反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

2014年08月31日、読売新聞社説「STAP検証 実験を続ける意味があるのか」を材料にSTAP細胞問題の背景に勝手な想いをめぐらせると~。

      STAP検証 実験を続ける意味があるのか  2014年08月31日 01時17分
 この記事の基本的な視座に問題がある。
A)STAP細胞大発見→理研-小保方騒動は実証性を不可欠な条件とする科学の研究現場で発生した決定的な不正研究事案である
 
>世界三大研究不正事件(アメリ超伝導関連、韓国iPS再生医療関連)に比べても極めて稚拙で常識的にあり得ない「発見」とわかる。
したがって、マスコミ等々でよく流通していた再現性というのは、余りにも幼稚な細胞すり替え、不正データ資料の掲示等々を原点とするSTAP細胞のような仮説では実証性と不可分一体のものとして即、適用できない
再現実験をやる前に不正現場の摘発が最優先するが、理研当局は一貫して回避した。
 
 以上のような基本的視点から見ると次のヨミウリ社説の一説は実証性=再現性であって、~不正研究現場の摘発蔑ろにした典型である。
 足元の証拠調べもやらないで検証実験を推し進める当局をその時点でどの程度批判できたか怪しいもので、いまごろになって、周りの空気感に基づき、形ばかりの検証実験中止を<書いている
 
    引用ヨミウリ社説。
1)STAP細胞の存在は限りなく疑わしくなったと言えよう。
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 理化学研究所は、STAP細胞の検証実験で、存在の兆候すらつかめないとする中間報告を発表した。
 小保方晴子ユニットリーダーが主著者となった論文の記載通り、2)マウスの 脾臓 ( ひぞう ) の細胞を弱酸性の溶液に浸して刺激を与え、多能性を持たせようとしたが、22回の実験は、いずれも失敗した。」
 
 2)は脾臓由来のリンパ球細胞の間違いである
脾臓の細胞であれば普通の体細胞である。
コレではこの実験の眼目を再生医療に重要な役割を果たす免疫細胞のリンパ球細胞に設定した意味を社説は理解していない事になる。どちらでも大した違いないというのは、小保方晴子流であって、実験対象を間違って報道しているのだから誤報である。
免疫細胞であるリンパ球細胞は普通の体細胞と違って、外部からの脅威を与える異物に対応して、この細胞だけに特殊な仕組みを有している。詳しい説明は理研の当該ホームページに載っているが、私は全部理解できていない。ただし、哺乳類、鳥類の体内機能としては、絶対に不可欠なもので、その機能が無ければ生きてゆけないと常識の範囲で理会できる。
 
 したがって、それを機械的或いは化学的刺激する間に、生き残った細胞が、増殖し多機能に分化する状態になっているという仮説が実証されるためには、当該細胞が増殖、イ)多能性分化済みの状態から、未分化の始原的状態に遡って、ロ)同時に増殖力と分化機能性を持つことを、実証しなければならない
イ)、ロ)の二つの要素の兼用だから、ハードルはとてつもなく高い。
 仮説の最も合理的説明としてはバカンティの唱える体細胞には元々、超極小の万能幹細胞が潜んでおり、刺激によって、それを引き出すことができるという一種の超原理しかあり得ない。笹井流に云えば、細胞の自己組織化。
 
この実証方法の前半を担当した小保方はSTAP現象を200回も見たと称している。大発見記者会見で小保方がスクリーン画像を指差している緑色に蛍光する細胞塊と一応しておく。笹井はSTAP減少は有力な仮説などと記者会見で述べていた。丹羽が今でも実験しているところを見ると、理屈ではSTAP現象仮説に則っているといわなければならない。
 
 以上は小保方の担当したイ)の段階の実証実験であり、ロ)の段階は若山が担当したが、ある時点から小保方は脾臓由来のリンパ球細胞から作成したSTAP細胞と称して、受精卵の胚の部分の人工培養細胞であるES細胞を実験の筋書きに沿って培養液に浮遊常態のまま渡し続けてきた。その状態では若山は注入実験に失敗すづけ、職人技を発揮して、それまでの方法を変えたら、突然、胎児が蛍光しだした。
 
