反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

漢字検定試験などの日本語の現状は世界の流れに逆行。重箱の隅をつつく様な散文スタイルは日本発の政治論を韓国、中国と比較すれば、わかる。<言語学参考資料集>

 言語学の方面を調べている。全体像の半分程度も見えていない感がある。手こずっている。「ことばは変わる~初めての言語学~」の黒田龍之介に寄れば、日本の言語学の研究者の多い分野は次の五つであるという。
1音声学 2、生成文法チョムスキー言語学) 3、意味論 4社会言語学  5、認知言語学。 
 
 コレまでのところ、参考資料を読み込んだのは、1、2、3、の分野である。 4、と5は全く不案内。5、の本は図書館で手にとって見たが、専門書でその方面の予備知識のないものが簡単にわかるものではなかった。ただ、面白いな、とは想った。4は対象領域が拡散し過ぎて他分野にまたがっているよう感じがして、関心が向かわない。
 
 しかし、全体像の半分も見えていない状態の原因は、社会言語学認知言語学を調べていないことにあるのかもしれない。
>言い換えると言語学を調べる上での自分の問題意識はこの前のコメント氏の文面にあったような現代的な社会政治問題に関わる日本語の特性というところにある。
言語学に関心が向かっている方向がそういう角度なので、音声学(音声学と音韻学とは違う、という面白い指摘があり、参考資料としてあげておく)、生成文法、意味論を調べてもピンとこないのかもしれない。 
 
 大まかに言えば、<日本語の現状が世界の言語の変化の中でどのような位置>にあるのか、というところに関心がある。
 
 世界中の言語が表音化して簡略化される中で、日本の言語方面には、その逆を行くような流れがアル。
例えば漢字検定試験。毎年250万人も受験者があるという。わたし等の学校時代に漢字検定試験など、話題に上ったことすらなかった。英検はしられていたが、受験したなどという噂は聴いたことがなかった。
現在はいずれの就職用に受験者数が増えているらしいが、いずれにしても、漢字検定試験の1級、準1級質問は、異様という他ない。あえて言えば、そういうものは、世界の言語の流れに逆流するもので、日本語と日本語で表現されている関連事項にとって、良い結果はもたらさないと考える。
 
 なお、「昭和50年<1975年>任意団体として発足、同年11月に始めての試験が実施された。
平成4年6月(1992年)、財団法人認可、同10月に、文部省認定第一回漢字能力検定を実施。」~YAHOO知恵袋回答・より。
W。1945年。当用漢字は1850字に制限された。その後紆余曲折があって。
1980年。当用漢字を基にしつつ緩やかな「目安」である常用漢字内閣から告示され、当用漢字は廃止された。
時代の風潮に乗って、1992年、文部省認定となったいっても過言でない。
 
  試験問題の例を挙げておく。 
引用 「日本語の起源~古代編~」小林昭美(あきよし) <第142話  漢字検定に挑む>
 
「*漢字検定1級 は5万とある漢字のなかからわずか6000を選んで問うているのだが、その問題をみてみるとまず、「次の漢字の読みをひらがなで記せ」とある。
 
  1.開敞、 2.拳養、 3.黌堂、 4.溽暑、 5.品騭、
   6.貶む、 7.齎す、 8. 躋る、 9.贐、  10. 槭、
 
 常用漢字で育った世代には到底むりである。中国人でも読めないであろう。漢字検定は1級の合格者のイメージとして中国の古典文学者を思い描いているのであろうか。
*これはとてもむりだたあきらめて2級の 問題をみてみると、、、
 
  1.乾漆(W×意味も不明)、 2.煮沸、 3.譲渡、 4.激甚、 5.豪壮、
   6.忌む、 7.懇ろ(W単独では×前後関係から○)、 8. 脅かす、9.泡、  10. 疎い、 
W。漢字検定試験の試験内容は正しいフリ仮名をつけるだけのなのか?書き取り、意味の読解はないのか?
ココまでの総合力を試さなければ、片手落ちもいいところだ。
いずれにしても、1級の漢字検定試験のなかで実際に使われる漢字の6.貶む、以外は死語である。
 
 1級の問題の正解は次の通りである。 
1.かいしょう、2.かんよう、3.こうどう、4.じょく しょ、5.ひんしつ、
< 6.さげす>、  7.もたら、  8.のぼ、  9.はなむけ、 10. かえで、
 
 2級の問題の正解は次の通りである。 
1.かんしつ、2.しゃふつ、3.じょうと、4.げきじん、5. ごうそう、
 6.い、   7.ねんご、  8.おびや、 9.あわ、  10. うと
 
