反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

2013年参院選挙。得票率52.61% 戦後3番目の低さ。史上最低1995年で44.52%(非自民の細川連立短命政権ー羽田内閣-自社さ政権)。次位92年、壁崩壊ー湾岸戦争ーソ連邦消滅、PKO法案。

 2013年参院選。得票率は52・61%だった。投票会場に出入りする人の様になんとなく空虚感漂っていルように思えたのは気のせいか。
消極的一票、義務的(そんな義務など何処にも無いのだが)一票で投票所に行くのと、この一票で何とか世の中を変えたいと想って、足を運ぶのとでは醸しだす熱気が違う。
 選挙期間中も気のせいか、前回の民主党政権時の参院選を思い返しても様子がかなり違う、と実感していた。
(上記は自分らしさのナイ不本意な記述で、公平性を維持しようと、本来どうでもいいことを書いている。)
 
 まるで何かの既定のレールの上を議会圏の政治総体が移動しているように、想っていた。
(ここからが本来の意見)
 
 7月1日付けの二回に分けた記事を受けて、7月17日の反俗日記で、史上2番目の低投票率だった2013年の都議会議員選挙と史上最低の1997年都議会議員選挙の背景を比較し、若干総括めいた感想を記した。
 
 今日はそれに付け加える形で参院選を振り返りたい。
 
>前もって断っておくと、選挙に行かないやつは政治に文句を云う資格がナイなどの、己の無知をさらけ出している吐き気を催す意見とは絶縁した視点で書く。
ファシズム、ナチズムは議会制民主政治の枠内の急激な高支持率を与えて、選挙民によって、生み出された政権だったのも一面の事実。
 要は民主政は形式じゃなく中身だ。
 
 何もかも理解したうえで、敢えて議会圏の枠組みを批判するのは、思想の力が要る
戦前戦後を通じて様々なタイプが確認できる。
 
 選挙を拒絶する権利は大いにある。
古代ギリシア民主政でいえば、プリュニスの丘に上がる6000人以外の市民にも各々公職が平等に回ってきて、結果的にそこで政治意識を獲得した。密集歩兵として、軍艦の乗組員として果敢に戦った。
庶民はフレキシブル、多元的な民主政観を持たないとやられる。
 
「浮動層の行方が選挙結果を左右してきた。
 >ただ今現在の政治傾向は突然ではない
>政局が難しくなったり、複雑化するのは政治経済の大きな転換点の常だ。(この事実を1997年都議選と2013年都議選は日本にとって大きな政治経済的転換点の選挙だった、と総括している。)
そんな時、<政治的アパシー>を引き起こすんだね、日本有権者。」
 
 {アパシーとは>、ーー青年期に多くみられる無気力・無関心な状態のこと。ギリシア語で「感情の欠如」を意味する言葉、apatheiaが語源。アパシーになった人は仕事や勉強など本来すべきことにはやる気が出ないが、交遊関係や趣味に関しては意欲を発揮するという点で、生活全般に対する無気力・無関心を示すうつ病とは異なる。かつては「政治的無関心」の意味で用いられることが多かった。} 
 
>>政界の側も組織的な対応力欠けており、両方相まってということだ
 
>>政権党であった自民党側もアジア金融危機の波及と橋本内閣の行財政改革の緊縮財政が重なって、傷口を大きくし、後に禍根を残した。
 
>>今回のアベクロはその真逆指向なのだが、共にマイナスとプラスの両極端
 
>橋本はあわてて10兆円の緊急補正予算で対応せざる得なかった。
 
>>アベクロも結果、一部内外の投機分子や既得権者がドサクサにもぎれて、濡れ手に粟のカネの儲けをしただけで、中小零細企業や庶民生活を悪化させて、軌道修正せざる得ないのか。
インフレ税に向かって暴走するのか。
 
 消費税増税の駆け込み需要も当然、政治スケジュールの算段に入れているだろうが。
 
そしてTPPへと集約する。
 
 改憲手続きもある。
 
 ここまで経済政策、政治方向で売族をやった政権はかつてなかった。」
 
>両都議選の時代背景を調べた結果、低投票率の率直感想は
>>要するに、複雑なこと、難しいまつりごとには関わりたくないという、庶民の素朴な気持ちが一貫して流れているのだなぁ~、と。
 敗戦後の高度成長時代からの、庶民の生活の知恵の如きもので、結局それは、戦前の軍国翼賛体制時代の庶民感覚の形を変えた継承だと想う。
 