 それでイ)ロ)の実証実験の成功になった。丹羽の中間発表で示した22回試みて失敗した、というのは、脾臓由来のリンパ球細胞ではイ)の工程も成功しない、という意味だ。
 
 小保方ノートの示す蛍光、OCT4陽性確認よかった、などというのは、基礎訓練受けていない研究者が、PH5,7の弱酸性溶液に30分漬けた状態で、死んで行くときに発する蛍光をSTAP現象としたものである。同時に掃除細胞のマクロファージの活発な動きもネイチャ論文の動画は活写している
STAP現象を200回も見たという小保方にSTAP現象を再現させようというのだから、当局は小保方に初歩的指導を施す必要がある。
でなければ、コレがSTAP現象~いや違うの問答が始まる。何か土台からむちゃくちゃな状態になっている。
 
この辺の見極めは、研究生にころ、指導教官に厳しく教えられた科学ジャーナリストの片瀬久美子さんのツィートに詳しく載っている。
 セルシール大和の下で初めて、ES、IPS以外の万能細胞存在の探求を大前提として細胞研究に取り組んだ小保方は、それまで海洋微生物の研究をしてきたのであり、片瀬久美子さんのような指導を受ける機会が無かった。
 蛍光しているから万能細胞であるとの小保方の錯覚は、多分、承知していて放置されていたと想う。そのうち解るようになる、今は学会でも貴重な万能細胞探索へのモチベーションを育む時、程度にあしらわれていたのだろう。
最も大和の専門分野は万能細胞の探索ではなかった。
世界中でES、IPS以外の万能細胞の探索を正面から研究課題にしたのは小保方の他に何人いたのか?
真面目にやったら何時までもウダツの上がらないまま終わるのは、みんな知っていた。普通にそのまま、やっていれば、相手にされないということだ。
 
その次渡り歩いた先がバカンティ。
使い勝手の良い研究助手のように使われていたときに、指示された関連論文を手際よくコピペする技術を学んだ。実験技術、資料もこのとき、習得した。
その集大成が博士論文である。


理研ーSTAP細胞問題は小保方の特異な性格をキーポイントして考慮することなく語れないものである。
ただし、STAP関連の行為においてのみ批判していく姿勢は必要だ。
結論を先に長引かせても、今度はSTAP現象は作成できなかったと素直に頭を下げ、黙って理研を去って行くしかない。結果、ダメージは本人集中する。
弁護士が付いてからの方向性が間違っている。
 どういう文言であれ、本人の頭を下げられる範囲において、否を認め、さっさと自主退職すべきだった。その後は沈黙を守る。
居座って検証実験を11月末まで引き伸ばしてしも本人に何の得がある?
枝葉の事柄で争って徹底抗戦方針を貫いているうちに次々と事実が発覚し、周囲が炎上し、遂には本丸の細胞すり替えまで、規定の事実になって、この責任は本人個人が引っかぶらなければならないようになった。
ミウリの社説には細胞すり替えは一言も匂わせていないが、すり替え研究現場を押さえていない以上、口をつぐむことにしているだけだ。相手が男の研究者だったら、踏み込んできたかもしれない。証明する材料が豊富にあるわけだから、間接的な表現方法はいくらでもある。


未分化始原状態にさかのぼって、同時に増殖力、多機能分化性を持つ細胞を受精卵の胚盤胞に注入すると、胚盤胞の遺伝子と注入された遺伝子の半分づつを引き継いだ胎児ができる。
言い換える脾臓由来のリンパ球受容体細胞(T細胞と呼ぶ)の始原状態への遡りが実証されなければならない。これが、よくいわれるT細胞の再構成(TCRの再構成)である。
なお、安部首相の特定疾患である大腸潰瘍の原因は大腸リンパ球の異常であり、リンパ球の製造元である胸腺と大腸間のリンパ球の連絡異常を調整する新薬が開発されて、小康状態をえている。
 