「日本には漢字検定という制度があって、漢字の達 人になることが日本語に堪能なことのひとつの指標とされている。そのため毎年漢字検定を受ける人の数は250万人を超えるという。
 漢字検定には1級から10級まであって、1級は 大学生・一般が対象で出題される漢字の数は常用漢字も含めて約6000字とされている。
6000字にはちょっと自信がもてないという人のためには準1級と いうのがあって、出題される漢字の範囲は約3000字とされている。
一般には2級 をとると就職などに有利だとされていて、漢字の数も1945字と少なくなる。2級は高校卒業・大学・一般を対象としている。
*合格するのには8割程度の正解が必要とされ、2級の検定の合格率は2割り台だという。
漢字は基本的に表意文字だから、物の数だけ文字があってもいいはずである。そのうち幾つを知っていれば日本語として不自由なく読み書きできるのだろうか
~~**日本語では漢字の読み方には音と訓がある。音は中国風の読み方であり、訓は漢字の意味に相当する日本語をあてたもので、<いわば当て字>である
**これが日本語をより豊かにする表記であるかどうか、これを使いこなせることが美しい日本語を使うことになるのかどうかは、見解の分かれるところであろう。
漢字の使用を音だけにしたら、学校教育の負担は ずいぶん軽くなるはずである。
~日本では国語審議会が開かれるたびに漢字の数が 増えている。パソコンを使えば簡単に漢字に変換することができるので、もっと漢字はふやしてもよいという議論もある。
 漢字制限が古典を読めなくしている、という議論もある。
しかし、夏目漱石の作品も舊假名遣ひ」を「新仮名使い」にあらため、旧漢字を新漢字にあらためても作品の品格を そこねることにはならない。
現に万葉集は「春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山」
という歌を「春過ぎて 夏来たるらし 白栲の 衣乾したり 天 の香具山」と読み下して国民的文化遺産として受け継いでいる。
文字は一般の人は容易に読めることが大切であって、専門家は専門家で原典を研究すればいいという考え方である。
 漢字検定は 80点がおよその合格ラインで、2級で合格率は20パーセント台だという。難関であることが挑戦者に闘志をわかせているようにも思われる。
>しかし、漢字検 定は日本語の運用能力の検定といよりも、むしろ英語でいえばスペリング・テストに近い。美しい日本語は漢字の数を増やすことによって、その美しさを増すこ とになるのだろうか。」
 

  時間制限の都合上、これ以上詳しく、追及してモット具体的な言語学を知る理由を書きたいが、この項の結論だけを急ぐ。
  
  追加、記述。
W。アベの解散総選挙実施の決断!?をした記者会見の冒頭発言は、日本語の非論理性が満開した言論と受け止めている。
>解散、総選挙の決断?の理由の導入部分ー政治信条の吐露ーの200年も前のアメリカ独立戦争とは、どういう繋がりがあるのか?
問題視する日本の言論は見当たらなかった。そういう異常言論がまかり通っていたのである。単なる格好のいいものとして~。アベはその程度の政治的人間である。
 
 アベの持ち上げる岸信介は日本を破滅に追いやった当時の「革新」官僚の最先頭を行く人物である。
いわゆる右翼のヒトでも反対者は当時も今も多い。国体主義に先走った元凶として。
戦後の政治的立ち振る舞いも、冷戦時代という前提がなくなり、日本と世界史の推移の長期スパンから伺えば、又新たな評価が出るだろう。冷戦時代の到来を前提としたGHQに意に沿っただけはないか。
 
 日本は冷戦体制の最も恩恵をいけた国であり、経済だった!そのような環境が日本経済を押し上げた、最大の要因である。この事実を抜きに日本の戦後史の総括はできない。日本政治が比較的上手く機能したとか、日本人が創意工夫でがんばった、だとかは副次的要素に過ぎない。敢えて云えば英知ではなかった。
 
 そもそも、戦前、列強最低で、ソ連、イタリアに劣る工業生産値の日本は、敗戦後、よほどの環境に恵まれなかった、としたら、名目だが世界第二位のGDP国になるわけがない。最もそういう指標が、世界の人々共通の基準とは想われず、コレも経済神話の大本である。
 
 戦前の日本も軍国神話が頂点を迎えた、とすると、戦後は真反対な経済神話が日本国民に刷り込まれて今に続いている。そうであれば、政治感性的に揺る戻しはある。しかも極端な形に引きずられた。結局は、現、日本の戦前評価の違いが基準となる。今に至っては。感情論、情緒論主体で後は経済任せでは議論にならず、結局は、政治議論はグローバル企業の論理に追従に果てる。
 
 アベがこの先、アベノミクスを発動すれば、この男こそが、日本歴史の結節点を形作ったと評価されるだろう。
総選挙を敢行したところからすれば、日銀の家計記号物のばら撒きは、0金利状態の日本経済の唯一の金融方途として、決定さレルしかない。大資本と金持ちに、それだけの資格で、只でカネを融通するといいことである。
日本国ナに限らず、儲かる手段はいくらでもアル。子供でもわかる道理である。
 そういう仕組みの形成を、冷静な先の見通しで評価し、政治行動に移せるのは日本国民の力だけである。
 
