反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

安岡章太郎の世界。母親は今も通用するような個性的な女性で短編「宿題」は笑える。「海辺の風景」「幕が下りて」寸評。大江健三郎の最大級の安岡賛辞。

  安岡章太郎http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B2%A1%E7%AB%A0%E5%A4%AA%E9%83%8E全集、全7巻、講談社、昭和46年(1971年発行)。
 
 大昔、「ガラスの靴」に衝撃を受けた。それ以来、密かにこの短編を日本の最高の小説としてきた
再び、全集でこの作品を読み込んでみると、あらゆる意味で完璧な作品とおもった。
 
 安岡章太郎の1951年のデビュー作である。経歴にもあるようにこの作品でデビューした30歳から、丁度20年後の1971年に最大大手出版社から大部の全集が出るのだから、いわゆる文壇ではデビュー2年後に芥川賞受賞のエリート王道を歩んできた大家といえよう。全集はどれも、相当借りられている形跡があり、時代に関わらず、一貫して読まれてきた作家だと解る。読書の習慣のあるものにとって、安岡作品は独特の魔力を発揮するのではないか。
その人が旧制高等学校の試験に三回も落第し、学生時代に受験した幹部候補生試験も落第し、二等兵として北部満州に駐屯し、日本軍特有のしごきの中で、41度の発熱で倒れた次の日に所属部隊はフィリピン、ルソン島の激戦に転戦し全滅した、
しかも彼の父親は陸軍南方方面派遣軍の少将だったの言うのだから、一身を持って劇的である。
 
 安岡章太郎私小説的世界を踏まえた作家だから全集を読むと一人っ子安岡と父と母が繰り返し描かれており、結局、父母の人間像が一番濃密に描かれているように思う。
特に安岡の描く母は陸軍少将の妻でもあるのだが、その時代としては、飛びぬけて個性的な人だったようである。
 例えば、次のようなシーンがある。
落第3年目で、既にやる気をなく、放蕩している息子を心配して夫の赴任先の九州から親類の下宿に訪ねてきたとき、外に出ようか、言う安岡と連れ立って銀座をぶらぶらして喫茶店に入って話し込み、最期は一緒に外国映画を見てそのまま帰ってしまう。
 目に見えるもの、形に現れやモノしか信用しない、アレコレと想像して心配したりすることのない割り切った性格だから、親類の下宿先から息子の悪い評判を聞かされても、自分にとって不必要な部分は消去して息子をかばい、目の前の息子のいつもの態度に、最後は一緒に洋画を見て帰ってしまう。
 安岡の小説によれば、時には母のように時には姉のように、そして恋人としても振舞って欲しいと思いがあったそうである。一人息子を溺愛している母親特有の感覚なのだろうが、描かれた母親は今でも通用するようなチャーミングな女性像である。安岡の才能はこの母親から受け継がれたものが大きいのではないか?
「宿題」という短編を読むとこの母子には思わず、笑ってしまう。

 「宿題」  
 教育ママの母親の勧めで受験勉強の熱心な小学校に転校した安岡だったが、夏休みの宿題をサボって明日が登校日と云う日まで全部、残してしまった。~迷シーン。
 
「母親が、いっぺんに僕以上の厭世観に取り付かれた。泣き出している母親を見て僕はどうしていいかわからなかった。
「お前も死になさい。あたしも死ぬから。」というのを聞いて僕もそれでいいと想った。しかし、ガス管をもってこいといったくせに、僕が台所にそれをとりに行こうとすると、いきなり僕を引きずって机の前に座らせ自分の鉛筆を持って帳面にしがみついた。
もうこうなったら仕方がない。僕と母は片っ端方帳面を汚すことに根注し始めた。1分間も休むj暇は無かった。
腕が重い棒みたいになって指から鉛筆が転がり落ちそうになる頃、僕は宿題のやり方がだんだんわかってきた。迷わないでかけるようになった。
算術は答えだけを書くことにした。23桁の物凄い掛け算も、数字だけ書けば1分間で7題もできた。
応用問題の鶴亀算は、問題を読まないでつる1匹、カメ3匹と書けばそれでも済んだ。どうせ考えて答えも違えるくらいなら同じことだ。
僕が素晴らしい速さで片付け始めると、母は競争心を感じた。
「北海道の主なる海産物を9種類アゲヨ。ソシテソノ産地ト1年間ノ収穫高ヲ書ケ」という問にぶつかってかんしゃくを起こしながら
「コンブまぐろ、かつお~」などと大きな字で書き始めるのだ。」
知らないうちにあかるくなった。あんなに大冒険と想っていたテツもやってみるとはかないものだった。それよりも明日がそのまま消えて今日になってしまったことが、なんだかだまされたようだ。