 何処の国にも、政治の世界と個人家庭生活を分離する傾向はあるが、日本の場合、戦前の軍国体制時代の庶民感情と切れていないところに問題がある。
 
 それは、長いものには巻かれろ、寄らば大樹の陰と同義ではないだろうか。
サイレントマジョリティーのリアルなあり方に注目すべきで、議会圏という狭い枠からどうこう云っても、所詮、長い目で見たら、どうにもならぬ。
 
>日本語であけすけに言えば、長いものに~になるが、グローバリズムは語の意味におけるアパシー層を不断に生み出すシステムである。
 
A、今回の参院選で31歳以下の有権者投票率は格段に低かった、という。
B,、自公政権基礎票はハッキリしている。
09年政権交代総選挙の獲得投票率約38%。この事実を前面に押し出した記事を選挙直後に記載した。
論旨はこの厚い岩盤に対比した政権交代の周回遅れの問題性という冷めた視点で政権交代を支持していく、決意の確認だった。
 
A,の膨大な浮動表層の山は動かなかった。
おそらく、先のグローバリズムアパシーの相関関係からすると、基調として山はもう動かない。
 
であれば、
 
Bから、今回のような<得票率52・61%>であれば、小学生の算数で野党に回るは14、61%ということになる。
 
いくらなんでもこの数値は事実を誇張しすぎだが。
 
要は低投票率が浮動層頼みの野党に如何に不利に働くか、という日本選挙事情の絶対的真実はある。
 
 その関連で2013年参議院選の次のような事実も見逃せない。
 
期日前投票をした人は、総務省の速報値で47都道府県で1294万9982人となり、前回10年参院選の1208万5636人に比べ7・15%増えた。全体の有権者に占める割合は12・36%だった。参院選期日前投票が始まった04年以降、増加が続いている。 」
 
 たった3年の間に日曜の夜8時まで最寄の投票会場に足を運べない、事情のある人が864万346人も増えたんか?
 
 期日前投票は住所氏名など筆記事項があって、面倒。
そもそも個人或いは家庭、身内でわざわざ 出向くのは却って不便ではないか。
さらに、普段からそこまで政治に関心があって、事前に立場を決められるものが、たった3年間で864万人も増えたのか。
日本人の政治意識は進化したものだぁ~。
それにしては見当はずれのことを言っている人が多すぎるような気がするが。
 
 そもそも、世界の他者の目を通じた自己認識がマスコミによって巧妙にスルーされ、それを鵜呑みにしている。
 
 実に約1300万人の有権者が「公示翌日の5日から20日までの16日間に期日前投票をした。」
 
 コレは政党支持別のコア票とみるべきだが、果たしてリアルな実態は、そこからはみ出る部分が大きいのではないか。
 
 そういう投票行動のリアルな現場を想像してみると、果たしてそれが民主政の名に値するモノであるか否か。
民主政の根幹が手段を選ばぬ集票行為に堕しているのでないか。
 
 表固めした(公示中に浮動票に転じる可能性もあったし、人間関係利害関係に絡めの誘導も想定)先導者がその度ごとに投票所に引率して、確定投票に目を光らせる。
 
 期日前投票の世界主要国比較を検索したが該当ページなしだった
問題意識がトロイ。
 
 いづれにしても、この関連で大切なことは、やはり、投票前に自分の見解を今一度、整理して、リアルな状況を確認して、投票行動に移るべきであって、選挙期間中早々と決定行動をするのは、民主政にとってプラスなのかマイナス行為なのか、立ち止まって考えてみるべきである。
 
 このまま推移すると期日前投票20%なんて事態が想定される。民主主義の空洞化、フレキシブルの喪失!
 
 独断、偏見、追従はなるべき回避したい。追従を除いて、独断偏見の著しいものが云っているのだから間違いない。
 
 敵だの味方だの、リアルな生活労働生命健康の実態とかけ離れた政治的境界線を得手勝手に引いて、幻想の共同体の一員になったような気になっている方が増えているようだが、これぞまさしく典型的な政治馬鹿だ。
この種のモノたちを手篭めにするのはプロの政治家の常套手段。
 原点を見つめ、原点に返ることを勧める。
ある時からの人生の時間は無駄に費やしてはいけない。
やるならやるで徹底したうえで、駄目なら潔く撤退する。コレだ。