反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

大阪都構想の大ウソ。都区制は1947年(S、18年)の戦時方策として施工された上意下達のシステム。今、適応されると日本的な徹底した市場原理システムに転化する。

 サテと~。大坂都構想について、書かなければればならない。気分が重い、うんざりする。
これまで度々、橋下維新政治を批判してきたが、大坂都構想を正面から取り上げたことはなかった。
 
A)いつの間にやら、大阪市有権者大阪都構想に対する賛否を問う、と称する住民投票が実施されることになってきた。この要約した文言の中に大阪都構想マルチ商法のような大ウソとごまかし、の過半が示されている。
      <住民投票に至る事実経過と実情>
イ、2011年の統一地方選挙に際して、当時の橋下大阪府知事は任期を待たず辞職し、配下の府議松井を知事選に出馬させ、議論するうちに、意見の食い違いが大きくなった民主党系の現職市長を破り、市長に鞍替えした。(下線部分は橋下政治の特徴である。大風呂敷を広げるが、具体論行政技術論に踏み込むと、余りの整合性のなさ出鱈目さ、が明らかになり支持者は腰を引く。)
3,11東日本大震災福島原発時の余韻も冷めやらぬ、日本全体が騒然としていた頃である。橋下の選挙戦術の大きな柱は、大坂都構想と原発であった。
大阪維新の会は一気に議席を伸ばし、大阪府大阪市の首長を握り、その後、時流に乗って公明議員団をも巻き込み、議会与党多数派を制するようになった
この辺あたりまでは、その後、意見の相違から橋下と袂を別れた元官僚古賀茂明飯田哲也などの各分野の「有識者」(適当な表現がない)との協力関係(両名は大阪市特別顧問)も目立ていた
総じて橋下維新政治の時流に乗った躍進、全盛期である
 古賀との意見が食い違うようになった最大の契機は、当時、みんなの党シンパの古賀が石原慎太郎らとの合流に強固に反対してとき、だった。(反俗日記「橋下徹という政治の病」で、この時の橋下~古賀のリアルな政治問答を記載。「古賀さん政治の世界は食うか食われるかですよ」云々~こんなあわただしい野心の抱いた首長を持った住民は大迷惑し続けている。)
 飯田哲也との分岐は、橋下の政治野心を実現するためにはなんでも利用するという橋下の本性からきている。
電力最大需要時に病院に対する電力供給が賄えないなどと、して政策転換の理由にしているのだから、そうとしか言いようがない。ガス省エネ発電所を訪問したりしているところから、世間を騒がせる政治家としては、最初からキチンとしたエネルギー政策を持とうとする意思が希薄なのである。反原発報道で一部では有名であった大阪毎日放送ラジオの「種まきジャーナル」のリアルな地元の政治地図に基づく落とし所は、問わず語りに、橋下の反原発政治幻想であった。浅はかである。橋下政治の得意技は、その時々の勘に頼って、暴走し、あとから口達者につじつまを合わせて開き直る。
この時点の橋下維新~公明の議会与党に対する野党勢力は民主系、自民系議員と、隔てて共産党である。
 
ロ、潮目が変わったのは、民主党野田政権から、自公が国会絶対過半数を制したあたりである
大阪都構想に難色を示し、大阪府、市の議会の野党勢力の事実上の中心にあった地元自民党は中央政治の絶対多数派与党に返り咲き、地元での政治の力関係は影響を受けて変わってきた
>維新中核議員は自民議員団の末端からの政治出世を狙った転向者である。時流に乗った者と本流を任じて、ある種の筋を通したものの立場の逆転現象がまたたく間にリアルに起こったのである
地元の維新ー自民、間にはリアルな人間的相克が生まれた、ともいえる。
また、現実的な大きな視野や、職業的立法者の立場立てば、大坂維新政治などは、稚拙なふるまいで、所詮、体制には逆らえないし、職業的政治家としての能力に欠けている、と映るのは当たり前だ。自公政権の政権復帰によって、この思念と亀裂さらに深まった。
大阪維新の会は、世間を騒がしているほどの政治能力ない鵜豪集団である。中央の維新の会を含めて、中央権力の意向に収れんして行く運命(政治法則)を背負っているのである
大阪都構想なるものも、道州制論議の思惑から出たものであり、橋下維新が、エスタブリッシュメント側からみると、周辺にいる己の立ち位置から、政治出世を急いで異常な熱気で住民マスコミを巻き込んで、大騒ぎしている代物に映じるのである。
 
>2012年暮れの総選挙圧勝によっての中央政治地図の予定通りの改編によって、自民党とぴったりと寄り添ってきた、橋下大阪都構想支持の地元公明は、瞬間ねじれ現象が生じ、結果、骨折に至ってしまった
 
