亡くなった大橋巨泉氏がNHK BSで数回にわたりJAZZの入門的特集番組をやるという情報に当時(1996年~1998年)強い興味を持っていたが、視聴できないまま20年余の歳月が過ぎていった。
前回の船舶の記事(眼目は冒頭に挙げた詳しい船舶の写真~本人が写真撮影。動画があればもっとよかった~~とデータを掲載したブログに尽きる~おそらく日本唯一!感嘆する!)につけ足した過去記事の最後尾に張り付けた追記でアメリカのJAZZは死んだ、としていたが、その後、You Tubeで大橋巨泉さんのNHK BSジャズ紹介放送に出会った。偶然というよりも、クッキーを集めて動画に自動的にセットしたと想う(個人情報筒抜け!)が、この機会に見たいなぁ~と頭の片隅にあった番組なので反俗日記に留めておく。
>頭は退化、あるいは老衰していくが記事は残っていく。年月を経た記事は自分が作ったものをは思えないほど、頭の記憶の貯蔵庫はいい加減なものである。
@長年のカントリーミュージックンの愛好家(中学生の頃、ラジオから流れるハンクウィリアムスのフィドル、とスティールギターの音色、は自分の体内リズムと一致する想いだった。)にとってJAZZは正面切って聴くことはできないが格好のイージーリスニングである。CDにセットしたオスカーピーターソンをかけると気が休まる。
@日本の唄では高橋真梨子。ファンクラブに入ろうとした。前から知っていたが「扉を開いて」という高橋真梨子の生い立ちなどを書いた本を偶々読んで楽曲を聴くようになった。本物のプロの歌手、尊敬に値する。
@石原裕次郎の歌詞、雰囲気も好きで自分でも歌うことがある。
「錆びたナイフ」「赤いハンカチ」浅丘ルリ子とのデュエット「夕日の丘」
>高度経済成長初期から中期の時代は青春時代と重ならないが自分が育まれた時代の雰囲気へのデジャブーなのか、不思議な郷愁を感じる。
俺は確かに近所の悪ガキに連れられて隣町の映画館に無賃で侵入し石原裕次郎の映画を見た。チャンバラ映画でお姫様の危機一髪に馬に乗って駆け付ける主人公に場内のそこかしこからから一斉に掛け声が上がった。その3番館の客席はいつも超満員だった。時折、フィルムが切れて客席が一気に明るくなった。セルロイド製のフィルムが燃えたボヤ騒ぎにも遭遇した。今から思うと入り口のもぎりは背を屈めてて通り抜ける子供を見逃してくれたのだ。
町の映画館の閉鎖、茶の間にテレビ、スーパーの登場、街の郊外への拡張、工場の新設、時代の急発展は目を見張るものがあった。
JAZZは日本映画黄金時代において高尚かつポピュラーな音楽だった。ジャズ評論家をしていた頃、の大橋巨泉氏は時代の高尚な寵児だった。その後の高度経済成長後期の高尚な愛好家好みの立ち位置とは明らかに違っていた。
この辺の事情をまとめたのは以下の記事。
↓
引用
「「大橋巨泉の司会で聴いた誰それの生演奏」とか「このミュージシャンは大橋巨泉が誉めていた」とか「巨泉のライナーノーツ(レコードの解説文)は~」という言葉が、一度ならず何度も飛び交うのです。昭和30年代から交友のあった故・岩浪洋三さんからも、巨泉氏が非常にセンスのいいジャズ評論家であったこと、ヴォーカルものに強かったが(最初の奥さんは三宅光子ことマーサ三宅でした。映画『美女と液体人間』で、ジャズ・シンガーに扮した白川由美の吹き替えをしています)インストゥルメンタルに対する造詣も深かったこと、まだ“模倣”といわれがちだった日本のジャズにもしっかり注目してライヴ現場に足を運んでいたこと等をうかがいました。
一時的に帰郷したときに親が保存していたスクラップやファイルを見て(ぼくの父は銀座「ACB」や横浜「ピーナッツ」などに出ていたバンドマンでした)、戦後日本のジャズとその周辺に対する興味が再燃し、資料を集めていくと、“ここにも巨泉、あそこにも巨泉”という感じで、氏の書いた文章が次々と目に飛び込んでくるのです。内容はわかりやすく詳しく、ユーモアがあり、ひとりよがりではなく、読み進めていくうちに、ぼくはすっかり“ジャズ評論家・巨泉”のファンになりました。⇒W。大橋巨泉氏は名文家。高橋源一郎の評論では巨泉氏の得意としてきた競馬評論の無駄のない事実を適切に短く分かり易く書き連ねる文章(競馬エイトのメイン予想)を他者のものと比べて、ヘミングウェイの良い小説を書きたかったら競馬新聞の文章に学べという名文句を記しながら比較している。