 笹井と丹羽は脾臓由来のリンパ球細胞の刺激による万能細胞獲得の実験に成功しているにも拘らず、リンパ球細胞受容体の初期化の現象は見られないと知っていた。
笹井の理論ではそういうものは無くてもいいということになった(笹井記者会見前提出の検証実験工程より)。脾臓由来のリンパ球を取り出した時点で受容状態でないリンパ球は存在するのかどうか、という問題なのだと想うが知識がないから解らない。
丹羽は何を考えていたのかハッキリしないが、この件に関して笹井に疑問を呈し、議論した、という情報もある。
この情報が事実であるとすれば、丹羽はSTAP細胞の嘘八百を知り尽くしながら、検証実験をやっている。


 他の部位、器官の体細胞を実験対象にしても、既に小保方博士論文には、そういう体細胞の万能性を調べたとして、適当な数値がズラーと並べられている。
ということは、バカンティのラボではそういう方面の実験も一巡しているということだ。
10数年、研究して来たのだから、当然のことである。丹羽はその後追いをやっているということだ。
そして、バカンティは麻酔医を辞職して、教授職も1年休暇すると報じられている。
予算の積み上げ段階で2割も減額され、再生研も半分に縮小すると自らしている(笹井ビルの完成の暁には又もとの規模異常に復活するのだろうが)、特定国立研究法人指定も流れているようだ
 検証実験の目的は実質的に失われている。では何のために?


いずれにしても医師である両人は、TCRの再構成が確認できないということの重大性を弁えていた、と見る。少なくとも再生医療に貢献する立場から、わざわざリンパ球を実験対象としたはずで、その意味はなくなった。骨髄細胞でも肝臓細胞でもよかった。
若山は何処までわかっているのか疑問で、小保方は、理研の調査委の報告書の当該関連の問答を読む限り、無関心、何も知らないで質問者に電気泳動画像の捏造に関して、説教のような解説をしてもらう始末である。
 
1)STAP細胞の存在は限りなく疑わしくなったと言えよう
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実証性と再現性という科学研究現場の原則を機械的に、この事案に当てはめ、細胞すり替えに根幹がある不正研究という決定的問題に蓋をしている。
 
ES細胞へのすり替えが無ければ、「悪魔の証明」などという一見高尚な抽象的指摘や、雪男などという日本の人口の半分程度は理解できない大昔の話題をわざわざ持ち出すことも無かった。
 
   社説引用
「こうした中で、公金を投じて検証実験を続ける意味はあるのか。理研が実施しているのは、「悪魔の証明」と呼ばれる不存在の証明実験とも言えるだろう。
 例えば、雪男を捕らえれば、その存在を証明できる。だが、存在しないことを証明するには、世界中をしらみ潰しに探す必要がある。日本分子生物学会が、実験凍結を求めたのは、もっともだ」
 
 遺跡発掘捏造事件のように捏造現場を押さえることや供述が無くても、この事案の根幹は細胞のすり替えしかないという事実は、全ての証拠類を連結させることで粗方、証明できるのだから、ズバリ断定できなくとも書きようはいくらでもあるはずで、わたしなどは即物的にしか書けないが、ソレができるのがプロというものではないのか。
 すり替えに間接的でも言及する主張がないと、社説も形式的な文言に流れる。世論に本当のことを伝えていないことになる。永遠にそのままにしておくつもりかと? 



 研究現場の次元では単純、極まる研究不正事件であるが、背景は政治経済に渡って複合して、内外に広がりを見せている。
研究不正現場の単純性と背景の複雑性は、一括して連動してリアルに解説する能力が必要で、反俗日記の能力では無理筋というものだ。只、このままにしておけない。試みてみる必要が出てきた。
 
 アベの成長戦略の一環に組み込まれており、特定国立研究法人指定や予算増額、特権付与等々の利権獲得がSTAP大発見の強力な後押ししていたというのは事実だが
はたしてその程度の動機で、あのような大嘘の上に嘘を積み重ねる論文を自ら鉦や太鼓を叩くようにはしゃぎまくっての発表に踏み切れるものだろうか?
あのようなプレスリリースを作成しておいて、科学者としての戸惑いはなかったのか?
 
