千年の樹齢を誇る巨木も、因縁が尽きれば枯れてしまう。

        <彼の思想を図示すれば、次のようになるだろう>。

            諸行無常\
                 涅槃寂静
            諸法無我/

「諸行無常」とは、あらゆるもの・あらゆる<現象は変化>するということであり、
 
「諸法無我」とは、あらゆるものには<実体がない>ということだ。

W参考資料 A。9.諸学と法華経 - So-net →B。存在論 - Wikipedia
Bの関連項目 引用
  1. 哲学は、真理(希:Alêtheia、アレーテイア)の道と、思いなし(希:doxa、ドクサ)の道に分けられる。
  2. 理性(希:logos、ロゴス)が真理、感覚はドクサの道である。
  3. 理性によれば、「無」から「有」が生じたり、「有」が「無」になるのは矛盾であるが、現実の存在者は「あり、かつ、あらぬ」であり、生成流転する。
  4. したがって、感覚でとらえられる運動・変化・多なるものは、死すべき人間のドクサにすぎない。
プラトンイデア論は、パルメニデスの不生不滅の考えとヘラクレイトスの万物流転の考えを調和させようとした試みであると言われ、この現実の世界は仮象の生成流転する世界であって永遠に存在するものはなにもなく、イデアの世界こそ真実在であるとし、最高のイデアは、のイデアであるとし、存在と知識の最高原理であるとした。」
 
プラトンは、『国家』篇第五巻において、哲学者は、を愛するが、そのの対象は、イデアの世界の「あるもの」であるのに対し、ドクサを抱くにすぎない者の愛の対象は、仮象の世界の「あり、かつ、あらぬもの」であるとして存在論と知識を結び付けている。」
 
>彼によれば、この宇宙は、神が質料(ヒュレー)からイデアを範型として制作したものであって、
>無から創られたものではない。
彼の宇宙ないし自然に対する見方はソクラテス以前の哲学者のそれと決定的に異なっており、これがアリストレスに受け継がれていくことになった。
 
アリストテレスは、存在への問いを明確に立て体系化した最初の人物である。
彼は、その学問体系を、「論理学」をあらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(organon)であるとした上で、
「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分し、理論学を「自然学」と「形而上学」、
実践学を「政治学」と「倫理学」、制作学を「詩学」に分類した。
 
>アリストテレスによれば、形而上学は存在するものについての「第一哲学」であり、始まりの原理についての知である。
すなわち、存在者のさまざまな特性を問う個別科学とは区別され、その上位に位置づけられる究極の学問として、
>「存在者である限りでの存在者」、「全体としての存在者」、すなわち「存在とは何か」を問う学問を構想し、これを「第一哲学」と呼んだのである。」

このことを自知した時に訪れる平安な境地が「涅槃寂静」の世界であって、涅槃は特殊な別世界ではない。
>涅槃だけを切り離して追求するのは無意味なのである。
 
われわれがこの世にあるのも、無数の因果関係が生み出した結果である。
         <人の生命は、身体を構成する諸要素が和合し調和していることで辛くもささえられている>。
         *要素間のバランスがひとたび崩れれば、どう嘆き悲しもうと生命は失われる*。
         *相互に関連しあう、この巨大な全体世界を敵に回すことは不可能である*。
 
*キリスト教徒が個人の幸・不幸を神の意志として受容するように、
         *仏教徒も自分を取り囲む因縁複合体を受け入れなければならない。
         *そして自分に与えられた縁を積極的に愛して行かなければならない。
 
ゴータマは黙想の中で、からりと開けたクリアな世界を見たのだ。彼が見たのは、現代の科学者たちの頭の中にある科学的な自然界と同じものだった。
         *われわれには、味方もいれば敵もおり、好ましい人間も、憎むべき人間もいる。
         <そして、それらすべてが存立の背景を持ち、因縁を持っているのである>。
         <つまり、全員が、しかとした存在の根拠を持っているのだ>。
         