父親は東京帝国大学獣医学部出身の陸軍に獣医として勤務し、最終的少将というから、その方面では事実上トップに上り詰めたひとで、仏印駐屯で敗戦を迎え戦犯とされて公職追放された。復員後、仕事に恵まれないのはそのためもあり、小説のよれば、民間会社に勤めていたら、どうにかこうにな首にならない程度の人、誰からも良い人といわれるということで一貫して無能のヒトと描かれているが、「群像」編集長の元学窓によれば、偶々電話に出た父親の落ち着いた太い声から、大政治家のようで、陸軍中将というのはもっともなことだと納得したそうだ。所謂、昔風の官僚タイプの人格者だろうか。


 一般に代表作とされている「海辺の風景」は認知症で故郷、高知県高知市の桂浜(坂本竜馬銅像が海を見据えているところ、風光明媚な観光地でもある)の精神病院で廃人のように死んでいく9日間に立ち会った心象風景を描いた数少ない長編小説であり、内容は卑属に言えばマザコン気味を意識していた安岡の母親とのロンググッドバイ物語である。確かに代表作とあって、文体に一貫して緊張感が漂い平易な字句も他の作品と比較して濃密に厳選されている。
「海辺の風景」のみどころは一言で云って、非常事態を前にしても、眼をじっとみひらいて立ち止まり、周囲を覚めた目で観察し、心にとどめる散文精神である。柔をもって剛を制する、ということか。
吉行淳之介「焔の中」にある大空襲で自宅が燃え盛っても、母たちを先に避難させて、自分は5分間ほど自宅の燃え盛る光景を眼に焼き付けてから避難する、姿勢である。結果、逃げ遅れて煙に巻かれて危うく母子とも死ぬところだったにしてもー。
 
「海辺の風景」と同時所収されている「幕が下りて」には母とこの関係は次のように実情が書かれている。
「海辺の風景」が昭和34年の作品で「幕が下りて」は昭和42年の作品である、所を切り込んでいけば、面白い評論ができると思うが、その時間と能力がないのが残念である。
「幕が下りて」は安岡にとって一番長い小説である。長過ぎる、といって良い。
父母と一人息子の過去と家庭を持った現在の二つの小説空間を平行させて進行させているが、両者を繋げる課題の設定が弱く、長編としての統一感を欠いている。失敗作といえよう。
ただし、安岡得意の描写力は冴え渡り、描かれた人物像に不思議であるがリアルな肉感が漂い、読者をグイグイ先に引っ張っていく力がある。私はこの作品のほうがすきだ。
 
「暗闇にほの白く浮かんだ母親の眼に異様な光を感じた時の驚きと思い比べて、無意識に椅子から立ち上がった。一体何が恐いんだ、そのときの俺は、おふくろを見捨てようとする自分がこわったのか、それともあれは自分がもう完全におふくろの手を離れたという恐さなのか?
どっちにしても、お母さん、僕は自分の怖がる相手をいつの間にか、あなたから他の女にすりかえられてしまいました。全く僕の知らないうちにーー。」