 この辺の実情は関係者から漏れてこないが、自分が一番不可解で、解き明かしたい、ところだ
例えば、役人がカネをこっそりちょろまかすのとはわけが違う。大嘘を何十にもラップに包んでも、自らキビシイ世界の検証の場に堂々と公開している。
笹井の巨大投資を見送ると、世界的学脈形成に日本は遅れをとるなどの言い草がうつろに聞こえるのは、その言葉に真に迫った厳しさがないからだった。何か謀略論をよまされるようだった。
それでも何とかなると、想う程度の世間的判断力の科学者であった言えば、全部説明が付くが、まだ納得できないとことが多い?
 
 関係する個々人が体験的に、科学者の枠を脱した狭い内輪の世界での、政治行政官気取り(笹井)、不徹底な学者利権屋(セルシード大和を筆頭にした関係者全員)、不条理な野心家(小保方が典型)であり続けて、狭い世界で大手を振って通用してきた?
 
 若山の場合は梶原しげる記事を読む限り、不適切過剰な教育者気取りと、不条理な野心の混交といえる。
彼等、全員ひっくるめての政治科学者のような立場に陥っていた。
そのようでなければ生き残ってゆけないのか?
 
 もっと広くみて、敢えて言えば、当該の学会の研究と研究者の多くは、大それた看板を掲げつつも、実のところ、高給に比べて、実質的に無為徒食の状態にあることを暗示しているのか?
 
 極めてバブリーな最先端の研究環境で、STAP細胞の大発見論文は捏造された、としなければ説明できない
 
 以前のブログで理系博士取得者における生命生物科学分野の博士取得者の割合を大隅典子副会長のブログから、円グラフで提示したことがあった。
 
 それに寄れば、25%弱の博士取得者は当該研究分野で占めており、他を完全に圧倒している。卑近に云えば、カネと職の大きな流れは、当該分野の方向に太く流れている
日本政府は科学立国の見地から、事実上、公共事業費削減の穴埋めの如く、科学研究現場に資金を供給し続けてきた。その人的結果は、博士年間1万人達成計画であり、そのための資金や組織的援助であり、その多くは生命生物関連につぎ込まれたと見る
コレは小保方が院生時期に年間150万円以上の無償奨学金を与えられていることでもわかる。
国立大学の工学部では、生命生物科学関連の学科は、地方拠点的に必ず存在する。工学系で女子学生がもっとも集中しているところは、当該学科となっている。ハッキリとした理由はある。
私立大学では独立した学部を創設したところもある。
 
その1)
 当該研究分野は、学際的領域に渡ている。工学部、医学部、農学部の各出身者。モット広範囲な理系をカバーしているもと想われる。理系研究分野で、こういう間口の広い研究領域はほかにない
大隅典子さんの場合は東京医科歯科大学の歯学部である。言い換えると、各産業、業態につぶしが利く京都大学農学部大学院の当該研究学科出身者の企業一覧の最後のほうには、理研と並んで、あのワタミとあった。
 
その2)
ということは、学の体系付けは様々であり、理論的に定型付けられているとはいえない。間口は広いが奥行きには疑問がある。
指導者によって教えることは様々である。若山さんが今更、山梨大学に行って何を学生に教えるのだろうか、興味深い。あのヒトは、職人さんなのに、分を弁えず、因果関係はともかくも、とんでもないものを作ってしまった。だったら、元の職人さん復帰宣言をしてから、学生に教えるべきである。技術を教えているのであって、学問を教えているとは云いがたいと自覚すべきである。この自覚が不十分だったから、小保方に教育的措置を取っているような錯覚が発生し、STAP細胞研究に進んだ。この過程で小保方の動向に見られる問題点を見逃していなかったか?事実認定から推測すると肯定せざるえない。
結果は教育的措置の真逆の細胞すり替えとなった。言葉は悪いが行為によって、なめられていた。共同研究者に対する最悪の行為だろう。
 