アベノミクスは経済ポピュリズムだと考えている。政治のポピュリズムよりも、日本を衰退させる真っ先の要因になるのはいうまでもない。金融経済化は、政治の力で促進している。
そうすると、アベの経済政策の傾向が積み重なっていくことは、反撃の基盤が日本国民に深化し、拡大するから<良いこと>である。
 アベは日の丸を掲げて日の丸を裏切る、そういう宿命にある政治的人間である。
 

>例えば、ずっと前にkim hang著「帝国の閾(しきい)~この漢字も知らなかった~」を数回にわたって取り上げた。この本で初めて、丸山真男の政治思想の位置を知った。全体的に見て良くまとまっているし、鋭い見解が述べられていると、感心した。ハングルからの翻訳ではないことは確かで、英文翻訳或いは直接日本語でかかれたものと推測するが、あのような高度な内容を、一般読者にも興味を持って理解させられる力量のアル当該分野の研究者が日本に果たして何人ぐらいるだろうかと疑問に想った。
著者の当代留学中の博士論文をまとめたもので、著者はまだ、若い研究者である。
 
>同じような政治思想関連の本としては、最近、内田樹の「街場のアメリカ論」(結構売れた本じゃないかな)を取り上げたが、kim hang「帝国の閾」と比較すると、本人は、後々まで読み続けられるもので、解りやすく書こうと心がけたそうだが、失敗作もいいところである。文章形態からして、文学論で云うところの<散文精神>に終始しており、緊張感が全くなく、問題意識に鋭さはない。アレでは政治随筆の延長線上のものである。
kim hang「帝国の閾」の足元ぐらいの程度だ。
 
>昔の例を挙げる。
丁度、金大中拉致事件の頃である。
韓国の運動圏の人たちのよる情勢分析を読んだことがある。
分析方法は「左翼」の枠組みを使っていたが、日本の同じようなものにありがちな、主観的願望を情勢分析に投影するアジテーション調がなく、本当にどういう情勢になっているのか知ろうとしている姿勢がうかがえて、感心した。勿論、その背後にはその運動のもたらす真の社会的影響力の違いがある。
 
>次に、最近取り上げた「創作と批評」の 「東アジア情勢における日米韓のリアルな動向(重要論文)。1)季刊「創作と批評」日本語版歴史と安保の分離は可能か~日本の右傾化と日韓関係~」
2014/10/22(水) 午後 3:22
の韓国民主化運動の推移と民族主義の関係を明らかした視座からの、日韓関係の情勢分析は見事という他なかった。私はコレまで、このようなリアルで動態的、しかも一貫した日韓関係の情勢分析にお目にかかったことがない。
その前の記事で取り上げた「季刊「創作と批評」日本語版~統一大当たり論と進歩の議題~2014年 夏号。 金昌洙 民族和解協力汎国民協議会政策室長、青瓦台NSC政策調整室局長、民主平和統一諮問会議専門委員歴任。」 もよかった。 
2014/10/21(火) 午後 1:40
 
>さらに例をあげる。
 パクチョンヒ朴正煕、最後の一日~韓国の歴史を変えた銃声~趙甲濟著 草思社2006年発行もあの射殺事件の一日を中心の描いたドキュメンタリーとしては超一級品で、読者をグイグイとその世界に引き込む力を持っている。事件の主要登場人物の其々の実情からみた事件という多角的方法を採用しているところも飽きさせない理由だ。筆致は簡潔で小説的。今まで知らなかったパクチョンヒ朴正煕、独裁政治の韓国戦後史におけるリアルな位置、側面がわかった、ようなきがした。
 
 >ココで注目すべき視点は、在韓アメリカ大使の言動を史実に沿って、素直に追っていることである。
結局、射殺犯の韓国でパク体制の支柱であったK、CIA長官は私流に云えば、最先端で民衆運動に対峙するが故に、又、己の根本的な政治資質ゆえににカーター、プレジンスキー「人権外交路線」を急進的に韓国で実現する願望を抱いき、単なる暗殺でもないクーデターでもないという、実に一日として物語性の多い、その後の「無展望な対応」に至ったに尽きる。
「自由と民主主義のために!」と本人は思い込んでいたのであるが、今に翻ってみると、カータープレジンスキー路線も、K、CIA長官の政治行動も必ずしも、アメリカ支配層の国益の立場からすれば、マチガイだったとはいえない。
 今で云えば、ウクライナの背後で暗躍し、ロシア、プーチン体制瓦解に追い込む戦略のアメリカのその筋のようなものであろう。
 
 韓国の本格的な民主化はアジア金融危機以降、韓国流に云えば進歩派政権時代の経済市場原理主義化と、同時期に達成された。
 わたしの推察では、韓国において、いわゆる進歩派が政権の座につくことは、よほどの官国内外の政治経済混乱以外にありあえないと見える。
 

 コレに対して、同じジャーナリスト出身の荒井利明著「『敗者』から見た中国現代史」日中出版2011年発行。
~北京 バンコク、ロンドン特派員、論説委員を経て、2003年退社(1947年生まれ、だがら途中退者)現在、滋賀県立大学教授。
 内田樹さんと同じく、重箱の隅をつつきすぎている。
ただ、漫然と390パージに渡って、中国共産党中枢の権力闘争の経過、内容を事細かに記述しただけである。確かに事実には文献的な意味からも忠実である。
注釈だけでも160に及び各々が長く事細かで本書が、事実関係に沿っているという証明のようなものである
 
