第4部 さまざまな民主主義
第9章 くさびを打ち込む~天皇制民主主義(1)~
心理戦と天子
引用
「戦争の後半には、OSSなどの諜報機関と同様、マッカーサー司令部も、天皇が日本の降伏だけでなく戦後の変革のカギも握っていると考えていた。
フェラーズ(准将)~W注釈①~と部下たちの表現によれば、軍国主義のギャングたちは日本人をだましただけでなく、聖なる君主も裏切ったのだと日本人を説得し、それに行って軍部と天皇(及びその臣民)との間に<くさびを打ち込む>drive a wedgeことが重要なのであった。
にほんていこくはてんのうのなにおいて、天皇の権威の下に、ほとんど20年にわたる天皇の積極的協力を得て諸政策を推し進めてきた。
ところが要するに西側の宣伝担当者たちは、そうした日本帝国の様々な国策から天皇を切り離し、今や天皇の新しいイメージを作り出す作業に加担しようとしてきたのである」
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W注釈①
ハーン・マニアの情報将校ボナー・フェラーズ 加藤 哲郎(一橋大学、政治学)
2 対日心理戦の情報将校フェラーズ
引用
「1935年に陸軍指揮幕僚大学の卒業論文として書かれた「日本兵の心理(The Psychology of the Japanese Soldier)」は、「日本帝国の運命は、軍の指導者が握っている。彼らは、天皇にのみ責任を負っている。天皇は神聖で不可侵なものとされている。音楽にたとえれば、軍は天皇に次いで日本全体の基調音をなしている」と、「西洋的な戦略を軽視」し「自信過剰で、敵を過小評価する」日本兵の心理を分析する」
「1937年には、フェラーズはフィリピン軍軍事顧問だったダグラス・マッカーサー(後のGHQ総司令官)及びフィリピン独立準備政府ケソン大統領と共に3度目の来日をし、2・26事件後の軍部台頭、日中戦争へ向かう日本をまのあたるにする。
この時マッカーサーもケソンも、フェラーズの「日本兵の心理」を読んだという。当時の駐日米国大使はジョゼフ・グルーで、マッカーサー一行の歓迎レセプションには、結婚して姓の変わった一色ゆり夫妻も出席していた。この年フィリピンから米国に戻り、陸軍大学に入学したフェラーズは、翌38年にも4度目の来日をし、「天皇のために死ぬ覚悟を決めているように見える」出征兵士たちを目撃した。
こうした経歴から、日米開戦後にフィリピンからオーストラリアのブリスベンまで退却した南西太平洋軍司令官マッカーサーに請われ、フェラーズは、1943年9月にマッカーサー司令部統合計画本部長に就任、マッカーサーの軍事秘書、PWB=心理作戦本部長として活躍する。」
「つまり、1945年4月に「対日心理作戦のための基本軍事計画」に明記したように、「天皇に関しては、攻撃を避け無視するべきである。しかし、適切な時期に、我々の目的達成のために天皇を利用する。天皇を非難して国民の反感を買ってはならない」というオペレーションになる。」
「河井道は、戦争中、クリスチャン故に恵泉女学園で天皇の御真影を掲げることを拒否し、軍部からにらまれ、検挙もされていた。フェラーズは、そんな河合に、天皇の処遇の仕方を尋ねた。河合の答えは、天皇の処罰に反対し「もし陛下の身にそういうことが起これば、私がいの一番に死にます」というものだった。それは、天皇を神=ゴッドとして崇拝する故ではなかった。「私たち日本人は神を持っていない」が「陛下は国民に親しまれている」というものだった。
フェラーズは、そこから「戦争における日本人の残虐性は、精神的なよりどころとなる神が存在する西洋と異なり、そういった神が存在しない日本の宗教に起因するものである」と了解する。
「フェラーズの有名な覚書、マッカーサーの天皇観に決定的影響を与えたと言われる「最高司令官あて覚書」に結実する。日本国憲法に書き込まれた「象徴天皇制」の、一つの有力な起源とされるものである。
天皇に対する日本国民の態度は概して理解されていない。キリスト教と異なり、日本国民は、魂を通わせる神を持っていない。彼らの天皇は、祖先の美徳を伝える民族の生ける象徴である。天皇は、過ちも不正も犯すはずのない国家精神の化身である。天皇に対する忠誠は絶対的なものである。」
「フェラーズのもう一つの工作、日本側で天皇の窓口になった寺崎英成と図って、極東軍事裁判(東京裁判)向け「天皇不訴追」のために天皇自身から聞き取りしたオーラルヒストリー「昭和天皇独白録」が紡ぎ出された。
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「昭和天皇独白録」は、『文藝春秋』1990年12月号に発表され、大きな反響をよんだ。1946年3-4月に昭和天皇の側近5人が天皇自身から戦争との関わりを聞き取りした便箋170枚の記録で、出席していた当時の御用掛寺崎英成(W。外務省出身で当時宮内省御用掛として昭和天皇の通訳)のアメリカに住む長女の家で発見された。聞き取りは極東軍事裁判の被告選定の時期で、天皇の戦争責任を回避するための弁明文書ではないかと推論された。」
~「寺崎は病のため1948年から実務を離れ、翌年にグエン夫人と娘のマリコは、マリコの教育のためアメリカに戻った。寺崎は2年後に死去した。寺崎の遺品に含まれていた独白録は弟の寺崎平が保管した。」