 その対極に位置していそうな笹井の数多くの受賞対象の研究論文は白日の元で検証してみる必要がある
STAP細胞論文から類推すると、かなり怪しげなものが多数あると憶測する、のは筋道から外れた議論ではない
だったら、ノーベル賞に最も近いなどというのは眉唾物で、日本の当該研究分野は、その程度のレベルということになる。
 
 IPS細胞の応用性にも云われていること以外に腑に落ちないところがある。基礎研究から実用化への道のりは遠い。世界中で研究が進んでいるが、それに比べて具体的成果はどの程度上がっているのか?
一方を全部悪と決め付けて、他方を聖者とするのも、人間心理の簡単に陥り易い二項対立のパターンだ。
理研ー小保方騒動の過去現在を見ていると、全てに疑いの目を向けるようになった。元々、善など何処にも存在しないとしている人間なのだから。
そういう研究環境の下に、新規急成長的で、バブリーな政府大型資金供給の道筋がつけられてきた。
 
その3)当該研究分野は理論探求よりも現場実験優先の分野であり、研究者は実験の手際よさ、手先の器用さは他の研究者よりも優位に立てる決定的条件である。コレは歯学部出身の大隅さんの弁である。
 
その4)。オカシナ先端研究者意識が個々の研究者に過剰気味にあり、研究環境、実態にそぐわない、との自覚に乏しいから、ソレが自己肥大化、過大評価につながり、空回りする傾向は常に存在する
 
 が、量は質に転化する場合もある。玉石混交という状態もある。
だとしても、研究者としての量や只の石っころが、理研ラボのリーダーに短期間で就任し、短期間でマジックの大技を炸裂させたのは、やはり、アメリカとの関係を含む日本の政治経済の行き詰まり、という角度からも検討する事を面倒でも避けて通れない。
 
 笹井の行政や民間からカネを引っ張る能力が長けていたといっても、記者会見前に毎日新聞に送ったブログの文面を読む限り、研究世界のグローバリズムを得て勝手に解釈し、大きな研究投資をしなければ、日本は置いてけぼりを食うと、脅かしているに過ぎない程度のもので、あの程度の理屈に説得されてカネを出すのは、出す側にも、同じ次元の強迫観念が存在しているのだ
共に浮き足立っているのであって、その原因は何処にあるかということに尽きる
野依や笹井がナント云おうと、ソレは彼等の言い分であって、カネを出す側は彼等の主張の裏づけを取ったり、独自に調査して判断すれば済むものを、その機能が喪失してきている
たかが基礎科学研究の一政府系研究機関の予算が10年間で5倍も膨らんだとは、常識を逸脱している
 
 論理的構成の特異でない日本人は基礎科学の研究に向かない、その替わり応用研究には秀でていると指摘するヒトも多かった
確かにSTAP細胞論文の構成などを見ると、ネイチャー誌に載せてもらいたいがために嘘の説明の限りを尽くして、とてもじゃないが、基礎科学を研究しているという姿勢を伝わってこないハッキリいって、クルッテイル


敗戦後の日本資本主義の発展について、自力本願のような大きな勘違いある、と考える。余りにも周囲の特殊な好環境が長く続き過ぎて、実力を見誤っている。
戦前の軍事力の過剰信仰。高度成長経済以降は経済力の過信。
最も両方とも、後ろに引けない構造を持っているから厄介だ。不均衡状態というのが一番ダメだ。
大きな壁にぶち当たったら、必ず重心が大きくブレテ、反動が自他共に及ぶ。
軍事力の分不相応な不均衡は結局、内外に軍事的負担を強制した
 