 しかし、林彪派がどうして江青らの4人組に対立するようになり、4人組みの背後に毛沢東がいて、最後には逃亡するまで追い詰められたのか、という全貌は必ずしも、明らかにされていない。
 
 どうしてなのか?
荒井の視点が党中枢の権力闘争の視点からでていないからだ又党の絶対的カリスマ、毛沢東の思惑から分析しているからだ。
 ソレはソレでリアルな政治力学関係なのだが、文革という特殊な政治的内乱状態の実情が党内権力闘争に及ぼす影響について考察が欠けているから、説得力が乏しくなっている。
国史の激動期に再三にわたって登場するのは、民衆運動の力ではなかったか!?
この視点をなおざりにして、文革期の党内闘争史は語れまい。荒井にはそういった基本視点がない。
 
 さらに云えば、当時の中国共産党は「合法的な政権の座」にあっても、民族解放戦争と内乱、朝鮮戦争への出陣という政治軍事情勢という基盤の上に建つ革命党である。
この二つの大ききな条件が文革期の党内権力闘争を以上の次元に押し上げていることは明らかである。
 しかし、荒井には、こういった視点が乏しく、ただひたすら中国共産党の党内権力闘争の過程に文献学的に忠実であろうとしている。ソレを客観的であるかのように誤解している。
コレが学問なのか!?
 
 このような姿勢は内田樹の「街場のアメリカ論」にも見受けられる。荒井の「『敗者』から見た中国現代史」も文学論の言う散文精神が徹底しているという点では一貫している
 わたし自身、テリトリーでもあるので最後まで読み通すことができたが、あんな事細かい論述は、たいていの人は途中で投げ出すであろう。
そもそも「『敗者』からみた<中国現代史>」のタイトルではなく、「『敗者』から見た<中国共産党党内闘争史」が本の内容から見た正確な題名だろう。このタイトルであれば、中身に忠実である。
 
>最後に、以前、現状の中国論を日本の理論して読んだ感想を。
その中の日本の中国政治学者の文章も、とりとめがないものに写った(散文精神)。一つ一つの事実は正確でも論旨がハッキリしていない。
一方、中国の論者の使用する用語は厳選されて、短い言葉で大きな範囲を言い表しているように思えた。論点も南米、アフリカの政治状況に注目したりして、地球規模いの広がりがあり、その中での中国という視点が鮮明に打ち出されていた。つまり戦略的視点が濃厚に前面に打ち出されている。
日本の学者にそういった視点は皆無で、ただただ中国の状況だけをピックアップして論じている。このグローバル時代に可笑しなことである。12億も民がいて、資本制をやっているのだから、外国とのつながりは、中国の鍵を握ることは当たり前なのに、そういう視点すらなく、従来の現代中国論の延長線上の方法論そのままである
 
 荒井利明もその典型である内田樹も、街場とタイトルにあるように、高級床屋政談的アメリカ論である。無駄話の類だな。
 
*ソレを後に読まれても納得できるものと思い込めるのは、何か日本の特殊事情があるのではないか、と疑う
 モット、この種の疑惑を膨らませていくと、日本語の現状にも、多少は原因がるのじゃないか、という疑いが出てきた。
 
>そういう潜在的な問題意識から、日本語と言語論に興味がある、といって過言でない
 
 日本語の起源だとか、系統論は、どうでもいいのではなく、とどのつまりはその種の課題はいくら突き詰めても<解らない>のである
邪馬台国がどこにあったのかなどということと同じか、モット解らないことである
アイマイでわからないところにロマンを感じるという向きもるだろうが、わたしは文字と<考古学>?~コレは怪しいが~や最新の研究方法による成果しか信用しないことにしている。歴史にロマンを感じるのは日本中世史である。ココには生きた人間のロマンが認められる。
 
 引用。 「日本語の謎 言語の謎」 町田健名古屋大学文学研究科) 30.英語の不思議なところ(3)
・フランス語からの外来語が多すぎる。 W。ノルマンコンクエストが原因。
river(川)、mountain(山)、flower(花)、
people(人々)、power(力)、arrive(着く)
beef(牛肉)、pork(豚肉)、mutton(羊肉)
・15世紀に大きな発音の変化(大母音推移)を起こした→綴りと発音が一致しない。W、原因不明
 
大母音推移とは、イングランドの言語である英語の歴史上、中英語期後期(1400年代初頭)にはじまり、近代英語期(1600年代前半)に入って完了した、母音体系の一連の歴史上の変化(→英語の音韻史)である。
15世紀中頃以降の活版印刷の技術向上と、それに付随した書物等の文書の普及などに伴って、語の綴りは固定化される一方で、発音だけが変化を続けて、現在のようなずれがみられるようになった。
「わずか200~300年という短期間にこれほどの変化が起きた原因は特定されておらず、現在も謎のままであるが、黒死病により少数の知識階級の人々が死んだため、大多数を占める下層階級の人々の間で使われていた発音が表に出てきたという説もある」
 