この時期の自公中央政権の立場からすると、従来の自公の枠組みは絶対多数派を形成しているのだから、新参の維新の会に参入障壁を築いて、維新の会に政治権益を分け与える必要はなかった。
>そうすると地元公明は瞬間ネジレによる骨折個所を癒すしかない
すなわち、維新の会との議会協調姿勢を都構想反対の地元自民寄りに修正しなければならない。分かり易い。
維新の公明の協調を得ての議会多数派維持は完全に頓挫し、このままでは、大坂都構想の実現は、維新単独で議会多数派を制しない限り不可能になった。無理筋。そこまで維新にイカレタ有権者は存在しない。
 
>この実情が、その時々の勘に頼って、暴走する橋下に、「都構想の是非を問うと称する」突然の市長辞職ー再出馬をさせた。頭にきて中央強行突破である。2014年、昨年のことである。しかしさすが法律家。大阪市の分割協定書を携えていた。しかし、先回りすると寝返った地元公明が動かなければ、そんなものはただの紙切れだった。
窮地には中央突破。コレが橋下の政治病である。小沢一郎となぜかそっくりである。世間を騒がせることに政治手法の主眼がおかれている有権者にとって本質的に困った戦時型の政治家である。
>なお、暮れのアベの衆議院選挙に際して、公明の寝返りへの怒りが冷めやらぬ橋下と松井は市長と府知事を辞職して、公明つぶしのために、地方区から候補しようと画策した。
そのシチャカメチャカを批判されて断念したが、橋下維新政治とは、こういう政治体質が度々表面化するのだから、毛嫌いする層は自民党から共産や無党派まで幅広い。 まさに橋下徹という政治の病である。

 ウィキペディア 大坂都構想、 橋下市長再選と協定書の作成個所引用。
「2014年3月23日に行われた大阪市長選挙で、橋下徹は37万7472票(得票率87.51%)を得て当選したが、他方で投票率は23.59%。」。今回の住民投票の行方を占う大事な数字である。

    W。ウィキペディア 橋下市長再選と協定書の作成←今回の大阪都構想の賛否を問うと称する大阪市有権者のみの住民投票である。大阪府有権者住民投票ではない
 
>事前に作成された協定書への白紙委任状(協定書は地元公明が賛成に回ることによって可決されたこの協定書作成を前提にした橋下の辞職、再出馬で、承認されたとなる。協定書は賛成票が上回れば純行政処理される。この実情について後ほど。である。言い換えると、大阪市を4つの特別区に分割し、大きな財源と取り上げ、府に移管する協定書の賛否問うことである。
大阪都構想への賛否と称するが、国会で国の関係法を変えない限り、実際は大阪市の分割と財源の大幅移譲の協定書の承認となる。
上記の限定大阪市の分割~特別区構想~財源の府への移管するという協定書の賛否を問うという実態を大阪都構想に賛成か反対かなどと飛躍したすり替えをしなければ、何千億円も余剰金が出て有効活用できて、なおかつ分割された市民側に多大なキックバックがある、などという絵空事の宣伝は、大阪市民にはできないのである。
協議会で具体論を詰めていくと都構想効果は年間たった1億円という試算が出てきている。結局は人件費の若干の削減にとどまるという。そもそもが日本の地方自治体の財源は、中央に吸い上げられて、そんなに裕福ではなく、東京などごく一部を除いてみんな赤字で国から補てんされている。各事業もいっぱいいっぱいでやっている。もう、この辺で何処かにカネが埋まっているとか、削減すれば余剰金が出る、なんて神話とは決別した方がいい。
更に、都区制にすれば、歴史的に経済飽和状態の大阪が、経済発展するなどという根拠の裏付けは具体的にどこにあるのか?一度、生駒山に登って、大坂平野の一望を勧める。眼下の錯覚もあるが、立錐の余地なき人工物の密集地帯が大阪平野である。で、少し沖の地下工事の残土を埋め立てただけのチンケナ埋め立て地に目が行き、空想の国際経済空間を夢見る。この方面の巨大開発が今までの大阪の不債の主たる原因の一翼を形成してきたのではなかったか?背伸びしないで足元を踏み固める政策こそふさわしい。
その昔、大坂オリンピック招致活動というのがあった。
維新の会の宣伝文句のように何千億円も余剰金が出るのであれば、大都市を抱えたどの広域自治体を似たり寄ったりの案が出てくるはずだ。
どうしてそうなっていないのか、不思議に思わない神経を疑う。マルチ商法に騙されている被害者と同じではないのか、と一度は自問自答すべきだ。
また、そのような大騒ぎをして、大がかりなことをやらなくても、行政の効率化の方法は他にある。
いわゆる二重行政の解消は現状の枠内でもやれるし、そもそも、二重行政に該当する区分がはっきりしていない。部分の効率の急進的追及が、大きな範囲で誤謬を生むことが多い。1億2千万人の人口を抱える大きな経済の規模では、そういう誤謬が起こり易い。日本の少子化、経済停滞はこのことによって発生している部分もある。大阪商法の欠点は損をして徳を取れというところがなく、目先の損得勘定にこだわることである。長い目で見ると大きな飛躍がなく、相手関係から、停滞していく。
住民生活に身近な地方政治は、もっと静かに穏やかにやるものだ。常に対立点や話題を提供する地方政治は、住民生活の邪魔でしかなく、只今現在、日本国民として、考えるべき現在将来の重大な国政上の問題は山積している。橋下維新らが動き回ることによって、大阪庶民の身近な生活が良くなってきたとは思えない。静かにしてもらいたい。
ハッキリ言って、都構想騒ぎなど他所では起こらない。住民投票大阪市民に問うなどということは狂気の沙汰である。大阪を、この国の新しいエンジンに。維新の会街頭ポスター。クルッテいる。都構想騒ぎの大阪が日本の新しいエンジンになれば、日本の明日は地盤沈下しかない。都構想の出所は歴史的な経済地盤沈下の挙げ挙句の果ての窮余の1策、そもそもが蛇道なのである。貧すれば鈍するとまでは云わないが、住民無視の市場原理主義の大阪をアカラサマニ再現することである。国政が所得の上位移転政策を取っている中で、地方政治が、率先して輪をかけたように所得上位移転政策を取ればどうなるか、結果ははっきりしている。
日本中の地方自治体が大阪都構想のような政策を取ればどうなるか、凄まじい市場原理主義日本が出現する。東アジア東端付加体列島アメリカ社会が出現する。

