反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第12回。サンゴジュ珊瑚樹。<魚毒植物>、沖縄県ではかつて毒流し利用。W注釈⇒本土では主に山椒サンショ使用。⇒罠と空気銃。

サンゴジュ - Wikipedia 珊瑚樹

 

暖地の海岸近くに生え、珊瑚に見立てられた赤い果実がつき、庭木、生け垣、防風・防火樹に利用」

花期は初夏 W.生垣、道路の植え込み用。果実が実る前に剪定されるので果実は見たことがない。

刈り込みに強く、良く分枝して下枝が枯れないことから、古くから高さ2 - 4 mくらいの生け垣をつくるのに使われており、対潮性があり海岸の防風垣としても利用

魚毒植物としても知られており、沖縄県ではかつて毒流し漁 W注に利用されていた。

「魚毒」植物であるViburnumodoratissimum Ker. =珊瑚樹の葉の成分の生物検定調査が行われました。バイオアッセイにより新しい殺魚剤化合物ビブサニン A

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 W注

>以下、書くことはそのまま通り過ぎても良かったのだけれど、こういう時代もあったのだと、今の時代との比較、民俗の記録、として敢えて載せた。

毒もみ - Wikipedia

主に歴史上における狩猟採集社会において用いられた」⇒W。日本の田舎から狩猟採取の民俗が消えていったのは1980年代のジャパンアズナンバーワンへの過渡期だと思う。

かつては世界中で行われており、その土地にある固有の有毒植物が使われていたが、

>日本では主に山椒が使われていた。

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@「日本では1951年施行の水産資源保護法第六条で、調査研究のため農林水産大臣の許可を得た場合を除いて禁止されている。」

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川の中で山椒の入った袋を揉んで毒の成分を出すので「毒もみ」と呼ぶ山椒の皮に含まれるサンショオールには麻痺作用がある)。

>サンショの皮を乾かし粉にする。

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@なぜか子供の頃、知っていた。山椒の木もあった。

サンショウ|世界の木材、樹木 | 木の情報発信基地

サンショウ|世界の木材、樹木 | 木の情報発信基地

@昔の田舎の子供の遊びはワイルドだった。その世界は子供ながらの狩猟採集社会だった。小鳥を見ると捕まえることを考えた。罠やパチンコがその手段。罠の仕掛けは代々伝わってきたような巧妙(捕獲確率高い)かつ原始的(材料は藪の中のしなる枝<ばね>など、丈夫な紐。道具刃物)なものだった。目につく餌で誘き出して1か所しかない入り口で接触しバネが効いてギロチンにかける。パチンコの球は石ころだと真っすぐ飛ばないので散弾銃の弾をつかった。

 もっと上の世代は空気銃を使った。(今でいうエアーライフルの威力の弱いものは1回折りたたんで圧縮空気を作ってぶっ放す~それでも3mの至近距離で缶詰の空き缶を小さい鉛の弾が穴をあけた~、強力なものはポンプ銃といって何回も圧縮空気をためてぶっ放すのでヒヨドリなどを撃つと貫通銃創を負って木の高い枝から真下に落下した。即死したのだろう。当時、空気銃の法的規制は弱かった。)。

空気銃 - Wikipedia

引用

大正から戦後間もなくの時期に掛けて、空気銃は狩猟で用いるには狩猟免許が必要という状況になったが、この時点でもなお購入と所持については銃砲火薬類取締法や、銃砲等所持禁止令(昭和21年6月3日勅令第300号)、銃砲刀剣類等所持取締令(昭和25年11月15日政令第334号)などの取り締まり対象とはなっておらず、

>1950年(昭和25年)~~GHQ逆コース、朝鮮戦争勃発の時代~~W.兵站列島の農山村の自衛治安維持の目的もあった、と想定する~~鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律の改正により、

@空気銃が狩猟免許の対象から一旦外れて狩猟登録制へ移行するという規制緩和が行われた事により、

@再び大きな普及の波が湧き起こっていた[22]

戦後の食糧難から空気銃による狩猟登録者は年々爆発的に増加したが、それに伴い人身傷害事故、発射制限違反や無登録者による密猟といった狩猟法違反も多発する事となった。

>そして何よりも、1952年(昭和27年)の国内メーカーの銃器製造の再開以降、シャープ・ライフルポンプ方式エアライフルといった、威力が非常に強力な空気銃が出現してきた事などにより、

@1955年(昭和30年)に銃砲刀剣類等所持取締令の改正にて空気銃は装薬銃同様に、購入と所持に当局の許可が必要されるようになった。

>大量に出回った頃に購入した田舎の大人が許可申請したのではないかな。それを中学生ぐらいのものが庭先の遊びで使っていた。ポンプ銃の威力を見たときの使用者は青年にみえた。

>それとその時代は家宅侵入の泥棒なども多く自衛の必要もあった。

@いずれにしても大量に出回った空気銃は<刀狩>や敗軍の<武装解除>のように当局に吸い上げられたわけではなく、そのまま市井に安置され、そのうち見向き去れなくなった。また大人のエアガンの遊びの風潮などバカバカしくてやってられないという感じで当時はなかった。

@空気銃の規制は1958年(昭和33年)施行の現行銃刀法にも引き継がれ、鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律も現行銃刀法の施行と同年に空気銃を狩猟登録制から装薬銃と同じ狩猟免許制(丙種)に再度規制強化を図り、1963年(昭和38年)施行の現行鳥獣保護法に引き継がれる形で現在に至っている[20]

@昭和33年の銃刀法・鳥獣保護法双方の規制強化によって、KFCや阪場銃砲製作所などといった装薬銃メーカーが片手間にラインナップしていた安価な中折スプリング式のエアライフルはその殆どが姿を消し、

@シャープ・ライフルなどの空気銃専業メーカーが手掛けるポンプ式や、豊和工業などが手掛けたCO2ガス方式などが主流となっていった。また、スプリング式空気銃を手掛けたメーカーの幾つかはコルクや樹脂製つづみ弾を用いる遊戯銃へと転業していった。

   空気銃の弾頭 

引用

「BSA製のディアボロ型ペレットにはスカートに縦溝が刻まれており、BSA自身は「縦溝ライフリングへの食い込みを補助する」としていたが[8]、後発のペレットメーカーの中にはこの縦溝が弾道係数英語版の改善に効果があるとして採用している例もある[9]
ディアボロ型ペレットは、バドミントンシャトルコックのように重心を先端部分へ集中させることによって直進安定性を高める狙いもある
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魚釣りは小川のフナ釣りから始めて磯釣りまでいった。

>サンショの漁法が威力を発揮する場所は麻痺させる毒物濃度の濃くなる狭い小川、水の淀んでいるところなのだが、漁獲を目的としていないので、魚は少し酔っぱらっているような状態水面に軽く上がってくるだけだった。

@戦前と戦後の高度経済成長前期までの時代は田園地帯では動物性たんぱく質はこういった原始的な手段で採った身近な生き物から調達する必要もあった。大人が伝統的にやっていたのだと思う。食料が買えるようになると、子供の残酷な遊びに限定されていった。地元の磯釣り場で大人の姿は見かけなかった。ホビーとしてのフィッシングはまだそれほど流行っていなかった(釣りのTV番組の放送と同時に一気に大人が釣りをするようになった)。結構、繁盛している釣り具店(大手釣り具メーカーはまだ全国展開していなかった)に行っても子供の客も目立った

採った鳥や海で釣った魚は食っていた。

W。このヒトは都会っ子だけど、子供時代から正統派?の釣り人生を歩んでいる。とにかく凝り性だから、好きなことは徹底して打ち込む。

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