反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

イングランド暴動。童謡、赤い靴。中島らも。江藤淳、小沢一郎、日本の自立。

    <イギリス暴動>
 決起の背景に高失業率、財政削減、移民問題が挙げられている。大陸側のフランスにも移民居住区を中心にかつて暴動があった。
さらに先般、ノルウェーの90人を超える死者を出した爆弾テロがあった。
 
 ネット上の記事で目に付いたのは、割と若い年齢の方の記事。
自分は仕事はつまらないが、一応定職についている、として、勝ち組を自称している。
定職についているだけで自分を勝ち組に入れてしまう、仕事事情を私は窮屈な社会だと理解するが。
 
 この人は反貧困ネットの湯浅誠の言説を持って日本の若者は暴動決起をしなければならないほど、切羽詰まってないとしているようだが、わかっちゃいない。
 日本の若者は移民もいないし、実家と云うクッションがるから、自宅引きこもりや使い捨て労働にまだ耐えられるとしている。
 
 ややこしい話はやめて、ここではっきりと云っておこう。
実家で長期引きこもりしているより、暴動できる社会の方が表面化しているだけ、いいところが多い。
問題が顕在化すすれば、なんとか解決の糸口がつかめるが、潜在化、それも層を形成するまでになると、もっと厄介な問題を内在させる。
 
 さらには個人の自立、民主主義とは何かというと云う問題は家族の中から出発する、という普遍的な問題も
内在している。
 
 大きな問題があれば、個人が街頭に出て主張する。間違い、行き過ぎ、があってもそうすることが民主主義の原点。
制度や政府の政策にすぐ還元するから、当該者のリアルなあり方がスポイルされ、一部の政治的エリート層の書きあげる文脈にすぐ翻訳される。もうこの時点で当該の主体は喪失されたも同然。
こういう日本的システムの継続こそが、日本国民のお上任せ、目先の政争に下衆的にしか関与できない特質を形成していく。
  訳知りで何もやらない、あなた任せ、成り行き任せ、ブツブツ文句ばかり垂れてる能書き垂れよりも、街頭に出て暴動することは、いいことである。
 
 イギリスやフランスで暴動が発生するのは民主主義があるからだ。
 
 中世から近世にかけて、一揆をやった日本民衆を明治政府は恐れて、民権主義を強圧し、天皇一神教に閉じ込め、内外の資本強蓄積に動員し、その揚句の果、欧米帝国主義の権益と衝突し、軍事的に敗北した。
 しかし、その敗北によって日本帝国軍隊と軍事官僚はアメリカ軍によって解体されたが、天皇制と官僚組織は形を変えてアメリカ権益を防衛するため、継続された。
 
 日本国憲法では1~8条によって、天皇の権利と義務をまず先に謳っている。そのあとの9条戦争放棄は1~8条とのバランスをとったものである。
 冷戦時代の深化とともに、9条は骨抜きにされた。
 
 が、9条書き換えは日本の現状の民主主義がアメリカ占領下で達成された経過から、制度となっていても、それを担う社会的諸実体に乏しい故に、必然的に戦前的な事物への螺旋的回帰となろう。
日本国民にはいまだ9条の歯止めは必要だ。
 
 勿論、日本には日本固有の歴史があり、欧米民主主義のモデルに全て解消するのは間違いだが、市場原理主義で社会経済を回していこうとするのならば、個人団体の人権、権利は欧米を目指して拡張しなければならない。これをやらなければ、表面上はともかくも、実質、日本国民の多くは「労働監獄」に繋がれていると同じだ。
この点は固有も何もない、普遍的な要件だ。
 
 
   <中島らも
くすり、アルコールで死んでしまった。
追悼集になかなか哲学的なことが収録されている。
生きていると自覚できるのは人間だけだが、その反対概念として「死んでいる状態」が想定されているが、それは人間の言語による思考、ロジックが生み出した錯覚、憶測の類ではあるまいか?
 生の対立概念として死を持ってくるから話はややこしくなる。生きているの反対概念は厳密にいえば、死ではなく、「生きていない」でなければならない。
 人間が自覚できる生が確かにあるものならば、「生きていない」と無を意味する。
生きていない、生きているの二つのうちどちらかなのであって、「死」という状態は想像力においてのみ想定された架空の概念である。
 
