反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

心臓病と命養生

IWJ代表のジャーナリスト、岩上安見さんの
【岩上安身よりみなさまへ】お詫びと、ひとまずの復帰のご報告
の内容を読んで驚きました。数日間、東京を離れての療養先で、3度目の発作を起こし、救急車に乗ったとのこと。しかもその時の発作は帯広で初めて発作に見舞われた時と同じほど、強烈だったとか。
ネット上で調べてみると、「冠攣縮性狭心症(かんれんしゅくせいきょうしんしょう)」は厳しい心臓病とわかりました。専門的な報告書を読んだだけでも、この心臓病は、いまだに、病理学的な原因が究明されていないところが多々あり、従って発作を「完全に」予防する薬が、まだ開発されていないことが、ぼんやりとわかります。
心臓の細胞は生まれたときから死ぬまで、入れ替わらないそうです。他の体細胞のように再生しないということです。岩上さんの患部の心臓に至る動脈も心臓細胞の一部とすると、病理個所の再生はないということになってしまいます。
そうすると、小康状態を保ったまま、安定期をできるだけ長く維持することが今後の最大の課題となります。決定的な心臓の病気とできるだけうまく付き合っていくことが求められます。
私自身、難病の心臓病を抱える患者として、他人ごとではなく、自分の経験から、何か参考にしていただける事があればと思い書くことにしました。

>冠攣縮性狭心症患者さんのブログ、サイトには多くの同病の方のコメントが載っています。
ブログの管理人さんがどういう気持ちで書いておられるのかも、少しはわかるような気がします。
*心臓病患者にとって、心のケアは大切な要素です。同じ病気というベースを共有しているのだと思います。記事や皆さんのコメントの奥底に優しい労りをかんじます。
 
>この点、現在の医療は専門医制度に分割されているので、特に生死の境に常に遭遇し措置している心臓の専門医は職域柄、ハードを維持しなければ務まらない様で、仕方がないのですが、自分の専門分野の範囲を守ってしか患者と応対しない傾向があるように思われます。
 
>ところが大方の決定的な心臓病患者は、同時に精神的なダメージを負っているのですが、心臓の状態と密接につながる心のケアは彼らの専門外のことです。
 
 この辺の学際領域の問題を岩上さんの記事を読んで痛感します。
敢えて断言すれば、湯河原温泉旅館に行ったのは間違いですが、云ったことも含めてどうしてそういうことになってしまったかといえば、上記の問題があります。湯河原の旅館に出向くことは、心臓病にとって密接な関係にある心のケアと逆方向のことです。当然にも、帯広と同じぐらいの発作に見舞われたわけで、不思議でもなんでもありません。
非常時の場合以外は、そういうことなので、医者は余り、あてにならないと心の奥底にしまっておくべきです。
ブログ記事の中にもそういう主旨のものがたくさん見受けれれます。
 
コメントを寄せられている中には医師の方もおられます。医師の方のコメントを読むとこの病気の難しさが、なんとなく想像できます。

少し前に、書いた運動療法云々の記事は、内容的には的外れでしたが、今でも間違ったことは書いていないつもりですが、不安定期の患者には不適切な内容を含んでいます。
しかし、安定期を迎えるためにも個々の事情に応じた運動療法は必要だと、云う信念を持っています。(しかし安定期に入るまで、個々人の状況の違いから一概にこうだと言えませんが体験上、参考になることは率直に書くつもりです)。

<心(心臓、と神経)と身体の悪い連鎖の渦中>から、自分を外部に救い出すルートが必要です
それには薬治療だけでは不十分で、身体を患者の状況に応じて、意識的に動かすことによって、
**まず身体を<心(心臓、と神経)と身体の疾患の渦中>から、少しでも解放し、小康状態の好循環を意識的に作り出す方法があります。
**薬だけに頼っている状態にプラスアルファとして、生活習慣の見直し、運動療法が必要と考えます
 
 わたしの場合は、小康状態に入った時に、医師から生活習慣の節制と運動療法を勧められましたが、病院のリハビリは一回、経験しただけで、この程度なら自分でできると、断りました。
 
