反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

学童放射線量基準値引き上げは学童疎開の問題。縁故疎開、集団疎開、根こそぎ疎開の各段階や家庭崩壊、教育問題など様々な角度から考えてみる必要あり。

 東大の政府参与が自分の意見が聞き入れないと、涙の辞任をしたそうである。みのもんたのバラエティー番組を早朝から、じっくりと見る様な元、外務省官僚の方がブログで報じている。
 
 私は、その記事においてしか事情を知らないので、そういう報道がマスコミによって巷に氾濫しているという前提に立って、タイトルの様な角度から、学童放射線量引き上げ問題を考えてみることにした。
 情緒的な意見に終始する、事も大事だがそれ以上の問題をはらんでいると、考えている。
 
 京大の小出さんは「たねまきジャーナル」で早くから、放射線量の拡大する当該地域の問題を児童疎開に引き付けて、語っておられた。
 ラジオ番組なので時間の制約があり、突っ込んだ意見は述べなかったが、当該地域の学童を疎開させた場合、家庭崩壊の問題が出てくるとだけ指摘していた。
 
 彼は良心的学者さんの典型の様な方であり、問題点は根源的に提出するが、決断し、実行する人でない。
 
 典型的には、彼は早くから、タービン建屋内の汚染水除去の困難性から外付け冷却系構築を唯一の方策として提起し、その作業を貫徹する際には作業員の被ばくは避けらえれないと、苦渋の発言はするが、その実行の問題までは踏み込んで述べない。
 
 >実行の領域まで踏み込むと、当然、作業員の被ばく線量の引き上げの問題に行き着いてしまう。
 
 >どうしてそうなってしまうのか?考えない人はハッキリ言って、問題を深く考えない人である。
 
チェルノブイリソ連政府はそういう法治手続きをせず、膨大な作業員を高濃度放射線の真っただ中に突入させた。
 日本ではそういう非公然の部分で非常事態に当たることは一応、許されていない。
 法的手続きをしなければならないから、政権がやっていることが公になり、国民はそれを判断する。
 
 現実に照らし合わせると、高濃度被曝なしで冷却循環系構築はできない。
 
高濃度放射線が充満する建屋内に突入して、冷却系の配管を接続したり、漏れ個所を塞がなくては、被災原発冷温停止という「終局」の目標は達成できない。
この現実ははっきりしている。別の道は一切ない。
別の道があるかのように想うことは完全な逡巡であり、問題の先送り、放射能拡散、蓄積を継続する道である。
 
 だから、作業員の限界被ばく線量を引き上げざる得ない。この問題を闇の中で行えば、国民は犠牲者の事を知らないだけで済ませることができるだけだ。
 それは何よりも、作業に当たっている方々への愚弄と冒涜である。
 同時に緊急事態への民主主義の原則適応の問題である。
 国家権力は自分たちのやっていることを公開しなければならない。判断は国民がする。
 
 小出さんはラジオ出演の度にこの大問題を前に苦渋で立ち往生している。そこから先の具体的な問題には踏み込まんない。
 
小出さんの様な良心的学者さんはそれでいい、と想う。学者さん、評論家はキチンと問題点を提出することが肝心だ。それをやらないで、いい加減に政治にコミットするから、却って、国民が学者によって真実の刻印が押されていると勘違いして騙される。
 
 >が、政治は政策を選択し、決断しなければならない。
 
 >さらに庶民も、緊急事態の時には日常生活の真っただ中で選択し、決断しなければならない。
 
>>>東大の参与の先生の辞任。
勿論、当該地域の学童疎開の問題まで視野に入れての意見がある、と想うが、
やはり、そこにおける、政府の政治決断に学者さんとして、責任を負いかねると、云うことなんだろうと、推察する
 
であれば、涙で問題点を押し流すよりも、キチンと学者としての見解を論理を持って説明すべきでないのか?
その際の説明には、学童疎開の事態への見解も必要となろう。
 
なぜなら、彼は参与を受けた時、政治にコミットした。
政権は学童疎開の問題も当然含めて、被曝線量、引き上げを決断せざる得なかった。
それが、学童に多大な影響を及ぼすと、学者としての研究成果として確信を持っているのなら、公にすべきである。
 でなければ、国民は被曝線量引き上げ、学童疎開の問題を解らない。
 
