反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

今世界情勢の最も厳しい対立軸にあるウクライナや中東情勢を、日本側の視座によって、理解するうえでも、帝国主義戦争を内乱へ!という視角から眺めると<次元の違った光景>に見えるのではないか。

   
  先の記事でホブソンの間接論文を途中まで記載した。その後、アメリカの国内事情を知ろうと思って、数本の記事を書いた。といってもほとんどは、コピーペーストで、本当は、もっと抽象的な「理論」として取り上げなくてはらなかったが、その方面の能力の欠如を自覚して、仕方なく、いつものようにこまごまとした事実問題を取り上げていくしかなかった。
 
1969年のアポロ月面着陸成功の国家的大ウソに今更ながら着目したり、9、11ニューヨーク事態や獄産複合体のリアルな実態暴露、健康保険制度の不合理などの米国社会システムのロスに集約される具体的な国内矛盾を前面に押し出していくしかなかった。残念ながら、そう云う単純素朴な帰納法でしか、アメリカの現状と将来が見通すことができなかった。
 
 これらを記事にした意図は最初からはっきりしていた。
『脱「ア」入欧』  広井良典 引用  エマニュエルトッド「帝国以後の引用箇所を借りると次のようになる。
 
 「アメリカのレトリックは、あまりのばかばかしさで、徳とその人の気質によって~嗤わせもするだろうし怒鳴らせもする。しかしこれは冗談ではすますべきものでなく、真剣にその意味を解読しなければならない。それはアメリカの悪への強迫観念を客観的に表現しているのだ。
その悪は国外に対して告発されるが、現実にはアメリカ合衆国の内部から生まれてくるのである。実際、アメリカ合衆国では至る所に悪の脅威が潜んでいる。
平等の放棄、責任ととらない寡頭支配集団の勢力伸長、消費者たちと国そのものの借金生活、ますます頻繁に適応される死刑、人種の強迫観念の復帰、~中略~
アメリカは至るところで悪を告発するが、それはアメリカが思わしからぬ行動をしているからなのだ。」
 
 
>つまり、世界にとってますます迷惑な存在になってくるであろう今後のアメリカの行動の大本は、国内のどうしようもない基本的な社会経済構造の矛盾と、それに伴う不合理的な的ロスの発露である。
 
ある時代までは、アメリカシステムはそれなりにうまく機能していた。
しかしある時点から、それが桎梏になってきた。
内の巨大矛盾を解決できなければ、それをアメリカ圏外に転嫁する。近隣者を巻き込み、対抗要因を設定しそれに立ち向かっていくことになる。この構図は普遍性がある。
しかしながら、アメリカはブッシュ政権時代の単独行動主義によって主要国を巻き込んだ戦争政治を展開した結果、独仏の参戦拒否や世界中に、アメリカ不信、抗米反米 、をばらまき、遂にアメリカンバブルの崩壊を招いた。
 
オバマ政権の8年間は、ブッシュ政権時代の経済バブルと侵略戦争の尻拭いに終始したと総括できるのではないか。
最低貧困層とは言えない無保険者4700万人健康保険体制の異常な矛盾を解決するはずのオバマケアは、結局、一部資金の政府援助の全面的な民間保険加入という、患者と病院の間に、民間保険会社の金融寡頭制資本が立ちはだかる基本構造の矛盾に、何ら手を触れるとこはできなかった。
いやむしろ、民間保険会社という金融寡頭制資本は、オバマケアによって保険の膨大な新規加入者を確保し、しかも、政府の一部援助もあるのだから、さらに安定的に儲かる仕組みを確立した。政府の財政負担の増大要因にもなるだろう。
 黒人大統領誕生の大統領選挙における選挙資金、空前の700億ドルの過半は大口献金者、つまり保険業界を含む大企業献金であるという事実は、オバマケアの落としどころ、無保険者の民間保険加入で、報われた、ともいえるが、
アメリカ保険制度の先進国では類を見ない元からの不合理的システムによって、最初からそういう筋道の解決しかなかったというべきである。
公的保険制度を確立しようとすれば、世界に展開する軍事費を削るしかないが、軍産複合体ががっちりとアメリカ政治経済システムにリンクしている以上それはできない。
今のアメリカが軍事力の突出によって、覇権を維持して世界の余剰資金を国内経済に還流させている側面が強い
 