それよりもかなり前に心臓病発症中に交通事故にあって、最初は病院のリハビリに通っていたのですが、自宅で細いゴムチューブを用いる運動療法を療法士から、教わり、治りたい一心で根気強く半年以上やり続けると見事に全快した経験がありました。
整形外科の若い先生の見立て通り、完治した時点は、怪我から8~9か月後だったのです。びっくりしました。
>また自分の身体を意識的に動かすことによって、変化が起こることに興味を持ち、それ以来、かなり長い年月をかけて無理をしてでも体を動かしてきました。試行錯誤、紆余曲折がありましたが。
怪我が完治し、引き続き身体を動かしている最中に心臓の状態はいつの間にやら、小康状態で安定していました。
 
 
 ただ、そこまで至る過程を振り返ってみますと、身体を動かすようになったのは交通事故という偶然、の結果、少しずつ効果が表れたことに驚いたことがきっかけでした。
その昔、友人たちが、運動を趣味としている時でも、「そんなことをやっても、動かさなくなれば、身体の貯金をすぐ減っていくのだろ」などと、批判的なことを云っていました。
そんな自分がここまでやってきた大きな理由は、交通事故リハビリの目に見える効果のほかに、
>もう心臓「発作」や不安定な状態はごめんだという想いがあります。ただ生きているという意味からも大きな障害でした。
わたしの心臓病では突然死につながる呼吸停止や徐々に死に至ることはあっても、あのような発作状況は起こらないはずで、岩上さんのような救急車で運ばれるようなことはなかったのですが、病名が判明した当初は「発作」のような症状に付きまとわれていました。突然、脈拍は速くなり、目に見える景色が急に輝きだして、息苦しくなったり、身体が地面に沈みこくような感覚がよく、起こりました。
 
そのような状態では、身体をなるべき動かさない選択を自然とします。食後に胃が激しく動き出すと心臓に負担をかけているのが実感できるので、自然とすぐ消化できるもの少量を選びます。
 
自分の心臓の状態に完全に自信を失って
自意識過剰で、却ってそのことが、心臓のちょっとした異変に神経過敏になり、異変状態を暴走させてしまったのではないかと思います。
素人考えですが、それ以外に考えられません。繰り返しますが私のような病名では、あのような発作はあり得ないのです。未だにどうしてあんな状態になっていたのかそのメカニズムが分かりません。
効かないばかりか副作用のある薬を処方する医者には此方から何も尋ねませんでした。
 
<完全に神経と心臓の身体の悪循環の罠>にはまっていたと思います。医者から渡される薬はあまり効果がなかったです。というか体質的に合わない感じがしました。今でも医者の薬はできるだけ少なくしていますが、病院を移って、たくさんの薬を処方された時、きびしく抗議し、「変人」扱いされたこともありました。もっとも変人は事実なのですが。それが以前記事に書いたA薬の動静を中和するためにB薬しようという、大量の薬の処方スタイルです。
 
 新しく替わった医者は、薬の効かない患者はいると説明してくれましたが、効かないどころか、正常でない身体状況になっていたから抗議したのです。前の医者とは薬の量を1種類にすることで折り合いをつけ長く診てもらうもらうことになりました。そのころには運動療法によって自信を回復していました。自分の身体の最終決定権は自分にあります。
 前の医者も、「天寿を全うする、」というハッとするようなことを語ってくれました。何か、カルヴァン派キリスト教に通じるようでもあるし、東洋思想的でもある、納得できる観点です。
あらかじめ運面は決まっているのだと。なるようにしかならない!自分のやれることはその間にいろんな意味で精一杯生きることだ。それしかない。

*しかし繰り返しますが、心臓の専門医はある程度以上はあてにできなかったのです。しかも、難病だから仕方がないのですが、その程度のレベルが非常に低い。もちろん岩上さんのような救急車で運ばれるような発作のとき、医者の力に頼るしかないのですが、わたしに限って言えば、心臓の専門医は、薬効果がほとんどないのですから、頼りに出来なかった。何のためにかなり間隔を置いて通院しているのか?薬をもらうため、と身体状況を検診、検査などで診てもらうため。医者には必要最低限のことしかほとんど口を利きません。すぐ退散します。

