反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

門倉貴史「反米経済」ー凋落するアメリカに追随してはいけないーの世界史の大展望を読み解く。

 込み入った手口で書いていたら、ミスで全部消去になってしまった。罰あたり、だったのか。
もっと、真正面から論じろ、と。とかく、人間の組成がひねくれて、過激にできているモノで。
 
この著書は検討に値する。日本の評論家には珍しい大風呂敷を広げるタイプである。こんな人がいっぱいいて、議論する中で大きな戦略的立場が獲得できるのではないか?
 
 役人、官僚は、そういう議論に基本的に無頓着な人種である。
政治の混乱に乗じて、そういう訳のわかっていない実権派が政治を動かしていく。
そして国の大きな政治方向がとちクルッテいった。歴史は繰り返される。
 
 >日本人はまだ?一回しか世界史上において、歴史的に大失敗していない。
ドイツ人は二回も大失敗をやらかしている。
 日本人がドイツ人より、特別優秀だとは、想わない。
 
しかし、負けることは悪いことではないと想う。戦う体制を維持できていれば、の限定だが。
 
 日本人は過去の失敗を具体的に是正する政治的手立てを講じてこなかった。
 
日本国憲法や日本的民主主義は、もはや空洞化甚だしい。
 
現、ドイツ憲法はワイマール時代のドイツ的民主主義を継承したものであり、米国によって押し付けられたものでない。確かにワイマール時代の民主主義体制はヒットラーを生む必然性を持っていたが、反面として各社会勢力の要求の調整機能としての国家を明確に位置付けている。
 
 日本国憲法にその種の国家論はない。
戦前の主体的総括をするならば、こうした角度からの国家基本法が必要だった、と考える。
だが絶対にできなかった。そうい云うモノは国民とその支配層のリアルな歴史過程が形成するモノである。
 
 敗戦日本人は戦前に継承すべき憲法を持たなかった。
 
だから、法的に制度的にアメリカ製民主主義と憲法を鵜呑みにせざる得なかった。やがて日本国憲法を意匠だけとし、徐々に中身を変える意図は、何も冷戦体制の逆コースを待たずとも、当初から敗戦日本の支配層にあった。
 
 彼らとGHQとの憲法作成交渉において、日本側の提示したのは、旧欽定帝国憲法を改ざんしたモノだった。
 
 当然それはGHQ側に一蹴される。戦犯天皇と官僚制を温存し、日本占領支配の一大支柱と画策していたGHQにとって天皇制と官僚制を残すと云うことは、反面で、9条国家武装放棄を根幹とする日本国憲法を成立させることでバランスが取れるモノだった。
当たり前の大局的政治感覚と云わなければならない。
 
 こういう戦後の出発点の大きなボタンのズレから、時間が経過して、数々の歴史を画す日本人民の戦いはあったが、国民全体に政治混乱をよしとし、そのただ中でしか、自分たちの主権は勝ち取れないとする、当たり前の積極的市民精神は歴史的に形成され、浸透しなかった。
 だから、多数国民は予定調和に屈服する。
 
 しかし今、TPP事態に至っても、庶民を自覚する限り、踏みとどまって、大風呂敷広げてなければならないのである。
 
 政治や経済を大上段に振りかぶって、論じる必要がある。そういう時代だ。
 
 例え、間違っていてもいいのだ。
 
議論の中で修正できるが、元々、大局観のある議論乏しく、重箱の隅をつついたような議論ばかりやっているうちに、やがてなにがなんだかわからないようになり、忘れっぽくなり歴史の時に流されていく。
 
 以上はあくまでも市民間の議論の話であって、現実を動かす政治の場面での大風呂敷には気をつけたほうがいい。
 
 >考えてみると、大風呂敷を広げる政治家の議論の正体を見極めることができる術は、コチラ側に大局観が必要と想う。
 
 「ワタシの論理、倫理」に終始して、そこから果たして、国家や民族と云う族を云々するモノに対抗できるのかどうか?大いに疑問である。
 
 「ワタシの論理倫理」の中で良心的?な部分は、抽象的な世界平和だとか命の大切さ、環境保護の様な人類的種の次元に飛躍するのが、こういった議論の特性である。日本国憲法に直ぐ照らし合わせる人も同じく、だろう。反原発もそいう匂いがしてならない。
 
