反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

野に咲く花の、名前は知らない、だけど野に咲く花が好き。帽子に一杯摘みゆけば、なぜか涙が出るの。

  戦争の日を、何も知らない
  だけど私に父はいない
 
  父を想えば、ああ荒野に、赤い夕陽が、夕陽が沈む
  戦で死んだ、悲しい父さん、 私はあなたの娘です 
  20年後の、この故郷で、明日お嫁に、お嫁に行くの  
  
  見ていてください、遥かな父さん
  鰯雲浮かぶ、空の下
  戦知らずに、二十歳になって
  嫁いで母に、母になるの  
 
                  加藤和彦作曲  寺山修二作詞
 
 
  正義に燃ゆる戦いに、おおしき君は倒れぬ
  血に濡れたる敵の手に、君は戦い倒れぬ
  プロレタリアの旗のため、プロレタリアの旗のため
  踏みにじられた民衆に、命を君は捧げぬ
 
  冷たき石の牢獄に、生ける日君は捕らわれ
  恐れず君は白刃の、嵐をつきて進みぬ
  プロレタリアの旗のため、プロレタリアの旗のため
  重き鎖を響かせて、同志は今や去り行きぬ
 
  まくろき夜の闇は今や明け、勝利の朝今やきぬ
  倒れし君の屍を、我等は踏みて進みなん
  時はきむいざ復讐へ、時はきぬいざ復讐へ
  我らが旗赤く空に燃え、勝利の朝今やきぬ
 
                 「同志は倒れぬ」  小野宮吉作詞
 
 
  立て飢えたる者よ、今ぞ日は近し
  さめよ我が同胞、暁はきぬ
  暴虐の鎖立つ日、旗は血に燃えて
  海を隔てつ、われら腕(かいな)結びゆく
 
  いざ、戦わん、いざ
  奮い立て、いざ
  インターナショナル
  我らがもの
 
  聞け我らが雄たけび、天地轟きて
  屍超ゆる我が旗、ゆくてを守る
  圧政の壁破りて、固き我が腕(かいな)
 
  今ぞ高く掲げん
  我が勝利の旗 
 
  いざ戦わん、いざ
  奮い立て、いざ
  インターナショナル
  我らがもの
 
         「インタナショナル」
 
>週間天気予報を見ると、今日から一週間、全国的に好天に恵まれそうです。
春の日差しがまぶしく、降り注ぎ、あたりの景色も晴れやかに感じます。
2011年のこのとき、は今しかない。
 
 なのはなや  つきはひがしに  ひはにしに
            
                      与謝蕪村
 
 >大阪のキタの繁華街、梅田(埋田)から少し東に離れた毎日放送の社屋の前庭に蕪村のこの句碑があります。
蕪村は淀川下流の毛馬という農村地帯に生まれました。淀川堤防の毛馬付近には蕪村を偲んで大きな記念碑が立っています。
 記念碑の文言を読み終えて、あたりを見渡すと淀川河口の蕪村が生きた時代の荒涼とした農村風景が浮かび上がってくるような気がします。
 
 >近所の施設の句碑には万葉歌人の詠んだ句が刻まれています。
万葉歌人の時代。淡路島に飛び立つ鶴が大阪湾を超えて眺望できた、という事実が万葉句から解ります。
物凄いエコな世界です。大気が澄み渡っていた。
 
 >生駒山に「府民の森」という手入れされた大きな雑木林を通り抜けるハイキングコースがあります。
落ち葉が深く降り積もった冬の遊歩道を登って、フト下界を振り向くと、大阪平野を埋め尽くす、コンクリート果てしない様な群れが見えます。ギッシリと詰まっている。
 
 遠くの梅田界隈の超高層ビル群が石を投げたら届きそうな近くに見えます。
超高層ビルがあまりにも巨大すぎて人間の経験してきた遠近感を狂わせているのです。
 
 これが繁栄というモノなのか?
 
 しかし、大阪平野を埋め尽くす、コンクリート構造物の世界をさらなる経済発展に結び付けていく道は経済学的に見て無理筋なんじゃないでしょうか?スクラップ、アンド、ビルトはあくまで願望に過ぎません。
 それだったら、真新しい所に経済発展の可能性を見出すというのが、経済法則です。
 
 >今の日本の象徴が残念ながら福島原発事故になってしまいましたが、他方の象徴は経済飽和状態の大阪です。
 >水は高いところから低い所に流れます。その逆は人為的な行為になりますが、果たして日本の様な戦後歪に発展してきた大きな経済規模をさらなる高みに押し上げることができるでしょうか?
 しかも、経済発展の割に国民間に本当の社会的富が制度的に分配さててこなかった。
 
それでこういう事態に遭遇している。
 世界はまさしく新帝国主義の時代です。
日本支配層は多数派国民に我慢して働け!
そうすれば何とかなる、といっている。
 
 が、大きな会社には先の展望があるかもしれないが、国民レベルでの展望は先が混沌としている。
ワカチャいるけど止められない、止められない、日本と日本国民がそこにいる。
 
 つい最近までのGDP世界第二位の戦後成長の底上げされた附けは、新帝国主事の時代には多数派国民に回される。これは必然でもある。
 
 
           <追記>
時間不足で展開できませんが、
原発事故では逃げられる人と逃げられない人がいる。
自分たちの身は自分たちで守れる人と守れない人がいる。
情報開示の問題も開示された情報で冷静に身を処せる人と浮足立つ人がいる。
「逃亡した奴隷」の立場の自覚もない人がいる。
 
原発事故現場作業。
誰かがやらなくてはならないことだ。
危険作業だからと、皆がそのままにしておいたら、どうなるか?
また現場を預かる技術者には技術者としての本能と使命がある。
逃げまどうことが全体であれば前には進めない現場実態がある。そのことは良心的な原子力学者も認めている
 
問題はここの所の待遇、処遇である。
初めから指摘している。
現状の労働力市場では酷い面があると指摘だけでは、事は前に進まない。
労働組合と政治の問題である。
 
 イロイロな漏れてくる事実から推測すると、現場の指揮系列は精神的肉体的に疲労困憊しているようだ。
だから、単純ミスが発生する。
ここにも交代要員がいる。ローテーションがいる。
 
物的精神的環境が保障されなければ、作業は滞っていく。気力だけでは長続きしない。
被曝環境下の作業では大量の交代要員が不可欠なことは、だれしも否定できない。
だから、政権が現場に責任を持てといっている。
 
 こんな事故で一民間企業が現場の最高指揮権を持っているなんて、こと自体がおかしい。
チェルノブイリではソ連空軍の大将が陣頭指揮して軍用ヘリから膨大な反核物資を投下し、沈静化させた。
日本の福島でやっていることは、避難区域設定も含めて重箱の隅を突っついている様な気がしてならない。
 戦後日本人の最大の欠陥がこんな重大事態に一気に噴出している感がある。
丁寧であっても、戦略性が見えてこない。
 
被曝汚染の問題さえなければ、云われている解決作業は単純な工事。廃炉も決定しているのだから、高度な技術はいらない。
 だから、持久戦としてこの一点をどうやってクリアーしていくかという戦略性、積極果敢性が求められている。
 これは、完全な固有の戦争である。
民間ゲリラでは最終戦争には勝てない。正規軍による制圧戦が必要である。
この事故は最初から、正規軍の必要な戦いだった。
 
従って、東電が責任を負って、その任に当たるに相応しいかどうか、大人なら理解できると想うが。