 ここら辺りの展開はこの前の記事で取り上げた「この世が夢幻、個体にとって一瞬。ならば、生きていても死んでいても大して変りはない」と云う戦闘的行動主義の源に関わってくる。
 
 そこから続けて、彼はまた面白いことを言っている。
>連続と不連続という生命の縦軸の繋がり。
 
一個の巨大の原人間みたいなんモノがあって、新陳代謝を繰り返しながら、半永久的に生きていく、という存在形態もある。
 そうすると、人間としての種の生命から考えてみると、死なない。
 
一瞬、一瞬の生命の膨大な総和が形成する種としての生命力は途絶えることはない。
 
 宇宙、太陽系、地球。そういう規模での思考にはこういう論点が成立する。
少なくとも、地球上の現時点の人間の側から主観的にみると、ビックバンの始まる宇宙史の原始的物質の発展が太陽系、地球を形成し、その最先頭で意識する最高の物質として人間と人間労働を生み出した。
 
 その頂点の成果が地球上に生命体を保障する太陽の核反応エネルギーを地球上で再現することだった。
今後、ゆっくり考えて見ることにする。
 
 
  <江藤淳小沢一郎
 
 彼の究極の論点は政治的には「日本の自立」と要約することができる。
在りし日、小沢一郎に好意的論評をしたことで興味を持った。
また小沢一郎熱烈支持者の一大キーワードは日本の自立と考える。
 
 小沢一郎江藤淳の様に日本の戦後社会、経済の歩みを否定的にとらえていない。彼が問題にしているのは
日本の実情に合わないき過ぎた市場原理主義であり、官僚支配、民主主義の欠如である。
この点で小沢一郎の方が江藤よりよっぽど、現実的であり、理にもかなっている。
 
 ただ共通して間違っているところがある。
それが肝心なところだから、勘違いでは済まされない。
 
 日本の自立とはアメリカに従属した覇権国家日本の自立である。
言い換えると、日本帝国主義の自立に他ならない。
 
 世界の先進国はみんな大なり、小なり、制約があっても、みんな帝国主義である。
帝国主義とは、資本主義最高の発展段階が必然する、金融資本主義である。
決して対外軍事的膨張政策などに還元されるものではなく、経済的な概念としてあった。
 
 第一次、第二次世界戦争は世界帝国主義の必然的分裂が引き起こしたものである。
スターリン主義帝国主義の世界市場を巡る激烈な再編に巻き込まれ翻弄され、やがて潰れた。
 
 スターリン主義圏の長期の存在は世界金融資本主義の基本的矛盾の爆発を遅らせた。
 
しかし、ソ連東欧の崩壊、中国残存スターリン主義の独裁資本主義化によって、今や、資本主義最高の発展段階の帝国主義本来の矛盾が爆発することが三度、明らかになっている。
 
 以上の認識からすれば、日本の対米自立性の確保は日本帝国主義の自立性の増大に他ならず、多数派日本国民の生活の豊かさ、住みやすさに繋がらない。従属した覇権の高度に発展した金融資本帝国主義アメリカから国家として距離を置いた関係になるだけであって、それがどうして日本国民全体の住みやすさにつながるのか、私には理解できない。
 
 国家としてアメリカから自立性を増せば、国民全体がこの国土に住みやすくなる、と云うほど、事は単純でない。
 それは国と国の横の関係であって、日本国内の支配層、被支配層の関係の変更がなければ、最悪の場合、戦前の日本帝国主義の自立と変わらない。
 
 その時日本国民の多数は自由だったか?住みやすかったか?豊かだったか?
今より、一部のモノがそれらを謳歌する国家だった。
それを保障した制度も政策もあったが、一番肝心なところは、そういう制度政策を必然化した経済社会のありようである。
 