 >が、そういう思考パターンのよって立つ物的基盤(余裕)が先進国にはまだ存在している事は、よいことであり、仲間のうちの良心的思考形態として歓迎する。だが、今後、よって立つ基盤は緩んでいくと想う。
 
 >「ワタシの論理、倫理に終始している」人で先に書いたような抽象論、理想論に飛躍できないモノは、結局、「隣の芝は青い」「自分より良い目をあっている奴が身近に、目立ち気に食わない」「隣の民族が脅威である」などの、単純、な感情に身を任せ、自分のこの社会におけるリアルな実態を見つ続ける事よりも、日本国、国歌、民族、天皇などの族的抽象世界に実存を溶融させていくのだ。
 そうすれば、自分のリアルなこの社会における立ち位置を頭の中で消去できる。
これは立派に、特別なイデオロギーである。
 
 しかし、それが個人や小集団の次元に収まっている時はまだ内外への被害は少なくて済むが、もっと大きく徒党を組んだり、社会の空気と化すと、過程と結果として、どうなるか?
この「ワタシの論理倫理のイデオロギー」はただそれだけの抽象物への自己消却において存在できない性質のモノである。必ず、内外に具体的ターゲットを設定し、それへの打撃を自己消却の片面とするのだ。
 
 この種のワタシのイデオロギーの社会化は歴史上、連綿としてとして、支配層の民衆支配の一大道具となってきた。
 支配層は使用人にそういうイデオロギーで民衆扇動させて、事態の高みの見物でほくそ笑んできた。
「諸君砲撃せよ!しからば国民は団結せん」ヨーロッパの格言。
 
 社会全体の仕組み、経済構造として(もちろん、対外関係も含め)そういう邪な思考を現実化しようとするモノを含めての国民多数への圧倒的不利益をもたらす。
 
 過去の近代史の全てに、その様な愚か者の息遣いが血を持って塗り込められている。
 
みんな支配層に利用されてきた。 
 
 >>大きな政冶軍事戦略にグレイゾーンがいっぱいあれば、戦略的優位の大国の大戦略に巻き込まれていくしかない。その結果、渦中において不利益、悲惨な目に会うのは多数派国民であるが、その不利益や悲惨状態が内外に身近なターゲットを設定し、煽動する大衆政治家への同調者を拡大再生産する。
 
 このような政治経済循環が突き崩せない程、出来上がった国と国民が自らの体制を他国に率先し硬直化させ、墓穴を掘った。自分で自分のハマりこむ墓穴を掘った。
 
 真珠湾攻撃アメリカの大謀略だったと云う。
しかしその前に日本人は自分自身でそこに嵌りこむ墓穴を掘った。
 
 TPP事態が同じとは云わないが、国家として選択肢を狭めて、そこに向かうしかない様な状態に戦後日本の支配層が舵を切ってきた。間違った経済成長してきた巨船はブレーキが利かない。
 
 国民に成長の分配をしてこなかったつけが今頃になって爆発している。
中国も韓国も同様なことが云える。所詮、問題露呈が遅いか早いかの違いである。
 
 ただし、こういうことは云える。
 
>先に成長した日本で民主主義はなくなり、後から成長した韓国中国では民主主義が拡大していく。
金融寡頭制支配の進展具合の問題である。
 この面からすると、経済停滞を奇貨とした金融寡頭支配の増大によってアメリカ、ヨーロッパでも民主主義は乏しくなっていく。
 
 TPP参加はそういう経過と結果のモノと解釈している。
 
>>次回に「反米経済」に沿って、できるだけ考えたい。時間不足。