>この橋下の再出馬市長選挙に対して、自民公明、民主共産など反対派は選挙ボイコットという適切」な対応をしている。
誰が言い出したか知らないが、深く感動した
コレは知恵と柔軟性のある日本古来の伝統を受け継ぎ、現在に生かした民主主義政治の具現である。
領主の暴虐に対して民の側は<逃散>という抵抗を駆使してきた。<逃散>とは逃げて、山にこもったりすることだけでない。家屋の周囲をむしろで囲っての耕作放棄荘官や関係者に一切口を利かない、など、総じて様々な柔軟な不服従抵抗戦術を云う。
 
 他方、市長選立候補のために、他所からやってきた二名の立候補者は橋下と同類であった。
訳も全く分からず、当地の事情も知らず、空騒ぎをして橋下に利する愚挙を引き起こしている。上記した都構想の中身に踏みこんだ橋下維新批判など、彼らの口から一向に聞こえてこなかった。大バカ者である。なお、これら両名は供託金数百万円を没収され、なおかつ橋下の政治的アリバイの口実作りに貢献したのである。本人たちの反省はもとより、繰り返しその空騒ぎを報道した無知なネット当該に反省を求める。
 
結果、只今現在、Wにこの時の数値から、橋下絶対支持者を割り出し、都構想の結果を予測するという面倒な計算を強いている。時間がないので後ほど。有権者の20%は常時投票参加しない寝方層として計算するので面倒になる。

ハ、事前に作成された協定書への白紙委任は地元公明が賛成に回ることによって可決された。
 実情その1。
地元公明は事実上の橋下維新と与党会派を組んで橋下人気に乗じて数年間、政治権益を得てきた。選挙協力もあったという。確かに急に寝返ったことは、一種の政治負債になるだろう。リアルな弱みを握られている可能性も高い。
 
 実情その2。
アベ2014年暮れの衆議院総選挙ー自公政権圧勝をうけて、政権は集団自衛権閣議決定の法制化、労働法制の改悪などの法案実現、TPPなし崩し容認にまい進し、条件さえそろえば、憲法改定も視野に入れている
 既に2014年暮れの総選挙実施に見られるようにこれからの日本は、増税による消費需要の低迷、高インフレ低成長による、あらゆる分野での格差拡大、国内のパイの争奪戦の基調への反動的予防対策が、自民党政治の基本をなすものだとハッキリしており、それをスムーズに行うための諸分野での翼賛体制の構築に重心を置いている。
 
>そこで、今まで政治利権を与えないままできた維新の会、改め維新の党を、かく乱して、翼賛体制の裾野に据え付ける必要が沸いてきた。
>推断1。 
さらに、アベ等の基本的人権項目さえ削除した憲法改定の際の国民投票実施の思惑からすれば、橋下維新の推し進めるほら吹き大阪都構想はその条件を探り、予行演習をする格好の機会になってきた。
 
