昨年、高校時代にもう二度と小説は読まない、と決意して日本文学全集を片っ端から乱読していた頃、どういう訳か自分の好みに合った作家伊藤整の「若い詩人の肖像」を再読した。
この小説のハイライトは二つある。
一つは文学の世界での栄達を望み、同人雑誌を出すまでに至った伊藤が同じ小樽高等商業に学ぶ(多分1級上)小林多喜二(既に学内は及ばず地域で文学的才能を認められた有名人的存在)を眩しい存在と認めながら、自意識とプライドから何時も遠目で眺めながら、交流を一貫しして躊躇しているところ。
二つ目は日本の青春文学にない生々しい女学生との性的交流描写。戦前から北海道には開放的な風土があっただろうか、本土ではこう云う大胆奔放にはいかない。
今回読了して気付いたところ、気になるところは二つあった。
「若い詩人の肖像」の中で小林多喜二評らしきものをするくだりがある。
小林多喜二の後年のプロレタリア文学作品は、小樽時代の作品傾向からすると、もっと文学作品らしい描写をしようとすればできたが、ソレを極力抑えてた作品を読者に提供すると志している、と小林に温かいまなざしを向けている。事実、その通りだろう、小樽高等商業時代から志賀直哉の崇拝者であった小林は、志賀直哉的リアリズムの作品を発表していた。
気になったところがあった。
小樽高等商業に赴任していた米国人教師が、日本の道路工事はどうして、掘り返しては埋め、埋めては掘り返しを繰り返しているのか、まとめてやる方が合理的なのに、と授業中に学生に云いだした下り。
この教師の米国流の合理主義は学生たちの嫌うところとなり、遂に授業ボイコットに及んだ。
戦前から日本の道路工事に代表される公共事業の同じ作法が、敗戦を挟んで今日まで継続している事の異常性を伊藤整「若い詩人の肖像」の一節の描写で知ったことは、ある種の衝撃であり、
>結局、付加体列島日本と日本民族、国民のそういうところは<不変>だったのだ、と納得した。
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地理歴史的真実に基づいた作法、行動様式なので、その不合理を政治が修正しようと志しても日本の置かれた負の地歴的現実に根を張った権力機構の抵抗を受けてできなかったのだ。
アベ、マイナス金利、金融膨張路線で、またぞろ公共事業予算が膨らんでいるようだ。
現状、Wの住居、半径500m内に、ナント5つの公共事業の工事現場が稼働中である。
全部必要な工事と云えば云えるが、
>その中で、道路工事関連は2件だが、
>疑問点のある工事が、水道管入れ替え工事の看板を掲げて行っている
専門的なことは解らないが、コレって関連業者が云う試験堀という工事じゃなかろうか?
ガス工事もこう云う手順を踏んで本工事に入るはずだ。
>試験堀は剥がし易いアスファルトにしてそのまま放置。予算がついたころに、水道管取り換え工事が本格始動する。
Wの簡単に目視するところによれば、
この水道管取り換え工事の前段工事らしきものは、取り替え対象の古い水道管の埋設されているところまで掘らず、硬いアスファルトの表皮だけ剥がして柔らかいモノに取り替えているオートマチックな工事にすぎない。
部分的に深堀はやっているかもしれないが、古い水道管の埋設状況を綿密に調査している気配がみえず、自動的に真っすぐ長距離、掘り返してアスファルトを入れ替えているにすぎない工事に見える。
古い水道管の埋設状況が解ったら、そのような掘り返しは中止すれば良いのに惰性でやっているとしか見えない。
>このような工事手順が伊藤整の「若き詩人の肖像」の米国人教師が指摘する不合理な道路工事の典型ではないかと思う。
次にかなり長い期間のそまま放置いていて、水道管埋設業者が本工事を行う。
>本工事の進捗具合に沿って当然、アスファルト舗装をしなければならないが、
>その際のアスファルトは、
>柔らかいアスファルトのまま、べたっとまるで黒いチューインガムを道路に貼り付けた状態で放置して工事は完了したのである。実に見苦しい。
>結構おしゃれな街中の道路でも見かける無残な黒いチューンガム水道管、ガス管の修繕工事終了跡は以上の様な過程を通して出来上がる次第だ。
*だったら、せめて、訳の解らないほぼ不要といえる、前段の掘り返しは止めたら良いのに絶対に止めない。