 
 
 >>>戦前、日本軍が制空権を完全喪失し、日本全土がB29の空襲域になり、空から、無差別に爆弾が都市に降ってきた。
 >>>今回の原発事故は空から爆弾が都市に無差別に降ってくる以上の事が発生している。放射性物質の汚染の連鎖、蓄積によって、事実上、広島や長崎の原爆投下の事態が繰り広げられようとしている。
 
>>>戦前の半封建的軍事独裁体制は日本の主要都市がB29という膨大な爆弾搭載能力を持つ爆撃機の爆撃圏内に入ってから、学童疎開を決定したが、終始して個人的な縁故疎開を原則としていた。
 
>>>1944年6月。
学童疎開促進要綱」に基づき、 縁故疎開に頼りがたい小学校3年生~6年生の「集団疎開」を実施した。
 
>>>1945年(昭和20年)。
学童疎開強化要綱」を閣議決定した。 本土空襲が激化したのである。
 
 それまで疎開対象になっていなかった1,2年生の縁故、集団疎開の強化、いわゆる「根こそぎ疎開」。
 
>>>ただそれでも縁故疎開、集団疎開に参加できず、空襲下の年に取り残された残留児童がいて、学校教育は停止されたが、寺子屋的訓練が実施されていた。この辺が日本人の教育に対する構えを見る思いがする。
しかし、この残留児童こそが、空襲で惨禍に投げ出された。
 
 沖縄からの集団疎開児童、775名を乗せた「対馬丸」がアメリカ潜水艦のよって撃沈された。
 
>>>以上の様な歴史的事実を踏まえ、今回の原発事故基準放射線量、引き上げは提出されているモノと考える。
そうでなければ、政府でない。
 
>>>以前の放射線基準値であれば、当然、論理的帰結として学童疎開の問題が出てくる。
 
>>>であれば、疎開実施の具体的各段階の順序が問題になる。
 
>>>最初の段階の個人、縁故疎開であれば、疎開できる人とできない人が出てくる。
 
>>>集団疎開の段階になって初めて、政府の学童疎開への関与が出てくる。
 
<<<もし、仮にこの問題に関する初期の対応である、にも拘らず、
政府が「個人縁故疎開」にまで踏み込んで、決定すれば、大人レベルへの人心の動揺は避けられないであろう>>
 
 以前の基準値であれば、当然疎開の問題が大きくクローズアップされてくる。
耐性の弱い子供の疎開問題から、大人の人心の動揺にまで問題が拡大するのは避けられない。やがてそれが大人の疎開の問題に行き着く。
 
>翻って、考えてみると、これらのすべての事態は福島原発事故現場の作業進捗状況に規定されている。
原因があって結果がある。
 
>もっとも、原発事故はそんなに単純でなく、継続、蓄積被害があり、全体が一つの輪になって関連しあっているが、問題点を簡略化する必要がある。
 
事故現場作業の見通しが立てば、なんとかなる、そういう気持ちで接していくしかない。
 
>ところが、本当の所、現場作業の見通しがついていない。
問題解決の環の糸口さえつかみ切っていない。
 
>政府が号令してどうなるという問題領域をはるかに超えたところに事故現場はある。
原子力が一旦暴走すると、こういうことになる。対策が防戦一方になる。
 
>さらに言えば、この災害は東日本大震災の一環でもある。
>今後のアメリカンバブル崩壊後の混迷する先進国、新興国台頭の世界経済における日本経済の行く末の問題を抱えている。
 
>>>これらすべての状況を踏まえると、いかに今の日本が厳しい状況下にあるか理解できる。
 
>>>自分自身の基本意見は大震災、原発事故があろうが無かろうが、以前から、決まっていた。
この震災、原発事故でその過程が早まっていくとみている。
 
>安易な情緒的方向からの意見が巷で氾濫するのも、当然、想定済みである。
 
>>安易なところに政治的な出口を求め過ぎている。
それが、却って、悪い方向への政治過程の進行を早めている。
 
>>ネット上の各ブログも、知識豊富な方が書いているのだから、もうちょっと、中身を展開してもらわないと。
 
 
>>だいたい、おかしいじゃないか!原発を一貫して推進してきた政治勢力が知らぬ顔で野党面をしている。
>>それに救いを求める人がたくさんいる。
政治の単純な算数もできないで何が市民かよ!まして国民かよ!
 