>推断2。 
アベt等のこの春の最大の政治課題である集団自衛権法制化(安保の世界拡大という新ガイドラインを訪米中に勝手に決めているありさまである)による国民各層のアベ政治に対する政治不安感の醸成を、大坂都構想の空騒ぎを全国に流布することで緩和する姑息なもくろみも絶対にある。  
 
>推断3。 
噂では、公明がアベとの間を取り持つ形で、橋下ーアベ会談が持たれ、大阪都構想の協定書に対する住民投票の方針が事実上、その場で決定したという
公明は地元のねじれ骨折の事情やアベの政治方向を忖度し、貸しを作る意味でも、協定書に対する大阪市有権者住民投票に舵を切った。
>ということで、公明さえ、寝返ったまま、じっとしていれば、大阪市民に対する住民投票など、元からなかったのである。
>アベ自民としては、例え反対票が上回っても、結果、情に流れる橋下は、都構想の看板をおろすわけにいかず、自らの方にすり寄ってくるしか政治生命は続かないことを見透かしているのである。
 
橋下らの最大の弱点は、大阪市民の有権者に都構想の是非と問うと称して、実質は大阪市の5分割、財源の府への取り上げの、賛成か反対かを問わなければならないことである。
都構想は拝金主義に基づくカネに始まりカネに終わる、ただそれだけの話題にすぎない。そして、急いては事を損じる、のである。拝金主義による早急な判断は、大間違いである。
 
B)大阪都構想の、何から何まで全て胡散臭い、大ウソとごまかし、が沸き起こってくる大本、一言でいえば、愚民政治のリアルな在り方当地の歴史を遡り、明らかにしなければ、納得してもらえない、と考える。
つい、気分が重くなるのは、この点が大いに影響している。歴史的先進性、長所が、ある時期を境に反動的退行性と短所に転じている事実を直視しなければならない、いいところはたくさんあるのに、橋下維新政治に関しては悪いところばかりを得げなければならないのはつらい。
地方行政、地方自治、地方政治の根幹がなんたるかを全く弁えない愚民政治の現実を直視するコトになる。橋下維新政治の増殖は愚民政治の土壌の上に成立してきた。
 
C)更に、そういった特殊大阪的政治現象グローバル資本制に晒される日本国民に対する日本支配層の根本的統治方法である、こと指し示している。
 
東京都制昭和18年6月1日法律第89号、昭和18年7月1日施行)とは、現在の東京都の地域に存在していた東京府と現在の東京23区(当時の東京市は35区)の地域に存在していた東京市を廃止し、新たに東京都という広域行政機関かつ基礎的地方公共団体を設置することを定めた日本の法律である。」
  法律の目的と概要>
東京府東京市は廃止されたが、ともに条例等を東京都に引き継いだ。 東京都制の目的は「帝都たる東京に真の国家的性格に適応する体制を整備確立すること」、「帝都に於ける従来の府市併存の弊を解消し、帝都一般行政の、一元的にして強力な遂行を期すること」、「帝都行政の根本的刷新と高度の効率化を図ること」にあった。大東亜戦争太平洋戦争)下における、いわゆる戦時法制のひとつである。」
 
東京都制による東京都のは、官選による東京都長官である。議決機関として東京都議会と東京都参事会を設置した。東京都長官以下、統治機構の官制については天皇の大権に属するため法律である東京都制ではなく勅令である東京都官制によって定められている。(W。天皇統帥権=軍部の意向の上意下達を目的とした戦時下の帝都の統治システムに変わったという意味。)
従前との相違点は、旧東京市の範囲に設置したが東京都の直轄になっている点である。区の執行機関である区長は従前は市の有給吏員として東京市において選任されていたが、東京都官制によって東京都長官官吏である書記官をもって選任することに改められた。区は従前どおり法人格をもった自治体としての性格を一応は保ったが、都との関係について様々な合理化が図られ、都の強力な監督下に置かれた
多摩地域島嶼部の市町村が基礎的地方自治であることは従前と変わりがないが、これらに対しても都の監督が強化された。」
 
W。橋下維新の政治手法は一見してポピュリズムの政治手法をとっているように映るが、本質は、従来の地方自治の権限を削ぎ落として、広域地方行政権力に権限を集中させ、その広域行政権力が直接、中央の統治機構と結合することである。
地方の時代、地方の分権、とよく言われ、その効能が称揚されるが、日本の歴史伝統政治風土、現状の政治経済関係からは上記で指摘したような基本構造が、形を変えて、中身はほぼそのまま適応されるのである
 極端な例えだが、現在の中国の各地方の首長は、経済政策に自主権を与えられ、経済発展を競争させられているが、中国共産党の地方への指令の網の目は、強固であり、住民一般は、地方の首長のカネ儲け優先政治の犠牲になっている側面が強い。
 
