反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

古代ギリシャ関連書籍を読み込むと、古代ギリシャのリアルな世界は解らない、という限界を実感する。

 ネット上の古代ギリシャ関連の記事をつなぎ合わせたような作文ではまずい、と大きな図書館から、これはとおもう書籍を借り出してきた。
次のような書籍である。
1、「ギリシャ文明」、フランシス、シュムー。
2、「民主主義ー古代と現代ー、M、Iフィンリー。
3、「古代ギリシャの戦い」、ビクター、デイビス、ハンセン。
4、「アテネ最期の輝き」、澤田典子。
5、「ギリシャ、ローマにおける他者」、地中海文化を語る会。
 
 結論。4、5の日本人学者の著作と1、2、3の著作には余りにも大きな力量の差がある、とみた。
要は核とした民主制と古代ギリシャに関する総論を形成し、一貫性を持って支えていけるだけの内側から沸いてくる強靭な政治思想が不足しているのである。
私自身もその一員なのだと、つくづく思い知らされた。
 
 1、2、3、の分厚い書籍にある華麗重厚、明確な持論に基づく力強い内容と展開に圧倒されて、批判的視点を大切にするものとして、付け入る隙が見当たらない。
批判するだけの材料が自分のなかにない、ともいうべきだろう。
知識がないという、という現実のもっと根深いところにある限界を感じる。
力強い骨のある思想には思想で対峙するしかない。
この点において先の数回の記事には、底のところで誤りがあった。
 
1、2、3、の著者はいずれも古代ギリシャの世界を自分たちの文化文明の大河の源流と感覚的に捕らえて、実に生き生きとその世界を描き挙げている。
自分の問題として引き付けて論じられるものと、あるがままの他者(西欧の源流古代ギリシャの世界は日本人にとって、感覚として理解できない他者の世界である。)を何とか理解しようと努力するものの出発点の立ち位置の差は大きい。
日本の文化、教育、言語、習俗に古代ギリシャを探しても見つからない。
西欧にとって、古典といえば、古代ギリシャであろう。
 
 次のような骨太い歴史的視点に裏打ちされて、論が進められている。
 
フランシス、シャムー。フランス人古代史研究者。
 
「<<都市>>はギリシャ人が独創的に編み出し、長い歳月をかけて作り上げられたもので、彼らの歴史と思想の全てを支配した。
 
それがローマに伝えられて、用途に合わせて作り変えられて充実されたあと、ヨーロッパに寄贈された。
 
ヨーロッパはそれをそっくり受け継いで、そこから、国家の近代的概念の大部分を引き出したのであり、これがヨーロッパ文明の歴史において、どのような重要性をもったか、今更論をまたない。」ー第7章都市と市民よりー
 
M、Iフィンリー。50年代のマッカーシー旋風でアメリカを追われ、イギリスでその道の業績を積み上げ、ナイトの称号。
 
A)「ギリシャ人たちは政治について体系的に考えた最初の人々であり、政治を観察し、記述し、論評し、そして最期には政治理論を作り上げた最初の人々であった。
 
我々が深く研究する唯一のギリシャ民主政治ーー紀元前5、4世紀のアテナイの民主政治は、又知的にも尤も発展性のあるものであった。(W。古代中国の政治や思想は人間と政治を深く見つめた根源性はあるが、その延長線上に発展的なモノが積み上げられる可能性があったかといえば、疑問に思える。
古今東西を越える普遍性には乏しかった、と今は結論付けている。
ただ、古来からの民衆レベルの社会構造は日本より中国の方が西欧に近い、と考える。之が中国近代化急速経済発展を支える一つの秘密だろう。専制統治形態と中国民衆社会のあり方には基本的な分離の長い歴史があり、その社会は個人ネットワーク型である。日本社会の機軸は団体の上部に向かっての積み重ねである。だから、政治経済環境が大きく変われば、民衆意識は雪崩打って、一方向に移行する。根源は風土、地政に求められる。)
 
歴史を読むということが近代民主主義理論の出現と発展に役割を果たしたとすれば、18、19世紀に読まれたのはアテナイの経験に基づいて書かれたギリシャの書物であった。
我々が古代の民主政治を論じるとき、考察の対象にしようとするのはそれゆえ、アテナイである。」
 