*「発作」と不安定状態から、どうにか抜け出したのは、やはりフラフラしていたので心臓の専門医でない医者にかっかって、2種類の精神安定剤を処方されて以降でした。
*しかし、この薬で心臓と神経の不安定な連鎖はおさまったけれど、一日中、ボーッとした状態が続いているような感覚がありました。実際に頭の回転力が低下しているようで、暗算など間違えるのでびっくりしました。
それに身体に薬に対する抵抗力が、徐々に芽生えていくような気がしました。
>このまま、こんな薬に頼った状態はまずいと直感してし、ナントカ薬をやめようとしましたが、こういった薬は、簡単に中断すると、精神的に変調をきたすようです。神経系に副作用が出るから、事実勝手に中断してはいけないと、書物などに書かれています。処方した医者に告げると、勝手に中断しては駄目だと告げられました。
少しずつ減らすことを目指して、終いには、薬を丹念に刻んだりしていましたが、次第次第にうつ状態のような症状に陥って入るのは明らかでした。世間がすべて灰いろのように思え、今まで経験したことのない何か種類の違う絶望状態に陥りました。
 
結局、この2種類の精神安定剤(有名な薬です)を処方した医者は、独立開業してかなり離れた所に行ってしまいましたが、そこまで薬をもらうためにでかけたことが何度かありました。
大げさにいえば、クスリの「密売人」と中毒者の関係のようだ思いました。

どうにかしなければと、精神神経科の医者にいったりしましたが、その医院の待合室でみた患者と医院側の醸し出す雰囲気は今までの病院にないものを感じて、ここに通ってはいけない、自力で何とかしなければいけないと痛感しました。
 
>そこで、決断しました。もうこれしか道はない!心臓病には危ないけれど、身体を動かすしか脱出口はない、それも自己本位の適当ではだめで、他人の強制力を伴わなければならないと決定しました。
 
結果的にコレによって精神安定剤服用の精神の病から抜け出ることができました
 
交通事故は、この後だったと思います。
それで、結果的に運動し始めるようになりました。

ただし、順調にはいかず、湿布薬は欠かせず、腰痛首痛ひざ痛など、紆余曲折がありました。
カロリーを摂取しながらの減量なので年月がかかります。ストレッチも必要です。ただ痩せているだけでは身体全体の循環、新陳代謝がいいとは言えないので、一定の筋力アップの伴わなわう減量では意味がないと考えています。この体力維持のための運動量のさじ加減はすごく難しいところです。
 
>大きな転機は向こうからやってきました。東日本大震災福島原発事故
何か自分の中で形を残そうと考えました。それまでのただ歩くだけという、やり方を変え、一歩前に踏み出すことにしました。あの大事故をきっかけにジャンプしたつもりが、けっきょくおなじところに着地するのであれば、事故によって時代状況という地面がががらりと変わったのだから、大きく後退したことになる。自己満足であっても何かを持続することが大切だと思いました。それが自分が自分らしく生きることに少しはつながる。時代状況を身体で受け止めるしかないです。

>ここまでの心臓病の経験を踏まえて単純に言えることは、、「冠攣縮性狭心症(かんれんしゅくせいきょうしんしょう)」の様々な事例の中で、病巣がはっきりしている場合を除くと、病状の多くは次のような作用によるものと想定します。
 
(実は、経験上、岩上さんの発作は度々起こるのではないかと、危惧していました。数日間東京を離れて、休養するということでしたが、少し疑問に思いました。)
 
体力に自信があって猪突猛進のように突っ走ってきたものが、突然心臓の病に見舞われたとき、ものすごい精神的ショックを受けて、一種のトラウマ状態を抱え込むことになり、そのトラウマが心臓の「発症患部」と連動し、インプットされてしまい、フラッシュバックのようにスイッチオンされてしまう、これが発作のメカニズムと仮定できないでしょうか?
 
そのような状況では、ストレスと疲れをいやすためといって、数日間の転地療法は、却って環境変化によって、連動系スイッチオンの状況を招きかねません。温泉旅館のような、東京都心と激変した環境は却ってよくなかったのではないでしょうか?
そのために、最初の発作と同じくらの発作に見舞われたのだろと思います。また、薬のさじ加減問題があったのかもかもしれません。薬が効く効かないは個人差がかなりあります。また決定的な薬はないようです。
 
>しかし発症後、3週間に三回も救急車に乗る事態は、その狭心症としては、重い方じゃないでしょうか。思い切った仕事日常生活上の対策がいるように感じ取れます。
 
小津安二郎監督の「東京物語」で笠智衆の妻、東山千栄子が心臓病の決定的なダメージを受けるのも、上京先の娘(杉村春子先生)の家族に勧められて行った先の熱海の温泉旅館でした。あんな団体客の騒ぐ旅館ではないと思いますが、東京を離れての休養は逆効果だったと思います。
 
