反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

ネット上でセレクトしたイスラエル(シオニズム批判とキリスト教シオニズム/パレスチナ(アラブ)米英仏の情報決定版4点展示。今回はイスラエル東部入植地の社会経済的性質 - 『ル・モンド記事 を読みやすく。

 イスラエル/パレスチナ(アラブ)米英仏の情報をネット上で調べてきた。
この関係の中で、歴史的な曲がり角になった第三次中東戦争のリアルな軍事研究論文は、貴重なものだが、それ以前に知って置かなければならない基礎的な情報があることが分かった。単に「反俗日記」がこれまで、眼中になかったということでもあるが、自分の感覚でセレクトした情報は非常に新鮮なものであった。

~ 本質的に「シオニズム」と「ユダヤ思想」は別物である ~
NAVER風に事実、事態を次々と上げて、全体像を浮かび上がらせる手法を駆使しているが、NAVERの同種の記事よりも、踏み込みが深く幅も広い。メモってチェックを入れ、記事の順番を変えたり工夫してみたが、読み物としてのワクワク感を維持するためには、細かい記述は削除することができなかった。
アップするにあたって、できるだけ要点を整理するため、記事の内容を修正するつもりである。
 
 引用

イメージ 1「著者であるノーマン・フィンケルシュタインは、ニューヨーク市立大学で教鞭をとるユダヤ社会学者で、ノーム・チョムスキーの弟子である。

フィンケルシュタインの両親はヨーロッパからの移民で、ワルシャワゲットーと強制収容所の生き残りであり、彼によれば、両親以外の親族は、父方も母方も全てナチスによって殺されたという。
シオニズムユダヤ人学者(著者)が、アメリカのユダヤ人エリートたちをホロコーストを商売にしている!」として痛烈に批判している本である。」
 
①の本文にリンクされた長い記事。①の論旨から、絶対に外せないものである。
現在のシオニズムの実体をあぶり出し、定式化しており、そうした事態を視野に入れる事はシオニズムの唯一化、世界的拡張化を批判するものにとって不可欠である。
 
~~シオニズムととキリスト教原理主義の関係 ~~ 
①のリンク記事。コレも長い。この視点は第三次中東戦争以後のイスラエルアメリカ関係をみる基本視座として、絶対に欠かせない。
第三次中東戦争以降、新しく出現したキリスト教原理主義シオニズムとの政治経済軍事接近は宗教的つながりにもなってきたのである
イスラエル国内政治地図も中東戦争大勝利によって変わってきてその政治構図は現在に至る。金満ユダヤ人+後発移民急増、貧困ユダヤ人層~超正統派ユダヤ教徒~の政権が労働社会主義を軸としたエスタブリッシュメント政権を凌駕する政治地図。コレはイスラエル資本主義の新自由主義的変転と連動している。
 
④この実態をヨルダン西岸入植地の観察から明らかにした記事が下記である。
ガディ・アルガジー特派員(Gadi Algazy)
テル・アヴィヴ大学歴史学教授、
ユダヤ・アラブ市民団体「タアユシュ」共同創設者
訳・三浦礼恒
 
横文字新聞記事の並びをそのまま日本語にしているようで、読み辛い。
今回の「反俗日記」はとりあえず、この記事を読みやすく修正したものを掲載することにした。
 引用開始
 
ヨルダン川西岸に広がる大規模なユダヤ人入植地モディイン・イリットは、
パレスチナ人の5つの村、ニイリーン、ハルバタ、サッファ、ベルアイン、ディル・カディスの占領によって生まれた。この入植地は他のどこよりも急速に発展を遂げ、近いうちに町に格上げされる見込みである。
 
イスラエル住宅省の予測によれば、現在3万の人口は、2020年には15万人に達することになる
 
>歴代のイスラエル政権が拡張を続け、
>今後も併合するつもりでいる「入植地ブロック」のひとつであるモディイン・イリットは、
分離壁の建設が入植地の拡張と関連していることの証左でもある
 
その発展は、人口1700人の小さな村ベルアインのパレスチナ人農民に壊滅的な打撃を与えた
*彼らに残されていた土地の半分、およそ2000ドゥナム(1)が、分離壁の建設のために取り上げられてしまったのだ
   
 
             <不動産プロジェクトという側面
 イスラエルによる占領は、しばしば国家間紛争になぞらえて語られるパレスチナ自治政府の創設はそうした傾向を強めるばかりだった)。
しかしながら、これは本質的に植民地紛争である
 