そして「今より資料が遥かに少なかったであろう時代に(1ドル360円、一般人の海外渡航は夢のまた夢という時代です)、よくここまで書けたものだ」と感銘を受けると同時に、「当時のジャズ評論家は今よりもぜんぜんステイタスがあって、ギャラも良かったはず。ナオンにもテーモーでウハウハだったのではないか。そんなおいしい仕事をやめて、もったいない」という気持ちが沸きあがることも抑えられませんでした。
ジャズ評論家をやめた理由の一つとして、「60年代半ばにアルバート・アイラーのレコードを聴き、激しい嫌悪感を覚えたから」ということが語られています」
W。10月4日(月)追加編集。アルバートアイラー。まったく知らなかった。早速、聞いてみた。人間の病弊した贓物が外に対して直接、悲鳴を上げているような感じ。ホラー映画が好きなヒトもたくさんいる。リズム感は皆無。ただし一部の旋律は日本の楽曲になじみのマイナー調。わざわざこんなものを聴くために音楽はあるではない。
1960年代後半以降のジャズといえばこの手のものが幅を利かせていた。
野外音楽堂のジャズコンサートに1度だけ言ったことがあるが、演奏者が勝手に熱くなっているだけで、空席の目立つ客席の半分くらいは訳も分かっていなかった、雰囲気。確か、日野照正も出ていたな。
Albert Ayler - Spiritual Unity (full abum) (HD 1080p)
https://www.youtube.com/watch?v=xWsIG5sNq1Q
ジャズに限らずカントリーもスピリットを失った。
韓国映画「半地下」がアカデミー賞受賞とは、アメリカ映画もすたれた。
しかし、人はイメージの砦を構築できる能力がある。一瞬にしてイメージは蘇る。
John Coltrane - My Favorite Things (1961) (Full Album)
この曲は何となく耳にこびりついている。門外漢でもマイ、フェイバリット、シングスの名は知っていた。名盤である。日本のジャズメンの演奏を何となく聞いたのだろう。なかなか聴きごたえがある。「テイク5」や「A列車で行こう」を彷彿させる。
https://www.youtube.com/watch?v=UlFNy9iWrpE&ab_channel=JazzTimewithJarvisX
「テイク5」⇒珍しい5/4拍子の使用で有名。
5拍子のドラム リズムのバリエーションの付け方【ジャズドラム講座】 - YouTube
Dave Brubeck - Take Five ( Original Video)
W。1959年作ポールデズモンド作曲
Dave Brubeck - Take Five ( Original Video) - YouTube
4分の5拍子の譜面 |
スパイ大作戦 ~オープニングテーマ~ MISSION:IMPOSSIBLE -Opening Theme-
w。5/4の曲 一度は耳にしたことがある楽曲。
スパイ大作戦 ~オープニングテーマ~ MISSION:IMPOSSIBLE -Opening Theme- - YouTube
W。驚き!日本にも凝ったポピュラーソングを作る人がいたのか。反俗日記の世界は狭い。
ロマの娘 - 志方あきこ
W。ロマはヨーロッパのジプシー。
引用
「奴隷としての500有余年と、ホロコーストによるジェノサイドは、その不幸な歴史の典型例です。ナチスはユダヤ人に対してと同様、ロマを迫害しました。しかし、ユダヤ人の悲劇に対して、ロマの悲劇は忘れ去られた歴史です。
また、コソボ紛争ではアルバニア人の死体処理をさせられるなど、周囲の民族はロマを自分たちの都合にあわせて利用してきました。スイスでは政府主導により、1972年までの46年間、ロマの子どもを誘拐して親から引き離し、強制的に精神病院や施設に収容、成人するまで家族との接触を一切禁じる、という政策がとられていました。ロマの文化の消滅を目的としていました。」
W。上記のページはざっと見たところ、他にも読みごたえのある記事がたくさんあるようだ。後でじっくり拝見する。
W。中欧、中東に多数の人口を抱えるロマ人はEU加盟と共に、ヨーロッパ中央に移住している、ということ。