W。たった、500年~600年前の活字のある時代のこともわからない。ましてや日本の文字のない時代のことは類推できても、科学的に検証できるはずがない!!馬鹿馬鹿しいにもほどがアル!
name(a:→ei), feel(e:→i), time(i:→ai),
home(ɔ:→ou), fool(o:→u), now(u:→au)
 
>W。この論者にも疑問点がある。
引用  32.八世紀の日本語でも分かる! 
W。言語学者?(最もこんな初歩的な確認もできないようでは研究者の卵だと想うが)がコレではだめだな!
万葉集は全部漢字表記(音訓両用の当て漢字)、されている。かな文字50音が生まれてのは平安時代。勘違いの元だ。
高校の古典の教科書では変体かな文字などと教えているのではなかったっけ?確か、そのように記憶している。教科書の記述ではなく、教師の口頭で。 
 今ではどうかな?変体かな文字も省略して、万葉集はかな下し文とのみおしえているのじゃないだろうか?
で、なければ、言語学の研究者の卵が、このように簡単に記述するはずがない。
ちなみに、このヒトは現世(この限定もないのだが)人類の共通の祖先があるならば、世界共通祖語ある、とまで記している。あり得ない!元々の人類共同体は小編成である。言語は引きこもり状態が続いたはずだ。共通祖語はあり得ない。
 
父母が頭かきなで幸(さ)くあれて言ひしけとばぜわすれかねつる
(『万葉集』巻二十、防人歌)
東(ひむかし)の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
(『万葉集』巻一、柿本人麻呂
 
引用。日本語千夜一夜  第131話  古代日本語私記
「夜摩苔波 區珥能摩保邏摩 多多儺豆久阿烏伽枳  夜摩許莽例屢 夜摩苔于漏破試」~日本の古代歌謡~
「やまとは 国のまほろば  たたなづく青垣 山隠れる やまとし美し」
 
古事記パターンの当て字
夜久毛多都 伊豆毛夜弊賀岐 都麻碁微爾 夜弊 賀岐都久流 曾能夜弊賀岐袁(古事記
日本書紀パターンの当て字~古事記の9年後、完成
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごめ に 八重垣作る その八重垣を」
   夜句茂多菟 伊都毛夜覇餓岐 菟磨語昧爾 夜覇餓枳菟倶廬 贈廼夜覇餓岐廻(日本書紀
 
*同じ歌が二つの違った音韻体系の文字で記録されている。
  <4-3 古事記日本書紀歌謡の漢字音>
日本書紀歌謡では鼻濁音の語[ngia]、餓[ngai] が使われているが、古事記歌謡では鼻濁音が使われず、そのかわりに碁[giə]、賀[hai] が使われている。「語」、「餓」の朝鮮漢字音は語(eo)、餓(a)である。
古事記の史が朝鮮半島出身であり、「語」、「餓」を語(eo)、餓(a)と発音していたとすれば、古事記のなかで「語」、「餓」がガ行音に使われなかったとしても不思議はない。
古事記歌謡には「久」が使われていて、日本書紀歌謡には使われていないというのも、古事記の史が朝鮮語の音韻体系をもっていたとすれば説明がつく。
朝鮮漢字音では久(ku)、九(ku)、口(ku)、丘(ku)、句(ku)であり、中国語音の介音[-i-]は失われる。
日本書紀の編纂時には音博士などが招聘されており、日本書紀歌謡の漢字は隋唐の時代の中国語音に依拠している。
 


                <参考資料一覧>
W。生成文法から言語学にアプローチすると、いきなり難しい定理から始めるようなもので、混乱する。
まずは仕分け作業から
インド、ヨーロッパ語族の歴史について、別途で抑えておく必要がある。
結局、言語学は、残された文を検証していくしかないわけで、文が残るということは、誤解を受け易い表現だが、文明程度(質の問題として)が進んでいたということに尽きる。
ヒッタイトの製鉄と鉄器の使用は紀元前1500年程度に遡れる。製法を極秘にしていたが。滅亡と共に周辺に拡散した。この時期を紀元前約1000年前だとすると、中国の鉄器使用は紀元前300年ごろ。
 また古代メソポタミア地域(チグリス、ユーフラテス河の周辺では一粒の小麦から40粒の小麦が生産可能だったという。非常に高い生産性である。
他方、米の生産性は一粒でせいぜい20粒程度。道具使用だけでなく、このような気候風土、主食の生産性の影響も、余剰の発生→余剰交換→原始的な経済発という意味で文字の効率的な使用には欠かせない土台だった、と考える。
        
              <世界の言語の仕分け系、参考資料>
 
(2)屈折(inflection)とは、インド・ヨーロッパ語族に属する諸言、例えば英語ドイツ語フランス語スペイン語イタリア語ロシア語ラテン語などが有する言語学上の一大特徴である。
 