経済力の分を弁えない不均衡は、内外に経済的負担を強制する。
昔の歴史上の出来事は、短いフレーズでも何を云っているかよく解るが、現在進行形に事態を看過するのは難しい。
それで、当たり障りのない超格差社会などに収めているが、超格差社会では、国家と政府は支配階層に奉仕する道具になって、国民国家であることは軍事問題や、食えない国家意識の宣伝先導のイデオロギー分野に限定されていき、政府の再分配機能は縮小していく。
大資本とその系列の資本蓄積過程は複数の国家にまたがっていることが常態になる一方で、被支配者階層は狭い市場原理の跋扈する一国内に閉じ込められる。
ローンを抱えて働き蜂の一生を終えるヒトが増加する。それでも生きていくのは人間の性。
 
 今後、軍事衝突は政治の範囲でありえるが、東アジアに大きな戦争的事態は生じない。ただし、大きな戦争に発展する火種は存在する。限界を逸脱し続けると、その一瞬は絶えず、リアルに潜在する。その限界がどの辺にあるか国民は知る材料を自主的に求める時代だ。政治家の判断力など、戦後は何もやっていないに等しいわけで、過去の大事な時期を振り返ると当てにならない。
 
 日本に徴兵制度が採用されることは100%あり得ない。徴兵して軍事訓練するためには、カネがかかりすぎてそれに見合った恒常的な戦争の場=軍需が見出せない。
ブラック企業大国日本では軍隊の職場は、保証されているほうになってしまうので、勝手に若者が集まってくる。
 
 確かに官僚の真面目な報告書を読むと、毎度おなじみのフレーズに突き当たる。
高付加価値製品の創出!研究開発機能の集中!
しかしながら、毎度掛け声だけに終わるか資金回収率の悪い空回りに終わっている。
結果、原発の売り込みや武器開発、輸出の規制緩和など、手っ取り早い方向が高付加価値製品という流れになっている。
財政金融政策も打つ手が無くなって、最期の一手である金融量的緩和の極地を実行しているだけだから、結果、金持ち支配層に無償資金援助しているようなもので、2020年の東京五輪の時期までに、日本列島は阿鼻叫喚の格差地獄になっているだろう。
ブラック企業大国日本の推進者の竹中平蔵(口利き屋に勤めて年収1億)が日本は超格差社会なるといっているのだから、間違いなかろう
こういった状況では普通の政治経済学の立場から、割り切って考えると、大きな戦争が続く以外に国内需要は好転しないが核の抑止力によって大きな戦争はできない。
構内過剰資本、過剰生産状態はズット続き、失業と低下する実質賃金状態が続く。
アメリカもヨーロッパも日本と程度や環境は各々違っているも、似たようなものだから、新興国の安価な労働力と大口受容頼みになる。


 が、これからの世界の対立軸はグローバル資本制の利益を先行させて、支配機構の下に国民過半を飼い慣らし従属させ、貧困収奪の対象と割り切って、国民国家の役割を縮小していく先進諸国と、支配機構の本質的な不安定性によって、国民国家の枠組みを維持したり、新たに模索し国内支配の枠組みに込み民を巻き込もうと強烈に欲する国の対立になる
 
 そうすると二つの種類の違う民族主義の争いが恒常化する
一つは先進国の支配体制の一部としての新興国に向けての古い民族主義
もう一つは、国民国家を維持形成しようとして、自国の支配体制と先進国の支配体制に歯向かうフレッシュな民族主義
 この二つの民族主義同士が同じ条件で格闘すると仮定すると、フレッシュなものが古いものを倒すのは当たり前の原理である。老人と若者では体力差がありすぎる。
 
 この原理を東アジアに当てはめてみると、日本の一部の人々が近隣諸国とその国民を嫌悪するのは、潜在的恐怖心に発する部分が多いと気がつくはずである。偏狭な民族主義者はその狭い視野に限定されて相手を覗き込んででいるから嫌悪するのだ。自分の姿を相手に投影してみている。
 
