中国にある「女性の国」 家長は女性で男性は「普段は遊んでます」 結婚せずに“通い婚” 少数民族モソ族に見る自由な家族のかたち【news23】|TBS
TBS NEWS DIG Powered by JNN 70,079 回視聴 2024/06/01
「現在の中国における少数民族の分類ではナシ族 - Wikipedia<30万人>
の一部として取り扱われている近隣のモソ族(摩梭族)<約3万人>はナシ族よりも強い母系社会を構成していて男性には相続権がない。」
***中国通コーナー
https://www.city.yonago.lg.jp/secure/26319/moso.pdf
引用
「モソ人はルーグー湖という湖の周りに住んでいます。雲南省と四川省の境目は、図のようになっています。
省を単位にする民族識別の政策で、
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中国の少数民族は1980年後半に55の民族に確定するまで、民族分類の特定にかなり時間がかかったそうです。⇒W。改革開放によって漢民族の拡大解釈が行われたとみる。
1953年に行われた人口調査のときには400以上の異なる名称の民族をすこしずつルーツをたどりながら55の少数民族に集約されたようです。」⇒W。そもそもスターリン主義の民族政策は各民族に自己統治させる形で中央-地方の国家と党の一元的官僚支配体制で国家権力の中央集権をする統治システム。<民主集中制>指導の集中、責任の分散はのリアリズムは中央-地方の国家と党の一元的官僚支配体制。ただし欧米資本制に民族政策は基本的に資本の論理に委ねられているので、金融資本制の危機の時代にはエマニュエルトッド云うところのゾンビナショナリズムが上から下から沸き起こりユダヤ人問題など様々な強烈な民族排外主義問題が発生する。その場合、トッドが指摘するようにドイツ日本のような直系家族型社会がナチズム、軍国主義を生み出した。
>日独に先行したイタリアのファシズム場合は異なっている。【外婚制共同体家族】中部トスカナイタリア・ルネッサンスの中心地となったフィレンツェ。【平等主義的核家族】トスカナ地方を除くイタリア。西スラブ民族、チェコ、ホーランド、イベリア半島北縁を除く⇒移民国家中南米
歴史
「晋代の摩沙夷、唐代の磨些蛮を淵源とし、四川から南下して金沙江流域(長江)で繁栄した⇒W。この歴史認識は、日本の中国史理解ではピンとこない。
①そもそも唐王朝の初代皇帝は北方民族系の習俗を好んだ。時折、宮中の屋外にパオを作り寝起きしていた。
「隋全体で反乱が勃発、大小200の勢力が相争う内乱状態となった(隋末唐初)。国内の混乱が激しくなる中、北の東突厥に面する太原の留守とされていた唐国公李淵は617年に挙兵。対峙する突厥と和議を結び、短期間に首都大興城(長安)を陥落させることに成功。」
キーワード⇒中原 - Wikipedia
W。漢民族の勢力拡大と広義の漢民族意識の拡張。次元が違うが(内乱内戦の規模が違う。従ってインクルードされない民族は周辺に押し出され文字言語習俗は残った。そもそも大陸王朝は唐の都、長安に代表されるように排他的では成り立って行かなかった。北方防備の万里の長城は軍団制度、国家制度は騎馬戦に長けた剰余の少ない(遊牧)の北から南に下ってくる。
①狭義では春秋戦国時代に周の王都があった現在の河南省一帯を指していたが、
