反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

電力不足の想定される東電への非常時、電力融通100万KWだけ。周波数混在の国は日本以外にアプガン、パキスタン、インド、スリナム、アフリカ諸国だけ。この国は電力インフラもいい加減にやり過ごしてきた。

 周波数は手っ取り早く言えば、交流電流の1秒間に+-交互の振動回数である。直流電流は+からーに流れるが、交流は+-交互に振動して流れる。
 タイトル通り、世界中で周波数の混在している国は先ごろ、ビィンラーディンが殺害されたパキスタン、内戦中のアフガン、伝統的に地方分権状態のインド。開発遅れのアフリカ諸国である。
 
 どうして日本が、その仲間に入っているのか?は詳しく調べなければ、断言できないが、大きな視野でみると、明治開国後の近代化に絶対必要不可欠な電力供給体制構築を急ぐあまり、「国家の電力インフラ構築」としての意味を全く解っていなかった、ということである。
 
 電力インフラを国家建設の基本問題に据える視点を持った人材は維新政府には存在しなかった。
 
>1887年、東京で電気がともった時、ナント直流だった。
>1888年、関西ではアメリカ製発電機使用のため60サイクルの交流だった。
 
>1893年、東京で直流から交流への転換がはかられた際、導入した発電機がドイツ製の50サイクルだったため、東西で50サイクルト60サイクルの違いが固定された。
 
1880年代後半の電力供給を急いだ段階の直流、交流のとんでもないズレの意味が1890年代になっても、本当の所、解っていなかったのである。
 電力供給のインフラとしての意味が解っていれば、東京側が直流から交流に転換した際、すでに既存の60サイクルを使っていた西に合わせて60サイクルの発電機を導入したはずである。
 新規導入なんだから、解っていればやれることだ。
 
ところが、
とりあえず、電力を「安く安定的に供給」する、そればっかりを念頭に置いてきたから、ドイツ製の50サイクルの発電機を導入したのである。
 
>敗戦後、東西周波数統一構想はあったが、混乱期からの急速復興のスピードが余りにも速すぎて、そのまま放置されたままだったそうである。
 
>>今回の福島原発事故を受けて、東電側は中部電力以西の60サイクル圏から電力供給を受けようにも周波数の相違から100万KWしか受電できない。
周波数変換所は長野県の新信濃変換所、佐久間変換所、静岡県、東清水発電所の3か所しかないためだ。
 
 夏場などの最大需要時期に震災被害を受けていない西から東に電力供給ができれば、震災被害の甚大な東日本でも、無理な節電対策は打たなくてもいい。
 ひいては、経済活動にも支障が少なくなる。
当然、必要以上の自粛ムードが煽られ、国民全体が政治的に委縮し、まともな判断力をすり減らしてしまうこともない。
 
 東京都知事選。石原、そのまんま東の獲得票が71%なんて、都民にまともな政治判断をする環境が失われている証左とみた。原発事故、余震、関連必需品の供給不足など一連のひっ迫状況の中での政治選択だった。人は環境の動物である。
 選択を一方的に攻めることはできない。
 
 しかし、この先、電力自粛が過大に実行されると、気分的に萎えてきて、政治的に一方向に暴走しかねない。
 
 
 >家を建てるときに、一番大切なのは土台である。
勿論どんな構造物にも言えることだ。
ここを入念にやらないと、上モノの耐用年数が少なくなる。
 
>こんな常識的な基礎も日本は爪先立ったまま、疎かにしてきた。
 
>今回の福島原発災害。
電力供給のインフラ常識も疎かにして爪先だった、経済、軍事成長に怠けてきた明治以来の国家戦略の底の浅さが、大二次大戦を経て、到達した最終点であった。
 
>日本は国家として王道を歩まず、邪道の道をひた走ってここまで到達した。