 そういった観点のないものは、それらの関係を何処か違う世界の様に眺めている。
 
 もっとも、先進国の民族主義には営利目的のものが多く、コレも古くて弱い民族主義の象徴である。
日本場合、グローバリズムの物的基盤の中で、今更ながら古い形の天皇などに拘って、持ち出してくるのは、古くて弱い民族主義の鎧をまとう儀式である。儀式は形式が一番、大事である。


 STAP細胞大発見は仕掛けとネタのあるマジックに等しい、とはコレまで発覚した材料、事実を具体的実証的に確かめると、ほぼ確定できる。
この客観状態の認識が十分に機能しないところに過去ー現在ー将来の日本固有の社会政治のあり様が露出している。
何処に原因があるのか?
歴史と個人に要因を豊富に見出せる。地政学的日本固有の歴史と風土についてはこの日記で多少は考えてきたが、今度は小説類を読み込んで肉付けしている。
 
 後者の結論も既に何となく、わかった。
史上の日本人の過半は本質的に非論理的、非政治的、非社会的存在であり、近代にはいっても、敗戦以後、現状に至ってもその本質に変化はない。
ヨーロッパ発の概念を使いこなせなければ、歴史を教訓化したり、反省したりすることはできない。その血肉になった言語が日本人にない。
 
この論理は政治、社会の各々の概念はヨーロッパ史の中から生み出された指標であり、ヨーロッパ史を中心にした見方といえる。
 
南北アメリカ、オーストラリア、アフリカ、インド、の歴史は民衆次元では日本と本質的に差がない考える。結局はシンプルであるか、複雑、錯綜しているかの違いでこの違いは大きく、理会を拒む。
が、日本を除いて他はヨーロッパの植民地や言語を同じくする。
 
国史は特異な推移を辿ってきた。その長い固有の歴史から、考えると当たり前だが、統一国家成立時には必ず、諸民族を包含する帝国であったわけだからシンプルな歴史の国では絶対にアリア無かった、ということだ。
そうすると、中国とも日本史は大きな差異がある。
 
>そうすると、論理的に考えて、同次元のシンプルな歴史の国々とも、差異のある日本は、一番、孤立しがちな本質を持つ国という異なる
歴史文化伝統を言語に押し込めるのは不当な考えだが、少なくとも日本語は100年も前に列強の仲間入りをしたはずなのに、世界から孤立した言語体系を維持してきた。
 
 したがって、日本の民衆次元から見ると南北アメリカ等々の民衆次元の生きた歴史はわかっても、ヨーロッパや中国の民衆次元の生きた歴史は理解に苦しむ
 
 複雑な歴史の推移は歴史の読み物の字面で理会できても、市民社会形成発展史、中国的に云えば、膨大な人民史の底部に刷り込まれた血肉を伴った所は、理解しづらい。
そこのところは、自分が或いは日本人がもしその場にいたら、などという感性をもって、ヨーロッパや中国の血肉を伴ったリアルな歴史を読み込むと、そういう行動は自分は或いは日本人は取り辛いと身を持って感じる
ココの奥深い違いを歴史家や海外通は、ハッキリさせてこなかった。勿論、世界語としての英語、各々の言語と孤立言語の日本語の違いも大きい。
 
 そうすると先にあげた、A)分不相応な経済突出の不均衡の弊害B)民族主義固有の二つの形態の違いと、C)生きた歴史における日本の本質的孤立性を勘案すると、今後の日本列島原住民の行く末は狭い反の中に定まっているといわねばなるまい。


A)に関しては、過去の記事や所収している参考資料を調べなおして詳しく展開すべきだったが、手間と時間を要する。
未展開の部分を結論的に云えば、日本の経済発展の成熟パターンとドイツ型、アメリカ型、イギリス型と比較して、日本パターンを、同種の産業パターンのドイツ型の高付加価値製品創出と広域経済領域の確定による安定的相互交流パターンと比較して、違いと立ち位置を明らかにすると
笹井や野依程度の科学分野の得手勝手な日本危機論に財政側が同じような危機感を持って、呼応するのか、理解できる。
 