井戸とオリーブ畑、建築物と道路、移民と入植という荒々しい現実を前にすれば、
意味ありげなサインや外交工作、公式声明の類は意味をなさない。
 
>政治問題としての国境線だけではなく、風景そのものが根本から激変を被っている
 
イスラエルによる1967年以来の軍事的支配は、入植を強力に推進する枠組みを作り出した。
 
入植地、障壁、道路は、その目にも明らかな証拠である。
これらの入植地は、真に独立した存続可能なパレスチナ国家を創設する上で、最も重大な障害となっている。
 
>1967年から2006年にかけて、イスラエルは43億ドルを費やしてヨルダン川西岸に約4万軒の住居を建設したゴラン高原を含む占領地(エルサレムを除く)への入植者は、2006年1月現在で25万人に達している(5)。

イスラエルの入植地は、広く非難を浴びつつも、ほとんど研究調査されていない。
 
入植地プロジェクトが誰の利益となり、なぜ普通の人々が賛同しているのかを知るためには、入植地の構成や経済構造に肉迫しなければならない。
 
 モディイン・イリットはいくつもの点で典型例をなす。
第一に、このプロジェクトを進めているのは、神がかり的な入植者やその政治代表ではなく
>土地を狙った不動産開発業者、利益追求に血道を上げる資本主義的な投資家、入植を支持する政治家からなる混成の同盟だ。
 
モディイン・イリットは第二次インティファーダのさなかに拡張した数少ない入植地のひとつである。
 
ここに住み着いたのは強硬なナショナリストではない
 
>その主体は、政治的シオニズムにもイスラエル国家にもあまり関心がなく何よりも生活条件の向上を求める多数の超正統派ユダヤ教徒の世帯である。
モディイン・イリットは、社会的な困窮、短期的な利益追求、そして容赦ない財産強奪が交錯する地となっている。
 当初はキリヤット・セフェルという名で1996年に建設されたモディイン・イリットは、他の多くの入植地のように政府当局とシオニスト組織、過激な入植者の運動が結びついて誕生したわけではない。
 
>このプロジェクトは1993年のオスロ合意後
イスラエル経済の民営化が推進された時期に民間企業が主導したものだ
民間資本によって進められ、政府の後押しを受けた新手の入植地の典型例である。
 
会計検査院の報告書によれば、不動産開発業者に対してモディイン・イリットの地方評議会は、
特典の付与、建設規則の適用除外、減税などといった優遇措置を認めてきた
明らかに違法建築である住宅が大量に建てられたが、地方評議会はそれらに事後承認を与え、都市計画の中に遡及的に組み込んで合法化した
 
 このイスラエルの「未開拓の大東部では、入植を急がせようとする政治的な思惑が、短期に利益を上げたい投資家の思惑と結びついている。
1998年に実施された調査によれば、例えば、ベルアイン村のブラフフェルト地区の建物はすべて建築許可がないまま造られているが、取り壊された住居は一軒もない。
下水の多くはモディイン川に流され、地域の水源を汚染している。
 
>こうした事態は贈収賄や管理ミスによって引き起こされたわけではなく、最前線の入植地という構造的な要因が生み出したものだ。規制を免れた入植活動は、環境を犠牲にすることで膨大な利益をもたらしてくれる。
 
ベルアイン村のパレスチナ住民は、政治的、経済的利害の強力な同盟に直面している
 
彼らから取り上げられた土地には2つの住宅地が建設されることになっている。
ひとつは「グリーン・パーク」であり、
イスラエルの有力な実業家、レヴ・レヴィエヴ(7)が所有するアフリカ・イスラエル・グループの子会社ダニア・シブスが請け負っている。
この2億3000万ドルの巨大プロジェクトでは、5800棟のアパート建設が予定されている
>アフリカ・イスラエル・グループの営業利益は、2005年の最初の9カ月で前年比129%を記録した。
>ベルアインのプロジェクトには、レヴィエヴのグループ以外の大手建設会社も参加している
>これらの投資の成否は分離壁のコースにかかっている。
 
分離壁ベルアインの村民を彼らの土地から切り離し、造成地区の「安全」を保証するとみなされているからだ
*1967年以前のイスラエルの国境線である「グリーン・ライン」
 
