反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

西岸の現地の実情~宗教シオニズムの越境、引用。現地DVD全訳~。政党拘束比例名簿性のイスラエル選挙制度は、多党連立と扇動政治による情緒に流される政局不安定化、流動化によって、極端な政治軍事行動を招く。

イメージ 1W。イスラエル政府はヨルダン川西岸地域を、ユダヤ人の開拓地及び国家安全保障上、不可欠な要地と位置付けてきた。
 
←W。オスロ合意後の1995年の左図とはかなり異なる、A地区B地区C地区の配置図も多数ネットに出ているが、
この図が、一番、A,B地区を完全なイスラエル占領統治地区のC地区が取り囲む状態を表しているものとして採用した。
 
ヨルダン川渓谷地方のA地区を孤島ように孤立させている。
イスラエルの国策であるヨルダン川水源地帯を確保し、中央部のパレスチナ民集住地帯を国境地帯の正面と背後から軍事管理するイスラエルの国策が、ハッキリとでている。
 
▲印の入植地は現在は
  引用
イスラエル政府が認めた入植地だけで西岸に121カ所ある。それ以外にイスラエル政府さえ認めていない違法な入植地が約100カ所あるという。」
 
**
西岸Aオスロ合意によって、パレスチナ暫定自治政府の警察行政権の及ぶ地域、全体の17、2%
 
西岸Bイスラエル警察権、パレスチナ行政権)全体の23,8%
 
西岸Cイスラエル警察行政権、~全体の59%
の3タイプの配置関係をよくあらわしているものと採用した。
********
 
    朝日新聞、本文に戻る。
 
「ピースナウの資料によると、入植者数は次のように増えている。
1993年 11万6000人
1997年 16万人
2000年 19万8000人
2003年 23万2000人
2007年 27万5000人。
***
 
直近の入植者の資料。 引用、PDF]宗教シオニズムの越境 ←入植地の現地調査を軸にした、抑制の効いた分かり易く、詳しい研究報告書である。
  引用する。
>2009年には、エルサレムを除く西岸でユダヤ入植者数が30万人を越えたと報じられた。
     
 
             表1 イスラエルパレスチナでの人口分布 
イスラエル総人口、前年比増加率   西岸入植者数 増加率      総人口に占める入植者数%
8,132,000人、△1.8%            580,801人、  △1.03%       7.14%  
 (6,102,000人、75.2%)                              (ユダヤ人口の9.51%)

 総人口に占めるユダヤ人口
出典:イスラエル統計局プレスリリース(2013 年12 月29 日付)
出典:パレスチナ自治政府統計局プレスリリース(2014 年9 月17日付)
 
W。面積、ほぼ千葉県程度
W。ユダヤ人を除く人口 約270万人。 東エルサレムを含むユダヤ人人口 58万人。
   総人口の21%は入植者である。水源の良好なところを占拠。
W。人口密度 470人/km2
 
「他方、ハーグ戦法規程第55条、ジュネーブ第四条約,国際刑事裁判所に関するローマ規約などの国際は、占領地で住民の土地や財産を没収したり、彼らを強制的に移動させたり、自国の人口の一部を占領地に移送して入植させるなどの行為を占領者が行う事を禁じている
 
W。こんなことをやっている国は、世界中探してもあまり見当たらない。
>W。戦前の帝国主義植民地主義政策をイスラエルは実行している。余計な政治宗教イデオロギーの被膜をと取り払うとこの実体が現れる。
 
なぜ1967年に占領した土地に、イスラエルは違法な入植地を建設し続けているのだろうか。その理由は主に二つある。
 
>第一に、イスラエル政府は、西岸・ガザは「占領地」ではないと主張してきた。←W。「議論の地」
そして、その主張を現実のものとするため、既成事実作りの一環として入植地を建設し、自国民の移住を黙認ないしは奨励してきた。
>これは、「鋤の通った場所が国境となる」という建国前から実践シオニストが保持してきた信念に基づくものであり、
>同時に、周辺アラブ諸国の侵入を防ぎ、パレスチナ人社会を分断・隔離・監視する「安全保障政策」の一環とも見なされてきた。
 
>これは、1967年戦争直後から労働党政権が推進した入植政策の根本原理であり、
1977年以降のリクード政権下でさらにその傾向が強まった
 したがって、1967年以降の占領地での入植地建設は、シオニストが武力と国際政治の力学の結果として獲得した政体――すなわち「ユダヤ人国家」イスラエル――を既成事実化するために、1967 年以前から採用してきた戦略の延長線上で理解することができる。
 