 
>>先頃、小沢、鳩山氏は会談して当面静観していくと合意したらしいが、当たり前だろ思う。
議会圏の政治を行っていくモノがこの事態を前にして、倒閣なんかにまい進するのは病気以外の何物でもない
 
 そういう方向に出口を見出して拡声器のように空騒ぎし、事態打開の方向性を見つけ出す様な熱烈支持者の立場は、何処か自分がおかしいのじゃないか?と点検してみる必要がある。
 
 いい年をしている。20才程の若者でない。
 
どうしてそこまで、視界を狭くできるのか、理解しかねる。
小沢一郎は長所もあり、欠点もある生身の政治家。
彼が動ける範囲これまでは限定されきたし、これからも限定されていく。
それは、政治大弾圧があろうが無かろうが、関係なく本質的な彼の政治領域の問題である。彼はそこから出ることはできない。その範囲を踏み出したら、小沢一郎小沢一郎で無くなる。彼は社会民主義的政策を口ほどに実行できない、とみている。
 却って、大阪ハシモトてき地域権力政治に接近する可能性を秘めているとみている。
民主党代表選挙の討論を聴いていた時そう感じた。
 
 了解済みの上での小沢支持でなければ、多くの人の感情と相いれなくなって、却って小沢さんを誤解させる元となる。
 私の様な根っからの反権力の人間にとっても、熱烈小沢支持者の言論は納得しかねる面が多々ある。
それによって小沢さんへの支持が萎えてることを警戒する。
小沢一郎を正当に評価したいと常に想っているから。
 
小沢熱烈支持者にはお気楽なところが見受けられる。
 
 
   <追記>
当局は会見でタービン建屋内の放射能を除去し、既存の熱交換器の復旧作業を断念したと、今頃になって発表している。外付け空冷冷却循環に決定したそうである。
 
 まさか本気で、そういうことができると最初に企画していなかっただろうが、事故発生発生直後からの東電の現場作業指揮を確認していくと、もしかして、と想っていまう。それだったら大変な時間の空費である。
汚染水は水漏れの原子炉を冷やしている以上出ていかない。よってタービン建屋利用は最初から、放棄である
子供でも解っていることである。
 
 やはり、こういう事実から見ても多くの方が大きな疑問点、疑惑を抱くのは当たり前だと考える。
 
児童の放射線量引き上げに関しても、現場作業が停滞し、放射線が被害が拡大することを見越してのモノの様な気がするが、告発は大いに結構だが、具体的にどうするか、その結果まで踏み込んで議論するのがネット世論のいいところだと想う。
 
>>>弱者の生活、意見、論理があれば、強者の生活、意見論理がある。
政治の立場は弱者の事を念頭に置くべきだ。
 
情報を全部開示せよ!
正しい意見である。
その一方で知ることに限界のある人も多くいる。知って必要以上に動転する人もいる。
ネット世論はどちらかと云えば、自分で情報処理できる方が多いところである。
ただし、それ以外の人が圧倒的に存在する、事にも想いを致すべきだ。
 
 政府が段階的にしか情報を出さないことにも理由がある。
一度にどさっと情報を開示した時の影響を勘案するのは為政者なら、当たり前のことだ。
 
 今回の原発事故に関してはもっと大きな事情を抱えている。
 
本当の所、政府当局自体も事態を把握できていない、見通しも立っていないということだ。
今現在進行中の事態は東日本大震災と合わせて、人類史上未曽有の事態が進行しているということである。
 
慎重に事にあたらねばと、警戒するのは当たり前である。
 
 学童を高濃度放射線の中に放置するのかという告発は正しいが、問題はその先にも大きく残されているということである。
 
一度に集団疎開の措置をとるのか、個人的な縁故疎開に任せるのか、根こそぎ疎開にするのか?
事は子供だけの問題にとどまらないということもある。
 
逃げられない方もたくさん出てくるが、その圧倒的多数は弱者であろう。