反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

日本列島の様な原発、最不適切地帯での原発推進の最大の動機は戦後の経済幻想に根拠。

 「反戦な家づくり」さんは、どうして日本列島の様な原発際不適切地帯で支配層が一致して原発推進をしてきたのだろうか?と云う疑問を提出し推理をしておられる。
 
 なかなか、込み入った展開の記事で引き込まれるように読んだ。
ちょうど私も前回の記事を書いているときに同じような疑問点が浮かんできたが、あれもこれモノのいつものとりとめのない記事の欠点を知っているので敢えて言及しなかった。
 
 列島の原発立地条件、そこでの原発自体の本質的な問題点を知れば知るほど当たり前として、私の様なこの問題に対する門外漢にもそういう疑問が自然と湧いてくる。
 
 まして、推進派の中にも科学的見地に立って大きな疑問があるモノがいたモノと想われる。
 
それを押し切って、なぜ推進してきたのだろうかと云う疑問が湧いてくる。
 
 地震予知学は世界的に学問として認められていなくて事実上、原発推進にお墨付きを与える役割を果たしてきた事実がある。
東大や京大の一流大学のセンセイがOKと云っているのだか大丈夫と想わせる。
 
 ところが大昔の大学闘争の時代。
 
 確か、この両大学のどちらであったか忘れたが、大学闘争の最中、地震学科が事実上崩壊した、と記憶している。
 教授、助教授、助手など研究者が反乱し、研究分野から去っていったため、学科機能が停止した。
あの当時はこういう一流大学の闘争では学問の内容そのものが問題になった。将来の研究者や現在の研究者が闘争に参加しているのだから当然そういうことになる。
 
 その後の反公害の戦いの理論的基礎を築いた宇井純さんなどその典型である。
公開講座も盛んに行われていた。
 
 私なんかはそういう次元のものでないので関係がなかったが、あの当時学者さんは専門バカと称されてその社会的地位が低下していた。
 いつごろか巻き返しのように学者さんの社会的地位が復活した。
企業からカネを引っ張ることに何の抵抗もなくなった。
学問の果たす経済効率からの独立性、根源性が疎んじられるようになった、と年月の経過を身をもって知っているモノとして痛感する。
 
 地震学の分野で批判的意見を持つ研究者の流れが大学闘争を境に途絶えてしまったのではないか? 
その結果、産学協同と云うよりも
経済界の要請に追従する今回の地震学が生まれ、極致をいくようになった。
 
 以上が学門の分野での問題点。
批判的な学問研究もキチンと研究分野でやっていけるように保障する体制がなければ、そしてその意見を云く耳がなければ、バランスを欠き、暴走してしまうということだ。
 原発反対をいう専門家は片隅に追いやられた。終始一貫して追いやった奴らがいるということだ。
その付けは余りにも大きすぎた。
 
 >>次に原発推進の動機。
モチベーッションと云う今風な用語を使ってみるとよく解るのではないか。
 
 石炭から石油への急速なエネルギー方向転換を高度成長経済の入り口で日本支配層は目論んだ。
 
60年安保闘争直後、三井三池闘争が発生しているが、これは急速なエネルギー転換を図った支配層の要請にこたえた炭鉱側の急速な大規模首切り、合理化への当時の総評一番の戦闘的労組だった炭鉱労組の組織を挙げての反対闘争だった。
 安保闘争が日米軍事同盟への政治闘争であれば、三井三池闘争は一大経済闘争だった。
 
 日本支配層の中でも高度成長経済政策の中身を巡って意見の違いから、論争が巻き起こった。
 急速成長方針か、均衡成長政策か。
 
 均衡成長政策の有名な論者は宇沢弘文さんで、この人は当時のいわゆる近代経済学者の最高峰の方である。
岸信介内閣の後を引き継いだ、池田勇人内閣は急速成長政策を採用した。
池田の後を襲うことになる佐藤栄作は均衡成長論者だったが、皮肉なことに彼の在任中、高度成長政策が花開く。
 
 この論争の内容を具体的詳しく知りたいと思ったが、なかなか解説書が見当たらなかった。
ここらあたりから問題にしていかなければ、日本資本主義の根源的批判はできないのでhないか、と考えている。
 
 
>>日本に原発が導入されたのは高度成長後半で東海村原子力発電所の技術をイギリスから導入した。
その後、アメリカから技術導入をし、最後は自前で建設できるようになった。
福島原発1号機は高度成長期、アメリカGE社から導入したものらしいが、耐用年数をはるかに超えていまだに稼働させて、今回の激甚災害を引き起こしている。
 
 >>3号機は使用済みウラン燃料を再処理したプルトニウム混合の燃料棒使用の特殊原子炉であり、エネルギー何倍にもなるというが、その分、一旦事故が発生した時の破壊力は強烈である。
原発水国策の暴走はここまで至ったのだ。
 