後に漢民族の勢力拡大によって広く黄河中下流域を指すようになり、河南省を中心として山東省の西部から、河北省・山西省の南部、陝西省の東部にわたる華北平原を指す。」
古代でいわゆる「中国」や「中州」、「中土」と同義で、異民族から隔てられる文明の中心地という意味があった。その後、南方へと発展していった漢族にとって中原は民族の発祥の地とされてきた。
また、周王のいたこの地域は権力の象徴とみられることがあり、即ち覇権争いの場、または覇権そのものを指す言葉として用いられ、魏徴の詩から「中原に鹿を逐う」という成語が生まれた。
中原という用語に対して、「関中」という用語は黄河の函谷関より上流域と黄河に流れ込む渭水流域を指し(現在の中心都市は西安=W,長安~上図参照~)、西周と秦の故地で、両用語共に黄河文明に属し、長江文明に対する。
秦嶺・淮河線は年間降水量1000mmの線とほぼ一致し、
たとえば北は小麦中心の畑作農業地帯で、南はコメ中心の水田地帯となっている。
また淮河の北は陸路中心の交通、南は河川交通中心で「南船北馬」ともいわれている。
>こうした農業生産物や交通の違い
@は政策の差や軍事行動に影響するため、中国が南北に分裂していた時代は淮河が境界線になったことが多かった。
>W。北京から黄河と長江を横断し、杭州へと至る全長1794kmの京杭大運河は、紀元前5世紀に開削が始まり、6世紀に隋の煬帝が完成させた大運河。
W.古代中国史の見方を解説。
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内藤 湖南 文春学芸ライブラリー
書評
「中国をどう見るか、中国にどう向き合うか――これこそ日本にとって、最も重要で、最も難しい課題である。
そして今日、中国の急速な台頭を前にして、われわれにとって、いっそう切実な課題となっているが、最も頼りになるのは、内藤湖南の中国論であろう(W。戦前は日本が東アジアをリードし欧米に対抗という大東亜共栄圏の論拠になったが世界戦争で負けて以降、米国の主導権~従属軍事同盟で中国をせかし市場から分離する世界戦略を東アジアで先頭で担う役割。そういう歴史の逆転した状況での内藤湖南の「中国論」という意味だろう。)なかでも戦前、最も読まれ、同時代中国を論じた『支那論』(1914年)と『新支那論』(1924年)を本書は収める。
その中国論は、一言で言えば、皇帝の権力が強くなる一方(W、一種の絶対主義領域国家)貴族階級が消滅して(W.下から沸き起こる内乱内戦で<W.明の始祖は内乱によって誕生)貴族階級は身ぐるみ剥がれた)平民が台頭し、商業が盛んになった北宋(960年~)の時点ですでに、中国は近世(近代)を経験した、というものである。⇒唐宋変革論、内藤湖南。
「支那の歴史を見れば、ある時代からこのかたは、
>他の世界の国民の……これから経過せんとしているところの状態を暗示するもので、⇒W。フランシス・フクヤマ - Wikipedia
「著書『歴史の終わり』で自由民主主義と自由市場を文化的進化の終着点かつ政府の最終形態として説明したが、後続の『「信」無くば立たず』ではその立場を修正し、文化は経済から完全には分離不可能であるとの認識を改めた。新保守主義(ネオコン)の代表的な理論家であったが、現在はネオコンとある程度距離を置く。」「父方の祖父は日露戦争を逃れ~~W。どういうこと?