 だが同時に、1967年以前の入植と1967年以降のそれには大きな違いも現れた
 
>入植の最前線に立つアクターとして労働入植運動に代わり民族宗教派の存在感が強まり、入植の理由付けも、「ユダヤ人国家」の主権確立という動機に加え、
 
エレツ・イスラエル(eretzisrael; 「イスラエルの地」の意)」への「定住(yishuv ha-aretz)」を命じる「戒律/善行(mitzvah)」という第二の動機が力を持ったからである
**
イスラエル主義とは - コトバンク
「離散したユダヤ民族がユダヤ国家を建設して復興と存続を目ざすシオニズムのなかで、主流派の社会主義シオニズムに対し、
旧約聖書に登場する古代ユダヤイスラエル王国の最大版図を意味する「エレツ・イスラエル」(イスラエルの土地)を最重要視する非主流派、修正シオニズムの流れ。
 1920年代にウラジミール・ヤボチンスキVladimir Jabotinsky(1880―1940)によって組織化され、当時ヨルダン川東岸(現在のヨルダン)を含むユダヤ国家の建国を目ざした。1931年にヤボチンスキーらが設立した民族武装組織イルグンは、彼の死後、第二次世界大戦中からメナヘム・ベギン(後の首相)を指導者として反イギリス独立闘争を展開した。
W。現首相ベンヤミン・ネタニヤフ - Wikipediaの尊敬する政治家、ペギン、マーガレットサッチャー

イスラエル建国後のイルグンの後継政党や右派政党が1973年に結成したリクードのほか、ヨルダン川西岸への入植地建設を支持する諸勢力がイスラエル主義の流れを汲(く)む。1995年11月のラビン首相暗殺は、宗教的大イスラエル主義の過激派の青年による犯行だった。

>2010年には同地域への入植者が30万人を超えたが
そのうち大イスラエル主義者による入植地が4割以上を占めるといわれる
 
基本的には和平交渉で占領地返還や領土的妥協を拒むが
>現状では占領地問題についてある程度の妥協もやむをえないとする現実派からいっさいの妥協を拒否する強硬派まで幅がある。
**

W。ガザ地区の少なかった入植地の入植者は、上記の民族宗教派に限られていた。
ガザ地区撤退隔離によって、彼らの一部は、この研究書の現地調査対象であるジェリコに先住した世俗派入植者、後発の宗教派の混住する入植地に移住した。
当該の世俗派入植地は、インティファーダの激化によって、世俗派入植者の一部は他地域に移住して(専業農家は少数派で都市型の職業に従事するものが多数派、住民に土地所有権はない)空きができて宗教派と混住するようになり、住民同士の軋轢ができた。

     
     以下Wの意見。
 リクード (団結)- Wikipediaを割って、カディマ党 - Wikipedia(前進)を結成し2006年の総選挙で、第一党に躍進させたアリエル・シャロン - Wikipediaの画期的と云われた占領地域分離策政策においても、イスラエルの治安管理を前提とした隔離壁、入植者専用道路、検問所などによって、寸断された西岸地域、のパレスチナ自治政府の統治政策は実質的に機能不全に陥り、住民生活はイスラエル資本への経済隷属に陥るように仕組まれている。
 
*この辺の政策の出所は、イスラエル政界の流動化、リクード内のベンヤミン・ネタニヤフ - Wikipediaアリエル・シャロン - Wikipediaの党内主導権争い、の視点から見ると解り易い。
 
