反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

「人買ひ船は沖を漕ぐ、とても売らるる身を、ただ静かに漕げよ、船頭殿」(中世庶民の唄、閑吟集より)TPP推進の売族日本支配層。

 溝口健二監督の「山椒大夫」は日本映画史上屈指の傑作だ。森鴎外安寿と厨子王に題材をとった中世、京の都の末端貴族の家族離散の悲劇である。モノクロの画面は悲劇の物語の展開を突き放したかのような静寂が一貫しており、凛とした抒情をたたえている。
 安寿に扮した香川京子さん、その母親に扮した田中絹代さん、山椒大夫の新藤英太郎さんの名演技が光る。
 
 この物語は都の役人を左遷された父の下に母親、姉安寿、弟、厨子王が連れ添って、訪ねていく途中、人買いに「かどわかされ」奴隷として、姉弟山椒大夫の下に、母は佐渡の海岸の掘立小屋の売春宿の女にされる話である。
 
 ハイライトとなる場面はいくつかある。
 
新藤英太郎、山椒大夫の奴隷をあくまでモノとしてこき使うあこぎな悪役振り。
 
弟を逃がすために犠牲になる姉の安寿の湖への入水自殺の悲劇的場面。
 
難を逃れて都で出世を果たした弟、安寿の地方官吏として山椒大夫の地に任官しての復讐劇。
 
姉を死なせて一人になった安寿が官職を辞して母を訪ねた果てに、佐渡の海岸の掘立小屋の売春宿に気がふれた老婆を発見し、母と解って抱きしめて号泣する佐渡の砂浜のシーン。
カメラは抱き合って号泣する二人からゆっくり引いて、モノクロ画面の白い砂浜の向こうに、暗い佐渡の海を背景として映し、ジエンド。
 
 >冒頭から見るモノを映画の画面に引き込んでいき、遂に人買いに騙されていく、物語としての流れのリアルな演出は見事である。
 
 冒頭の出だしから、この物語を悲劇としての様相を徐々に予感させていく世馴れない都人としての母、子の健気な旅姿の不具合、不都合連続の場面が続き。その危なっかしい予兆が最高潮に達した時、母と幼い姉、弟は人買いに「かどわかされて」人買い船に乗せられ、売られてく。
 
 あっーあ、やっぱり、そうなってしまったか。都の外では悪い奴が手ぐすね引いて獲物を物色しているのに、都人の慎ましく健気な生活の倫理では悪人を看過しきれず、騙されて人買い船に乗せられ売らるる身となってしまった、と。
 
 >>「人買ひ船は沖を漕ぐ、とても売らるる身を、ただ静かに漕げよ、船頭殿」(中世庶民の唄、閑吟集より)
 
この唄はネットで知った。なかなか高尚趣味の方がおられるモノと感心した。
解説も付けておられるが、悪いけど、解釈が現代日本の軟な平和と民主主義観に毒されている、と云わねばならぬ。
 
 その方の解釈によれば、人買い船が沖を漕ぐ理由として、当時としても奴隷売買は忌避されていたから、世間の目に晒されない、波の高い沖を敢えて、航行したと。
 
 完全な間違いであろう。
 
 例えば、中世の村に生まれた100名のうち、70名は流浪の生活の運命だった。その中には下人やもっと下の奴隷になるモノも多くいた。
 
 戦国時代の戦争の一面は実った稲の刈り取り収奪、奴隷の確保である。
そうしないと最下層の雑兵には戦争に参加するインセンティブがなかった。NHKのちょんまげ大河ドラマでは、こういう、中世の戦争のありふれた底辺を一切描いていない。
 
>>人買い船が沖を漕ぐもっとリアルな理由は単純に、かどわかされ、人身売買されているモノたちが、海中に飛び込んで岸に泳いでいけない沖合を漕ぐのだ。
 
山椒大夫の場面でも、騙されて船に乗せられた彼らは、縛られていなかった。
縛られていない多数の奴隷に見張り役をたくさんつけるわけにはいかない。
 
どうして呪縛しなかったか?人身売買や奴隷身分が庶民の日常生活の一つのありようであれば、奴隷になっても、以前の生活と大した違いはない、とすれば、奴隷としての生き方を想定し、観念するのである。
 
 詳しくは知らないが、アフリカ大陸の奴隷狩りによって、船に積み込まれた大量の奴隷は、新大陸への長い船旅の道中縛られていたのだろうか?個々人を縛ったりしていたら、商品としての奴隷に傷がつく。
 
 以上に記した様な事情と北朝鮮による拉致の事情とは、時代は意見は大きく違っており、この場合、呪縛などの身体拘束をしているようだが、一つだけ共通点がある。
 
 人間はどんな運命でも、曲がりなりに、観念し、その枠の中で生きていこうともがく、環境適応力の高いしぶとい生き物である。
 
>>TPPは日本支配層による多数の日本国民への事実上、人買い船に載せる様な行為となろう。
 多くの国民にとって、TPPは「山椒大夫」の様な過程を歩むモノとなろう。決めつけるとそういうことにしか推移しない。
 
それは中国共産党が自国民を支配することによって、外国資本への安価な労働力として提供している現状と同一地平にある。
 
 日本の多数の国民の生活レベルはTPPによって、向上するのではなく、確実に低下する。
市場原理主義の「服従の檻」に安い使い勝手のいい労働力商品提供者として奴隷の様に囲い込まれるのだ。
お隣の韓国で実際に起こっている事はこれでないのか?
 
 TPP市場原理主義世界が日本に現実化すると、この狭い国土の中でアメリカの様な1%が残りの99%を支配する国になる。
 
 みんなが上澄みになれると想って、流れに身を任せるのは、我々が現代の奴隷として飼いならされてきたからだ。
 アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージューランドなどアングロサクソン新大陸移民国家は風土、歴史からみて、日本とは全く異なった特殊国家である。
その制度や社会風潮をこの平野部の狭い歴史ある農耕民族の日本に移植すれば、どうなるか?