私はあの時思った。こんなスローガンは一部の国民は納得できても、多数の心をつかむことはできない。
大阪知事選挙に立候補した熊谷元大阪大学工学部長のスローガン「大阪を見捨てない!」
相手は橋下現大阪府知事だった。
酷いスローガンだなと思った。一体誰があんな馬鹿を考え付くのだろうか、周りにおかしいというモノはいなかったのか。
今改めてそのスローガンを吟味してみると、センスゼロ以外のある事に気付く。
彼らは共に不利な戦いが予測されていた。特に岡田氏に至っては国政における野党党首であり、完全チャレジャーである。
なのに日本国民を勝手に諦めたり、大阪府民を勝手に見捨てたりできるお気楽な立ち位置から、チャレンジしている。
切羽詰まった立場にいる人間にとって、諦めたり、見捨てたりするのは最後の手段で、それはそれで、人間的行為である。そういう人々が多くいる、増えていくという社会経済システムが目の前にある。
そういう認識があれば、政治の先頭に立つリーダーが放つスローガンとは全く思えない。
酷い境遇にある国民、府民を自由に諦めたり、見捨てたりできる特権者の頑張り程度の覚悟に誰がついていくものか!誰が本気で信用するものか!
またそういうスローガンに共鳴できる立場のモノは高給や将来が保障された労働貴族層である。
これらを支持基盤としてのリーダーだから、そういう階層的なスローガンが発想され、周囲に止めるモノがいない。
もちろん、その背後では巨大な政治の歯車が刻一刻と回転スピードを挙げている。彼らの存在はあくまでもその一部にすぎない。
この歯車が回転速度を挙げて行ったらもう誰にも止められない。それが歴史というものでないか。
国が滅びるのではなく、国民が滅びるのである。今までそうであった。支配層は打倒されない限り残り続け、今現在に至っている。