反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

小沢ー鳩山政権を検証する。小沢一郎はイラナイ。

 1)昨年夏の衆院選の結果をどう見たか。この出発点から小沢支持者との間に大きな開きがあった。
戦後初の国民が選択した政権交代であった。確かに望んだ事が現実になったが、国民の選択の中身が非常に気になった。とてもじゃないが無血革命とか浮かれる気持ちは一切なかった。
  
 自公政権の得票率は37%に及ぶ事実は重いものと受け止めた。民主党の得票率は39%であり、これを単純に議席数に比例配分するとだいたい280議席ぐらいになる。小選挙区のため30議席弱が上乗せされている。この計算も新政権発足で世間が沸騰している時に行った。
 正直にいえば、浮かない気持ちがあった。自公政権の側にあれだけ失政や醜態が重なっているにもかかわらず、実に37%もの人が自公政権でいいといっている。
 もちろん、この人たちは結果的に小泉竹中路線も肯定している事になる。
 しかし、その政治路線によって恩恵を受けていたとはとても思えないのも事実である。
 
 これが国民の意識の現状であると見た。価値判断してもしょうがない、事実をありのまま受け取る必要があった。こういう傾向の国民が多くいる事を前提に政権運営するのは当然のことであり、議会制民主主義である以上、政権運営では彼らの意向、利益も踏まえなければならない。
  
 小沢支持者はこの事実を見ず、単純に無血革命、戦後続いた官僚制を政治主導に変えて行く、普天間海外移設、高速道路の無料化などの民主党の政治方向を手放しで肯定していたようだ。そして政権側が現実的対応をすると口を極めて罵るが、党幹事長の小沢にだけは責任追及しない。全部、小沢の意向に背いてやっているこことする。こんなバカげた論理が通用するわけがない。これは一種の宗教論理である。
いくら政治弾圧があるからと言って小沢の政権獲得後の無能は無視できない。
 
 2)どの党が誰が政権を運営しても政策、政治方向の選択肢は限られている。
 小泉竹中の誤りは市場原理主義の行き過ぎであり、そこまでやらなくてもいい事をやり過ぎて日本の経済、文化、人心を破壊してしまったモノと考えている。
 しかし、あのような極端な事を避けて常識的範囲で政権運営をしていくと日本政治経済の重要課題はハッキリしており、それへの現実的対処方法も限られてくる。
 
 世界市場は大きな再編過程に突入している。
冷戦崩壊後、唯一の超大国としての世界的覇権を利用して、構造化した膨大な過剰資本、過剰生産の消費地としてのアメリカの地位は先年の米国バブル崩壊で潰えた。世界中の余剰なカネ、モノが米国に消えて行くという世界経済の構造は終わった。
 
 ブラジル、ロシア、インド、中国の人口は世界の40%超であり、資源もあるし、政治力もある。
こうした国々が資本主義の高度成長のレールに乗った事の意味は大きい。世界に大きな過剰資本があるのだから成長していく地域に一挙に投資が集中し、経済発展していく。
 他方で先進国の国内投資は上昇していかない。どの国も不況局面から脱しきれない現状である。
 
 基本パターンは先進国の資本が成長市場に投下されるが、利潤率の傾向的低下は避けられないし、この市場のモノ、カネの消費もまだ先進国の過剰資本、過剰生産吸収するまでに至ってない。
 先進国は慢性的に過剰資本、過剰生産を抱え、国内投資は控えられる傾向にある。
世界的な格差は人の面、国や地域間で拡大している。
 
 また米国が経済的政治的な地位を後退を軍事力の圧倒的優位でカバーしていく戦略をとっていかざるえない事や新しい新興国の台頭によって世界的な格差の拡大が政治的軍事的問題の拡大へと転化する危険性が絶えずある。
 
 3)これからの日本に必要なのは政治の安定である。
中国の経済発展を見ても解るだろう。もちろん価値判断は別である。日本の経済が右肩上がりだった時も政治は安定していた。
 国民生活を安定させるためには政治の安定が必要である。
地に足の着いた政治が求められる。政策的方向も限られている。
 
 もちろん、経済的成果の分配の問題、社会保障制度の充実、平和状況の確保の問題はある。
しかし、それらに対して小沢の様な権勢を得るための政争の具にすることは避けなければならないと考える。
日本の戦後政治にはそういう傾向が続いていたから、国民が気がついた頃には経済一辺倒の国になっていた
 そして遅まきながらこの課題に取り組もうとしている現状である。
 
 小沢の政治方向は真面目で地道にこれらの課題に取り組む事ではなく、自分の権勢を得るためそれらをお題目として掲げているだけである。市場原理主義の真骨頂の様な立場からの転換で「国民の生活が第一」を掲げたが、中身とプロセスはともなっていなかった。だから敗北した。政治弾圧だけのせいにしては全体像が見えない。
 
 鳩山ー小沢政権の8カ月を総括すれば実に浮ついた部分が多すぎた。
 
未だにこの方向に煽られた様な人が、これまで自分たちで作ってきた抽象的な世界に閉じこもって、世界を見て不平不満を募らせているようだが、これから、自分たちの誤りを少しづつ点検し、世界に目を向け、足元のやれる事を実行する状態に帰るべきだはないか。
 小沢の様ないい加減な政治家はこれからの日本に混乱を巻き起こすだけである。
官僚と戦う?アメリカと戦う?
 どうやって、どういうプロセスを経て戦うのか?
 
 もはやハッキリしている。小沢の様な保守政治家はそのようなスローガンを掲げてもしょせんできはしないし、権勢を得るためのお題目にすぎない。この8カ月はから騒ぎや、無様な政治混乱が余りにも多すぎた。
国民はそこから学んだことは多いが、変革するためには、口先で騒いでいてもダメだと理解したはずである。
 
 小沢に思い入れを持つのは勝手である。しかしその小沢の政治方向がまたぞろ、日本政治に混乱をもたらすのであれば、断乎、排除すべきである。小沢の今の軌跡は以前たどった道筋と同じようなモノである。
 また分裂、何処そことの野合。これである。
その一方で、自分に向けられた、政治とカネ疑惑を国民に説明する機会も設ける事ができない。政治主張の中身もいい加減なモノばかりである。