反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

巨船日本丸の危うい航海とタイタニック号の「氷山回避行動。インフレ政策への疑問と<税と社会保障の一体改革>国民円卓会議の勧め。

 今の世界情勢が歴史的転換点にあることは、多くの識者も認めている。
 が、日本の戦後史における庶民的発想の弱点は歴史的視点を欠いた経済幻想、経済成長第一主義、もっと卑近になれば、カネこそ全て。
 
 そういう規範でやってきた、やってこれたから、戦前の工業指数、ソ連イタリアよりも低い状態から、戦後、先進国の中でとびぬけた経済成長が達成された。
 
 >が、ここに至って、2009年、<国民の生活が第一>の視点が大きな支持を得た。
それでも広い視点からみると、周回遅れも甚だしいのである。
 
 日本経済が元気なうちに、経済成長を在る程度犠牲にしても、<国民の生活が第一>にする制度は確立しておくべきだった。
 
 日本では、平和と民主主義、賃上げの日本型戦闘的社会民主主義はあっても、ヨーロッパ的な制度政策を着実に勝ち取っていく社会民主主義が足りなかったのである。
 
 先日、TVでパリのカルチェラタンを日本のカメラクルーが散策した映像を見た。
 
1968年パリ5月革命において、今自分の住んでいるアパルトルマンのすぐ前の石畳の路上にバリケードを築いて3日間警官隊と渡り合って、そのアパルトルマンに逃げ込んだと、語る女性が登場していた。その女性の学生結婚した夫はこの世にいない。
 私はそこに良い意味での時の流れを感じた。
 我々の時代の戦いになかったモノはこれだった。
 
 >降って湧いたような政権交代に至る道。
 
 民主党に一票を投じるには越えなければならないハードルがあった。
マニュフェストには目と耳を閉ざそうと想った。
政策体系で世の中を変えることはできない。
が、民主党マニフェストの本質は経済社会の戦後日本の下部構造の在り様を超えて、政策体系で世の中を変えようとしている。
 コレは政権基盤と政治力がなければ、できない。投票者の持続性の在る強い支持がいる。
 
 私は有権者多数を信用していない。
 
<自分の生活が第一>の人たちである。(コレは良いとか悪いとかの価値判断の問題でなく事実問題である)
コレと<国民の生活が第一>との間には、党と団体の問題、共同性、運動実体、政治思想、対権力観など大切な事柄が横たわっている。自分にも責任はあり、良いモノを後代に残せなかった。
 
 選挙の投票行動だけでは<自分の生活が第一>と<国民の生活が第一>の間にある大きな溝を埋めることには余り結びつかない。
 
足腰がしっかりと根付いていない投票行動の結果は、風向きが変わったら、簡単に変質する。
風向きを主導するのはマスコミで在り、権力である。
 
>1980年代以降の日本には、有権者37~38%の壁と云うモノが頑としてある。
政権交代時、38%の有権者自公政権良し、としている。
開票後、さすがに呆れて、自公以外の得票総数を比例票議席に換算してみた。
大体、280議席程度であり、三百十数議席との差は現状の選挙制度による水ぶくれである。
だから森田実さんが云うように民主党が圧勝した訳ではない。
 
 >税と社会保障関連のアンケート調査でも、約38%のヒトが現状の社会保障費を削ってでも税金を安くした方がいいとしている。完全なアメリカ仕込みの市場原理主義の見解である。
 
 基本は日本はアメリカの様な基礎的経済社会条件にかけているにもかかわらず、、アメリカ思想に毒され、盲信している。
38%の人たちの全部の生活が満たされているとはとても思えない。
だから、あくまでも、現状の生活と離れたところでの、そういう思想を持っているとしか言いようがないのである。
 
 こういう信仰に近いモノを持って、社会認識をしている層、38%が、岩盤の様な存在になり結果的に日本の過去の方向転換を拒んできた。
 
そして今や、この38%の岩盤に根を持つ思想や政策潮流は新たな装いをこらして、この期に及んで蔓延してきた。
新たな装いの程度は時代状況に規定される。
何の実績もない橋下の様なモノが、中央政治を語る上で、引き合いに出されるのは、日本と先進国がそれだけ政治的経済的に閉塞状況にあるからで、決して云い事ではない。
煽動市長!まさにこれが、現時点での世界からの橋下評価であり、日本のマスコミ評価とは大きな段差がある。
 
