反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

銭のない奴ぁ、俺んとこへ来い。おれもないけど、心配すんな。見ろよ、青い空、白い雲。そのうち、何とか、なぁ~るだろう。

  彼女のない奴ぁ、おれん途へ来い。おれもないけど心配すんな。
見ろよ、波の果て水平線。
 そのうち何とかなぁ~るだろう。
 
 仕事のない奴ぁ、おれんとこへ来い。おれもないけど心配すんな。
見ろよ、燃えてるあかね雲。
 そのうち何とかなぁ~るだろう。
 
 <黙って俺についてこい>
1964年 植木等  青島幸男 萩原哲晶
 
 例の植木等のC調なノリで
 カタイこと云わずに、ガァ~と、行ってみよう!ってなモンだ。気分としては。
 
この唄の前に佐原直美さんが昔、歌ってた「いいじゃないの今がよけりゃ」というフレーズが気になって、調べてみたら、題名は「いいじゃないの今が幸せなら」。1969年。
 
 歌詞を見ると意外に真面目な内容だった。もっと刹那的なものだと想っていたが、妙に理屈っぽい。
パカッと開けた全面展開の明るさがない。ある種の無頼に到達していない。
 これではダメ筋だなッテ。
 
 作詞、岩谷時子とあって、納得。
なるほど、そのせいで意外に真面目だったのか。理屈を言えば、青島幸男の歌詞の裏には当時はやりの実存主義のバイタリティーがあった。作曲はいずみたく
 
 佐原直美に関しては検索で出てくる記事にはレズビアンだとかその辺までしか書いていないが、あの人は
有名なボイラーメイカー「巴ボイラー」の創業一族。大金持ちとしては、歌っているのはカネとまったく無関係、騒がれるんだったら引退する。
 
 あの唄が1969年度のレコード大賞とか。 
 レコ大賞もあの人の歌唱力によるところが大きい、と想う。
 声はどちらかといえば、通りがよくなくて、いい声でないが、聴くモノを包み込むような説得力があって、表現力が抜群。
確かシャンソンの出だったはずで、基礎がばっちりできている。
 
 そののちに出てくる「ちあきなおみ」さんとまた別な意味で記憶に残る歌手といえる。
 
 当時としては、こういう軽い退廃的、刹那的な唄が求められていたが、既成の歌謡曲の枠組みでは表現し辛かった。
 
 その意味で時代の空気を上手くつかみきっている。さすがプロの作詞家というところだが、歌詞を読んでも、その裏のモノが見えてこない。ただ字面、雰囲気だけってとこか。
 
 >新宿の東口に行けば、フーテンがナイロン袋に入れたシンナー吸ってラリッていた。それもステーションビルの交番の真ん前で。確かに異様な光景ではあった。
 シンナー吸うのは合法。おまわりの真ん前で吸っていても取り締まりの対象とならなかった。
大勢で吸っていて、みんなフラフラだった。シンナーの臭いだけではなく、常習者からは独特の体臭が立ち上っていた。
 
 ちなみに火炎瓶製造も処罰する法律がなく合法。
 
1969年1月東大安田講堂の砦に機動隊が包囲突入して、この年の東大入試は中止。
 
 >当時の若者の政治の季節を振り返った本が書店に出回っていたことがあったが、キレイ事に過ぎる面が大有り、と想う。
 
 新宿の東口の交番のオマワリの真ん前でナイロン袋に入ったシンナーでラリッテいるよりも、運動やっている方がよっぽどスリルとサスペンスがあったはず。シンナー吸っててもパクられない。毎日やってれば、体と頭おかしくなってしまうぐらい。
 
 それだったら、もっと強い刺激が目の前にある。体と頭を目いっぱい使える。体張ってるから、危険いっぱい、物凄い緊張感の毎日。
 
 ま、そんなところで、シンナー吸っているモノと運動やっているモノは本質的に地続き。
末端は心情的に区別できない。
 
 >運動やっている奴のタイプは無理やり分けると二通りあった。
 
高校時代真面目に勉強だけしてきた優等生タイプ。
もう一つはやくざ、体育会系タイプ。
 
 運動をやっているうちに、この二つがミックスされてくる。
 
日本の法律に関係なくやっているのだから、結局、そういう雰囲気になるし、実態がそうだった。
 
 そういう政治的幻想共同体にはそれなりの自己規律がなくては、持たない訳で、それぞれがそれぞれの法律を離れた規律と政治的共同幻想体としての雰囲気があった。
だから、その論理に忠実なモノにとってある種の「自由」な独特の世界がそこにある。
 
