反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

日本国民の敗北。当ブログの基本モチーフだが、今回の激甚災害は残念ながら、その大きな一階梯と歴史的に位置づけられるであろう。

 関西に住んでいるが、巷では今回の激甚災害の話題をよく耳にする。
いい気なモノだと思う。
そういう気質や諸々の条件を含めて、日本国民敗北説に到達している。
いつも主張しているように国家や企業は敗北しない、敗北するのはリアルに生きるしか術のない多数派国民個々人だ。
 
 実は国家、企業は本質的に抽象的存在だ。
 
抽象的存在だから、個々人の生命体と違って、死滅しない、継続する。
ここらあたりの大きな誤解が日本人にあるようだ。欧米より近代化が遅れたせいだろう。どうしても国権主義が圧倒し、すぐ国が滅ぶなどと口走る大きな声がよく通る。本当は国民が滅ぶのだ。
 
 今回の大災害で日本国家の実態が明らかになっている。
 
抽象的存在に過ぎなかった国家。国民の幻想的共同性の中にしかなかった国家。
の実体が超巨大災害の機会に姿を現した、と云うことである。
 
 これを見える見えないは政治的立場による、としか言いようがないが。
 
 日本国の実体とは自然の巨大な力、自らの生みだした原発破たんのエネルギーに大して実際は全力を傾注してもそれ程の力しかなかった、と云うことだ。
20万もいるはずの自衛隊は巨大災害に10万の兵士しか即応できない。予備役の招集さえ考えられている。
危険作業に耐えられる人手はいくらでも欲しいのに後の10万自衛官は何処で何をしているのか。
 こんなことで国防戦争のできる軍隊なのか疑問。
 
 私はこれまで何度となく主張してきた。
自衛隊を戦闘部隊を中心に粛清せよ!
 
尖閣事件発生を海上保安庁問題として真っ先に提出した。
この組織は発起以来の経過から問題のある組織である。
そしたら、ビデオ流失事件が発生した。
 
 もっともその前に拘留中の中国人船長を即時釈放せよ!と書いた。
 事実はその通りになった。
 
何も中国びいきとか全く関係がない。自分なりの分析に結果だ。
 
 激甚災害即応部隊が10万しかいない事態を受けてハッキリしたであろう。戦闘部隊に関係のない贅肉が自衛隊にはあまりにも多すぎる。
公務員削減を云うならまずここに手をつけよ!警察組織も同様である。
 
 想定される日本国の力は国民の幻想共同体の中にしかなかった。
その幻想を生みだしていたのがマスコミであり、行政、立法、司法の形而上の三件分立だ。
 
が、実態は、今我々がテレビで見る通りの力しかない。
巨大視していたのは我々の共同的な幻想に過ぎなかった。
 
逆にいえば、現国家への住民の共同幻想が費えた時、国家は破たんする。これは国家のを実体的に支える支柱が実力で破砕された時だ。
 
 被災された自治体などの国家に連なる公共セクターは壊滅状態で被災の実態さえ把握できない。ましてや自力救援は困難を極めている。
 
 とすれば、それ以上の身近な公共セクターは警察消防しかない。
しかし、それで不十分である。
 
 特に警察はこういう救援活動の思想的訓練受けていない。
なぜなら彼らの根本は人を見たら泥棒と想え!なのだ。
 
 人を疑う訓練しか受けていない。人を罪に陥れる訓練は受けているが、人を救う訓練は受けていない。警察官の目つきは尋常でない。人を根本的に疑う底光りした目つきである。
人間不信、人間差別を埋め込まれたのが警察官だ。
 そういう素養のある人間しか昔は警察官にならなかった。
 
要する江戸時代云えば目明しの風情が警察官だ。江戸支配層の末端の手先になり治安維持に貢献し、反抗するモノを摘発する。差別分裂支配の大本が警察だ。市民社会の差別の末端での権力側の発信源が警察だ。
 
 1923年関東大震災時、「朝鮮人が暴徒化している、井戸の水に毒を投げ入れている」
 
こういうデマを意図的に流し、震災の混乱の中で一気にそれまでの治安的問題の解決を意図したのは、当時、警視庁幹部だった正力松太郎、云うまでもなく、後の読売新聞社社主だった。
 