 江藤淳の立ち位置はそんな国家だ。
小沢一郎はさすがそこまで至らないが、言説は一部の人にとっては胸のすくようなものであっても、良~く考えると、曖昧である。
 国民間の経済関係を是正する方策は、今の、これからの日本にはない、とみている。
社会民主主義的政策の実行時期があまりにも遅すぎた。
高度成長時代から、国民の政治方向は間違っていた。支配層の政治方向批判だけに還元することはできない。もちろん私もある意味間違っていた。
その結果としての原発事故だと考える。
 
 この状態を脱するためには、内では「暴動、内乱」、外に向けては戦争以外にない。
そういう意味で平和と民主主義の枠は取っ払われている。
 
破壊の後に、再生の道に着くしかない。多数派国民が痛い目に再び会って、民族の腐った国内支配層への隷属根性を洗い流すしかない。
 決して国家の自立なんかが先じゃない。政権交代後の普天間基地問題は国民が戦後日本の支配層に押し切られたのだ。政権交代が単なる投票箱の書き込みに集約されて、国民の決起はなかった。
 
 
   <江藤淳こと江頭淳夫>
この程度のやつが、「日本文壇」に「君臨」し、さらに酷いことに、高度成長以降の政府委員を含め政治に関与できたことが、日本文化の凋落の象徴、と考える。
 
 本当に真正面から、江藤を見据えたことがあるのかと云いたい!
江藤の自殺する前に書いた「妻と私」という急性進行性末期がん患者の病人である妻を看病する記録は月間文芸春秋に一気に掲載された、文庫本にして110ページに及ぶ作品だが、いったいあれのどこに、文学があるのかと?
 
 私には妻の死に目あって、自らの築いてきた地位にこだわり、外見の格好ばかり付けている自称紳士の空けとしか読み取れなかった。インテリの外見ばかりで中身がまるっきりない人間。その意味で本当の空けモノである。それでも飯を食っていける制度としての文学の世界がある。
 
 だから、妻の看病名の中で病弱になった自分を自力回復するすべもなく、脳出血を発症したとき、それによって江藤淳の活動が不如意になることが耐えられず、自殺を選んだ。
 江藤淳は滅んでも、江頭淳夫は残るが、それに耐えきれなかった。
慌てふためき、屈辱に耐えていくのが、人間の尊い姿でもある。それがある意味、文学的生き方である。
 
 それができなかった彼には思想的な原因がある。
戦前や明治を抽象的に絶対化して、その絶対の立場から、曖昧な、不如意な戦後をぶった切ってきた、その健康性の毒に自家中毒した。
 
たかが、文芸分野でない。
こいつは「期待される人間像」という高度成長期の文部省イデアを実質的に執筆し、ジェラルド、カーティスらと日米間の行く末を絵に描いてきた人物。
 
 多くの江藤論は高度成長期からの日米関係をハンドリングした日本側の人物としての江藤をスルーしている。
そのベクトルがあってこその、それ以後のガイドラインを含めた日米同盟の深化である。
ここに江藤の先を読めない盲目的な間違いがあった。江藤の自殺もその辺の思想的敗北の自任と切り離せないとみている。
 
 かれはロックフェラー財団留学でジャパンハンドラーの一角に組み込まれ、そのために情熱に任せて無意識的に文化分野で活動してきたが、ある種の小沢一郎的勘違いから、ジャパンハンドラーの一角からはずされた。
 
 彼は小沢と違って、戦前日本帝国主義を美化していた。その立場からの文芸評論は戦後日本の曖昧さに対する、ある意味鋭さを持っていたが、彼が文芸者として固執した限りにおいて、日米支配層から疎ましく、政治的に排除されていった。
 
江藤隠しという事態があったらしい。江藤はマスコミで異端にされたのだろう。言い換えれば戦後的平和と民主主義と云う文化状況への排撃の切り札としての江藤の役割は終えたと支配的マスコミから認定され彼は異端にされたのである。
 
 ところがその異端性をよって立つ処のない、中途半端な左翼崩れが、己の国家主義的反米的思想的展開の都合で持ち上げたのである。
 これが山崎や柄谷の思想的座標軸である。