B)「単に民主政治だけでなく、政治、つまり公の議論によって、意思決定に到達し、しかる後に開かれた社会経験の必要条件としてこれらの決定に従うという技術を発見したのもギリシャ人たちであった。」
 
>なお、A)部分に付帯してフィンリーの次のような原注には共感する。
 
「ローマ人たちも民主政治を論じた。しかし彼らの主張はほとんど興味を引かない。
人民参加の制度がローマ共和制の寡頭制統治システムのん科に組み込まれていたけれども、ローマそのものは民主政治といい言葉に相応しうような定義のものでは決してなかったので、その内容は悪い意味での派生的である。」
(W。ここに著者の思想がよく現れている。彼が「民主主義ー古代と現代ー」で描くアテナイ民主政治のリアルな実相とでもいうべき世界は他に類を見ない独創的なものである。
限定された狭い範囲における流動性のある大衆運動の場面を想定すれば、解るものであり、多分そのような世界が実際のアテナイ民主政治のリアリズムだったのだろうと納得する。次の回に紹介してみる。
ただし、それだけでない国家制度的合理性、古代ギリシャ独特の創造性、神人同一の特異な宗教、部族性氏族性の残存ある習俗、広範な奴隷制の実態の不案内など様々な特殊要因が絡み合って、古代ギリシャ政治を奥深く難解にしている。
日本人の我々には理解に苦しむところである。
 
>我々日本人は古代ギリシャ現代日本文化文明の立ち位置の間に1、2、3、のようなストレートな流れを見出して論じられない。
 
地球の西と大きくかけ離れて別枠で進んできた閉鎖的な東の端の文化と文明が突如、歴史時代からしても、近年(150年も経過していない)の19世紀の中ごろ、古代ギリシャに端を発すると堂々と自称する文化文明にぶち当たった。
 
>1~3の著者たちの論法で言えば、日本文化と文明は本来、ユーラシア大陸の東の中国、朝鮮に源流を見出しべきものであるが、近代文明化(産業資本化)、近代国家形成において、東アジア全体が欧米に立ち遅れたがために、
植民地化の政治危機さえ生じた訳であり、
そこから脱しようとすれば、欧米の歴史の大きな流れに合流していくしかなかった。
 
コレは当時の東アジアと日本がおかれた政治と軍事のリアルな現実であり、その対応の仕方において、東アジア諸民族の中に大きな歴史的分岐さえ生じてしまったのである。
 
>従って、我々は二重の意味で屈折しており、この点において、古代ギリシャを源流とする骨太の政治思想には対応に苦労する面が出てくる。
福沢諭吉や明治の元勲たちの当時の立場は本質的に今の我々の立場よりも、屈折が一段階であるが故に、シンプルである。
 
 今の我々の立ち位置は二段階屈折(明治維新=半主体的開国~敗戦=強制開国?)であるが故に、足元が脆弱である。
論理的に力強さに欠けている。
 
 例えば、4やら5やらの日本人のセンセイがたの著書を一読すれば、もうこれは学問以前の政治的立ち位置のあやふやさ、いい加減さが丸出しになっている、というほかない。
 
 澤田典子さんーあとがきを読むと2世学者さんらしい。1967年生まれだから学者としてはまだ若いー
 
「学部の頃の私は、<元々アレキサンドロスに漠然とした憧れ似た興味を抱いて>(W。この程度の感性のヒトが学者に。著書から伺えるのは、ただ頭よく事務処理能力が高いとだけ。世論主導の黄昏アテナイ民主政治の実像を民主政擁護に見る絵空事。末期的政治事態の市民の政治的関心は政治の実体攻撃に向かう。それが結果的に民主政擁護に見えているだけ、と自分は考える。甘い。)古代ギリシャ史研究という道に足を踏み入れたのだが、アレキサンドロス研究に取り組むのは並大抵のことでない、と早々と悟るに至った。
欧米における膨大な研究成果に圧倒され~云々~それでもアレキソンドロスから離れてしまいたくなかったので~同時代資料を読んでいくにつれて、アレクサンドロスの影で注目を浴びることないこの時期のアテネの政治動向をテーマにして何とか卒論を書き上げた。」
 