「安全障壁」の間に建設された他の多くの入植地と同様、
この入植地は併合プロセスを完成させ、投資対象の不動産の値上がりをもたらすものとなっている。
   
 
              土地入手の方法と資金
こうした土地の合法的所有を主張しているのが、不在地主財産管理機構><土地償還基金>である。
不在地主財産管理機構>は「不在地主の土地」を管理する政府機関だが、
>実際の仕事はイスラエルに移住したパレスチナ難民の土地、そして最近では占領地を奪い取ることにある
 
<土地償還基金のほうは20年前に設立され、入植地の拡張地帯での土地の買い付けを担当する。
この基金の設立者の中には、エラ・ラパポートが含まれている。
彼は1980年代初頭に占領地で活動したテロ組織の黒幕の一人であり、ナブルス市長バッサーム・シャカアの暗殺未遂で数年間投獄されていた。シャカアはこの時に両脚を失っている。
 2人のイスラエル人ジャーナリストが基金による土地入手の方法について、詳細に調査した。
この基金の「情報網は、使い捨てられて村に戻ってきた(パレスチナ人の)イスラエル協力者、金と引き換えに情報を与える退役公安要員、村内に人脈のある軍政当局あがりの者によって構成されている」。
 
>アラブ人がカムフラージュ役になって土地の購入者を装うが
土地の取得は「レヴ・レヴィエヴやスイスに住む実力者ニサン・カクシュリのようなユダヤ人の億万長者から出た資金」によっている。
 
 ベルアイン村の土地を取り上げた際にも同様の方法が用いられた。
入植計画では経済と政治が深く結びついているのだ。
基金への出資者の中には、他の入植地で建設と不動産開発を手がけた資本家たちの名前がある。
彼らが過激な入植者に大金を注ぎ込んでいるのは、政治的信念だけからではなく、巨額の利益を期待しているからでもある。
*W。グリーン・ライン」=1967年以前のイスラエルの国境線。~ヨルダン川西岸地区ゴラン高原地区を含まないイスラエル国境の意味
 
 基金が力を入れる地区の選択にも重要な意味がある。
その主要な意図は、「現地に既成事実を打ち立てる」べく、ヨルダン川西岸の「入植地を『グリーン・ライン』内部の居住地と結びつけ、これらの居住地を(占領した)地域にまで拡張させることにより
>『グリーン・ライン』を曖昧にする」というものだ
 
これらの入植地はさらに壮大な作戦の一部をなす。
 
もともとはシャロン前首相の発案により1980年代に進められた作戦で、
イスラエルの経済的中心地の近隣に「イデオロギー色のない」入植者向けの入植地を建設することで、「グリーン・ライン」を掻き消すことを意図していた。W。国境線が事実上かき消されると、イスラエル資本の直接支配する経済圏は拡張する。言い換えるとパレスチナ人は、超安価な労働力商品。
 
 この構想は第二次インティファーダによって妨げられていたが
W。インティファーダの原因は分離壁イスラエルの間に広がる地帯の事実上の併合に対する戦いであった。
                 ↓
分離壁の一部が完成したことで2003年から徐々に再開され、
分離壁イスラエルの間に広がる地帯の事実上の併合を実現してきた
パレスチナの村は壁の向こう側に消し去さられ、投資家と入植者には安全な地域でのより高い生活水準が約束される。
民族浄化は必ずしも派手である必要はない。
 
分離壁に隣接するイスラエルの入植地は戦略的に重要であり、
ヨルダン川西岸の一部地域を併合するためにイスラエルが考え出した障壁体制の総仕上げとなる
 
それはまた、資本、雑多な入植者集団、そして政権の座にある政治家の間に強力な政治経済同盟が形成される戦略的な場でもある。 W。この政治同盟が旧来のエスタブリッシュメント(世界のユダヤ人の主流である東欧出身ユダヤ人、労働社会主義労働組合キブツ)に替わって、政権を担当するようになった。
******
現在イスラエルを率いる「壁の同盟」は
前回の選挙で初めて誕生したわけではない。
この同盟はシャロン時代の遺産を中核とし、
>漸進的な併合を志向する者たち(「イスラエルは入植地ブロックを堅持すべきだ」と主張する)と、
>「理性的」な入植地拡張を志向する者たちイデオロギーに染まりきった「悪い」入植者に比べればましに見えてくる)が集まっている。
>民族の分離と経済の民営化の2つを旗印としたこの同盟は、イスラエルに和平をもたらすことを約束しない。
>彼らが約束するのは部分的併合とセットになった一方的な平定であり、
それはヨルダン川西岸の一体性を崩壊させ、パレスチナに残された部分を壁に囲まれた3つの飛び地に分断することになる
   