 この人物が占領軍の民主化政策に新聞経営者の中で最後まで抵抗し、公職追放され、巣鴨刑務所に収監された後、中国共産党全土制圧、朝鮮危機の情勢で市川房江など戦犯者とともに釈放され、アメリカのスパイとして各々の持ち場で言論の中枢を占めた。冷戦体制後、それら後継者が拡大再生されて今日に至っている。
 
 正力松太郎とか市川房江は逆の意味で転向者であり、その立場を全うした。
 今、戦犯、転向アメリンカンデモクラシーの使徒、市川房江を何かと持ちあげる管直人が首相となって、この国民的災害に向き合っているのも何か歴史の不思議を感じる。
 
 歴史は形の上では進歩しているが本質は変わらない。
 
 読売新聞の務台を経たナベツネ、日テレ氏家が今度は左翼転向者を吹聴し、マスコミ権力の座を得らえたのは、読売新聞内部の大争議を経て、まともな抵抗勢力が読売内部から、追放された特殊条件がある。
 
 左右両方の転向者はアメリカンイデオロギーに存在証明を見つけ出した。
 
 読売グループはアメリカの意向がストレートに反映する巨大メディア資本である。マスコミの資本関係が容認されている以上そうなる。
 
 勿論それ以前にサンケイなどと云う、反アジア、侵略戦争肯定のメディア資本の存在もある。
 
電通と云う世界に類を見ない業界資本の存在は売上高から何から見てもその異常な特殊日本的存在性は明確だ。
 
 どう云う経過でそうなったのか世間に明らかにされなければ、日本の民主主義の基礎はないと考える。
 
マスコミと云う戦後GHQに保護された寡占市場が日本の経済発展と共にそのまま維持され、仲介する広告媒体にカネが流れ込んだが、そこにマスコミに吸着する戦前からの大資本いた、と云うことなんだが、電通の様な広告媒体の巨大資本化には謎の部分が多すぎる。
 
 ここがアメリカ利権の我城の一つになっているようだ。
 
最初の出発点においては日本側は相手の意図的対応に比べて、無邪気なアメリカかぶれだったと想う。
 
が、軌道に乗ってからは明確な共犯関係が成立した。
 
 電通アメリカの力をバックに君臨する会社とも見ていいだろう。
 
当初の社訓を見てもまともな日本企業とは言い難く、アメリカのイデオロギーを満開させたものである。
 
電通を大きくした経営者はアメリカンイデオロギーアメリカかぶれに頭の先から爪先まで染まった人物で今も最高顧問として影響力を駆使しているとみて間違いない。読売のナベツネのような存在だ。
 
 敗戦を目の当たりにしたこの年代の人には極端なアメリカかぶれが多い。自制心のある人はまともだが、ない人は暴走する、その一人が、この男である。この男の盟友の大森もそれに近いから、アメリカ、グリンカードを思う存分使って日本を捨てて、半ばアメリカ人としてカリフォルニアで死んだ。
 
 敗戦を目の当たりにした日本人の中には日本人を実質止めた日本人が多数いて、どちらかと云えばそうした人が出世した。その系譜は連綿と続いている。
 
マスコミ人種も口先で何を云おうが、そこに連なるモノどもである。
 
 日本に思想的足場のないモノどもが日本を撒き散らしす逆説。
 
だから肝心な時になるとアメリカ頼みになる。
 
おそらく、海外亡命した故大森実と親しいこの人物はアメリカCIAの関係者だろう。
 
 
 >>>「悪い奴ほどよく眠る」
巨悪は眠らない、とは余りに単純な例えである。本当は悪いことをしてもぐっすり眠って、明日の悪事の備える
 
欧米だと「神様こんな悪い私をお許しください」と神に膝ま付いて懺悔した、そのあくる日に、堂々と同じような悪事を働く。捕まらなけれ後は良心の問題だけだが、便利なことにそこに唯一絶対の神がいる。
い是れにしても悪事は続く。だから眠らないように見えるだけだ。
 