>特に、ベンヤミン・ネタニヤフ - Wikipediaの政治活動歴に、イスラエル政界の悪しきダイナミズムが良くあらわれている。
 
*また、シャロン武装側近多数を引き連れたエルサレムイスラム寺院訪問や、ときの政府の強硬な軍事作戦は、イスラエル選挙制度に要因を求めることもできる。
 
イスラエル政党政治の基礎である政党拘束名簿、比例代表制選挙制度(1,8%制限は意味をなさない)は、多党の乱立と連立政権、人気投票に流れ、政党政治の流動化の大きな要因となり、内外情勢が激化した場合、極端な政治軍事行動を採用して、人心を呼び込む手法が横行する。
800万の人口規模の小さな国では、多数党の乱立と連立を呼ぶ選挙制度は、扇動的政治、情緒に流れる政治状況を必然化する。小型ヒットラーのような政治手法を常態化する。
一端一つの方向への大きな流れが生まれると、次々に極端な政治方向が国民的総意となるが、世界の政治基準とはかい離する。
そこで、このかい離を埋めるために、イスラエル為政者に不可決な道具立てが必要となる。テロなるものを実行する政治主体は恒常的に存在していなければならないが、もしそれがかなわない場合は、背後から手をまわしても、テロ行為を暴発させなければならない。
ハマスはテロ認定団体でなければならない。彼らが沈黙すれば、別の者たちの暴発を誘引させなければならない。
これまでの経過で、イスラエル当局の採用してきた政治手法は定式化されていることが分かる。
入植地拡大強行や軍事挑発、紛争的事態を引き起こす条件を積極的に作り出し(シャロンの2006年イスラエル総選挙、暫定自治政府総選挙の重なり、ハマス優勢のタイミングを見計らってガザ撤退政策をぶちあげ、パレスチナ政治勢力と世論を分裂させる。)テロ的事態やパレスチナと云わずアラブ全体の分裂を引き出す。
 
 イスラエル政治の悪しきダイナミズムによって、最大の被害を受けてきたのがパレスチナの人々である。
しかし、彼らの側は、自然発生的な政治と軍事を克服できる術を持たなかった。
 
こう云っては悪いが、彼らは絶対的弱者、周りのアラブは分裂
そして、米国支援の「絶対条件」が、あったからこそ、イスラエルのとんでもない独りよがりの横暴がまかり通ってきたのである。
このようなイスラエルの手法は、ヨーロッパとは云わずとも、東アジアでも、絶対に許されるものではない。
何よりも、米国の激しいけん制を受けるだろう。日本や韓国、台湾政府にイスラエル的逸脱は許されていないし、国民も同意しない。
 
他方、南進し核武装した北朝鮮は封じ込められている。
軍事均衡の大枠がはめられていることも影響している。
中東地域にイスラエルをけん制する力がない。米国のイスラエルの逸脱に対する事後承認も常態化している。

イスラエル西岸占領、入植の実態は現地のリアルな情報に接しなければイメージできない。
 
     <カディマ党の占領地域基本政策>
「~~ガザ地区からの撤退、現在西岸で建設が進んでいる防護フェンス(「分離壁」) 内部の大規模入植地の併合<アリエルマアレ・アドゥミームなど>、それ以外の小規模入植地を撤退させ、分離壁を国境とする、治安上の観点からヨルダン渓谷とその周辺の入植地保持⇔、「イスラエルにとって有利な和平」と「パレスチナにとって不利な紛争」のいずれかをパレスチナに選ばせる
現在の首相はリクードベンヤミン・ネタニヤフ - Wikipediaイメージ 2シャロンの病状悪化、死によって、カディマ党は分裂し衰退した。
←<2005年の分離壁
大規模入植地アリエルは北部の西岸パレスチナににじみ出たような地域。
マアレ・アドゥミームエルサレムから、分離された先端地域だったが、分離壁で、地続きになっている。
ヨルダン渓谷は水色部分。
 
ザータラ検問所だけしか表記されていないが、現状、検問所は一々数え切れないほど存在する。
この図では道路は表記されていない。
 
パレスチナを政治的経済的に分断するために、
軍の軍事展開を基盤に①入植地、②検問所と道路、③隔離フェンスをミックして配置し、西岸パレスチナ住民の交流、物流を狭い領域に限定し、阻害するように巧妙に仕組まれている。
西岸地域は特殊な植民地であり、イスラエルは特殊な帝国主義であり、当然にも、植民地へのヒトモノカネの経済膨張と収奪構造を視座に据えなければ、実態はリアルに把握できない。
同時に、21世紀の今頃になって、植民地主義を実行している特殊帝国主義イスラエルは告発される。
   政治的経済的分断状況
パレスチナの自動車ナンバーは、一目でわかる黄色。
一端ことが起こると、検問所で縦列停滞させることができる。
通行制限時間を設けることができる。
地域寸断3点セットで、パレスチナナンバーの車では、要所の人的交流、物流ができないようにしている。
 