 
           入植地に流れ込む貧困層 
この同盟は、政治の場で形をとったのは最近であるものの(支持者はシャロン前首相とオルメルト現首相の政党カディマの党員だけに限らない)、
その経済的、社会的基盤はかなり以前からヨルダン川西岸の丘陵地に形成されていた。
同盟を構成するのは、入植者、分離壁の建設資金を出している国家機関、不動産会社、そしてハイテク企業である。古い経済と新しい経済の両方だ。
 
壁の陰で現在も進められている建設や拡張の動きを見るがいい。
>これらの入植地を支えているのは、狂信的な入植者たちの神がかり的な熱情だけではない。それはまさに、社会的なニーズに応えたものなのだ。

有産階級には快適な生活を約束し、
貧しい者には雇用と公的補助付きの住宅を提供する。
だからこそ、それは入植運動の社会的基盤を拡大し、多くの利害関心を集約するものとなっている。
 
分離壁の真の受益者は、実業家、資本家、上層階級の入植者である。
 
彼らが追求するのは、貧困から遠く離れ、パレスチナ人に対する防護を備えた高級ゲットーの中で、より良い生活を享受することである
 
ユダヤ人入植地はオスロ合意後の数年間も拡大を続け、入植地の人口は1993年から2000年の間に2倍以上に達した。
 
>だが、つぶさに検討するならば、人口が増えたのは主に「イデオロギー色のない」入植者が暮らす若干の大規模な入植地だった
>そこに住むのは政府当局が入居を促したロシアやエチオピアからの移民
生活の向上を願う貧しい郊外の住民
公的補助付きの住宅を求める子だくさんの超正統派ユダヤ教徒の家族である。
 
>彼らは1990年代終盤から、民営化と福祉国家の急激な縮小に追い立てられ、しかたなく入植地プロジェクトに乗ったにすぎない。

モディイン・イリットとベタル・イリットだけでヨルダン川西岸の入植地の4分の1以上を占めており、その多くは超正統派である。

他の入植地の社会経済状態がイスラエルの平均水準を上回るのに対して、←W。本当か!その理由を知りたい。大土地所有(国内に比較して)パレスチナ人の安価な労働力の使用によるものだろう。植民政策はカネになる、生活も向上させてきた、ということか。
 
この2つの入植地は最も貧しいユダヤ人居住地となっている。
 
あるジャーナリストが2003年9月に専門家から受けた説明の通り、これらの家族の入植を促しているのはイスラエルの住宅危機である。
 
「彼らの状況は極めて絶望的であり、どこにでも引っ越す心づもりがある」。
モディイン・イリットの入植者評議会の広報担当者も次のように語る。
「たとえイデオロギー的理由でここに来たのではなくても、彼らが自分たちの家を簡単に放棄することはないだろう」。
このようにして、人々は図らずも入植者となる。
 
>同じジャーナリストはベタル・イリットの首長から、超正統派の人々を占領地域に無理やり「使い捨ての兵卒」として送り込んでいると聞かされた。
 
W。現代の変形超ミニ帝国主義の社会経済構造そのものである。
なお、イスラエルは1967年の中東戦争以後、第四次中東戦争までの間に核弾頭を保持するに至っている。
第四次中東戦争の際に、その使用が検討された。
次のような当たり前のことも、論じず視野にも入れない、これまで閲覧してきた日本のイスラエル/パルスチナ(アラブ)欧米露情報の不思議を感じる。
      ↓
 
>モディイン・イリットとベタル・イリットの入植者たちは、ここに到達しつつある分離壁に期待をかけている。それは安全の印であるからだ。
>こうして彼らは、パレスチナ人の土地を奪うという事業と一心同体になる。
 
*入植地の拡張が、イスラエル国内の社会的権利の後退によって促進されているとすれば
イスラエル内部の社会紛争は、占領地の将来に直接的に響いてくる
 
2つの闘争が根底で結びついていることが、そこで明らかとなる。
パレスチナの土地の強奪と新たな入植地への入植に反対する反植民地闘争、
そしてイスラエルの国境線の内側における社会正義を求める闘争は、深く結びついている。