反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

連合赤軍民主党(管一派)VS正統民主党(小沢一派)の漫画絵にこの期に及んで固執する小沢熱烈支持者の異様。

 福島原発作業現場の状態は厳しい。出口が見つからない状況であることに変わりがない。津波によって炉心冷却機能が喪失し、炉内の燃料棒が急激に溶けだして、圧力温度が急激に上昇し、逃がし弁を解放せざる得なくなり、建屋内に逃がされた水素が空気と反応し、水素爆発を起こした当初よりは今現在、小康状態を保っているというだけのことである。
 
 今現在の作業のダダ漏れ承知の応急の注水による炉内温度圧力管理、膨大な汚染水の垂れ流し、放射能の拡散、冷却水系統構築への作業環境なし、のデッドロック常態は何ら解決されていない。
 
 熱交換器を挟んだ冷却水循環構築しか炉心を冷温停止に向かわせる手立てはない。
しかしそのための作業は高濃度放射能のため阻まれている。
鉛の防護服もアルファー線は貫通する。ロボット作業にも大きな限界がある。
 
 原発推進派の中で今でも楽観的な立場に立つ学者さんは現場の困難作業をすっ飛ばして、作業手順の肝心なところをタラレバに置き換えている。
 
 やはりこの期に及んで、いまだにそういう肝心なところを、実態とは違ったタラレバに置き換えることができるのは、さすが筋金入りの原発推進原理主義者だと感心する。
 実態、現実からかけ離れすぎて、事ここに至ると、ある種の異様性が目につく。
 
 ところが、同じような現実、実態無視の偏った情報の虜になっている人たちがいる。
その生息領域は主にネットである。
 
 小沢熱烈支持者、小沢ファンクラブ、の方々は信仰に近い個人崇拝の落ち主なんじゃないかと、思っていまう。
 
 どうしてこの期に及んで、小沢一郎なのか、私には解らない、というより、その政治的狂信ぶりは大したものだと想う。
 こういう危機的事態になっても、内ゲバ的恨みを忘れていない。その党内対立の政治構造のただ中に身をおける。
 
 内ゲバをやる両方に問題がある、と考えるのが自然である。
そんなこと熱中している間に、お互いの政治力は衰退傾向になる。
喜ぶのは本当に権力を持っているモノだ。本当に権力を持っているモノの力が内ゲバで双方の力が消耗し、大衆が呆れ果ててはなれていった時に強まっていく。
 有象無象の政治傾向のデタラメ主張が大衆の政治的絶望を背景に真実味を帯びてくる。
大衆は感覚で政治をとらえがちだ。
 
 もっといえば、政治の本質的な事もこの際、念頭に置いてみるべきだ。
 
「奴は敵だ!奴を殺せ!」 「世界に森羅万象について、全て分かっているように話すことが政治の特徴だ」
 内ゲバ的正義を全うしよう、論証しようとすれば、どうしても、この二つの傾向が世間から見たら異様に表れてくる。
 確かに一貫性、情熱はそこにあるが、狭い仲間内でしか通用しなくなっていく。
三者から見ると漫画的主張が目につくが、本人たちは本気である。
 
前者はよく知られている文句だが、後者はあまり広まっていない、作家の故埴谷さんの評論に出てくるフレーズだ。
 
 若者が政治的に熱中するのは理解できる。
私もそうだった。
 
ただし、狂信者であった昔でも、特定の政治指導者にいれあげることは一切なかったし、曲がりなりにも自分の判断に従って行動してきた。
 
 そいう立場からすると、福島原発事故、東北大震災を前にして、今でも小沢一郎固執できるその感性が理解しがたい。
 
 なるほど、小沢支持者の中でも、植草一秀さんの様な明晰な頭脳の生みだす論理には同調する面もある。
しかし、事が政治分野の判断を有するレベルになると、彼の主張には大いに疑問点がある。
 