 過去を振り返ても、有権者の多くは、肝心な時に、いつもこの種の横道にハマって、結果、着実に自分たちの生活を良くする政治を創造できなかった。
横道は途中で旧勢力の道と合流している。コレが実態だった。
 
 今は高経成長は誰が見ても無理筋だから、経済成長に理論的装いを凝らしてに意味付与したり、特定の犯人を探して悪者にして、それさえ取り除けば、未来が開けるがごとき単純発想で人々に現実直視をさせず、政治的幻想に巻き込み、アメリカ仕込みの政治勢力の拡張を測ろうとしているモノたちがいる。
 
 二つのオイルショックを乗り越えて日本が経済成長を達成してきた時代には、それに相応しい内外条件があった。
その条件も、基本的には世界から日本に歴史的に与えられたものである。
 
 私がズット、関心を示してきたのは経済幻想や経済成長第一主義でやってこれた、内外の条件がどのように変化してきているか、と云う点である。
 
過去ー現在の継承性を大事にして、将来を予測したい、と考えてきた。
 
日本丸と云う巨船の現状の在り方は将来と云う進路を大きく規定する、とみる。
 
 ある推進力を持った巨船の向かっている方向は、自身の舵の操作によってさえ、簡単に修正できない。
 
 >>何回も例えに挙げているが、深い霧に包まれた北太平洋上で、タイタニック号が前方に巨大氷山を発見した時の二つの回避行動である。
あの当時、レーダー探査は開発されていなかったから、目視航海である。
 
 行く手に突然、巨大氷山が出現した時、船長の選択した回避行動はスクリュー全速逆回転のブレーキを掛けながらの、舵による急激な方向転換である。
 
 処がこういった回避行動では舵の威力を失わせ、巨船は惰性で直進するらしい。結果、氷山と正面衝突!
 
 >もう一つの回避行動は今では理屈上、正しいとされているらしい。
 
スクリューの全速逆回転をしないで、そのままの速度を維持しながら、舵を操作して方向転換をする。
結果がどう出るか解らないが、この回避行動の方が理にかなっているらしい。
 
 そう云えば、有名な沖縄戦片道燃料で出撃した戦艦大和の米軍爆撃機の攻撃に対する大きく蛇行する回避行動。
あの時戦艦大和は、まさかスクリューを逆回転させながら、蛇行していた訳ではあるまい。
 それでも、米軍艦載機の魚雷攻撃は回避できなかった。
 
 ましてや、巨船日本丸は自身の舵操作によって、進路を確保している訳でなく、内外の条件に大きく左右されて、過去の軌跡があり、今があり、コレからの進路がある。
 勿論、戦後史的事実としてアメリカの影響力は圧倒的だった。
 
 何が云いたいか?
巨船日本丸の進路に政治が関与して、大きく方向転換させることは不可能。
政治に幻想を抱いてはならないと云う事だ。
 
 ましてや金融政策の最後に残された手段である金融の量的緩和でインフレーションを意図的に引き起こして、何とかなるなどと吹聴する方々は絶対に程度を弁えてもらいたい
 
 政策当局は経済の長期的な展望に立った上でに有効な、さじ加減の問題として金融政策の選択をしようとしてきたから、日本における金融の量的緩和の限定性を踏まえて、慎重に対処してきたと考える。
私には日銀当局の金融政策を批判する知識が絶対的に不足している。技術論の領域が大きなウエイトを占めると考える。
そして、解らない事はまず、専門家の意見を尊重する。勝手に解った振りをしない。付和雷同しない。
 
しかし、次の様な事は自分の経験や知識でも理解の範疇にある。
 
 >日本のデフレは前回の記事にも1~4まで重要項目を挙げて、示したように、世界の歴史的趨勢まで含む、複合要因から発生しているのだから、何か特定の金融政策をとったら何とかなると云う領域を超えている。
 
 人口動態の急激な変化だけが要因ではないのである。
にもかかわらず、そこだけを問題にするのは、論点を矮小化して自分の都合のいい金融の量的緩和をしたらナントカなるという結論に導こうとするからである。
 
 交易条件の悪化のすう勢とデフレの関係はどうなる?
 