 
          <これを個人の我意によって変更することはできない>。
*********
*********

ゴータマは、こうした事情を忘れて欲望にとりつかれて狂ったように走り回る人々を「火宅の人」と呼んでいる。
>世俗に生きるものは、すべて「火宅の人」である。
火事になった家から脱出しようとしないで、泣き叫びながら火の中をただ走り回っている人間たち。
********   われわれには、味方もいれば敵もおり、好ましい人間も、憎むべき人間もいる。
********
********   <そして、それらすべてが存立の背景を持ち、因縁を持っているのである>。
********   <つまり、全員が、しかとした存在の根拠を持っているのだ>。
********   <これを個人の我意によって変更することはできない>。
                       ↓
     *彼は「火宅の人」を火の中から救い出すことを自分に課せられた使命だと考えるようになる*。
               ↓
     *教団を率いるようになったゴータマが、久しぶりに故国に帰る日が来た*。
 
********
 
⑨ 妻のヤショーダラは、夫が王宮に着く前に息子のラゴラを迎えに出した。
入城後の夫に、ラゴラが正統な王位継承者であることを宣言して欲しかったからだ。
*******
妻の意図を察知したゴータマは、予定を取りやめ、王宮に入ることなしに、
*******
⑩        <ラゴラを教団に連れ帰って出家させてしまう>。
       *ゴータマが初めて見せた、秋霜烈日のように激しい行動であった*。
>こうしたゴータマの行動を目の前にして、
       *異母弟・妻・継母も相継いで出家し、<カピラ国はやがて消滅>してしまうことになる*
 
W。引用 *およそ、キリスト教ほど奇妙な宗教はない。
開祖は、「貧乏人の子沢山」というような家に生まれた大工で、これに従うのは漁夫や娼婦など社会の底辺にうごめく貧民たちだった。
そして、このホームレスの群のようなグループを率いるリーダーは、最後にはペテン師として泥棒たちと一緒にゴルゴダの丘で処刑されてしまうのだ。

>たいていの宗教的指導者は、数多くの苦難にさらされるが、最後には勝利者になっている。
*彼らは求めていたものを成就し、それを弟子たちに語り伝えながら幸福な生涯を終えるのである。
*だが、イエスは、最低・最悪の運命に見舞われ、この世の敗残者として僅か33才で死んでいる。
それぞれの教団には、殉教者がいる。
>しかし開祖自身が現世的に最悪の運命に見舞われる、というようなケースは皆無に近いのだ。
*しかし、これを「神の国」に生きるものは、現世的には暗い一生を送ることになるということの象徴と解釈すれば、首尾一貫する。
 
W。引用。イエスと釈迦の生まれ育った境遇の開きは大きいが、「イエスと釈迦は互いに通じ合うものを持っているのだ。」
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********   われわれには、味方もいれば敵もおり、好ましい人間も、憎むべき人間もいる。
********
********   <そして、それらすべてが存立の背景を持ち、因縁を持っているのである>。
********   <つまり、全員が、しかとした存在の根拠を持っているのだ>。
********   <これを個人の我意によって変更することはできない>。
                       ↓
           *彼は「火宅の人」を火の中から救い出すことを自分に課せられた使命だと考えるようになる*。
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ゴータマは、神話的解釈を退けて、この世界をありのままの姿で見ていた。
>感情をまじえない「事実唯真」の目、科学者の目で、現世を見ていたのだ。そこまではよい。では、その慈悲の光はどこからくるのだろうか。
*一方で科学者の冷徹な目で世界を眺め、
*他方で温かな慈愛の目で世界を眺めるというようなことがどうして可能になるのだろうか。
  狩野享吉の説を要約して紹介すれば、次のようになる。
「一般に科学者は冷たい目で自然や人間を見ているように思われがちだが、そうではない。
科学者は、あらゆる存在について一視同仁の関心を抱き、その存立の根拠を明らかにしてやろうとしている。だから、科学者は、博愛主義者だといえる」

自分の領分を小さく囲い込み、その中にだけ強い愛情を注ぐのは、結局自己愛に他ならない。

「知と愛の対立」というようなことが問題になったりする。
が、対象に対する愛がなければ知的欲求は起こらないし、又、愛があればそれについて正確なことを知りたくもなる。
だから、両者は別のものではない。一つに繋がっているのである。あの遠い古代に、現代の科学者と同じ目を持ち得た冷静なゴータマだったから、80才で死ぬまで巡遊教化の旅を続けることができたのだ。

ゴータマは、旅の途次、ネパール国境に近いクシナーラという寒村で病死している。
 
>80の高齢で、たった一人の弟子を連れ、こんなところまで教化の足を伸ばしたのは驚くべきことだ。知と愛について語り続けたゴータマは、言葉だけの人間ではなかったのである。