反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

海老蔵事件。警察、マスコミは巷の民事事件に不当介入するな!国民は踊らされるな!

 よく解らない事は書かない方がいいのは解っている。
市川海老蔵?全く見たことも聞いたこともない。そんな有名人なのか?
嫁さんも元有名人らしいが、人物を特定できない。
事件の概要も土日の競馬用のスポーツ紙に載っている範囲を読み進めていくうちに、これって、酒癖の悪い、巷の若の同士の派手な立ち回りにしか思えなかった。
 
 当初報じられていた、海老蔵さんの顔面の酷いけがの状態はホントかなと素朴に思った。
普通、素人が酔っ払って素手で殴ったところで、相手に与えるダメージは限界がある。それが解っているのか、報じるマスコミも殴った奴を物凄い喧嘩のプロの様に仕立て上げていた。
 
 案の定、事件後いくらも日にちがたってうないのに海老蔵さんはけろっとした顔で謝罪の記者会見に臨んだそうじゃじゃないか。言われているほどダメージはなかったという事だ。
 
 だったら、当初の海老蔵顔面暴行被害の報じるマスコミはお定まりのチョットした事に尾ひれをつけて話題を膨らませ、煽動報道を繰り返したという事になる。結果的に。
 
 本気で踏み込んで調べたら解るモノを実体とはかけ離れたセンセーショナル報道でガソリンまいて火をつける様な事しておいて、国民?の間に実体とはかけ離れた事件像を刷り込み、それを一人歩きさせ、今に至って、その延長線上で今度は殴ったとされるなぜか今頃出頭してきた加害者を大々的に報じることになっている。こういうやり方ではイメージの問題として国民?の間の漠然とした事件感の様なモノが刷り込まれる。
 マスコミは今回の事件でもまんまと国民的小劇場を作り上げることに成功した。
 
 決して、夜の飲食街の酔っ払った酒癖の悪い若者同士の痴話喧嘩だ!当事者同士で話し合いをしろ!とはならない。
 海老蔵さんがナマジ商品価値のある芸能人?だからイロイロナ事態が派生してくるのは仕方がないので、話の膨らみはその程度でいい。
 
 この事件に対する警察なやり方もある種、政治的動きをしている。マスコミが勝手に作った世論を相手にして演じている様なところがある。
 
 で、この事件を上手く処置して、警察の威信を高め、何か巷の風俗浄化運動的ニュアンスをつけようとしている。
のりピー覚せい剤事件、押尾事件、朝青竜事件など一連のこの種の有名人がらみの事件の処理やり方を見ていると、マスコミのセンセーショナル報道を明らかに利用し、政治的に立ち回っている。
 各界浄化、風俗浄化的ニュアンスをつける中で国民の秩序意識をコントロールしようとする意図が見え隠れする。
 テレビで決まってよくやる警察犯罪捜査捜査ドキュメンタリー。あれの同工異曲だな。日本人は集団性、集団行動を義務教育で徹底して仕込まれている。秩序意識も度が過ぎるほどで、それによって自分たちがいいたい事も言えず、自分の首を絞めている様な側面がある。北朝鮮マスゲームを嗤えないよ。自分たちの中に北朝鮮がある?のじゃないかと少しは振りかえった方がいい。
 
 さらにいえば、もう私企業のカネ儲け論理のみで動いているマスコミ資本は見放しているが、国営放送のNHKまでニュース、トップで報じるのはどういう事か?
 
 本来やるべきとこをやらずして、やらなくていい事に精を出す。
恥を知るという事を何処かに置き忘れている。
 いまや役人世界でも中央は言うに及ばず、地方でもこういう暴走が当たり前になっている。
 
タガは外れたのだ。日本のアングロサクソンユダヤ社会の実態はイデオロギー面まで完成の域に達しつつある。政治面では小沢さんがもし葬られたら、それは完成するだろう。
 
 もう一点。書いておきたい。
有名ブロガーのきっこさんの昨日今日の記事の中で毛沢東の「戦争は流血を伴う政治である」との言葉を引用して「だったら、国民を駒に使うなよ、政治家同士で殺し合いをしろよ!」のフレーズ。
一見、痛快な平和主義のコメントの様だが、間違っているな。
 
私は以前、毛沢東の「革命は絵を描いてたり、文章をひねったりする事ではなく、一つの階級だもう一つの階級を打ち倒す大衆的暴動だ」という個所を原文で引用した事があった。
 
 当時の中国の農村では貧農を中心とする農民大衆が自然発生的に自分たちの組織を作り上げて、中国数千年の支配者、土豪劣紳、地主層を追いつめていた。その戦いのさなかにはいきすぎもあった。
毛沢東は大きな農村革命の事業達成のためにはそれらを押しとどめてはならない、と言っている。
 
 が、一方でこの戦いは政治的配慮のもとに組織する必要があるのは明らかだ。
きっこさんの引用する部分は大きく言えば、この自然発生している戦争を政治がコントロールしていく、組織していく道筋を明らかにしたものだ。そうしなければ自然発生的に決起した農民は旧権力に打ち倒されてしまう。
煎じ詰めれば、人民戦争への「シビリアンコントロール」だ。ただの暴動がいい訳ないのである。
 
 以上は何も毛沢東擁護が目的ではない。
日本では下から沸き起こる自然発生的な大衆行動は歴史上稀だった。これらは一揆形態をとっていた。
戦国時代の一向宗一揆、加賀のそれによる統治が最高形態だった、と理解する。
 
 政治的暴力を民衆が駆使してこなかった。お上意識というのも、民衆側にお上の支配的暴力に対抗する暴力が生まれてこなかったこっと関連している。小沢さんに対する国民の姿勢も究極的にいえばこれと関連している。
 
 きっこさんの様な意見も結局は、武器なき奴隷の批判に留まってきた日本民衆史の限界を今日的に表現したモノになってしまう。失われた民衆の実行力を打ち立てるというよりも相変わらず、同じ地平にたたずんでいる、という他ない。
 強引に関連付けると海老蔵さんの事件や日本の対外的軍事問題へ国民の対処にも初歩的誤りがある。
軍事問題への初歩的対応はこういう痴話げんかへの評価にも表れてくる。
 
時間の都合で以下省略する。