>>>「詐欺師に騙される人は何度でも騙される」
通常の日本人の騙される相手は詐欺師レベルである。
 
 小泉竹中。薄っぺらな詐欺師レベルであり、世界的に見て、とりわけて独創性のある本格的なワルではない。
アメリカの召使にして個人の名誉利害に忠実だったにすぎない。
 
 そんな人間に騙された人は生まれながらに詐欺師に騙される体質がある。
だから、詐欺師どもが必死に騙すテクニックを磨いてきたときに、また騙される。
 
 小泉政権発足時の最高支持率は85%だったという。
政権交代時、民主党に49%の有権者は投票した。
だったら、政権交代を支持した有権者の70%近くが小泉的政治の雰囲気に惑わされる人たちだったということになる。
 
 そして小泉の政策が実施されたときに現実に気付いたと。そして何とかしてほしい、と駆け込んだ先が民主党の掲げるマニュフェストだったと。
 
 そして、民主党政権が行き詰れば、今度は大阪ハシモトは名古屋河村、果てはみんなの党、自民回帰。
実に解りやすいい話の道筋ではある。
 だから、詐欺師に騙される人は何度でもだまされると。
 
悪人のレベルも程度は知れているが、騙される人もそれに相応している。
 
 日本に絶対悪も絶対善も存在しなかった。
善悪の絶対的価値基準がない以上、政治軍事のモチベーションは上がらない。
 
 第二次大戦の犠牲者は戦後の繁栄の礎だったとか、日本政府は軽武装を選択したから、経済活動に専念できて今日の経済大国になった。
 
 こうしてた常識論で人々は過去を自己合理化し、現在を肯定し、この平和と繁栄の現状を維持したいと願うが、内外情勢の様子がどうも今まで日本と日本国民に平和と繁栄をもたらしてきた状況と余りにも違ってきているみたいだ。そこで漠然と大きな不安感に包まれている。
 
ところが、現状の多くの日本人はこの常識の範囲で思考停止しているようだ。
 
その思考停止した政治的未熟な叶わぬ現状維持本能に粗雑に刷り込まれたのが、中国脅威論である。
 
大量生産、大量消費、市場原理に目覚めた中国の急速な発展はその物理的力で日本人の「終戦生まれ変わり勤勉努力発展史観」と云う戦後成功体験史観を覆すものである。
 
 戦後日本人の発展神話が中国の急激な発展で疑問を抱かせるようになってきた。
庶民レベルの勤勉ささえも究極的には疑いを抱かせるようになってきている。
 
 資本は条件が揃えばどこでも資本蓄積構造を満開する。これが真実の法則だった。
 
現在の様に世界中でとてつもない資金が増加をきたいしている歴史段階であれば、金儲けの条件の整った所には一気にカネが集中する。
 
その意味で資本主義は本質的に、国旗や民族には関係なく金儲けのために盲動を繰り返す。グローバル資本主義は資本主義の究極の発展段階である。
 
 この本質に其々の国で国家を我がものし、権力を握って金儲けしようとする経済的支配層の意向が加わる。
 
その下僕の政治家どもは本来対立しなくてもいい民族同士の対立を煽り、お互いを対立させて、自分たちの本来の動向を覆い隠す。
 
 そういう政治傾向は資本主義の本格化した歴史の中で繰り返されてきた。
第一次、大二次大戦はそういう大きな枠組みの中で繰り返された。
ロシア革命、各国の反戦平和、権利闘争もそのような大きな枠組みの巨大な渦巻の中に巻き込まれ変容してきた。
 
 資本主義の発展段階の帝国主義の大矛盾の爆発に対してそれらは押しとどめることができなかった。
商品経済の「自然的発展段階」の資本主義の矛盾、またその次の発展段階の帝国主義の矛盾の大爆発を阻止できなかった。
  
 日本国民は今後の歴史の激動に翻弄され、敗北するしかない。
今回の激甚災害は大きな一階梯として観東大震災の様に日本史に刻み込まれるであろう。
 
 多くの方々が亡くなられている。
私が以上書いてきたようなシニカルな観点が無に帰すように、改めて自分の立っているその場所に拘って世界を眺めてほしい。
 
本当に日本列島の様な天変地異の激しいところ、あらゆる角度から見て公共セクターは小さくてよいのかどうか。
 日本にアメリカの様なアングロサクソンユダヤ移民国家の条件はない。
条件のないところに型を当てはめると無理が生じる。
その無理は国民が被る。