また不安期に一人ゆっくりの「孤独」はよくありません。強烈な不安感に付きまとわれる心のケアをどうするかの問題は重要です。東京で療養すべきだった、と思います。できれば気軽に相談相手になる人たちの助けが必要です。おかれた状況に応じて、心と身体少しずつ解き放つ回路が必要です。ストレスや過労の蓄積は確かにありますが、それをどうやって解放していくのか、個別状況に合わせた対処法があるべきです。
しかし心の休まる環境も絶対に必要です。

心臓病を発症している者にとって、精神的な要素で、発作的な状況になることがよくあるのではないでしょうか。わたしのような心臓の病気にも発作はあるのですが、それは無呼吸状態(突然死に至る)徐々に死に向かうなどであり、病名が分かった当初のような発作の原因は主として精神的な以上からきてものと今では考えています。ここが心臓病の他の病気と違う精神的要素との関連の深さです。
 
>冠攣縮性狭心症(かんれんしゅくせいきょうしんしょう)」の中でも、病理的にココがこうなっているから、発作が起こる、と分かっている以外の病状は、神経系と心臓の病理個所のつながりが、インプットされているのだろうと思います。それが岩上さんの云われる副交感神経よりも交感神経が前面に出ていく、ということになるのだと思います。
発作が起こった時の苦しさが強烈なトラウマになって、ある条件の下で、トラウマ系が作動するのではないでしょうか。無意識に作動している心臓に対する、自意識過剰=自信喪失+発作時の苦痛体験のトラウマ作動化です。
ある一定以上のことを医者の頼っても、答えは得られなかった、これが私の体験上の決定的な教訓です。それ以上は自分で何とかしなければならない。心のケアのできる環境も結局は自分と周囲の環境の中、自分から作っていくしかありません。
自営業の岩上さんは大変な仕事ですが、ヒトに使われているのでないのですから、自分で自分の環境を作れるという意味では、ある意味恵まれた環境にあります。この点について、最後に書きます。

ネット上にはたくさんの心臓リハビリ療法の紹介が載っています。運動療法です。
たとえば、コレ。
体重管理や腰痛対策という周りから狭心症に攻めのぼっていくのも一つの手です。
体重管理は食事療法は減塩など基本的なもの以外のただ痩せるためだけのものは心臓病には逆効果だと考えます。代謝量などの機能の付いている体重計に乗るに習慣をつけると、体質の状態が大体わかります。
腰痛対策はレントゲン写真で、ハッキリと物理的要因が原因であるものに素人運動療法は逆効果です。ネットなどに出ている腰痛運動も危ないものがあります。

IWJをここまで覗いてきますと岩上安見さんというジャーナリストにはあるまとまりのある<政治思想体系とでもいうべき確固なものがある>あると総括できます。
これによってインクルードされたり大きく重なり合う人たちが、IWJの会員と了解します。
 
ところで、岩上さんのような主張の枠組みのはっきりしているジャーナリズムにたいして、コレまた主張のはっきりした諸個人や団体が存在するのも事実です。
その場合、広い政治的領域では折り合うことができても、プライベートで譲れないところは出現しがちです。
この部分は現状では会員とはなりません。しかし将来の情勢変化を加味すると会員になる可能性があります。
 
そういういみで、会員数の現状は非常に奮闘していると思います。
議会圏ではない在野の一つの反政府的反体制的(部分的)、反時流的な政治党派のごとき存在としてIWJをとらえ返した場合、特にその観を強めます。
4000人台の会員数は限界点です。
>ただし、気骨あふれるジャーナリスト岩上安見さんの苦闘している核心はココにあります。
心臓病の本当の原因はここです。

しかし、報道内容を見直すにしても、今までのままの延長線上でやっていくと、IWJ側の過負担は岩上さんの双肩にかかってくるような構造が傍目にもはっきりしています。
 
>ハッキリと申し上げると、岩上さんの識者へのインタビューはあまり必要でない様な気がします。
専門領域に立ち入りすぎて、そいう路線のインタビュー動画ばかりだと酸素不足で息がつまりそうになるような思いがします。本でじっくり読むべきことを識者が話してしている場合が多いから、岩上さんの過剰な助け船がいるのだと、思います。同時に、そんな人を枠内で相手にする岩上さん側も、一定の学習が必要になり、過負担になります。だがいまとなってはその必要があるのかどうかが問われます。
 