その一方で、保険会社、製薬会社、病院、患者の市場原理による従来のトラブルは、目新しい加入者の市場参加によって、これまで以上に増えていくだろう。
 
>獄産複合体の収奪対象者は200万人の刑務所人口であり、その労働単価は、発展途上国よりも低い。
>所得と資産の格差拡大していく要因を国内に数え挙げたら切りがないほどで、そのすべてがリンクしている。
 
*以上から、素人ながらイロイロ考えているうちに成熟し、最高度に発展した世界の資本主義の寄生性の深化、という基本視座を、再び、俎上に乗せる必要がある、現状や将来の世界は金融帝国主義という時代認識が現実味を帯びてきた、という想念に到達した。
 
>そういう、どうしようもなく、今後深化するしかない国内矛盾を抱えた国が、<自由と民主主義>の御旗を振って、世界をどうにかしようというのである。
*だったらその<自由と民主主義>とは、何なんだ?その中身は?という、問いかけが発せられて当然である。
 
一部の良きアメリカは確かにある。しかし、それら、彼らは今やアメリカを<全く代表していない>。それらと彼らは今のアメリカでは絶対的少数派でしかなく、アメリカの進む道を少しでも修正する力はない。
*したがって、エマニュエルトッドの云うようにアメリカは変わってしまったのだ。今のアメリカの掲げる自由と民主主義は、拝金主義とキリスト教ユダヤ教の宗教原理主義の<混合物>である
そのような人間存在にとって普遍性のない偏った政治経済原理に対する疑念が世界中の深く広く浸透するのは、当然の成り行きである。

*ネット上でレーニン帝国主義論」を見つけて、ワードをメモ代わりにして、改行なしに37KBコピーした。縦書き文書を横に転倒しただけのようだから、すべての和算数字が横並びになっている。しかも、「帝国主義論」は数値を次々と上げ実証していくことによって、論に説得力を持たせるというスタイルが徹底されているので読みずらい。
 
また、「帝国主義論」の最後に記された有名なスローガン。 
 
帝国主義戦争を内乱へ!は取り除かれている。このスローガンの前の文章も削れているようだ。
 
新しく翻訳しなおしたと訳者は、できるだけ多くの人に読みやすく、わかり易くした、などとしているが、今と将来において、支配層の国家主義に抗するものにとって、帝国主義戦争を内乱へ!の立場は、遠い昔の他人ごとではない。
特に日本において、支配層の国家主義に対抗して、もう一つの「国家主義民族主義」に依拠しがちな傾向がある。
>今世界情勢の最も厳しい対立軸にあるウクライナや中東情勢を、日本側の視座によって、理解するうえでも、 もう一つの「国家主義民族主義」に依拠しがちな傾向は邪魔をして、見る目を曇らせて、ややもするとイラナイ緊張感を内に閉じ込める結果となる。
帝国主義戦争を内乱へ!という視角から眺めると、中東やウクライナ情勢の激動も、<次元の違った光景>に見えるのではないか。
 
*激動する時代であればこそ、認識し行動する主体は、多角的視座の必要が生まれてくる。
*激動する時代に添い寝するのではなく、一端そこから認識行動主体を分離せよ!
そしてのちに結合せよ!
その術のひとつが、帝国主義戦争を内乱へ!のごとき激動する時代に対する徹底した開き直りの地平である。
グローバル支配層がショックドクトリンや世界的な低強度戦争の戦略をとっていこうとしている中で、いつまでも、もう一つの「国家主義民族主義」に依拠しがちな傾向の<憂国の情>やかつて理想的に在ったモノが崩壊していく危機意識の政治思想は立ちゆかないのではないか。時代の激変の渦中に押し流されているのではないか。
 W。イラナイところは捨てる。必要なことだけをくみ取る。和算数字を修正しようとしたが、あまりに数字が多すぎて無理!個別の項目の内容に立ち入って、ほとんど吟味していないが、
>トータルとして何がいいたのか政治目的がはっきりしており、それを実証できる構成力が群を抜いている。
 