大逆事件の一つ。実際に明治天皇の暗殺が計画された明科事件を発端に、全国の社会主義者や無政府主義者を逮捕・起訴して死刑や有期刑判決を下した政治的弾圧・冤罪事件である。
石川啄木 - Wikipedia的人物だったのだろう。
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いたく
砂を指もて
W。どこかできいたことがあるなぁ~。
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我に似し友の
一人は死に
一人は
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一隊の兵を見送りて
かなしかり
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友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ
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ピストルにても
伊藤のごとく死にて見せなむ
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ストライキ思ひ
今は
ひそかに
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日本は国家として最大の目標は達成した。しかし国民にとっては、講和条約の内容は賠償金を取れないなど予想外に厳しい内容だった。1905年9月1日、大阪朝日新聞は社説「天皇陛下に和議の破棄を命じ給はんことを請ひ奉る」を掲載し、つづいて国民新聞を除く有力紙はこぞって条約反対の論説を展開した。日露両国、日露講和条約(ポーツマス条約~セオドア、ルーズベルト仲介!)批准(終戦)。このため、日比谷焼打事件をはじめとして各地で暴動が起こり、戒厳令が敷かれるまでに至って~」
W。エマニュエルトッド、民主政は常に原始的である。民主政に失地回復はつねに外国人恐怖症。日本の場合は黒船攘夷から一転「いしん」東アジア蔑視定着、近代化の異形ゾンビナショナリズム。
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内藤湖南 書評
>日本とか欧米諸国などのごとき、その民族生活において、支那よりみずから進歩しているなどと考えるのは、大いなる間違の沙汰である」
――湖南は、中国の民主化の挫折を予言するのであるが、
それも、中国が「近世」の段階にすでにこれを経験・失望し、
西洋や日本の「近代」での経験に先んじていたからなのである。
>政治的独裁と経済発展が混在する現代の中国。
湖南の中国認識は、今日、いっそうのリアリティを持っており、われわれ自身の中国認識の出発点となりうるだろう。」
唐代には吐蕃や南詔の支配を受け、⇒W。日本史教科書における遣唐使からイメージする中国大陸を支配する唐王朝の覇権図とはずいぶん違う。現在の中国国境は清の時代に拡張された。W。下図で示すようにモソ族居住地成都の南西、清代に直轄地となった。
(チベット域への進出は清朝時代だが近代に入って中央国家権力の混乱によって後退したが共産党による統一の際に再進出、封建支配除去と共に宗主ダライラマ等放逐)~西域は歴代中国王朝の歴史的経済覇権域~~W中国史を知れば一目でわかる。
>だから近現代の戦争国家英米日支配層は大陸沿岸の台湾島と共に新疆ウイグルをロシアにおけるウクライナに仕立て上げようと工作。
対抗して中国は大陸と海への出口を求めているが、中国歴史の本質は周辺朝貢防御外交であり植民地主義はやったことがない経済主義から抜けきっていない。
ウクライナーロシア戦争の本丸は中国市場分離からソ連邦崩壊型の中国分割である。
だから、ウクライナ戦争を止められない。(中国歴史の基本認識として歴代王朝は公共事業の拡張で周辺からの蜂起で滅びてきた。)
かといって一方で、日本列島と沖縄諸島は軍事戦略の最先端になるが、二正面戦になるので朝鮮半島と中国の間では先端の火ぶたを切れないが経済制裁や市場分離を実行している。
>ユーラシア大陸から離れた米国は地政学的に優位であり、大陸間弾道核ミサイルの不意打ちしか本土攻略の手立てがない(北極海を挟んで核兵器大国ロシアとは近距離であるという事実も米国がウクライナ戦争を止められない理由だ。)が階級間の格差が余りにも広がっており、経済対立がねじ曲がった民主政を舞台に激化し(民主政はつねに原始的。民主政に失地回復はつねに外国人恐怖症)ロシア、中国憎悪の排外主義に出口を求めるしかない。
>日本の支配層は世界市場の再分割戦の激化に国民国家の共同幻想でインクルードしようとしているが、裏面で社会構成面、実質実効為替レートに象徴される経済後退のシステム化に成す術もなく資本逃避を是認している。