 それで、カネを突っ込んだ結果が未だに理研ー小保方騒動の現状なのだから、A)、B)、C)の症状はかなり独自な形で進行している。支配機構の腐敗が進行しているのか?口で言っていることとやっていることが違い過ぎる。身内に徹底的に甘い。責任の取りようとは、アレでいいのか?
 そういえば、「戦時下の青春、集英社2012年発行、から、ロ)「見知らぬ旗」中井英夫大本営のある部署に徒動員で勤務した著者が見た余りにも優雅で暇すぎる勤務状態を綴った実録小説だった。その一方、多くの兵士は南方の激戦地で餓死病死、夜襲白兵突撃。戦争のやり方が違い過ぎる。戦争をやりに云ったのではなく死にに行った、と帰還兵はよく口にする言葉だった。
この関係は現在の続いている。今まである範囲に収まる条件が整っていただけで、ソレが取っ払われると、支配するものとされるものの理不尽な経済関係が、急速に台頭する。


 この事件は粗筋だけなら、小学生もわかりそうな単純なトリックによって、成り立っている。それを大の大人が判断が遅れるとはどういうことか?
この程度の極めて解りやすい事件を早晩に自己判断を下せないで、どうして内外の錯綜した問題に自律的判断を下せようか!
結局は、グローバル資本制下の国民各層における自律判断の必要性の問題に行き着く。立ち位置によって、判断に大きな差異が生じる。
 
マジックの仕掛けの大本は小保方の脾臓由、来のリンパ球細胞からES細胞へのすり替えの大技である。実証性と表裏一体の再現性を検証実験に要求するのは、マジックに不可欠な仕掛けとネタを止めて、マジックショーを再現せよ、と云っていると全く同じだ。
 
 実証性、具体性を重要な条件とするのは、何も科学分野に限ったことではない、というのが、現在の諸分野を総括した良い意味での到達段階である。
 
B)ただし、それには限界もある。余りにも諸事情が複雑化して混線して、実証性、具体性を原則とする一方で、総論が確立し辛くなっている。
 海図なき航海の時代(日本官僚の報告書の一説)に突入している。この間隙を縫って、既にコレまで人間史、世界史、社会史で実証的に否定されてきた神秘的宗教的原理論が台頭する条件が常に存在するようになっている。
 200年弱の歴史のパッケージで概観すると、その推移は産業資本主義段階に螺旋的に回帰している。
歴史のパッケージの流れは前に進みながら、産業資本主義段階に出現した諸事物が形を変え再出現する状況に後退している。
であれば、直近、というか同時進行的に、帝国主義段階の世界戦争ということになるが、この自然な経過が核兵器のパワーバランスによって阻止されている以上、どういう事態になるか?
グローバル資本制のなお一層の進展とは、別な言い方をすれば、資本蓄積過程の世界化の進展は先進国内の利潤率の一般的低下傾向を促進し、国民国家の財政経済基盤を脆弱化させていく、といえる。
ということは、政府の財政金融政策による、国内残存の金融資本やその系列からの国民各層への所得分配機能を低下させる。
笹井ー小保方等のネイチャー論文も既にコレまで人間史、世界史、社会史で事実問題を潜って否定されてきた神秘的宗教的原理論が台頭」の一つであり、政治潮流とみることができる。
原理主義の発信源はアメリカにあり、日本の科学界の中枢の一部が汚染された問題であると、概括できるが、汚染される側にも停滞する日本の行き詰まりの打開という積極的に呼応する条件があった。
この場合、アメリカの原理主義は個々人に根ざすキリスト教神秘主義と教会コミニュティーに寄っているが、日本では国家、集団、組織への個々の依存になっている。
したがって、日本の場合は、原理主義の公理の破綻が個人の破綻に直結する。或いは、集団、組織防衛のために公理の形式にしがみつき政治的対応をイツまでも続けられる。
また、大衆を自らの利益に供する範囲に取り込むために、メディアと政治が駆使して、人間脳の中枢の原始的反応を絶え間なく直接刺激する方法も、発達している。


    終わり