「直筆原本とされるものが2017年12月にボナムズ(英語版)により競売され、日本の美容外科医である高須克弥が27万5000USドル(手数料込み・約3080万円)で落札し、この「直筆原本」を皇室に提供したいと述べた。」
W参考資料①
独白録――天皇が訴追を逃れ延命するための政治文書
2010年6月27日 リブ・イン・ピース@カフェ
http://www.liveinpeace925.com/action/atcafe100627_4.htm
W参考資料②
「ただし『木戸幸一日記』、『西園寺公と政局』(原田熊雄の公的日記)と比べれば史料的価値自体は低く、「昭和史理解を根底から覆すような、まったく新しい事実の提示を期待するべきではない」とも評されている。」
英語版の発見
1997年にNHKで放送された『NHKスペシャル 昭和天皇 二つの「独白録」』の取材過程で、GHQの当時准将ボナー・フェラーズ(英語版)の文書から英語版が発見された。英語版が作成されGHQに渡っていたことが確認されたことから、独白録の作成目的が秦の主張するように東京裁判対策であることが確実視されるようになった。 この英語版『独白録』は文量の違いや表現の異なる部分から、日本語版をそのまま翻訳したものではなく稲田周一による「速記録」を底本として別個に作成され、東京裁判開廷前にフェラーズらに手渡された可能性が指摘されている。
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引用本文に戻る
「フェラーズは日本の上層階級と個人的なつながりを持っていた。
最も親しかったのは、従姉妹グエンが結婚した外交官の寺崎である。敗戦の後、皇室付きとなりフェラーズやGHQ将校たちの途連絡役となって、占領軍上層部と天皇周辺の意見調整に大きな役割を果たした。」
君主を禊する
引用
「日本側はそのあとすぐに有名な物語、すなわち天皇は戦争政策とは無関係であったが、武官と文官の大臣たち6名が出席した御前会議が暗礁に乗り上げたとき、ついに介入し、コレが決定的な理由になって降伏が決まったという筋書きを占領軍に~ブリーフィングしていた。
これに呼応して、マッカーサーの幕僚たちも、平和主義的な統治者としての天皇のイメージにみがきをかけよと、天皇の側近たちに積極的に奨励したのであった。
書簡、写真、覚書
書簡→「ここで天皇が、軍部の支離滅裂振りを批判したその筆で、わざわざ三種の神器を引き合いに出すなど~
天皇は降伏すべきか悩んだときにも、~三種の神器について長々と述べている。
三種の神器は~建国神話に言う皇統の起源までさかのぼる神聖な御物であり、それに言及することは、<国民の種>というぎこちない表現と同様、自分が聖なる皇統の継承者であることの天皇なりの表現であったに違いない。
そのあとも、4か月後に行った有名な人間宣言においてさえ、自分が神話の天照大神の子孫であることを否定しなかった。
写真→日本全体があの写真に出会ったのである。それは全占領機関を通じて最も有名な画像であり、同じ9月29日の新聞に記載された。~内務省検閲官はこの日の新聞を回収しようとしたのである~
この写真は見るものしべ手にマッカーサー(65歳、天皇44歳)の確固たる権威を印象付けたし、同時にマッカーサーが天皇を受け入れたことを目に見ある形でしめした。内務省は掲載日の新聞を回収しようとしたが、最高司令部はそれを止めた。
覚書→宮中の願望と司令部の意図には基本的な違いはほとんどなかった。
10月1日マッカーサーはフェラーズを通じて一通の短い訴訟摘要書を受け取った。それは、連合国最高司令官は天皇の名において行われた戦争について、裕仁が実際に果たした役割を本気で調査する意思が全くないことをはっきりと記していた。
この文書によると
天皇には「実情に関する正確な知識が欠落しており、さらに天皇は降伏のため生命をかけたとされ、これらすべてが事実とされていた。
そして次の一文だけが記されている。
もしも<天皇に対して>否定的意図を持つ欺瞞、危険、ないし脅迫が散在したことが天皇によって肯定的に立証されるならば、
>民主主義に基づく法廷において、天皇は有罪を宣告されない。」
~アメリカの長期的利益は、~東洋との友好関係を必要としている。
合衆国のメディアが、日本のアメリカ化を得意になってほくそえんだり熱狂したりしている間に、日本人は静かに、かつ巧みに、アメリカ人を日本化していたのである。
これらすべて、征服者を征服する試みの一環であった。
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「天皇のこのような魔法のような変身は、政治的にも思想的にも広く深い影響を空立てた。
>何が正義化は権力によって恣意的に決められるものとなり、~~
>国家の最高位にある政治的精神的指導者がつい最近の事態に何の責任も負わないのなら、
>どうして普通の<臣民>たちがわが身を省みることを期待できるだろうか?
>戦後の意識は混濁してしまった。
W。ジョンダワーの象徴天皇制批判は、戦後意識は混濁してしまった」までは納得できるが、その後の下りの批判対象は「天皇主義者」に限定されるものであり、現時点の一般的な国民の天皇意識とかなずれていると思うので割愛する。
次回に続く