 ま、この線にそって展開していくときりがない、どんどん深みにはまって、タイトルに近づけない。
ただ本質的に政治や宗教はそのど真ん中にいるモノにとって、やくざな所業じゃないかな。
人間の裏から表まで取り扱い、そこでヒト使いを年がら年中やっていれば、人間性がやくざ的になる。
 
庶民の政治不信、宗教疑惑はそれなりの理由があり、健全な常識だ。
 
健全な政治不信があるから、民主主義は成り立つ。
 信じること、熱狂は末端のモノにとって民主主義的じゃない。そのど真ん中のモノにとってやくざな稼業。
 
となれば、マスコミの果たす役割は極めて大なり。
 日本のマスコミは戦後の出発点からして失格。GHQにその地位を特権化、保証してもらってやっと民主主義を宣伝できた。その特権の器がまだ存在し、中身が腐ってきた。自分たちの特権的生存に都合のいいような情報操作をする。
 
 >>話題がそれてきているが、植木等さんの「黙って俺についてこい」は1964年作ということに注目する。
それと佐原直美のレコ大曲を比べてみると60年代最末期の69年には高度経済成長は飽和状態に到達していたことに気づく。ここらあたりを境に高度経済成長はインフレになり、70年代の初頭の佐藤栄作から田中角栄の首相が変わったあたりから、過剰資本が投機に向かい、過剰生産は東南アジアへの集中豪雨的商品輸出へと
展開する。
 
 前者の象徴が角栄の「日本列島改造論」。高度成長で飽和した過剰資本のはけ口を政府が意図的に全国的な土建政治を行う事で吸収しようとした。
 
 後者は集中壕的商品輸出先のインドネシアジャカルタの「反日大暴動」
佐原直美の「いいじゃないの」歌がはやった時代には、植木等さんの「黙って俺についてこい」の様な底抜けのバイタリティーはもう通用しないようになっていた。
 やっぱり、大風呂敷広げて、ホラふいて、どうしてくれるんだろうと気になりだすと「見ろよ、青い空、白い雲」とはぐらかし、「そのうち、何とかなるだろう」と「黙って俺についてこい」と言われてもなぁ~とという時代。
 
1969年には青年学生の大衆反乱の戦いは機動隊の重装備の前にそれまでの10,8羽田、佐世保エンプラ寄港阻止様な展開には持ちこめなかった。
 
 70年安保闘争は60年安保闘争と違って、安保は自動延長される、沖縄返還は決定的になっている、ベトナム戦争は真っ盛りで沖縄をはじめとした在日アメリカ軍基地がそのためにフル稼働している。
全世界で若者が氾濫している、中国では文革ソビエトの戦車が東欧の自由化を踏みにじった、
などの内外情勢から1969年佐藤首相の訪米阻止闘争が実質的な70年安保闘争になるといわれていた。
 
 大学や職場の戦いは69年11月の佐藤訪米阻止闘争に絞りあげられていった。
 
 大衆的実力闘争で決起するしかない以上、集団的政治実力闘争を組めない無党派は無力だった。
集会に何人集めても、街頭で力を発揮できなければ、その日はデモをして終わるだけ。
 
 こういった状況のそんなに遠くない延長線上に政治的暴力闘争の極致である様々な現象と内ゲバ戦争が発生した。
 
 その後にイロイロな闘いは続いたが、大きな状況は上記の枠内に規定されていた、と想う。
だから、1980年ごろまで活動してきたモノはボロボロになった。
 
アメリカは元々、左翼の弱いところでその後の運動の衰退は参考にならないが、ヨーロッパになくて日本にあったモノ。
 
 >内ゲバ戦争。連合赤軍
指導者に広い意味での政治がなかった。
思想が間違っていたから、政治の間違いが起こった。