(3)日本語の謎・言語の謎  町田健名古屋大学文学研究科)
 <この視点が面白い> 
W、語族不明の言語は日本語だけではない。日本語は謎でもなんでもない。ことさら神秘化する必要もない。
>日本語の語族不明の原因は二つに尽きるだろう。
1、日本列島は大陸と陸続きの時期から、東の果て、「辺境」であった。
2、東アジア地域の主要民族は引きこもり系であった。
>1,2の理由によって、原始的言語形態の残存が可能となる。変化に乏しい。
 
「24.日本語は何語族?
日本語は、どの語族に属するか分からない。
日本語の単語と、意味と語形が似た単語をもつ言語は知られていない。 南方起源説、北方起源説、混合言語説。
アイヌ語、朝鮮・韓国語、バスク語も語族不明の言語。

25.でも日本語は仲間が多い
膠着語:単語の後ろに、文法的な働きを表す単語をいくつも並べることができる
話す+かける+られる+た+らしい+ね=話しかけられたらしいね
朝鮮・韓国語、満州語トルコ語ツングース語、スワヒリ語チベット語
 


              <音声学と音韻学との違い>    
>次のような意見もある。
 「日本語の謎 言語の謎」 引用。    
     22.同系の証明
同系=同一の語族に属していること
複数の言語が同系であることを証明するのは、現在のところ規則的な「音韻対応」のみ
Skr. Gr. Lat. Goth. Eng.
p   p  p  f   f
t   t  t  th   th
 
    *英語の発音入門 ~音声学と音韻学の違い~W.眼から鱗の部分がある~
~英語の上達のために、日本では余り教えてもらえない、音声学と音韻学の正しい知識を覚えよう
● 音声学を使ったLとR発音指導のワナ
英語ではLと発音すべき所でL、Rで発音すべき所でRを発音し、別な音に置き換えてはいけません。又、L、Rを発音すべき所でない所でL、Rを発音してはいけません。
 
何をあたりまえのことを!」と思うかもしれませんが、ほとんどの日本人がこの簡単なことを守れていないことが事実です。
例えば、right(右、適切な、権利、まっすぐに、直ぐに) 等のrは、ほとんどの日本人が発音しようとするでしょう。
一方、certainly(確かに) や horse(馬) のrは、ほとんどの日本人が無視しています。これらの単語にも立派にrがあり、ネイティブはもちろんrightのrと同じように発音しています。certainly や horse のrを発音しないために、むしろ suddenly(突然) や hose(ホース) に聞こえてしまったという話も聞きます。
W。北米の英語というところがミソ。確かにアメリカ人は「r」をキチンと発音しているように聴こえた。イギリスの植民地ではアメリカでは古い英語の残っている。
 


            ノーム・チョムスキー生成文法系>
ノーム・チョムスキー
その言語理論と政治思想をめぐって    長谷川 宏
W。当たり前のことを言っているに過ぎない。難しく考える必要はない。
 Mary slapped the boy with a stick.の例文は混乱を招きやすい。
文章としては二つの意味に取れるが話し言葉としては、the boy with a stick.とthe boy / with a stick
の区別がなければタイヘンなことになる。階層説明図にこの点を付け加えていない。著者は長期に渡って米国の大学で研究生活を送った人だから、そういう初歩的な解説を飛ばしているから解説を難しくしている側面がある。
 
W。以下、最重要ポイント(この項の結論)
人間言語の生成能力は、単なる「コミュニケーションの手段」にしては「過剰」な潜在的複雑さ・数学的発展性をもっている。~構造性回帰性、離散無限性など~ 
*言語研究のアプローチの一つとして、人間の言語を(第一義的に)「コミュニケーションの手段」として捉える考え方があるが、
*人間の言語には「コミュニケーションの手段」という視点からのみによっては説明できない豊かな「数学的」性質があり、
それこそが、人間言語と他の動物のコミュニケーションとを大きく隔てる一つの要素であると言える
*さらに言えば、人間の言語だけが持つそのような豊かな性質が、当座の生存に直接関わらない思索など、
*(「敵が来たぞ」、「あそこに食べ物があるぞ」といった)目先のコミュニケーションの必要性に限定されない、複雑な「思考」を可能にした。
*そしてそれが、人間独特の「文化」を生む潜在的基盤となったと考えることができる。
      
            言語の「生得仮説(innateness hypothesis)」
チョムスキーの言語理論の主要な主張の一つに、「生得仮説(innatenesshypothesis)」がある。
これは、<例えば鳥が飛ぶ能力を遺伝的にもって生まれてくるのと同じように>、
人間は(そして人間のみが)遺伝的に脳内に言語を処理するのに必要な「言語機能(language faculty)」をもって生まれてくる、という考え方である。
*この人間のもって生まれた「言語機能」の理論が「普遍文法(UniversalGrammar)」である。
*そしてこの普遍文法の理論として、チョムスキーが80年代以降提唱したのが、
「原理とパラメタ―の理論(Principles & Parameterstheory)」であった。    
世界のさまざまな言語を実際に研究していくと、個々の言語がそれぞれに異なる性質を示す、すなわち言語の多様性が観察される一方で、
>世界の多くの言語に共通の特性、すなわち普遍性が存在することが見えてくる。
>世界言語の普遍性のエッセンスが「原理(principles)」であり、これが人間のもって生まれた「言語機能」の発現であると考えることができる。            
               
