反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

ナナナント、みんなの党の渡辺と自民党森の政治団体の住所、収支報告者も同一

 全くどうなってんだよ、と言いたいところだが、当たり前なんだよね。「みんな」の党が自民党の別働隊で、小泉竹中の貧乏人は永久に働き詰めで野垂れ死にしろ!カネ持ち天下よ永遠なれ!の路線を誤魔化しているだけで、票をかき集めてから、自分たちの本性をむき出しにするのは。
 (なおこの問題については植草一秀さんの3、16付ブログに詳しい。とんでもない事実が載っている。ホント、世の中、魑魅魍魎、蛇の道に蛇、と思う)
 
 こういう政党は過去の政治的激動期に必ず現れた。
 「一度目は悲劇、二度目は茶番」ではないいんだよ。繰り返されているから、嗤って、軽蔑して済まされることではないんだよ。
 
 本物の悲劇なんだけど劇中ではない、本当に自分たちの生活、生命がこんな奴らの甘言に惑わされていると破壊の極に達していまうということ。
 
 こういういい加減な奴らの言葉だけで何をやるかわからない奴を支持していく余裕は今の我々にはないという、このことだけはしっかりと噛みしめておく必要ようがある。

 政治ってのは政治娯楽番組で丁々発止語られているような生易しいのも出ないし、今の日本経済、世界経済の動向において政治ができる範囲は限られている、この認識をハッキリ持つことが分かれ目。
 
 基本的な大きな経済の流れは今の政治的枠組みでは変えていけない。ある種のあきらめ、になってしまうんだが今を生きる我々には押えておくべき基本線。

 じゃどうしたらいいかはハッキリしている。現実的に考えること。これ以外にない。
自分の立ち位置をハッキリすること。これは経済的立ち位置のことだ。
 
 繰り返しになるが年収300万しかない人間が3000万の世界観を持つことがそもそもの誤り。
 
 やる気があるのは結構だが、自分の足元を見つめないと。こういう人はいつもイライラしっぱなしになる。そしてそのイライラの向かう矛先が天に唾するようなことになって、結局自分の首を自分で絞めるようなことになる。

 辛抱強く、少し前進、少し後退、地に足のついた考えを持つしかない。
 政治ができることに余り幻想を抱いたり不平不満で自分の首を絞めるより、いい意味での諦めを持って今を生きることを楽しみ、自分を磨いていく方がいい結果が生まれる。

 「アキラメル」って日本が目覚め出してからの日本知識人の大きなテーマでもある。

 実際なかなかできないことでみんな煩悶してきた。その結果が文学や哲学に表現されているのだ
が欲多き現代とってはこんな境地に達するのは、大病を経験した後とか、棺桶に片足を突っ込む様になってからだとかになってしまう。
 ただそんな境遇にならなくても想像力を働かせて心境を理解することはできる。心の片隅にそんな気持ちを置いておくことはできる。
 それがあれば、反省や許せることも可能になる。