この辺の実情は現地報告に接しなければ、イメージできない

大規模入植地、中規模入植地、そして撤退させるという小規模入植地を区別する基準が不明確で、結局、米国のイラク戦争政策の変化(2006年以降)に合わせた一時的な政治技術に終わり、ガディマはカリスマシャロンの病状悪化、死亡によって、分裂し衰退した。
 
ガザ撤退(元々、ユダヤ原理主義者の入植地が多少存在した程度)は、パレスチナ政治分断、パレスチナ人密集、エジプトの春の挫折、西岸開拓重視など戦略的配慮に基づいて実現したが、
>西岸地域では旧来の入植地拡大政策がさらに強化されている。
 
2016年、イスラエル政府は、ヨルダン渓谷ジェリコ(左図のエリコだと思う)の2000m2を国有地にしたと発表した。この場所の入植地の実情は、パレスチナ住民の経済従属の実態、入植者への聞き取り調査などを含む生活実態調査などを含む現地報告書で詳しく述べられている。
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西岸現地資料  
* 西岸図は著作者 現代企画室『占領ノート』編集班/遠山なぎ/パレスチナ情報センター
下記の現地研究対象はヨルダン渓谷パレスチA地区エリコ近辺の世俗派、宗教民族派混住の入植地。
この図をみると、東エルサレムの先端に張り出した隔離壁内~~A地区を隔離壁で閉じ込めてしまって、問題になっていた状態が良くわかる~~の入植地やエルサレム方面の市街地への車通勤圏内。住民の都市型職業分布も納得できる。
1、PDF]宗教シオニズムの越境 気になるところ引用。
「    .4 国家への依存と孤立:相反する流れ
イメージ 3しかし、民族宗教派入植者の急進派による暴力の激化に対し、イスラエル政府はそれほど強硬な措置は取ってこなかった。
例えば、イスラエル警察は、入植者がパレスチナ人に対して行った攻撃のうち、92%に関し調査を行っていなかったと報告されている。
 
>その主な原因は、イスラエル政府の戦略にあると論じる。彼によると、イスラエルの政府・軍は、占領地に「構造化された無法状態」を意図的に作りだすことで、
国際法に違反する入植地建設や入植者の行動に対して責任を取らず、さらに国際的圧力が高まった際には「前哨地」のみ撤収することで大規模な入植地の撤収を防ごうという戦略を取ってきた。
 
>こうした政府の態度の背景には、イスラエル国内において入植地への過剰な国家資源の投入に対する反対は根強い一方で、
パレスチナ人との和平が達成されず、イスラエルの「安全」が完全に保障されない以上、入植地を撤収する必要はないという世論が存在することも無視できない。
 
>さらに、様々な世論調査の結果に現れているように、小規模な「前哨地」は撤退すべきだが、大規模な入植地は併合すべきという意見が強いことも、イスラエル政府の戦略に影響を与えていると考えられる。
 
にもかかわらず、イスラエル政府から手厚い保護を受けながらセクト化・暴力化する民族宗教派入植者のイメージは、税金を浪費して過大な利権を保持し、他方でパレスチナ人の権利要求や人口統計上の「脅威」といった問題に対する解決策を提示できず、やみくもにイスラエルの対外関係や国際的イメージを悪化させていると見なされ、多くのイスラエル
人を遠ざける結果をもたらしている。
例えば、西岸の入植地に創設されたアリエル大学の調査チームが、イスラエル領内――「1948年パレスチナ(the 1948 Palestine)」とも呼ばれる
――に住むイスラエル市民を対象に実施した世論調査では、2009 年から2014 年までの期間、西岸の入植地建設に対する支持率は低下し続けており、民族宗教派入植者の暴力化が入植者のイメージを悪化させていると報告している(。そのため、グーシュ・エムニームの急進派は、宗教シオニズム内部でさえ求心力を失いつつあるという指摘もなされている。
    ↑
W。このような世論によって、一時、シャロン、ガディマ党が支持をうけ政権を担当した。
 
2.5 新潮流の登場と「混住入植地」の試み
 こうした背景の中、民族宗教派入植者の中では、急進派が先鋭化するのと併行して、世俗イスラエル人や政府との対話と協調の必要性を主張する勢力も存在感を増してきている。
 