 米国共和党系のティーパーティと橋下維新政治の手法は同じポピュリズムで似ているように見えるが、米国の独立宣言の根幹である街の自治権を蔑にして、上位下達の広域行政に権限を集中させる、と云った主張を聞いたことがない。
橋下維新政治はマイタウンをハードボイルドな統治機構にする替える道である
政治手法の形だけまねて、中身は、中央集権の政治体制の統治機構の推進をなぞっているのである。
 
>昭和17年の戦時中の東京都制は敗戦後も、選挙制度に置き換えられ、継承されのは、GHQ占領軍の日本中枢東京の占領政策にとってそのほうが都合良かったからだと云えるだろう。帝国憲法下の天皇制が、象徴天皇制に移行した事情と同じである。
ニューヨーク市の権限を大きく取り上げて、ニューヨーク州に移管しているなどあり得ないことである。シカゴであろうと、ロサンジェルスであろうと同じだ。
 
それから、権限を集中された府の首長が善政を敷く、担保はいったいどこにあるのか?権限を悪用する歯止めが、現在よりも縮小する体制である。
 
C)、橋下維新のポスターの前面には、<大阪都構想>を日本の成長のエンジンに!などという、事情を知る人からみると、失笑モノのスローガンが掲げられている。
経済地盤長期低落、経済飽和状態からやむにやまれず発想された<大阪都構想>が仮に将来の日本を引っ張るような事態が生まれたら、日本国および日本国民の「破滅」を大真面目で心配しなければならない
>都構想は橋下の発明ではなく、前任者太田房江知事時代に発想された。
>更に2012年後半、自民、民主、公明、みんなの党、維新の会、生活などの賛成多数で特別区設置構想法案が成立したとある。
そうすると大阪都構想は日本支配層の来るべき時代の住民統治の思惑でもある。日本支配層の画策の現状はそこまで立ち至っているのだ、想いを新たにしなければならない。コレが支配層の現実政治の進み行く方向なのだと。
 
 橋下維新の政治及び大坂都構想に反対派の講演会、説明会の動画を視聴すると、会場から想わず何度も失笑が漏れる。講演者が故意に面白おかしく、話題を振っているのだろうか?
それもある。しかし、橋下維新が大真面目に大坂都構想をぶちあげればぶちあげるほど、その論理的整合性のなさが際立ってくる、その様を講演者が普通になぞって、解説していくと、ごく自然に「お笑い」ネタになる。
 彼らはあらゆる角度から見て政治的未熟者である。
有名ブロガーの昔の記事によれば、「大阪都構想があって、なんで神奈川都構想や愛知都構想がないの?バカみたい」。さすが歯切れよく本質を突いている。
橋下維新の動きは、一種のお笑いネタを提供している側面がある。よく吟味するとあまりにもバカばかしい。にもかかわらず、本人たちは本気で信じ込んで、シチャカ、メッチャカ激しく動き回ってきた。また、それを支持するものも多い。その熱気は何なんだ!だから失笑モノなのである。
 
都構想のような便利なアイテムがあれば、巨大都市を抱える何処の広域自治体も橋下維新流を構想するはずである。しかしそんな声は聞かない。
 
ではなぜ大阪だけが、都構想なのか。情けない。

D)<その外形> 大阪発の各種マスコミが橋下維新政治の増長をもたらした
地方行政の最高責任者である政治家(橋下維新)が、一貫して地方自治と住民サービスを蔑にして、常に激しく動き回り、得手勝手な政治課題を関係各方面に突き付け、同時にマスコミ向けの話題を提供し続けてきた。
一種の常設橋下劇場である。
住民にとっていちばん身近な地方自治がこんな政治家やその一党にかき回されていると、住民は生活基盤が常に揺り動かされているような気がしてくる。地元の保守政治家からも、橋下政治に反発心が沸き起こってくる理由でもある。もっともそればかりではなく、橋下政治は地元の自民党政治家から、共産党まで、さらには急進政治家も含めて、議会圏の政治の常道を逸脱してきたと映る。
本来ならば、無視して放置しておけばいい。コレが最良の橋下維新対策である。
 
ところが東京発に押され衰退傾向にある関西マスコミは、橋下と維新絡み、の話題を引っ張り商売の具にせざる得ない立場にある。
橋下維新の増殖は、長期にわたる文化的経済的地盤沈下傾向にある大阪の特殊事情に突き動かされた大阪発の新聞テレビラジオのマスコミ報道による空気感の醸成によるところが大きい。
 