 連赤民主党VS正統民主の対立図なんて漫画以外の何物でもない。単なる思い付きを当てはめているだけだ。
 
 経済財政分析も最近では本当かな?と疑いの目で見ている。
しかしこの分野では、正直なところ、判断を下す基準が自分の中に乏しい。私には原理論はあっても、政策論に立ち入って思考する訓練を受けてこなかった。だからアレコレいえない。
 
 ただし、全体の大きな流れはつかんでいるつもり。
 
 今の日本に経済財政政策において、この方向をとれば、日本経済が良くなると云った、方策はない。
これが結論である。政策的にこうしたらいい、なんてのはみんな幻想である。
それらの政策には、必ず、いい面と悪い面がある。
 
 昔のフレシュな日本経済の状態であれば、政策的選択肢の範囲は広かった。今はそれがない。だから必ず、効き目のある政策を選択すると、裏側では、その政策による大問題が発生する。
 だから、自分の今現在の立場にとって、その政策の及ぼす影響力は、どうなのかを判断基準にするしかないと想っている。
 
 植草さんの連日書かれている経済財政政策の様なものだったら、共産党が事あるごとに発表している経済財政政策の方が政治的に一貫性がある、と正直なところ私は感じている。
両方、眉唾ものだったら、政治性のある方を選ぶ。
 
 世界は新帝国主義の時代に突入している。
歴史を振り返れば、必然性が強烈に働く時代があることに気づく。
 
 帝国主義の時代は資本主義の基本的な矛盾が拡大し、世界的に行き着くところまで行き着いているから、国の内外で規定しあい、大きな条件が万力のように締めあげて政策的選択肢を狭めていく。
 
 今現在の世界は新帝国主義の時代に突入している。
歴史的必然性の万力が世界を締めあげている。古いモノと新しいモノとの対立がそこにある。
 
日本は古いモノの部類に入る。だから守りの姿勢で、他国に接しようとしている。
 
 日本経済を成長させてきた環境は失われた。
 
日本経済の成長は冷戦体制体制の長期継続という特殊歴史条件を前提とする。
特に、東アジア、アジアは冷戦体制の発火点だった。そのただ中にあるにもかかわらず、日本はアメリカの云わば、兵站基地として戦禍から、引き下がったところで、経済を発展させてきた。
 
 冷戦体制崩壊によって、スターリン主義国家ソ連、中国は資本制帝国に変貌し、インド、ブラジルなど元々、潜在的に経済発展要素のある国々や韓国台湾の様な、工業消費輸出に特化する国々が世界市場に参入する様になり、世界市場の構造は大きく変化した。
 
 戦後日本の急激な成長、浮揚した経済はその環境が失われたら、浮揚分だけつけを払わなければならない。
 
成長浮揚に見合った強固な全社会的、国民的土台の上に築かれたものでない以上、亀裂が走り、様々なところで急速に矛盾が蓄積するのは当たり前だ。
 
 最後に一番つけを払わされるのは急激に成長し、資本蓄積構造を確保した資本側でなく、そういう反国民的な資本蓄積構造を内外で許してきた国民である。
 
 イロイロ書きだしたらきりがないが、小沢熱烈支持者は日本が今現在置かれた事態に真正面から向き合っていない。小沢一郎で何とかなるという逃げ道を常に用意している。
 
 感情としてすっきりしても、実際は違う。
日刊ゲンダイ風の論調で終わらせることができる人たちは幸せモノである。
 
 植草さんなどは世田谷区長選の保坂さんの勝利を祝福したすぐそのあとで、例によって連赤民主党攻撃を繰り返しているが、保坂さんは植草さんが展開する様な文脈で事態をとらえていないことは確かだ。
 
 小沢さんが権力に弾圧されているから守ろうとしているだけであって、小沢さんの政治姿勢に賛同しているわけではない、と想う。
 
 東日本大震災原発事故。小沢さんはもっと別な生身の政治家としての対応があってよかったのではないか。
 
普天間基地問題で鳩山政権が揺れているときと同じような対応に見える。
 
それに従って、小沢さん熱烈支持の論調をまき散らしている支持者は、その行為によって小沢さんの欠点を覆い隠すばかりか拡大して大衆に伝えていることに、気付くべきである。