「ガラスの靴」の物語の展開は一時のメルヘン調にできているが、底流に強烈なリアリティー感ある。
あの物語はよくメルヘンといえわれるが、戦争によってどこかに傷を負って、癒されたい青年男女が、メルヘン的空間に自己昇華を求め合ったもので、そういう意味で、安易なメルヘン調に流れるのを拒絶した臨場感溢れる通俗的猥雑的世界である。この小説世界は当時の日本の状況でしか創造出来ないものであって、いまだかつてこの種の外国小説、映画にお目にかかったことがない。
日本の散文世界のすべてがこの短編に圧縮されている源氏物語枕草子方丈記徒然草、今昔物語、以降全ての日本的散文世界が、その一編に濃縮されているといって過言でない
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  「ガラスの靴」の思い出 北原武夫(作家)
「あの作品の元の題名はたしか『ひぐらし』というのだったと思うが、その原稿が僕のところに廻ってきたのは昭和二十何年であったか(W。北原武夫は当時、『三田文学』の編集員)~
僕はその当時、机に向かって急ぎの仕事をしていたので、はじめの間、その原稿を横になって寝転びながら読んでいた。が、8枚目辺りまで読み進んだとき、思わず、ハッとなって起き上がった。
この安岡という人の原稿は、寝転びながら読んだりするではないという衝撃といっていいほどの感銘に、不意に僕は激しく捉えられたからだ。それから机の前に正座して、改めて僕は原稿を読み続けた。読み終わったときは、その直感どうり、清冽な水が一杯胸に染み透ったような、なんとも言えず爽やかな感動に、僕は全身を揺り動かされていた。
僕はそこで『三田文学』に乗せるのに、今までどおりただ普通に掲載するのではあまりに勿体無い思い、編集委員の一人としてささやかな賛辞をつけて、紹介したいと思った。それで僕は、その旨を認めた手紙を付して、早速その原稿を佐藤春夫先生の元に送った。
佐藤春夫先生からは、意外にも早く、その数日後に、電話でご返事があった。そのとき佐藤先生はこんな風に尾者っ田と記憶している。
『12枚ぐらい読みましたが、君のおっしゃるとおり、あれは本物です。君のおっしゃるとおり賛辞をつけて乗せるのに、僕も依存ありません。どうかそうして下さい」
 
「『ひぐらし』というのは何の変哲もない題では、安岡君のこの優れた第一作を紹介するのに、余りにも曲がないような気がしたからだ。
作者に不満がなければ、もう少し人の目に付く華やかな題名にしたいと思った。そこで、僕なりに一応『ガラスの靴』という題名を思いつき、~作者の了解得るために~安岡君に手紙を送った
「安岡君自身が僕の家に直接やってきた。僕はそこで、初めてこの作者にあったのだが、作品を読んで僕の予感したとおり、ピリピリするような繊細な神経を裡に秘めたナイーブな青年だった」


W。残念だった。題名は「ひぐらし」のままでよかった
題名を「ガラスの靴」としたことで日本の私小説を含めた散文世界をふまえた作家安岡章太郎のこの短編の舞台が駐留米軍の接収家屋で、細かいディテールも欧米風であることから西欧的小説世界に通じるものと、読み違える者が続出してきた。
村上春樹さんはこの短編を日本の小説の中で唯一、評価しているそうだが、まさかこの短編が、村上春樹的な極めて日本的無国籍小説の世界に近いから、評価しているものではあるまい。


  安岡章太郎全集7巻全ての舞台は極めて日本的な環境における悲喜こもごもを「名人芸」(『小さな片隅の別世界』全集6巻P4457行目、志賀直哉私論所収より)をって描き出しているのである。例外は「アメリカ感情旅行」「ソビエト感情旅行」だが、そこにおいても日本的環境に生きてきた作家安岡の感覚をさらけ出しその目から見た当地の事情を伝えている。ソレが飽きない読みものになるところが、「名人芸」なのである。
一種の日本語活字マジックである。安岡章太郎の駆使する平易な文体は、日本語のアイマイさの広がりが体として次々と積み重ねられることによって、読み手に想像力を膨らませ、全体像が彷彿される仕組みとなっている。文体のつながりの中で、スピード感と柔軟性があり、なぜだか一気に読ませていく。
で、読後感として何があったかといえば、論理的に確たるものは提示されていないのだから、過度な同調も反発もなく、何となくある世界を垣間見せられて、酔い加減になった状態になる。全集を読んでいると、酔っ払った状態になって、リアルな政治や社会から意識が遠くはなれて行く自分を認めて、ハッとしてしまう。コレ日本的散文世界の魔力ではないだろうか。
直截的な言語表現の英訳などしてしまうと作品世界が欠落してしまうのではないか。


 この短編の圧巻場面は僕と悦子の「ヒグラシ」問答だった
ヒグラシを巡る悦子の一見とぼけた思い込みから、僕と悦子のすれ違いヒグラシ問答が始まり、涙を流しながらヒグラシを鳥だと断定し付ける悦子に真正ヒグラシを対置するぼくは、遂に悦子のコケティッシュなメルヘン世界の激情に幻惑されてしまうのだった。確かにに二人にとってヒグラシは鳥でもよかったのである。二人の会話と表情描写を通じて小説世界がリアリズムとメルヘンの間を行きつ、戻りつ動き回り、遂にリアル世界を包含しつつメルヘンに収斂する瞬間だった。