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吐蕃はチベット系、南詔はチベットビルマ系。唐王朝の覇権は西域の長く伸びていることに注目!西域は唐の経済的な生命線だったことが判る。そこを分断するように吐蕃の支配域⇒唐は吐蕃に貢女と朝貢をした。
元、明時代にはナシ族首領が土司に任命されて中国王朝の間接支配を受けた。明代のナシ族首領木氏は麗江府土官に任命されていたが、清代になって改土帰流が行われ、直接支配地域となった。
トンパ文化は、ナシ族固有の宗教であるトンパ教(7世紀頃成立)を中心に発達した文化である。トンパ教は、2000を超える神々を祀る、自然崇拝に基づいた民間信仰で、チベット仏教の影響がみられるが、組織化された信徒集団や寺院はない。
経典は、シャーマンのトンパによって「トンパ文字」で描かれる。トンパ文字は、絵画のような約1400の象形文字からなる。」
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>上のTBS制作?の幼稚な動画を深堀した女性取材者による現地報告動画。
取材者はバルカン半島系?中東系?のイギリス人。現地インタビューの当初、頭を覆っているチャドルらしきものがよく似合っている。
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グローバル資本制の世界化による核家族の世界的伝播にもかかわらず、 家族形態による社会政治経済の独自性分析(トッド理論の精髄)は有効。この議論はグローバル資本制伝播によって相克を経ながらも世界が均一化するのか、多極化、複層化とするのか、という大きな将来への見通しにかかわる課題。
反俗日記 エマニュエルトッドの世界の家族形態を分析する基本原理は
ユーラシア大陸の中央部に一番新しい家族形態である共同体家族があり、周辺に古い家族形態である核家族があるというもの。現代の一般常識とは真逆であるがこういった特徴は言語など佐那ざまな領域で観察できる。
エマニュエルトッド、「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」文藝春秋、2022年刊行。下巻目次
(上巻は未読。)アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか。
序章 家族構造の差異化と歴史の反転
第1章 家族形態の差異化~~ユーラシア~~~
第5章 ドイツ、プロテスタンティズム、世界の識字化
第7章 教育の離陸と経済成長
第9章 イギリスというグローバリゼーションの母体
第10章 ホモアメリカヌス
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下巻目次
第11章。民主政は常に原始的である。
第12章。高等教育に浸食される民主制
教育上の不平等の拡大
イギリスにおける不平等 アメリカにおける不平等
現実を暴露したベトナム戦争~~「労働者階級の戦争」
第13章 黒人・白人
民主党の適応 ~~ジャズと刑務所
黒人コミュニティーの階層構造
白黒で見る新自由主義の収容所
だい14章 意思と表象としてのドナルドトランプ
民主政の失地回復は常に外国人恐怖症的
国家構想に対抗する世界構想
絶対核家族の凋落と若者巣立ちの困難
米国若者における外国人恐怖症への抵抗
第16章 直系家族型社会 ドイツと日本
グローバリゼーションの要素としての第二の人口転換
~~直系型家族社会の適応不全~~
集団意識の抵抗 ~~ゾンビ、ナショナリズム
外向きのドイツと内向きの日本
第17章 ヨーロッパの変貌
ヨーロッパにおける不平等の勝利
東ヨーロッパの、次いで南ヨーロッパの人口破壊
東への殺到
ポスト民主制のヨーロッパ~~正常な世界~
第15章 共同体家族型社会 ロシア 中国
場所の記憶~~中国における権威と平等
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反俗日記。下の図をジックリと参照!
>インド南部ケララ州
外婚型共同体家族は父系制がユーラシア大陸の一般携形態だが、
>母系の外婚共同体家族はこの動画で紹介されているモソ族は極端な例(家督権、通婚制)だが、
@トッドはインド南部ケララ州 - Wikipediaカースト集団ヤーナル、
キューバ黒人家族、以上2集団を母系<外婚>家族の例としている。
最大都市はコーチ。
南にはモルディブの島々が、海の中に浮かんでいる。
メソポタミアのシュメール時代から香辛料貿易の中心地として記録されている[1][2]。エジプト、フェニキア、中国、バビロニアなどの地方からの人々でにぎわいを見せた。