     3.2 モシャーヴ・ギティットの地理的位置行政的にはヨルダン渓谷のエリ
コ以北を管轄するイスラエル地方自治体、「ヨルダン平原地方評議会に属する
 
3.3 モシャーヴ・ギティットの歴史と概要
 ギティットは、1972年にIDFが建設し、その数年後に民間入植地に転換された。居住区は東西400メートル、南北380メートルである。
居住区と農地をあわせた総面積は約15 万平方メートル、2011年現在、62家族が暮らし、世俗派と宗教派が半数ずつを占める。
イスラエル政府によって接収され、ユダヤ機関に移管された土地の上に建設された。そのためイスラエルの国内法では、全ての住民は国から土地に居住する許可を得ているだけで、所有権は持っていない。
 
>農地については、1970年代のギティット創設当初は、各住民には農地五ドナム(約5,000平方メートル)、温室二ドナム(約2,000平方メートル)、追加で希望者に十ドナム(約10,000平方メートル)が分配された(。
 
ギティットの農業組合は一個の企業体として入植地全体とは別個の予算をもち、そのおよそ半分は政府からの補助金である。
現在、農業組合には、世俗派の40家族が加入している。
 
*W。重要 不在土地権利者が、17家族/40家族もいる。しかも、19家族~20家族/40家族は居住しているだけで兼業農家でさえない。ヨルダン渓谷入植地は、当初の目的である農業用地としての利用が後退し、賃貸大規模農家と圧倒的多数派の都市型の職業従事者に分かれている。土地所有ができない、農業収入の不足などの経済的理由による。
    ↓
>だが、その加入メンバーで実際にギティットに住んでいるのは23家族のみで、
そのうち部分的にでも農業に従事しているのは三~四家族に過ぎない。
これらの家族は、他の住民から農地と温室を借りあげ、賃貸料を支払っている。
 
 
さらに、これの農家は近隣のパレスチナ人を労働者として雇用している
例えば、農業を営む第一世代の家族は、常勤で六~八人のパレスチナ人を雇用し、収穫時には計25 人を雇っている。
占領地のパレスチナ人は、イスラエルの市民権の境界の外に置かれ、イスラエルの労働法で保護される対象ではないため、こうした労働力がイスラエルの国内法で決められた最低賃金社会保障を受け取っている可能性は低い。
また、パレスチナ人に土地そのものを貸し出し、賃料を得ている住民もいる
W。以上、植民地経営の社会構造、そのもの。土地所有権が確定していないだけである。
 
このように、本来パレスチナ人のために使われるべき占領地の土地を、入植者が自らの経済的利益のために利用し、さらに彼らを低賃金で季節雇用して利益を増幅させる例は、ヨルダン渓谷では頻繁に見られる
この構造は入植地に住まずに現金収入を得る不在地主」さえも生み出している。
 
こうしたパレスチナ人と入植者の間で異なる権利を与える法の存在とパレスチナ人からの搾取を前提とする経済構造に依存する入植者は、
それを可能とするイスラエル国家の力に依存せざるをえず、それがさらにパレスチナ人との関係を複雑にしていると言えるだろう。 
W。端的にいえば、西岸入植者はリクードの強固な支持地盤である。ネタニヤフ復活の基盤、ガディマ衰退の理由でもある。イスラエル特殊帝国主義本国の国民の政治選択肢は狭い。シャロン占領地分離策は、そこからはみ出し、外圧を受けたとき、帝国主義本国と近接植民地の構造の大枠はいつでも機能する。
 
 だが、ギティットの内部には農業以外の産業はない。
そのため、他の住民、特に民族宗教派の住民は、近隣の入植地やイスラエル領内の都市などに通勤している。
職業は、職業軍人、大学の研究員、教師、料理人、学生など多岐に渡る(表4参照)。これは、民族宗教派の協同入植地に典型的に見られる特徴である。
 
*011年9 月1日時点で一シュケル=約21.5円であった。
1 女   宗教的   1980年(生年)   2002年(入植年)  主婦(職業)、  入植地行政官(職業)
世帯所得(月額)   世帯支出額(月額)
12,000~16,000    8,000~12,000NIS
シュケルNIS
 
3 男   伝統的   1949年   1978年    専業農家
4,000~8,000NIS   8,000~12,000NIS
省略
次に、ギティット内部の経済構造を説明する。

各家族は、行政サービスを受けるために毎月320シュケルをギティットの中央委員会に運営費として支払う。これは一般に、モシャーヴ税(mesa moshav)と呼ばれる。
この予算から例えば、ギティット内のプールや集会場の運営費がまかなわれる。
 