 >>田中角栄の金脈問題での失脚の一つの原因は彼が中東戦争アラブ側敗北を受けてのOPEC原油輸出制限に対して、ソ連インドネシアからの日本独自の原油調達ルートを本格化しようとした政治方向がアメリカからの日本帝国主義としての独自路線選択の危険性を受け取られ、謀略的にはめられたと云われている。
 
 そもそもこの事件の本線は田中のかかわったとされる民間旅客機選定などではなく、中曽根康弘や右翼フィクサー児玉のからむ自衛隊の対潜哨戒機導入問題だったが、田中角栄の日本独自路線へのアメリカ側の危ぐから、田中だけが選別弾圧され失脚させられた。
 
 >>以上の歴史的流れの中のかから、どうして日本支配層がかくも立地条件に恵まれないにもかかわらず、原発推進を国策としてきたか?理解できる。
 
>>大きな経済のエネルギー源調達のへの危ぐは戦後日本のアイデンティティーを経済成長、経済規模の拡大の狭い細道しか見出せなかった支配層であれば、募っていくのは当然だろう。
 
 日本の戦後はアメリカに軍事政治面で追従し、彼らの完全な掌で踊るしかなかったが、唯一経済面での成長、大規模化が日本の独自性だった。
 その認識の中から、原油に変わるエネルギー原子力への視野狭窄症的渇望が湧きおこってきた。
高度な金融資本主義には常にエネルギー調達、資源確保の問題は付きまとう。
軍事的政治的にアメリカ屈従であれば、日本民族の存在証明は経済、技術の中にしかない。
これが極端に表れたのが戦後の日本である。EUと云う戦略性を持ったドイツ、イタリアと見本のハッキリとした違いでる。唐突なTPPに無様にしがみ付く焦りも理解できよう。
 
 日本支配層はエコノミックアニマルの範囲を出ることはできなかった。
 自分のウソを自分で納得し、信じ込んで暴走してきた。
 
よく記事でTPPのことを取り上げたが、日本支配層は自分ででっち上げた幻想を信じ込む特技が治っていない。
その源は戦前から国体の一部を形成し温存された官僚層、財界、自民などの保守政治層である。
 
管等現政権が非難されるのは彼らがそれらの手代となったことになるだけだ。
手代は使い捨てられる。
 
 そういう観点から、今回の激甚災害にもキチンとした立場を無理にでも適応している次第である。
この次に来るモノへの態度はこういう機会の中の戦いで形成される。
 
.>>被災原発の現状は圧力容器から核物質が放出している段階に達している。
作業現場でなにをやっているのか、国民は実態を知らされていないが、核物質の大気、海洋への拡散は広い範囲に及び、この状態は収束に向かうのではなく全国規模での拡大だ。
本質的な意味で終息はない。だから、核エネルギーの使用は日本では御法度のはずだった。
 
 一億人が暮らしていくためには別の道があった。
別の道を歩んできたのが自分の人生だった、と振り返ることができる。
 だから、お前たちに原発を作ってくれと頼んだ覚えは一切なかった。
 馬鹿どもが暴走した結果、こういうことに結果なった。
 
 結果論でなく、経済効率的にも間尺似合わないことは、少し知っただけでも理解できそうなモノを!
 
線路を突っ走るだけの暴走列車は止まらなくなった結果引き起こされた完全な人災であり、その始末は基本的にできない。
 
 だからこそ、自分たちの日本と日本国民に対する背信行為を隠ぺいする本能から「がんばれニッポン」とかの隠ぺい工作が本能的に必要となる。
 そんなことは敢えて言われなくても解っている!
 
 >緊急冷却装置稼働が唯一の「終息」可能性だったが、今の現場の状況は圧力容器、格納容器の破壊であり、そういう人的作業の推進を著しく困難にしている。
 
>日本支配層の間尺に合わない経済幻想を煽る戦後の歩みは日本国民に多大なつけを払わせたし、肝心なことをやってこなかった実情は世界の嗤いもになろう。
 
原子爆弾アメリカによって2発も落とされ、惨禍を国民的規模で共有しなければならない国家と国民が銭カネの虜になって、大切なことを見失ってきた。
>経済発展に国家と民族の存在証明を求める方向は間違っている。
>資本主義は本質的に発展要素のあるどこの国でもたくましく根付いていく。
>歴史の当初よりあった商品経済の究極の発展段階が資本主義。
ここで少しばかり他国、他民族より先を進んでいても、歴史のある段階では苦しい競争を強いられる。
国家のと国民の本質的存在価値はそんなところにないと考える。
 
 国民は支配層の栄耀栄華の本能に騙されていた。
これが、今回の激甚災害の教訓である。