一方で言語はそれぞれに異なる性質をもつが、これは「パラメター(媒介変数;parameter)」と呼ばれるしくみが関与すると考える。
このパラメタ―は、インプットとして入ってくる個々の言語のデータに応じて設定される「スイッチ」のようなものである。
このように考えると、言語習得(language acquisition)とは、(個々の言語に特有の)「スイッチ」の値をデータに応じて設定するプロセスである、と考えることができる。
 
      X バー理論(X-bar theory)
 一つの例として、X バー理論(X-bar theory)と呼ばれる、言語の基本構造を規定する原理を考えてみよう。
X バー理論によれば、あらゆる言語構造は、9)に図式化して示すような、
ある語彙項目(lexical item; 動詞、名詞等のいわゆる単語)X を中心(「主要部(head)」)として形成される
句(phrase; 1 つ以上の単語のまとまり)XP が積み重なった構造としてとらえることができる。
>(9a)は英語のような「主要部前位(head-initial)」の句構造、(9b)は日本語のような「主要部後位(head-final)」の句構造を図式化したものである。
       
W。以上、主要パラメーター部前位(head-initial)     後位(head-final 日本語 の導入
           ↓                      ↓
                     <主要部パラメーター>    
     (9) a.「主要部前位(head-initial)」      b.「主要部後位(head-final)」
          ~英語、中国語               日本語 朝鮮語
ここで注意すべきことは、(9a)、(9b)のいずれも、X という語彙項目(単語)を中心(主要部)として、階層構造をなすXP という句(phrase)が形成されている、という点では同じであるが、主要部X の生ずる位置が異なる、ということである。
(9b)では主要部X がXP 内の最後(final)の位置を占めるのに対し、(9a)では主要部X が(○で表わされた要素より)前に位置している。
このような構造の具体例として英語の構造(10a)、(11a)と日本語の構造(10b)、(11b)を比較してみよう。

以上からわかるように、英語も日本語も、語彙項目X(V:動詞、P:前置詞ないし後置詞、など)を主要部として階層構造を成すXP(VP, PP 等)という句が形成されるという点では同様である。
 しかし、日本語では主要部X(V:動詞、P:後置詞;日本語文法では通常助詞と呼ばれる)が句の最後にくるのに対し、
英語では主要部X が(NP で表わされる目的語より)前に位置しており、「鏡像(mirror image)」のような構造の対称性が見てとれる。
*これに対し、動詞の目的語が(英語のように)動詞の後ろに来るが、(日本語のように)前置詞ではなく後置詞を用いる、という言語は世界にほとんど存在しないと言われている。
W。「東京から」とFrom Tokyo
>以上で見たように、すべての人間言語の構造は、X バー理論という普遍原理によって規定されるある一定のパターンの範囲内に収まると考えられる。
ということはつまり、このような言語構造を生み出す人間という種に固有の脳内の「言語機能(language faculty)」は、遺伝的にこのような普遍原理によって規定されている、ということである。
**そして英語と日本語のような個別言語間の構造的差異は、
「主要部(Head)が句(phrase)の中で前にくる(「主要部前位(head-initial)」)か、それとも後ろにくる(「主要部後位(head-final)」)か」という要因に帰着できる。
**これは上述のような普遍原理に付随してやはり遺伝的に規定された、「パラメター(parameter)」と呼ばれるある種の「スイッチ」が機能してこのような差異を生むと考えられる。
**日本語が話されている環境で育つ子どもは、「太郎を蹴る」、「東京から」のような、主要部が後ろにあるデータがインプットとして入ってくるため、
「主要部パラメター(Head parameter)」の値が「主要部後位(head-final)」に設定され、(日本語の)構造をつくるようになる。
 これに対し、英語環境で育つ子どもは、”kickohn”、”from Tokyo”のような、主要部が前にある構造がインプットとして入ってくるため、
「主要部パラメター」の値が「主要部前位(head-initial)」に設定され、(英語の)構造をつくるようになる
のである。
 


   上記のチョムスキーの<Xバー理論>を別な角度から日本語に当てはめた解説
  引用 「日本語の謎 言語の謎」
W.膠着語である日本語(チョムスキー的に言えば、主要部後位(head-final)」)も、それなりに効率的で便利にできている、という説明。ただし、日本語は文法的に整理されていない部分が多過ぎる。ソレが外国人には大きな壁になっている。幼児であればチョムスキー生成文法に従えば、主要パラメーター部後位への頭の中のチャンネルの切り替えでよい。
 