  引用、「ガラスの靴」 

「ぼくはいった。今日もまた、怠けて遊んでしまい、手のつけられない宿題帳の山を眺めながら、ヒグラシの鳴くのをやりきれなかった、と。すると彼女は突然、きいた。
「あなたヒグラシの鳥って見たことある?」
僕は驚いた。悦子は二十歳なのだ。問い返すと、彼女は口元にあいまいな笑いを浮かべている。そこで僕は説明した。
「ヒグラシって云うのはね、鳥じゃないんだ。ムシだよ。せみの一種だよ。」
悦子は僕の言葉に仰天した。彼女は目を大きく見開いて、-悦子の目は美しかったー「そうオ、あたし、コレくらいの鳥かと想った。」
とてで、大凡黒部西瓜ほどの大きさを示した。~僕は魔法にかかった。ロバみたいな蝶や、犬のようなカマキリ、そんなイメージが一時にどっと僕の現前に押し寄せた。僕はたまらなく愉快になり、大声を上げて笑った。すると彼女は泣き出した。
「あなたのおっしゃることって、嘘ばっかり。だってあたし見たんですもの。 軽井沢で。」
そういって彼女は、僕の方に寄りかかって泣くのだった。
ポロポロ涙が頬を伝って流れている。僕は狼狽した。
「そうだね。軽井沢にいるかもしれない。ほんとは、僕もまだヒグラシなんて見たことがないんだ。」

W。やはりこうして、ワンシーンを抜き出すと、安岡章太郎魔力は半減するようだが、ココに安岡の小説の特有の世界が凝縮されている。
大江健三郎の解説は「ガラスの靴」のものではなく、かなり難解だが、上記で述べてきたことと同じようなことを伝えているものと思われる。大江は絶対に自分に不可能な安岡の才能を最大級に評価している。
  
   飛躍とヴィジョン 大江健三郎
安岡章太郎氏の実に念入りに観察力の鋤で現実の地面を掘り起こし、同じく観察力のこてで地ならしをする
優れた散文力が、そうした準備運動を、円滑のならしめる。そして飛躍だ。」
「安階章太郎氏の小説が時にはスタティック(W、静的)な印象を与えるのは、この飛躍の一瞬に、実に多くのものが凝縮されるからであるが、その瞬間の静止は、直ちに激烈な飛躍運動によって打ち破られるためにのみ、最新に準備される」
「この静止した踏み切りの一瞬とジャンプそしてそこから開ける展望、という形によって、からの想像力の一原型が、提示されるのであるが、この原型の、現実的表れかたは、彼が紛れも鳴く根っからの小説家であるために、常にリアリステックであり、したがってまこと多様である。
それは時にはユーモラスな効果として、又シュレアリズムのヴィジョンを提示するものとして~それにそもそもの主題の、およそ論理を超えた深化を実現する梃子として、作品世界を、作り上げている」
「ユーモアの衝撃で人を吸収する作家であると共に、苦い人性批評家となり、息をのむほどの鮮やかな超現実の美の提示さとなる。」
「そうした概念後によって説明しえぬところの、独自の経験そのもの、すなわち安岡章太郎となって、我々の前にあるのである。」

W。コレは大江健三郎安岡章太郎の全作品をトータルした論表と受け取る
全集を一応読破したものとして全集に納められたこの評論の存在は知っていたが、冒頭に自分の幼少のころ飼っていたいたウサギの話が長々と続いた後に、いきなりこの難解な評論が出てくるから、読まずに無視していたが、改めてこの記事を書くための、安岡論というべき視点から「ガラスの靴」の世界を思い出して、記述しなおすと、偶然にも自分と似たような視点で大江が安岡を捉えていることにビックリした。
しかし、とにかく云っている事が難しい。物凄い抽象力であるが、その全ての言い回しがズバリ的を射ている。さすがである。
が、さすがに、「ガラスの靴」の世界に鴨長明の「方丈記」と同じ次元の匂いをかぎつけてしまうハチャメチャはない。
「ガラスの靴」は一時の生々しいメルヘン世界に切り取った何処となく無常感の漂ってきそうな世界だ。
だったらやはり、シンデレラ物語は抜きにした「ガラスの靴」の題名でもよかったとも思う。