反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

小沢一郎の「政治とカネ問題」の背景とアメリカ、特捜検察、マスコミ。

 当ブログは執拗に小沢批判を繰り返してきた。
その根幹は小沢氏は熱烈支持者がいうほど、政治力はないという事、国家権力=暴力装置の発動に対して戦う体制もとれていなかったから、記載ずれの検察証書を認める、石川議員の様な半ば屈服者を生んでしまった、という点にある。
 
 これは小沢氏が田中角栄ロッキード事件を真に教訓にできなかったところからきていると看過していた。
真に教訓化!まさにその通り。
 その後権力の暴力装置は内外情勢が自分たちに有利に運んでると過信し、暴走しを始めた。自分たちが法治国家のルールを勝手に解釈し、打撃目標に適用し出した。
 
  暴力装置が上から内乱を起こしてきたのである。
 
法律を守るモノが法律を恣意的に解釈し、敵と目されるモノに適用し、その行為の歯止めがかからないような時代に突入したのである。
 
 多くの市民rベルの運動体はこんな暴力装置の実害を受けることで時代の流れを身を持って知っていた。
 
 小沢氏は田中角栄裁判裁判以降の暴力装置の具体的な変節を知らなかったといっていい。
 
 だから、彼らの陣営の中に、まさか特捜検察はそこまでやらないだろう。マスコミはそこまで連動しないであろうという甘い読みがあったと思う。
 
解っていたら、政治とカネへの対応も変わってきたと思う。甘く見るというのは存在そのものが、政治権力に繋がるのだから仕方がない面がある。
 しかし、政治権力の頂点を目指すのなら、警戒すべき最重要項目になったろう。
 
民主党のマニュフェストに掲げた項目。
 さらには沖縄基地問題は、
戦後の日米に渡って深く根ずく利権癒着構造に抵触するものであった。
それと最先頭に立って戦う小沢氏への「政治とカネ」スキャンダル攻撃は必然だった。
  
 今また、民主党の代表選で小沢一郎が復活の兆しを見せている。
 
これこそがまさに天の配剤である。官直人のいう天の配剤とは、まさにこのことだ。
小沢一郎は戦う場を与えられたし、政治家としての真価が問われている。
彼と官直人を同じ土俵に挙げて評価するだけで事足るると考えている。
  マスコミの代表選への不当介入の程度で小沢VS管の勝敗は分かれる。
管を支持するグループは時代を読みとっていない日和見主義者である。いこ保身に走っても結果は悪くにでる。
 民主党の将来の事を考えても、日本国の将来の事を考えても、小沢一郎しか選択肢はない。
日和見主義者がは上辺の保身に走り、失敗する。
急速な円高によって世界経済の状態は明らかになった。その中における日本の苦しい立場も庶民レベルで理解されつつある。
 こんな時、官直人の様な選挙前に消費税10%を言いだす指揮官を担ぐっ事がどんな事か理解できないのは自分も同類だと証明している様な者である。
 
 本来「政治とカネ」は権力側でねつ造された側面が強い政界浄化運動である。
これによって、日本政治は大きく左右されてきた。このプラス面マイナス面を考えると圧倒的にマイナス面が大きい。
 政界浄化の名を借りた、対米従属派の国政レベルでの勢力下う題であった、と断言してよい。
 
対米隷属をの政治路線はどのように粉飾しても、国民に浸透するモノいではない。そこで政界浄化の暴力装置の発動が画策された。
 マスコミの連動が大衆的にあからさまになったのは、事態が彼らにとって危機的状況を迎えている事の証左でしかない。
 
 イラク戦争の失敗、アメリカンバブルの破綻は黒人のオバマを大統領にしなければならないほど、アメリカが追い詰められている、事を示している。オバマによって世界のアメリカ批判を交わし、従来の経済的後退の中で覇権を確保しようとしている。
 
 こういう行き詰まりのアメリカがあって、民主党政権下での特捜検察やマスコミの暴走が生まれたのである。
 
 
 それと庶民レベルの生活との繋がりを問わなければならない。
ここに悪があるといいうアドバルーンが揚げられてバッシングが始まっても、
それと庶民の生活レベルの問題が関連ずけられなければ、大して意味はない。