有権者の意識調査でも地盤沈下という共通認識はある。しかし、大方の認識では橋下維新の大坂都構想で、どうこうなる問題ではない、と分かっている。
 
*ということは、そういう有権者の大人としての覚めた潜在意識があるにもかかわらず、各種大阪マスコミ発の情報が垂れ流されることによって、橋下らの側の、大きな勘違いに基づく錯覚、無意味な熱狂のボルテージの政治共同幻想は上がりっぱなしのまま、持続する。維新の会は自民党からの転向者が多い。
まず、地元政治家の側から、マスコミの側から、地元のエスタブリッシュメントの側から率先して、「変わっていった」のである
 
そうすると有権者側にも、漠然とした何かが変わるのではないかという、刷り込みよる空気感が漂ってくる。
元々、思い込みの激しい人や騙されやすい人は何割か存在する。プロの政治家や小金持ちには政治投機分子が多数いる。以上が橋下支持の裾野と中心である。
 
E)大坂の歴史における価値判断の基準は商売の論理ということも影響している。橋下維新の会の主張を煎じつめると、大坂庶民にはっきり響くのは、カネの話に尽きる。カネの話に始まりカネで終わる。動機の核心はカネをめぐる問題である。
ここまで橋下維新を増長させてきたのは、マスコミ情報の垂れ流しだけではなく、庶民の側にカネを最大の価値基準にしてきた大坂の特殊な戦前戦後の歴史の反映があるからだ。
大阪は市場原理の優先してきた街だった
近代化以降、日本一の商売、工業の街から、戦後の長期にわたる地盤沈下コレは大阪の持つファンダメンタルズからして必然的過程であり、橋下等の主張するような政策でどうこうなる問題ではない
橋下維新は一見バラ色の大きなことを云っているようだが、その実はみみっちい目の前の大きさの変わらないパイの取り分争いに一件落着するのは、覚めた目で見る者にとって誰だってわかることである
 
F)~戦前、大阪府朝鮮人人口80万人、敗戦後その多くは帰還したが、集住地帯は今も存在する。被差別部落の人口も多い。市内の市営住宅の所在地は基本的に元スラム街である。日本最大のむき出しの労働力市場であった釜が崎もある。これらと市民社会が複合して、大坂独特の活気ある独特の風土を形成してきた。橋下自身は部落公営住宅から高校に通学していた。差別意識で指摘しているのではない。歴史の事実認識から、でたらめ橋下を許容する政治土壌を見極め体が故にの敢えてである。
 
風土としてよい面はたくさんある。その反面として歴史的に共同体のつながりが弱く、個人や家庭がむき出しで社会さらされてきた側面の強い社会構造(井原西鶴の昔から、歴史的に市場原理主義の優先されてきた街だった。)は、液状化し易い側面があるので、一端政治的空気感が醸成されると、一定の人々は限られた方向に暴走しがちになる。この濃密感に対する緩和作用が人間的な高度な対応としてのお笑い文化を生んだ
井原西鶴をよめば、そこに描かれた人々の自我の確立好色一代男の浮世乃介)と合理的な精神風土(日本永大蔵の商人作法)は、果たしてこれが、17世紀末の江戸時内の日本なのか、とその先進的な精神風土に驚嘆する。
大坂は昔から、歴史的に市場原理主義の優先されてきた実に先進的な風土だったことが良くわかる。しかしそうした大阪は突如出現したのではなく、戦国時代から先進的な商品農業を背景とした街として栄えていった。大河の作り出す、水運と肥沃な土壌、温暖な気候風土に恵まれた。この地方には、戦国時代から、住民の力が強く、強大な支配者は出現しようがなかった。織田信長に真っ向から対峙した本願寺勢力の牙城は、大坂城にあった。そのような歴史の大阪が封建、近代、現代を通じて、庶民の皮をかぶった、反庶民政治の発祥の地に、改変したのである。この大きな歴史の流れ果てに現状の政治の騒動が繰り広げられている。だから、弁えなく、滑稽なのである。

サッチャーレーガンの影響を受けた小沢一郎に端を発する政治面における稚拙な市場原理主義である漠然とした政治改革熱の醸成は、
小泉純一郎ポピュリズム市場原理主義経済政策として、引き継ぎ日本政治に定着させ、民主党政権交代に至った。数年間の民主党政権の期間中にその政権を取り巻く環境も考えることのできない有権者の多くは、その反動として、日本内外の政治経済環境に即応して、かつての小泉政治の手法に螺旋的に回帰した。コレが自民党アベ政治である。橋下維新政治の手法は以上の政治過程を体現した特殊大阪版であるが、今後のアベ的支配政治の肝心な住民統治システムの実験場の役割を果たすようになった。
 