なぜなら「どんなに制限しても、ロマ人たちの移入は止まないだろう。というのは、ルーマニア(1900万人8,6%)、ブルガリア(W、75万人9,9%)ハンガリーこの国のヒトはモンゴル系の遺伝子(W。75万人7,5%)といった国に暮らすロマ人は、人間以下の境遇にあえぎ、そこで失うものは何もないからだ。彼らは少しでもましな境遇を求めて、豊かな国を目指すだろうというわけである。」
引用
「ちなみにドイツ(10万人0,1%)は、ナチスがロマ人(ツィゴイナー)にもホロコーストを適用した歴史があり、その事実についてメルケル政権は(2012年に)詳細を公表したばかりだが、そうした過去の歴史は現在のロマ人たちとは関係がないといったスタンスだ。」
W。ロマ人は出立地がインド北部ということで広い意味でヨーロッパ人(ゲルマン人)?と同じインドヨーロッパ語族。定住生活の習慣がなかったということは、遊牧で暮らしを立てていたのか。
引用
「このようなスタイルの音楽のヒントを得たのは、ブルーベックが、米国務省主催のユーラシア大陸ツアー中に、トルコでブルガリア音楽の影響を受けたストリートミュージシャングループが演奏するトルコの伝統的な民謡が、西洋の音楽には珍しい9/8拍子で演奏されるのを見たときである。地元のオーケストラの音楽家からこの形式を学んだ後、ブルーベックはジャズの4/4の通常のリズムから外れて、海外で経験した、よりエキゾチックなスタイルで実験的アルバムを作成することとなった。」
ロマの娘 - 志方あきこの楽曲にロマノリズムの雰囲気が出ている。
なお。ヨーロッパのバイオリンを駆使した有名なジャズバンドの一人はロマ出身者ではなかったかな?
Django Reinhardt & Stephane Grappelli - Minor Swing
反俗日記のカテゴリー、JAZZ、ポピュラーを探せば見つかる。上手いけどテクニック優先の所が肌に合わない。テクニックに注目するならクラッシックでも良いということになる。反俗日記の音楽の範疇にクラッシックはない。そもそも、一部の高級な人たちを対象としたルーツを拒絶する。
W。歌としてかなり無理があるようだ。
W.久保田早紀の「異邦人」の方がひらめきがある。しかし、あのテーマ(異邦、中東)、雰囲気は作者の意図したものとまるで違う方向に周囲が作り上げたもの。
「この曲は元は、美しい並木道並木で知られる国鉄国立駅前の大学通りの景色をイメージして書かれたものだった(W。一橋大学に通じる広い並木~桜だったか?~道)。「子供たちが空に向かい 両手を広げ …」という歌い出しは、歌詞作りに難渋していた久保田(国立市出身)が、通学の時に乗っていた国鉄中央線から見える国立駅近くの空き地で遊ぶ子供たちの姿を電車から見て咄嗟に写しとったものである。」
「ぼくにはとても不思議です。
50年代からいちはやくアート・ブレイキー、ソニー・ロリンズ、ホレス・シルヴァー、キャノンボール・アダレイなどの、いわゆる“ファンキー・ジャズ”を支持していた巨泉氏が、どうしてブラック・ミュージックがこだまして渦を描くアイラーに拒否反応を示したのか。
⇒W。答えはNHK BS連続ジャズ紹介番組におけるジャズが白人にも受け入れられていく道筋を全面肯定し、ブラックミュージックへの回帰に違和感を持つ巨泉氏のジャズ発展の歴史認識にある。
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それをぼくはいつか本人の口から聞きたいと願っていました。2014年上旬、某レコード会社のCDシリーズのパンフレット用に、巨泉氏に取材する手前までいったのですが……そのシリーズは発売中止となってしまいました。」
引用終わり
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W。以下の9本の動画。森口博子が良かった。こぶ平(林家正蔵)はジャズ愛好家
松崎しげるは本物。
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トラデッショナル、ジャズ特集
ビッグバンド特集 ゲスト加藤茶(W音楽性あり本物)
巨泉セレクト映像特集1
巨泉セレクト映像2
モダンジャズ特集
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