 こういう若い頃の澤田さんのような憧れに対して、ビクター、デイビス、ハンセンのアレクサンドロス観はきっぱりとしている。
 
 訳者はあとがきで指摘している。
「原著者は戦術的才能及び、個人的勇気(蛮勇)以外はマッタク評価しておらず、ヒットラーと同系鉄の独善的で血まみれた独裁者と断じている。~~日本人は評価するだけの情報がなく、英雄として褒め称えるか、唖然とすることくらいかできないが、
>原著者はギリシャの戦争形態の変遷を背景にはっきりと批判する。」
 
>W。この戦争形態変遷とは古代ギリシャ都市国家間の重装歩兵方陣の「暗黙の戦争ルールの制約下」の短時間の激突(W。重装備で防備した密集隊列の矢襖を先頭にした集団戦には長時間に及ぶ白兵戦はあり得ず、半時間程度で決着がつく。大昔の内ゲバと同じ流儀。
アレクサンドロスからローマの場合において様相がガラッと変わって、どうやったら敵を大量殺戮できるかに戦争形態が大きく変化。)~海軍力増強=大量のこぎ手の参政権拡大、各植民地勢力の動員=有力都市国家帝国主義化による国力を土台にした総力戦化~都市国家間の無制限全面戦争化の兆し。
 
 この延長線上に著者はアレクサンドロスの「敵戦闘能力の徹底殲滅、二度と反抗できなくなるまで戦闘員、<非戦闘員>を殺戮(W。敗走兵の騎馬による追走、徹底殺戮。軍人捕虜大量処刑、国家行政機構の施設徹底略奪破壊、民間人への略奪放火、奴隷売買)して敵を降伏に追い込むか、さもなくば壊滅させるという(W。大量破壊兵器使用の意味だろう)現代の西洋型戦争が完全な形で出現したのは、
つまり、ギリシャの戦争が他の大多数の地域で後代まで続いた儀式的戦争習慣蚊ら完全脱却したのはアレクサンドロスの戦争からである。」とする。
 
W。日本の源平合戦の時代を想起するが、日本には最後までこの習慣の名残りがあった。
著者は市民が大量に戦争に参加すると、将来的に、こういう大量殺戮が必然化する、としている。
だから、ギリシャのフランクス同士の初期の儀式的な激突の決戦の中に著者は<<決戦の発展>>を通じた大量殺戮の時代の到来を見る。
 
古代ギリシャの市民による政治と軍事の監視体制(W。原始的シビリアンコントロール)がマケドニアのプロの軍団(W。都市市民の軍隊の制約から脱却し、傭兵やその道の戦争のプロ主体の軍隊)に敗北したことで、プロ軍団の論理が独走し、大量の流血が瀬けられなくなった。」
W。著者は都市国家間の戦闘における殺戮率の当初の少なさから、戦争形態の変化による死者の増大の推移を数字を挙げて説明している。
 
「つまり、アレクサンドロスの東方遠征がもたらした大量殺戮は<<一時的な逸脱ではなく>>、ペルシャ戦争ーペロポネス戦争ーテーバイとスパルタの覇権争奪ーマケドニアとの戦争を通じて西欧型の大量殺戮戦の論理が誕生発展し、その結果、流血の大惨事が生まれた。」
 
W。訳者に説明不足がある。著者はアレクサンドロスヒットラーの如き存在と断定し、ホロコースト紛いの残虐行為の数々と取り上げている。
 
私の主観ではアレクサンドロスはチンギス、ハーン以下的な歴史評価でいいと思う。
あるいは豊臣秀吉の二度にわたる朝鮮制覇。
後先をまるっきり考えていない政治なき軍事主義。
従って、短期間の没落は戦争企画のコンセプトの中にある。
この訳者のセンセイも訳しただけで、どこまで、著者の軍事を語るの背景にある古代ギリシャの政治、社会、文化の洞察に基づくバックボーンを理解できているか疑問。
 
>>最後に「ギリシャ、ローマ世界における他者」のお粗末、歴史哲学について。
時間不足で次回になる。