>さらに入植地の警備費として毎月50シュケルを払う(。入植地の警備にはIDFが深く関与しているが、基本的には入植者自身が持ち回り制で行うことが期待されており、ギティットでは各家族が二ヶ月に一回警備を受け持っている。
住民から集めた50シュケルは、警備を担当する家族に給与として支払われる。
他にも、農業組合のメンバーは組合に月額360シュケルを支払う。
これは、農業組合が経営する養鶏場の運営費用などに使われる。
インフラ整備、清掃、託児所などは、行政サービスとしてヨルダン平原地域評議会によって提供されている。
それに対し、住民は、地域評議会に住民税(arnona)として家屋の建床面積に応じた額を支払う。電気・ガス・水道は各家庭が個別に支払う。
 
>なお、ギティット内のゴミ収集には、ヨルダン平原地域評議会の下請けをするパレスチナ人業者のゴミ収集車が毎日来ていた。
こうしたパレスチナの業者は、占領地内の平均賃金が低く仕事も少ないために、イスラエルの業者よりも安い価格で業務を受注するのが一般的である。
 
>こうして収集されたゴミがどこに廃棄されているのかは確認できなかったが、こうした下請けの構造からも、入植地は、イスラエルパレスチナの間の法的地位の違いが生み出す経済的格差に依存して維持されていると考えることができる。
 
だが2002年以降、宗教右派を受け入れて混住入植地となった。ギティットが混住入植地へと転換された最大の原因は、1990 年後半から2000年にかけて多くの住民が去ったことにある。
 
>1980年代には30 ~ 40家族が住んでいたが、2000年初めには13 ~ 17家族まで減少したという。
住民が退去した理由は、第一に、1980年代の経済危機と農業への政府補助金の削減により、農業のみで生計を立てるのが困難になったためである。
 
第二に、1987年と2000年にパレスチナ人の抵抗運動すなわち「インティファーダ(al-intifāḍa)」が勃発し、入植者にとっては安全面での不安が高まるとともに、入植地とイスラエル領内の移動が困難となったためである
このように人口が減少する中で白羽の矢が立ったのが、民族宗教派入植者だった
 
聞き取り調査は省略
 
          3.6 ギティットにおけるパレスチナ人との境界
 ギティットの住民は、民族宗教派であれ世俗派であれ、イスラエル市民としての権利を保持するだけでなく、占領地に入植したことにより、さらなる経済的利益を享受している。
それは先述したとおり、イスラエル政府から無料の土地と住宅を提供されることで得られる利益のほか、政府が接収して無償提供した農地においてパレスチナ人を低賃金で雇用したり、彼らに農地を賃貸したりすることで得られる利潤である。
 
さらに、ギティットに入植した民族宗教派住民の大部分は、新しい住宅を建てるにあたり、ユダヤ人の仲介業
者を介して占領地のパレスチナ人を雇って建設させている。
占領下で経済的に貧窮する多くのパレスチナ人が、日雇い労働として入植地の住宅建設や工場での作業に従事していることは、すでに多くの報告により知られている
ギティットの民族宗教派もまた、そうした経済構造に依存することで初めて、自らの理想が実現されていると実感することができるのだと言えるだろう。
 
 では、入植者はこうしたパレスチナ人との差別的・植民地主義的な境界の在り方について、どのように認識しているのだろうか。
 これについて入植者への聞き取りから明らかになったことは、
 
第一に、西岸全土は「ユダヤ人」に帰属する土地であり、それを認める限りにおいて「アラブ人」が住み続けることは許されるという認識を、世俗派も民族宗教派も共通して持っているということである
これは、入植者の支配にパレスチナ人は甘んじる限りにおいて、元来暮らしている場所に留まるのが許容されるという論理である。
 
第二に、彼らは、自分たちが他の「ユダヤ人」に寛容なように、パレスチナ人に対しても寛容であるにもかかわらず、パレスチナ人はそれを受け入れない信用できない人々であるという認識を持っている
 

W。このDVDの全訳は、上記の良研究報告よりももっと生々しい現地の実情を伝えていいる。
 
アンナバルツァー制作 DVD. 「占領下の生活スクリプト全訳. 00:00 こんにちは。私はアンナと言います。これから、ヨルダン川西岸. 地区に拠点を置く、「国際女性平和サービス(IWPS)」という団体で私が. 経験したことをお話しします。