反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

アメリカとの一体化に賭けた日本支配層(市場原理主義派)は国民を食わせられるのか。

 先ほどまで時間を掛けて調べていた。自分の限界もこのところ感じている。キチンとマトモナ本を読まなくてはならない、そのためにはブログ更新もしばらく中断する必要がある、と。もちろん読んだところで消化しきれるかどうかの問題はあるが、知識欲だけはある。
 世界を知らなくて、勝手に解釈して頭がぼけていくことに我慢ができない。
 また、これからの時代は私の様な人間はよくぞこういう時代を経験させてくれてありがとう、という気持ちがある。
 
 今ブログ記事を書くために、元々、知識希薄なところから、何かを生み出そうとしているので、ブログ作成に時間を要するようになってしまっている。
 その中でアウトドア派としての時間を確保しようと思えば、無理が出てくる。
 時間の都合で夜、7時ごろまでウォーキングするようになっている。
 数年ぶりに軽い風邪をひいて、なんと平成19年の医者の薬を飲んだ。
 
 今年も残り少なくなったと意識した時、この一年自分は何をやってきたのか、今年の正月、ナイポールの「インド紀行」と著者は忘れたが、オーストラリアのジャーナリストのアフガン、パキスタン、イラン、イラク探訪記をキチンと読んだ事がつい昨日の様に思えてゾッとした。
それだけ、自分を見失った一年だったのだ。
 
 そもそも、自分の意見は特定の人にしか明かさない、これが原則だった。ブログはこの原則に違反しているが、趣味程度ならOKと思って開始した。
 
 ただ、何かの拍子に身辺雑記的記事を書き連ねているブロガーの記事を読むと、私の特異な性格かもしれないが、拒絶感が出てくる。馬鹿じゃないかと。テメェーの日記の様な雑文を他人に公開するその神経が理解できない。もちろんそれを読む人も含め。
ならば、私小説の様に突き詰めたところに行って欲しい。その類もある。が、どうも現代では貧困、破滅型売りの私小説スタイルはなぜか、成り立たないようだ。小沢支持者のその類を読むと辟易する。
 
 で、結局、意に反して政治ブログの様なモノを書き連ねることになったが、小沢さんや民主党を支持するようになって、その線で駄文を重ねた事が、自分喪失に繋がった、と理解する。
 
 やっと態勢を立て直してからだ。本格的に元々の自分の考えに沿って考えられるようになったのは。
ところが、その延長を進めていくと、自分の考えの欠陥、知識の至らなさを痛感する事になる。
これはよいことだ。
 
 今日読み込んだ数点の記事によって改めて自分の最近の記事は大きな方向で間違ってなかった、と確信した。
自分のオリジナルな考えに沿って書いたので正直うれしかった。やはり自分の課題と基本を同じくするが、もっと濃密なレベルの高い記事に接して自己採点をして合格点だったことがうれしかった。
 
 この記事と他の記事を比較すると情勢分析の鋭さが格段に違う。
どうしてそうなるのか、理解できる。
 
 大きな情勢を分析する場合、キチンとした方法論が確立しているかどうかに尽きる。
私は中身は乏しいが、この点をいつも重視して論を進めてきた。
 
 アメリカ風(かぶれといってよい)理論にはこれが決定的に欠けて、プラグマチズムに終始している。だから、理論的にもアメリカは後退、失敗してきたのだ。
 日本の官僚ども方法論のないアメリカ理論に被れているから、日本をアメリカサイドになった賭けの道に導いている。そういう見方も可能だ。
 
 結局、官僚は日本を周回遅れで現在の韓国の様な立場に追い込んでいくであろう。
もちろん韓国と日本は条件が違うが、大まかなアウトラインだ。
 
 民主党政権交代以前この方向を察知して理屈の上では別の道を模索したが、いざ政権に就いた時、すでに官僚を含めた支配層の中枢はアメリカサイドに立ってこれからの世界の混乱に対処していく道に深く踏み出していた。
 
 その象徴としての小泉竹中路線を多くの国民は嫌って政権交代民主党にその是正を託したが、日本支配層は後戻りできないほどアメリカサイドにあらゆる分野で実体的に踏み込んでいた。
 
 小沢氏の政治路線は最初は市場原理主義であったが、後に社会民主主義政策を混合したモノである。
対外政策はアメリカサイドへの偏りを絶えず是正しようとする指向性を働かせたモノである。
当然、こうした方向性は市場原理主義派の既成事実として作り出した方向性と対立する。
 ただ、その路線を貫徹する内外条件が今の日本に乏しいという点がある。
ここでその一つ一つを揚げない。
 
 結局どうなるか?
市場原理主義者が政権に本格復帰すると韓国の様な格差社会になるが、日本の場合、昨日書いたように韓国よりも民主主義が国民間に定着していないところから、戦前の様な既成の国家行政機関や国民意識の総転向が想定される。これといわゆるファシズム、ナチズムとは区別される。
 また、マスコミ資本が規制を受けないからといって、社会に民主主義があるとは限らない。
それはあくまでマスコミの資本としてのカネ儲けの自由にすぎず、国民間の実際の自由と完全に区別される。
 
 国内に格差は広がっているのに過半数を制した支配者その支持基盤である国民は自分たちの生存条件確保のため、理由をつけて其れを無視したり、敵対したりするだろう。数の論理の全体主義で社会のあらゆる分野で貧困が進むだろう。
 
 キーポイントは全社会の3分の1を事実上排除した3分の2の支配する社会が再生産できる条件が内外にあるかどうかだろう。アメリカのあらゆる方法を用いた搾取も当然ある。世界市場の競争における利潤率の低下もある。
 完全、アメリカサイドで立ち回れば、当然軍事面、経済面のリスクは生じる。
 
そういう社会が成り立たないとなれば、後は戦争による全国民の包摂、排外主義の出口しかない。
 
いずれにしても、日本の多くの国民の将来は真っ暗だ。そう割り切った方がいい。
日本の世の中厳しいが、世界はもっと厳しい。
 
 国民規模でこの現実に気付いた時はもう遅い。後は情緒、感情に流されるだけだ。
多分、今度の敗北は国民間での敗北になる。
 日本人?日本国?これでひとくくりでできない現実、実態が日本の内外で進行している。
ここにおいて国民国家の政治的大枠で対処していたら、ダメだ。