 9.効率的な語順(1)
主語(主体を表す単語)を文頭に置く
主語:述語を決める事物を表す
→文を作り出す過程では、主語が決まることで、述語も同時に決まる。
→文を理解する過程では、文脈(状況)をもとにして、述語の範囲を限定することができる。

**10.膠着語での効率的な語順 W。主要ぶパラメーター後位(head-final)の日本語 朝鮮語もそれなりに効率化されている。もっとも自然現象のようなもの。
・名詞+助詞
名詞の個数は、固有名詞も含めれば十万以上W。表音文字ではなく、表意文字だから事象の数ほど名詞が多くなる)助詞の個数は高々十数個程度。
        ↓W。名詞が先に来る理由がわかる
名詞を先に置くことで、事態の内容が大きく限定される。
・動詞+助動詞
動詞の個数は、助動詞の個数よりはるかに大きい。→{W。助動詞が動詞の個数がよりも少なすぎるのだから、助動詞を接着(膠着こうちゃく)させて、変化させるしかない}
 
11.日本語の全体的特徴 W。文字歴史以前に日本語の原型は形成されている。又、英語ほど急激な変化はなかった、ので、英語とは比較対象できない。
類型:膠着語
語順:SOV、動詞+助動詞、名詞+助詞(膠着語の典型+効率的な語順) 

12.日本語の特徴-動詞
・動詞の後にいくつもの単語が並ぶ→動詞群。←膠着語の特徴 ニコニコ大百科参照。
動詞+使役・受動辞+アスペクト辞+時制辞+モダリティー辞+時制辞+否定辞+終助詞
食べ+させ+られ+てい+た+ようじゃ+なかっ+たね

13.日本語の特徴-動詞群
・動詞群は文末に置かれる  W。日本語の疑問文を参考にすれば、英語との対照がよくわかる。日本語は疑問文でも文末になる。動詞は変化しない=個数が少ない=文末に持ってくるしかない。
主語は名詞で表されること、<名詞の個数が動詞の個数の十倍程度>であることから、膠着語では、名詞が動詞に先行する語順が最も効率的。           
16.日本語の特徴-関係代名詞なし
<関係節>(形容詞節、連体修飾節)  名詞を修飾する文   関係節は名詞に先行する
関係代名詞がないと、関係節と名詞の間には、何らかの関係があればよい。
 W。関係代名詞がない=関係節ということもあるが。主要部パラメーター後位ということでもある。
誰かがピアノを弾く音  
クマが歩いた
猫に引っ掻かれた
ヤクルトが勝った翌日

17.日本語の特徴-語形成
複合語を作る単語の間にある意味的関係が比較的自由→複合語の多用
雨降り(主体)、髪染め(対象)、駅売り(場所)、東京行き(着点)、フランス帰り(起点)
タコ焼き(タコが入っている)、名古屋打ち(名古屋で始まった打ち方)
 


          チョムスキー言語学の簡単な解説>
(2)脳は文法を知っている   迷宮旅行社・
W.日本語の例文だけで説明するとボンヤリとしか解らないところがある。
 


 韓国語と日本語が似ている理由  ハングル講座(韓国語講座)
 


             言語学に関連する歴史参考資料>
■シベリアにおける旧石器時代の変遷
このシベリアの舞台にモンゴロイドの人影が現れるのは、「トボリスキー間氷期(約40万~25万年前)」といわれている時代まで遡ります。
W、何を根拠に??そのモンゴロイドは現生人類なのか?現生人類に出アフリカは、遺伝子解析その他の資料によって、遡れても10万年前だとされている。
6万数千年前、出アフリカの第一陣は167名だったという具体的な数字も挙がっている。
 
(2)土井ケ浜遺跡の弥生人たち~日本人のルーツを訪ねて~
W。何より、楽しんでい入るところがいい。全体を俯瞰するセンスがいい。筋もそれなりに通っている!
 
(3)世界史の研究
- Study of World History -
作成者:松本 徹 ホームページ
 
インド・ヨーロッパ語族の移動 前2000年頃~ 
W。研究論文形式はこの研究項目からしか辿れない。他は箇条書きの要約。
W。このヒトがインド文明などに拘る理由がいまひとつ解らなかったが、言語学サンスクリット語は古いインドヨーロッパ語族の祖語だと知って、納得できるようになった。歴史には古いものと新しいものの逆転現象はよく発生する。歴史の長期スパンでは先進は後進になることが多かった。
仏教はインドヨーロッパ語族の民が修行し、王様に保護され、その言葉で表わされた。→小乗仏教上座部仏教
大乗仏教は中国で世界論となり、日本にもたらされたので、東アジアの仏教である。
 
(4)世界史講義録 金岡新 
W。解りやすい面白い正確な世界史。高校世界史を丁寧に深めたものか。
歴史は事実関係をすっ飛ばして抽象化してはいけない。事実関係を踏まえずにアレコレ言い出すと議論にならない。論外ということであるが、そういった傾向が拡大すると、災いをもたらすのは戦前を見ればよく解る。