>もっと世界に視野を広げると、橋下維新政治は、米国発=米国基準のグローバリズムの純日本的適応形態である。
一見して、共和党ティーパーティーの日本地方版の政治手法を用いているが、その本質は、地方自治権の解体~広域地方行政への権限集中を通じた、広域自治を装った中央政治の支配権の強化つまり権力と権限の中央集権の日本的形態である。権限を集中された広域圏の首長が中央のコントロール下に収まればそういうことになる。言い換えると、それに対する歯止めがどこにあるのかという問題である。従来の中央地方の分権性が削がれていくのは、余計な修飾語をとりおはらって、実体をあからさまにすれば、分かることである
 
G)>したがって、橋下維新政治は、大坂都構想のようなチマチマとした事に限定しないで、米国発=米国基準のグローバリズムを、まず、考察して、その日本への適応形態とした方が、その全体像をつかみ取ることができる。
共和党系のティーパーティーの個人と企業の自由、自己責任の市場原理主義新自由主義という云い方もある)と橋下維新の広域行政への権限集中は違っているが、米国発と日本産の市場原理主義の共通項で、ガッチリと両者はかみ合わされている。
 
E)福島原発事故発生後、小出裕章が準レギュラーのように出演し、実情をよく報道していると評判のラジオ番組
種まきジャーナルというラジオ番組があった。
小出の発言にも途中で、不信感を抱いたが、この番組の最大の欠陥は、問題点を鋭角的に指摘し、危機感を煽るような方向に持っていくが、その先のフォローが全くないところであるコレをうまくやらないとただ、不安感を人々に植え付けるだけに終わってしまう。そのような不安感のただなかで、ショックドクトリンが機能するのである。
橋下徹民主党系の現職市長に挑戦したとき、反原発を政策の大きな柱にして、連呼していたが、Wはその時点で橋下関連記事から、本質を見抜いていたので、そんなものはその場限りの方便にすぎないと見ぬていた。
>ところが「種まきジャーナル」の原発報道がリアルな政治地図に及ぶ時、決まって対比するように、橋下の反原発発言を最後にフォローしていた。橋下も心得たもので、己の政治力が高まるためには、動物的本能で利用すべきものは利用する。
 
>結果的に、病院に電力供給がいきわたらないことに危機感を抱いて、などといいわけをして方針を転換したと述べていたが、橋下にとって、最初の反原発も一時の感情と政治感覚の赴くままであれば、コレにて一件落着したところも同じ、次元である。口達者な動物的政治本能だけが一貫している。
 
>H)民意を問うと称して、有権者住民投票行動を即すというのは、一見、民主主義政治のように映るが、実はある社会経済条件と問われる内容次第では、民主主義政治を掘り崩すことになるのである
1930年代初頭ワイマール憲法下の経済不調と政治の混乱の中から、国民投票によって、憲法に明記された大統領権限の強化の是非が問われ、ヒットラーの専権が実現し、その直後、一気にナチス党の議会独占に至った。
 
橋下維新政治は、常にはげしく動き回り、マスコミ向けの話題と関心を提供し、本来住民自治と住民サービスに主眼をおくべき地方政治を自分たちの政治の出世階段を駆け上がり、野心を実現する道具にしている。
コレはワイマール憲法下の政治混乱とドイツ独特の地方分権を取り除くとして、ヒットラーが、大統領権限強化を住民投票に問うことを経て、ナチス党の議会独占を一気に実現した政治手法を踏襲したものである。
橋下維新政治は時代が1920年代から30年代であれば、完全なるファシズム、ナチズム政治に相当する。
議会政治から出現し、選挙や投票に示された民意を口実に民主主義制度を常に空洞化する政治内容を持っている。

  最後に大阪都構想大阪市有権者に協定書の是非を問う)に対する各会派の主張を街のポスターからぬき出してみた。このほうが分かり易い。
 
大阪を、この国の新しいエンジンに。 大阪都構想住民投票で賛成を。
W。大きな勘違いと意味不明の熱狂ぶりが良くわかる。歴史的に経済地盤の沈下し続けてきた大阪が日本をけん引するようになったら、日本と日本国民は大変なことになる。
 