    ★一 生産の集積と独占体。
全体で三、二六五、六二三経営のうち大経営は三〇、五八、すなわちわずか〇・九%である。

これらの大経営に属する労働者は、一四四〇万人のうち五七〇万人、すなわち三九・四%蒸気機関は八八〇万馬力のうち六六〇万馬力、すなわち七五・三%電力は一五〇万キロワットのうち一二〇万キロワット、すなわち七七・二%である。
 一〇〇分の一たらずの経営が、蒸気力と電力の総数の四分の三以上をもっている! 

そして企業総数の九一%を占める二九七万の小企業(賃金労働者五人未満の)には、蒸気力と電力の七%しか属さない! 
 
 数万の巨大企業がすべてであり、数百万の小企業は無にひとしい一、〇〇〇人以上の労働者を雇う経営は、ドイツでは一九〇七年に五八六あった。これらの経営が、労働者総数のほとんど一〇分の一(一三八万人)と、蒸気力および電力の総量のほとんど三分の一(三二%)をもっている
 あとで見るように、貨幣資本と銀行とは、ひとにぎりの巨大企業のこの優越をいっそう圧倒的なものにする現代資本主義のもつ一つの先進国である北アメリカ合衆国では、生産の集積の進展はもっとはげしい内の全企業の総生産額のほとんど半分が、企業総数の一〇〇分の一のものの手中にある! そしてこれら三、〇〇〇の巨大企業は二五八の産業部門にわたっている。
 
 ここからして、集積はその一定の発展段階で、おのずから、いわば独占のまぎわまで接近することが明らかである。なぜなら、数十の巨大企業にとっては相互のあいだで協定に達するのは容易であり、他方では、まさに企業が大規模であることが競争を困難にし、独占への傾向を生みだすからである
 競争の独占へのこのような転化は最新の資本主義経済における最も重要な諸現象の一つ――最も重要なものではないとしても――であって、われわれはこれについてもっと詳しく論じる必要がある。

W。ここから先の記述は、主としてイギリス産業資本主義の帝国主義への展開の分かり易く解説されている。今の学者にはない構成力がある。
 
(1)現代の独占体の真の端緒は、最もはやく見ても一八六〇年代のことである。
 
(2)そして独占体の最初の大発展期一八七〇年代の国際的不況からはじまり、一八九〇年代の初めにまでおよんでいる」。←W。ここは経済史として重要ポイント。ウィキペディアにも詳しく載っている。
「ヨーロッパにかぎって考察するならば、自由競争の発展の頂点は六〇年代と七〇年代である。その当時イギリスは古い型の資本主義組織の建設を完了した。
 
そこで、独占体の歴史を総括するとつぎのとおりである。
(一) 一八六〇年代と一八七〇年代――自由競争の最高の、極限の発展段階。
独占体はほとんど目につかないくらいの萌芽にすぎない。
(二) 一八七三年の恐慌以後のカルテルの広範な発展の時期
しかしカルテルはまだ例外にすぎない。それはまだ堅固なものではない。それはまだ経過的な現象である。
(三) 一九世紀末の活況一九〇〇一九〇三年の恐慌

カルテル全経済生活の基礎の一つとなる。資本主義は帝国主義に転化した。
 

 
 カルテルは販売条件、支払期限、その他について協定する。

それは販路を相互のあいだで分割する。それは生産する生産物の量を決定する。それは価格をきめる。それは個々の企業のあいだに利潤を分配する、等々。
 

 

 競争は独占に転化する。その結果、生産の社会化がいちじるしく前進する。とくに、技術上の発明と改善の過程が社会化される
 

 
>これはもはや、分散していて、おたがいのことはなにも知らずに、未知の市場で販売するために生産する経営主たちの昔の自由競争とは、まったく別のものである。
集積は非常にすすんで、一国のすべての原料資源(たとえば、鉄鉱石の埋蔵量)だけでなく、あとで見るように、数ヵ国の、さらには全世界の原料資源の概算さえできるほどになった
                続く