>先ごろ自分のブログ記事を整理してみて、書いているときは敢えて難しいことをそれなりのつもりで書いていても、全体を仕分けしてみて、あまりにも難しく書き過ぎて、とても読めたものじゃないと暗澹としました。
ただ、コレばかりはもともと知識と不足を自覚している者の公開ノートのつもりで書いているのでしようがないの
 
>ですが、IWJは今までの方針を変えることができます。
ただどうだろうか?
IWJの視聴者ならば、アウトラインは知っているようなことを専門が自ら語っているすぎないのではないでしょうか?目からうろこのようなことを語っている事例はごくわずかのような想いがします。
それならば病身の岩上さんに替わって若い記者が教えを請うという立場でインタビューしても結構いい映像になると思います。失敗や至らないところがあっても寛大な視聴者は許すと思います。それが彼らの成長になります。これからは彼らの時代です。
大学の一般教養のような内容にわざわざ、ココに至って岩上さんが首を突っ込む必要はないと考えます。
 
究極のところ、世の中はなるようにしかならなかったというのが大きな歴史の流れと考えます。個々人や部分が力みかえっても、部分的一時的な成果が得られても、時代を超えることはできません。
そいう歴史的な意味でも激動する世界情勢必至のコレからは大きく開き直るところや、緊張と緩和の緩和の部分が絶対に必要になります。
 
そのいみでI世界や情勢とは一切無縁のWJキッチンが一番安心して見れいられる映像です。

そのほか最近の映像で引き付けられたのは小山乃リ子さんコーディネイト司会、内田樹さんの講演と小山さんを含めた内田さん、元自衛官泥憲和さんの対談でした。
舞台背景の文字のデザインもリラックス感あふれて随所に笑いを挟み、最高でした。素人の作ではなく芸術的でさえあります。内田さんは著書より講演の萌芽数倍も面白い。難しいことをやさしく笑いを取りながら、しかも構成は非常の論理的に話す内田さんは武田哲也の身ぶり話ブリにそっくりでした。
 
2015/03/07 【兵庫】内田樹が語る「街場の戦争論」 ~グローバリズム憲法9条~(動画)

>ということで、岩上安見代表の長時間インタビュー激しく削減することで負担減になります
>また、内容が濃すぎる長い文字テキストもそこまで丁寧なものはイラナイと思います。活字人間はあれを読むだけで内容がわかったような気になって、満足しがちです。動画制作と活字の両刀使いは報道者の大変な負担になります。
朝日新聞がニューーメディアとしょうして高画質のネット配信映像と活字を重ねた福一原発吉田所長の事故直後からの「物語」を試験報道したことと長く濃すぎるテキスト付のIWJは小規模にして日常化しているようなものです。動画と活字の製作者に非常な負担をかけます。
わたしは朝日のあれの部分を視聴して、福一原発事故のような重大な政治問題のマスメディア報道には邪道だと思いました。あれをやり始めるとセンセーショナリズムに流れて、危ないところに行く。案の定暗礁に乗り上げたのじゃないですか?
 
>岩上さん不在時もIWJの表面的な報道内容には変化はなかったと思われます。
そういうことで岩上さんは、余った時間をリハビリに振り向けてください。これからの情勢の推移を想定しますとIWJの存在意義はますます大きなものになります。
継続は何とやらといいます。
岩上安見にもしものことが発生すると、IWJはただちに存廃の危機に直面します日本中探しても替わる人は見当たりません。政治感性として岩上さんの替わりは無理です。
>そういういみで、どうして神経麻酔ブロック注射を打ってまで、極寒の帯広まで行ったのだろうと。しかも集会後まで付き合うとは!そこが岩上さんらしいといえますが、残念でなりません。
なお、患者側からの頼みでも、理由をはっきり言って、あの注射を拒否する医者も現にいます。
 
日本人の習性としてどっと同じ方向になだれを打っていくことは目に見えている、これからの情勢の推移を想定しますと、日本唯一の<独立>ネット大衆メディア、IWJの存在意義はますます大きなものになります。
岩上さんの仕事の一部はIWJを存続させることと、自身の身体の状態を維持することになるかと思います。