自民党系。 W。各項目は具体的行政の実務の観点から全部事実を指摘している。
1、 住民投票で賛成多数でも「大阪都」にはならず、「大阪府」のまま。
2、「都構想」とは大阪氏を5つに分割する大阪市5分割構想。
3、大阪市民は2200億円分の財源と権限を失う。
4、2200億円が様々に流用され、大阪市民への住民サービスが低下する恐れ。
5、大阪は東京23区のような「大都市行政」はできない。
~W。ココの指摘は、基本的に7項を前提としている。23区は完全な強大な都の下請け行政機関。円滑に運営されているように見えるのは、「都区制度」のおかげではなく一極集中」によって、都の財源が日本一裕福なために23区完全下請け性の問題点が押し隠されてきたからだ。全体のパイが飛びぬけて大きければ、区の取り分の絶対量も大きくなる。財源の限界点の低い大阪では、住民サービス無視の上からの強権的な行政のスリム化や、あまりにも多くの個別事業の第三者機関化(協議機関にしなければ実質的に機能しない)による責任体制の不明確化と財源の取り合いが常態化する。新宿の都庁の巨大さと23区の区庁舎のしょぼさ加減を大阪の府庁舎、市庁舎、区庁舎と比べてみるのが一番手っ取り早い。だから、全体の税収の東京に比較して、あまりにも少ない「大阪は東京23区のような「大都市行政」はできない。」といっている。5つに分けて、中核都市が5つできるようなものなどというのは大きな財源が召し上げられているのだから、大ウソである。
6、東京23区には「特別区がダメ東京市に戻してほしいという議論もある。
7、東京の繁栄は「都区制度」のおかげではなく一極集中のたまもの。
 
大阪都にはなりません。 
仮に住民投票で賛成多数になっても大阪都にはなりません。
問われているのは単に大阪市を廃止し、5つに分割する案への賛否です。
W。国の関連法を変えなければ無理。
>W。都構想の賛否を問う住民投票ではない。大阪市の廃止、分割を明記した協定書の賛否を問う投票である。
>Wそれから、そもそも都構想は道州制を念頭に置いてに発案されたもの。大阪が得手勝手に都構想に踏み込めば、経団連が主張するような道州制構想は他府県の大阪一極集中を警戒して、遠のく。要するに、道州制を念頭に置けば、例え成立したとしても大阪都も一端白紙にするしかない。
橋下維新の都構想は他府県との広域圏構想協議が行き詰った結果、なし崩し的に見切り発車した代物である。
 
大阪市を廃止すると2度と戻れません。
住民投票大阪市を廃止すれば、後々失敗だったと解っても、2度と大阪市には戻れません。
少しでも疑問があれば反対票を。
 
>住民サービスは低下します。
財源のない特別区では水道料金の値上げ、家庭のごみ回収の有料化など公共料金の値上げや敬老パスの廃止など福祉サービスの廃止が譲れなくなります。
 
自民党アベのアップ画像。
その下のわきに、「大阪市廃止、分割構想」には反対です。
 
>公明ポスター代表のアップ。
安心、安全なまちづくり。
実績とビジョンがあります。   
W。公明は公然と都構想反対の街頭ポスターが見当たらない。広報、その他講演会では反対の論陣を張っているようである。自主投票になるのではないか。
 
共産党 反対とアップ画像。
住民投票では大阪都になりません。
大阪市大阪市議会もつぶされ、市民の声は届きません。
「都構想」はカジノなど、無駄な大型開発のために~。
 
*結局、結果は5月17日当日の投票率の如何にかかわってくる。
この間の趨勢として橋下維新に一時の勢いはなく、大衆的支持基盤の伸びは期待できない。
この情勢を前提にすると、(それが分かっているから、ネットで宣伝を流して、若者層を少しでも賛成に動員しようとしている。この関係方面から調達した資金力は終盤になって一挙に発揮される。だから、投票率と反対票の繋がりを解く見方は時流をつかんでいない可能性もある。いづれにしても賛否の差は僅差である。)
橋下の再出馬市長選挙投票率、約22%前後を絶対支持層とすると、当日の投票率40%台前半であれば、賛成票が上回る可能性が強い。40%台後半であれば、賛否は微妙な争いになる。50%越えであれば、反対票が上回る。
 
この住民投票は日本の将来の政治システムのあり方を占う歴史的な試金石になる。
大阪は、その経済文化の歴史的地盤沈下によって、将来の日本の最悪の政治パターンを体現する立場に立たされてしまったからだ。そこにおける行政改革は、いまのところ、地元の自民党も忌避するものとなっている。
>戦後一貫して統治する側にあった彼らには、橋下政治の危うさに対する本能的拒否感がある。
この辺の実情は街頭の住民投票に向けたポスターを比べても見ても良くわかる。
自民党のポスターには訴求力がある
民主党は全議員落選して機動力を大きくそがれた。
共産党は部分にしか訴えていない。
>だから安直に民主党批判をするのは間違いだと、と云っている。己の想いどうりに議会圏の政治が動く訳がない。
己の主義主張と議会圏の現実的政治選択は、区別する必要がある
仮に賛成票がうわまわったら、記事の途中で指摘した結果が政治手法の中に追加される。
住民投票はある社会経済条件の中では、民主主義制度を内側から掘り崩すアイテムに転化する現状の日本ではその傾向が特に強まっている。
民主主義はそれを支える制度と空気と組織の如何にかかわっている。