8世紀の代表的な思想家としてシャンカラが出た。ケララはアーユルヴェーダの発祥の地としても知られる。
大航海時代の1498年にポルトガル人が訪れ上陸し、拠点を築いた。その後続いてオランダ、イギリス、フランスからも相次いで上陸し、象牙、チーク材、香辛料などを求めるヨーロッパ人との交易が開始され、今日は多文化共生となっている。
マルコ・ポーロが上陸したのは、コバラム近くのマラバール海岸である。明朝の鄭和もカリカット(コーリコード)に来航し[3]、15世紀にはヴァスコ・ダ・ガマが上陸した。
現在も海運業・造船業が盛んであり、インド初の国産空母ヴィクラントの建造もコーチの造船所が請け負っている。
1967年から1970年にかけてKunnikkal Narayananが毛沢東主義のナクサライト(Naxalite)をケララ州で率いていた。
政治
1991年の湾岸戦争時にサッダーム・フセイン大統領を支持する人々が「サダム・ビーチ」という名前に変えた海岸の村がある。
政治的には1957年に世界的にも珍しい普通選挙を通じた共産党政権(インド初の非インド国民会議州政権)が発足してE・M・S・ナンブーディリパドが初代州首相に選出されて以来、インド共産党マルクス主義派が与党になることも多い。また、かつてはインド共産党も与党になったことがある。
経済
インド初で最大のIT特区でもあるティルヴァナンタプラムテクノパークがつくられており、Linuxやフリーソフトウェアを積極的に推進し、リチャード・ストールマンからアジアで最初に提携する州に選ばれた[8][9]。ティルヴァナンタプラムはインドの宇宙開発の発祥地でもある[10]。また、電子政府化も進んでおり、「インドで初めて完全にデジタル化された州」と呼ばれている[11]。
同州は人間開発指数で最高値を記録しており[12]、識字率はほぼ100 %[注釈 1] に達し、インド初の家族計画政策で人口増加率は最も低く[13]、治安面では殺人率は最も低く[14]、インドでのユニバーサルヘルスケアの先駆け[15] として平均寿命もインドでは最も高く、インドで最も公衆衛生が進んでるとされ[16]、世界保健機関とユニセフからは表彰もされている[17]。ケララ・モデルは経済学者のアマルティア・センやマブーブル・ハックなどから絶賛されている。
出稼ぎが湾岸アラブ諸国で多く[18]、ドバイに住むインド系の過半数がケララ出身であるとされる。ドバイ政府とはIT都市スマートシティ・コーチの建設で協力している[19]。」
************************************************シャンカラ - Wikipediaケララ州排出の8世紀のインド哲学者。
解説は何を言っているの理解できなかったが、下を読むと、ピンときた。西田哲学の大本ではないかな。
「ブラフマンが「未展開の名称・形態」を展開することで、虚空から風、風から火、火から水、水から地の順番で五大が展開し、⇒W、始原的物質の自己展開。
五大より身体が生じ、ブラフマンはアートマンとしてこの身体に入る[2]。
よって、アートマンは物質的な身体とは全く異なるが、人の個我(アートマン)はブラフマンと同一・不異である。」⇒W、宇宙の始原的物質の自己展開の論理、よって個我は自己矛盾的絶対同一性の存在である。
>W.なんとなく分かる。
「現象界の万物の本体は平等であるが、高下・善悪などの様々な違いがある[5](差別相、しゃべつそう)。
人が経験する現実では多数の個我があるように見える[3]。
人は、統覚機能などのアートマンではない諸属性をアートマンであると思い、
アートマンとブラフマンは別であると考える[2]。⇒W.物質と感覚、個我は二元性があると考える?!
こうした誤りは無明によるもので、無明によって人は迷い、
@自分という中心主体があるのだと思う[3]。
アートマンと非アートマンを区別できないことが、輪廻から抜け出せない原因である[2][3]。
ブラフマンだけが唯一で不二の実在者であり、これが真実である[3]。
>誤った付託を滅し、アートマンを正しく認識し、個我(アートマン)がブラフマンと同一で、
W.ブラマン=アートマンの明知(悟り)による一元論を解いた挙句に
W.以下が凄い!インド哲学的である。明知に至る飛躍がある。
↓
@現象界が実在しないマーヤーであると悟ることで(明知)、無明は退けられる。
@これにより個我による縛りはなくなり、解脱が果たされる[3]。
↓W.その明知(悟り)とは?
↓W.奴隷は奴隷である我が身を知ったとき、自由になれる。
知識のみが解脱の手段であり、一切の行為は無明に基づいているため解脱の手段にはならないとして否定した。
知識と行為の両方が解脱に必要であるという知行併合論を退けたが、
>行為は心の浄化に相対的・間接的には役立つため、
@明知を得るまでは実践すべきとした。⇒W。アルベールカミユ「シジフォスの神話」を凌駕。