 所得分配機能乏しい税制とデフレの関係もこの期に及んだら重要な論点である。
さらにまた、
 
 現状の消費、貯蓄性向、貯蓄の極端な高齢者寄りの偏り、と国内の一般的利潤率低下傾向と産業空洞化、
銀行の国債購入指向の関連は?。
 
 あるいは、規模の大きなインフレ政策を実施した場合の国債長期金利の上昇、信認問題は発生しないかどうか?
 
 官庁の報告書によれば、日本における消費者物価指数構成品目のウェイトでは、未だに食料品が大きな比重を占めている。
 
 だから、安易にインフレを起こして経済成長と云うが、その理屈において、通貨供給量と経済成長の関連付けも説得力にかけるのに、インフレ政策と云う短期的には誰の腹も痛まない政策を実施した場合、誰が得をし、誰が損をするか余りにも明らか。
 日本金融当局は今まで量的緩和をやってきたのである。効果がなかったのは量が足りなかった、時期が問題だった、と云いたいようだが、それならば技術論の範疇であり、インフレ政策をやれば、経済発展が実現できると云う願望とは区別するのが誠実である。
 
 インフレ政策による経済成長の持続がなければ、インフレは一般家計に打撃を与える、とは一般の生活感覚。
庶民生活にとって一番きついのは、物価上昇と不景気が同時進行することである。
 
 失業問題は原理論的に云えば、拡張する資本蓄積過程に不可避な法則的事態であり、コレを解消しようとすれば、全体主義的経済政策を選択するしかない。その時代がどういう時代か、歴史が証明している。
 
 従って、その種の政策の選択は最後の最後の手段であり、世界中がコレをやり始めてからの選択で良い。
クールグマンなどのアメリカの学者は当事者でないから、日本は流動性の罠にハマっているから、政府紙幣発行などと、金融の量的緩和の極致の、無責任な事を吹聴している。
そんなモノに追随してはダメである。
 
 ヨーロッパでは高失業を前提に税収と社会保障の体系が一応、選択されてきた。
日本でその必要が薄く、経済成長による雇用増大に政策的に収斂してきた。
 
 それでコレから、低成長を見越して、自分たちの取り分を維持するために、労働層への貧窮化攻撃とでも云うべき政策が財界自民党など支配層によって指向されている。今回の消費税増税法案でも所得の再分配機能は系統的に否定されている。
 だから税と社会保障一体改革と称しても基本構造が片務的である。
 
 コレと戦う事が肝心であり、天からカネが降らせる(BY高橋洋一、米国連銀バーナギン受け売りのヘリコプター、マネー論)たら、何とかなる(ボーリングに例えるとヘッドピンに兎に角当ててくれ)などと云うのは地道な日本的政策努力の積み上げを無駄にすることである。(私は日本政府当局のこれまでとってきた政策全部を否定していないし、できる立場でもない)
 
 問題は山積している。
 
内外の激動の時代には対立と合意形成の過程で在る政治や政策体系に過度に幻想を強く抱くと、最終的に強制力を持った政治である軍事的政治、軍事行動に脱出口を見出さなざる得ない様になる。
 
 国会論議もいいが、円卓会議を継続して開いたらどうだろうか?
一体化法案を法案を先に国会で採決して、増税を決めてから、国民会議と云ういつもの有識者の議論を経て、マスコミが中立的意見であるかのごとく、国民を洗脳する手順よりも、国民全体が自分たちの置かれた現状を認識できる良い機会となる。
 
 中村てつじ議員のこの問題をまとめたブログの冒頭は消費税増税民主党議員全体の一般な認識としたうえ記事の内容を読むと、コレは技術論の範疇ではないかつくづく、感じる。
本質論として、コレで党が割れる問題なのか?一連の民主党内外の政治過程がそうさせていると云う疑問がわく。
 勿論、管政権以来、この様な政治過程を一貫して主導した執行部に責任がある。
 
 共産党のパンフにおける政策も税収不足は認めており、財源を探している。
 
円卓会議を開いた方が良い。