いろいろなマクロ経済学による現状分析を読んでいると、今一どころか、今三ぐらい納得できないところがある。
確かに現状は分析する通りなんだが、個別、アメリカ経済、ヨーロッパ経済、日本経済、中国経済の分析をして、相互関係といえば、せいぜい、二国間の関係にとどまっている場合が多い。全体をトータルに分析する場合は為替市場の動きから、深読みして、有力国家間の政治バランスを語る程度になっている。
確かに、社会科学としての経済学の客観性を意識したら、分析は慎重になる。論者が視野に入れられる範囲でしか論じられないのは、よく理解できる。
しかしな~。何だか様子がおかしい。狭いよな~視点が。難しい英語は理解できないから、読んだモノは全て日本の論者でネットで検索できる一部になる訳だが、率直なところ、日本の閉塞状態は経済分析分野にまで及んでいるようだ。
この前に、尖閣事件に対する意見を深めるため、ブログで中国論の専門家の意見をまとめてみたが、その時読んだ中国人学者の論文はもっとスケールが大きかったし、中国の世界戦略まで意識したものだった。
その学者は中国政府関係の仕事にも関係している大学教授だったから、分析する主体というモノが中国政府の立場な訳。
今回読んだマクロ経済分析。
政府系のモノとしては、ヨーロッパとアメリカの経済分析だが、まった弱々しい視点しかなかったな。
唯ぼんやり第三者的に眺めているだけで結論が今後とも停滞は続きそうだ、程度なら、誰でもボンヤリ理解できている事。スケールの大きさ。戦略性など皆無。
その他民間の論者も似たり寄ったり。
要はそれらの議論の特徴は、あちらを立てればこちらが立たず、という日本の財政経済政策の行き詰まりを論者が心の底で熟知してるから、スケールもない、戦略性もなくなるのだと思う。読んでいて委縮した気持ちにどうしてもなってしまうか、何か、日本社会の一部だけ助かり、後の部分の事は知らない、野となれ、山となれ、みたいな信条が透けて見えるのもだった。
この視点というのは、アメリカの経済学の特徴である。
中国人学者のヨーロッパ経済分析を挙げてみると、ギリシャ危機、スペイン、イタリア、アイルランドなどの周辺諸国の危機に対してEUは主体として強く行動できない弱点があると指摘している。寄せ集めだから、危機に対して利害が対立する側面が大きくなることに注目し、その弱さを指摘している。
分析としては勘どころをつかんでいる訳。日本の政府系の分析には勘どころのつかみが一切ない。よくできる優等生の作文。
日本の論者にはそうした戦略視点は皆無。日本国家に長期戦略がないことの反映でもある。
また中国人学者のいう、政府は大きな政策決定をする場合、世界情勢の分析から入るというのも、注目すべき点。日本の論者には世界と鷲掴みにして論じる視点がない。
一遍顔を洗ってスッキリして出直した方がいいんじゃないか。
>>>何時間も費やして読んでも、ただそんそんなものかな~って知識が漠然と広がっただけ。
非ケインズ効果ってへ理屈に呆れて、警戒感が強まった、というのが唯一の成果。管直人が参考にしているらしいが、勘違いが過ぎる。増税したら、国民が将来、増税がないって、国家に対する信頼感を増し、消費が増えるとかいうのだけど、こんな議論をするモノはGDPデフレーターをじっくり見た事あるんか?
でも増税しなければやっていけないという財政的現実も見逃せない。
>>>要はあちらを立てればこちらが立たず、ってことで、面倒くさいから、この際、貧乏人や弱い立場のモノは野となれ山となれとなる。
>>>反抗する奴は国家権力の力をむき出しにして押さえつけいる、これだ。
一連の小沢さんにたする攻撃も大きく見れば、その意思、方向性が貫徹したモノと見る。
だから国策でやっている。「国民の生活が第一」が浸透いしたらマズイから徹底的に力と情報戦で抑え込む。
残念ながら、小沢さんには今いち自分のやろうとしていたことに対する歴史的認識、自己防衛が甘かった。
特権層とのガチンコ勝負は避けられなかった。
奴らはこの魂胆があるから、最少不幸社会のスローガンで誤魔化す。
いずれにしても、こんなツマラン経済学に付き合うなら、様々な指標を自分で読みこんで、自分で理屈を作ったり、投資に必要な知識だけに絞ったほうが生産的。
ネットに出ているこの種の理屈は使い物にならないと今回分かった。それが収穫。