*最初の掘り返しの舗装業者と 本工事跡を舗装する業者の予算の出所が違うから、そういう二度手間が横行すると云う穿った見方もできる。
最初の舗装業者に対して、工事途中で旧管の埋設状況は解ったから、もう良い、工事中止と役所は云えない。
そもそも埋設状態など調べていない。ただはがして本工事で剥がし易い柔らかいアスファルトに入れ替えているだけ。
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>道路工事(ガス、水道、舗装修繕)に代表される公共工事の世界では、2017年が明けても、2016年は終わっていない。
むしろこれから年度替わりの4月までが2016年工事の忙しい追い込み期間に突入する。
巷で言われている役所が余った予算を使い切らないで返上すると、その分来年度予算が減らされる、は現場目線でいえば絶対的事実である。
高度経済成長時代を除けば、
建設土木の単純労働市場が急激に活況を呈するのは、この予算を使い切る時期に限定されるようになり、連動してその他の建設筋肉労働力市場は人手不足状態になる。
高度経済成長時代の末期の1960年代後半から、日本経済は高い経済成長率を維持してきた生産設備の過剰化と需要不足が顕在化するようなり、建設国債 - Wikipedia引用「日本では建設国債は1966年から発行されている。」が発行され、需給の不均衡を補てんする政治経済政策路線が定着し、
● 財 政 法 が根拠 = 建設国債
「一般の『赤字国債』は、後世に残る建設事業ではないため、建設国債で事務経費や人件費に充てることは出来ない。
そのため、一般事業用途の国債を発行する為に、『一年限りの公債特例法』を毎年制定することにより
、建設事業に使途を制限されない「赤字国債」を発行している。
そのため、一般事業用途の国債を発行する為に、『一年限りの公債特例法』を毎年制定することにより
、建設事業に使途を制限されない「赤字国債」を発行している。
参考資料2 公共事業 - Wikipedia
記事に関連する重点個所引用。
>日本での公共事業の内訳では道路関連の事業が最も多く、日本で行われる公共事業全体の四分の一を占めている。」
↑
W。水道管取り換え際の2度手間の様な道路工事は各々予算の出所が違うとの予測は当たっているのではないか。
>最初に掘っている業者は舗装工事専門の道路業者。
>本工事終了後、黒いチューインガムを道路に張り付けたままの状態で放置する業者は、菅工事に付帯する業者。
以上のように仮定すると、2度手間道路工事と黒いチューインガム貼り付け放置のリアル事情がわかる。
黒いチューインガム無貼り付け業者には本管工事がメインなので本格的舗装工事をする予算が出ていないのだ。
2度手間を止める、減らせば良い。
↓
その分、人手が減って、経済のめぐりが悪くなる?
↓
末端、道路工事業者の実態を知らないヒトの云い分(機材はほとんどリースが実情)。恒常的に仕事が保障されていない末端業者が、ソレなりの技術を持った人材をキープしていくためには失業保険に頼るしかないのが実情。このカネの出所は国の予算。
参考 財政赤字
経済主義的にいえば、
日本の様な公共事業漬け体質の国は、公共事業という<戦争>をやっているのと同じだ。
公共事業も十分やれない財政体質になると、実際の<戦争>的需要に依存していく。
政治経済的にそういう方向に活路を見出すほかない、というのは法則だ。
コレからの推移が解り易い国である。(もっとも解りやすい指標はソレだけではない。戦前と戦後の経済規模、内容を先進国と比較すると日本の突出ぶりと、急激な相対化が必然と理解できる。「反俗日記」に繰り返し登場する指標である。Wは「反俗日記」を無理をしてでも続け(誰も注目しなかった)自分で見出したこの見地に自信がある。グローバル資本制下では国家国民の在り方とグローバル企業は別の次元にある。グローバル企業がソレなりに繁栄し、国家と国民の勢いは下降線をたどっていく、むしろその方が当たり前の光景である。
>中国の長い歴史を俯瞰しての特性は、
大公共事業を推進した<とき>の権力は国内騒擾状態や周辺勢力侵入などによってを経て破たんしている。
という事で東アジアは二大戦争体質国家と国民が潜在している。
2020年東京オリンピック以降、の東アジア情勢に注目する。