反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

<続編> 司馬遼太郎全集61「街道を行く」十~アイルランド紀行。『静かなる男』 P186 引用開始。

司馬遼太郎全集61「街道を行く」十~アイルランド紀行
   『静かなる男』 P186 引用開始
「村への途中、石垣で囲われた柔らかい牧草で覆われた丘が続き、野の一隅に石造りのアイルランド十字架がたち、湖のほとりも過ぎていく。おとぎ話の背景のように美しいアイルランド的な田園が見るものを夢の中に誘い込んでくれて、
これからどんな浮世離れした事が起ころうとも、この景色の中で当然だと思うようになる。
 
 この村はジョンフォードがロケーションをして決めた村である。転載地図http://4travel.jp/travelogue/11124678
イメージ 1>実在の村はコング(Cong)村~W。現在村人187人、日本人観光客には辺鄙なところと感じるらしいが、最高の環境!)で、二つの湖(北にマスク湖、南にコリブ湖~W。アイルランド最大の湖~に挟まれた地峡上にあり、撮影中、英国から来たスタッフが、景色のあまりの良さに仕事が手に着かなかったといわれている(ジョンフォード伝)
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~~W。注釈1。引用、転載→①アイルランド在住日本女性ガイドのブログ ②コング村と東京ドーム35個の広さのアシュフォード城の歴史とセレブ宿泊の5つ星ホテル、購入価格5000ユーロの半値になっており、経営難でリストラ~
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 フォードが30年前ここに来たとき、父の甥のマーティーフィーニィーが英国から首の賞金を懸けられた民度訓導の指導者の一人で、コニマラ山地(W。注釈2)に潜伏中だった。フォードは危険を冒してあいにくのだが、その山地もここからそう遠くない。
フォードは、この村を、映画の中ではアイルランドの代表的な詩人ウィリアム・バトラー・イェイツ - Wikipediaの詩~W.注釈3イニスフリー島へ The Lake Isle of Innisfree~からとって、<イニフリー村>という事にした。
 撮影中、彼は暇をみて父親の故郷であるゴールウェイ湾北岸のスピッダルムラを訪ね、もはや年老いてしまった父の甥マーティーフィーニーに再会した。
その案内で父の生家も見た。
『静かなる男』は気分としてはジョンフォードの自伝映画であったともいえる。
 
 駅から乗合馬車に乗ったショーンは、やがて村に入り、死んだ母親が繰り返し話してくれた教会の横に出た。
偶々教会から出てきた美しい村娘に心を奪われる。
 娘は、アメリカにおける煽りッシュ系の代表的な女優、モーリンオハラが扮している。髪が、赤い。
と言われるが、実際には赤毛は数%しかいない、という調べを何かの本で読んだ。
「燃えるような赤毛
などと普通表現されるが、有機化学者の塩田教授によると、赤の銅色に近い、と想えば誤差が少ないという。
 
 ふつう、アイルランド女と云えば、
「かん馬のような気性」とされる
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~W。カン馬は今では専門用語、気性はじゃじゃ馬だが、俊馬。モーリンオハラの演技はオーバーアクションに映るが、過去の日本には絶対にいなかったタイプとわかる。時間不足でカンは省略~
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この映画の中でメアリーケイトという名の娘に扮するモーリンオハラも<かん馬>としての連携をダイナミックに演じて見せる。
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~W。昔のアイルランドにはそういう女がいたことをモーリンフィッツシモンズは知っていた。もしかして彼女自身かもしれない。日本でいえば作家の佐藤愛子 (作家) - Wikipediaがソレに近い~
「5人兄弟の次女として生まれ、ダブリンでサッカー・チームを持っていた父親の影響でサッカーや木登り、地元のスポーツに励む腕白な子供時代を送っていた~
佐藤愛子の女学校時代の写真に勤労動員された時代の<木登り写真>がある
あの時代にもこう云う感性の少女がいたのだと実に鮮烈だった。木登りをする少女は、<女丈夫に育つ>
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 映画の中のショーンは、アメリカ帰りの他所者である。村人の半ばの好意を得るが、彼を他所者として殺したいほどきたっていたのは、娘の兄貴で、一家の主でもある頑固な大男だった
条理を受け付けぬアイルランドtきな一典型を、ジョンフォードは煮つめ挙げてコンデンスミルクにしたような役柄を作り上げた。
 娘も、ショーンを憎からず思うようになる。が、ショーンが想い余って接吻したとき、娘は渾身の力でショーンをひっぱたく。ジョンウェインはさぞ痛かったかったろう。
 それでもショーンは求婚し続ける。
『ここはアイルランドだ』
といってショーンに教えるのは、乗合馬車に乗せてくれた親切な老人である。
アメリカのようにいかない。女に求婚するには、戸主(この場合、兄貴の大男)の許可を得なければならず、彼が反対すれば、結婚はできない』
 そういう事で、ボクシングでの事故以来、鳩のように優しくなっているショーンと、乱暴で力持ちのがん子男との対決が、様々な寓話い入れて進行し、村中が競馬でも見るようにその進行を観察する。この場合、フォードは大男を濃密に描くことによってアイルランドそのものを表現しようとしている。
 親切老人や老神父は、ショーンの味方だった。彼らは大男をなだめたり、憎めない罠に掛けたりして二人の結婚を承諾させようとする。
 遂に大男は善意の罠にかかって、結婚を承諾した。披露パーティーも行われた。
 
が、彼はパーティーのさなか罠に気付き、持参金を妹に渡さなかった。
 当時濃厚に守られていたアイルランドの伝統では、花嫁が持参金を持ってゆく。
無論持参金を持たない貧しい花嫁もいるが、メアリーケイトは誇り高く、そういう不完全な花嫁のままでいることに耐えられない。(そのカネは、メアリーケイトが死んだ母親から譲られたものと、彼女自身が稼いだものである
ただし大男に兄が保管している)
 彼女はそういう不完全な自分に憤って、新居に寝室に錠をかけ、ショーンを入れなかった。そのことも村中の観客は知った。このあと、必然的な事情の破片が積み上げられて行って、遂に大男とショーンの腕力での対決が起こる。W。注釈4対決シーンの動画9分
 その格闘が延々と続き、村中がそのどちらかに賭け、格闘は野を超え丘を越えてゆくのだが、無r十月いてゆくのである。むろん最後はハッピーエンドにおわる。
 
 浅井聡氏がアラン織りのスウェーターを買った店を出るとにわかに雨が降ってきた。
 
>通りを行く人たちは、あちこちでポケットからビニールのフードを取り出して、頭にかぶった。肩が濡れっぱなしだが、たれもがゆっくり歩いている。
>と私は自分に言い聞かせて濡れ続けたのだが、あまりの雨脚のひどさにたまりかねて軽食堂まで走ってしまった。

W。注釈1。引用、転載→①アイルランド在住日本女性ガイドのブログ 
『静かなる男』の村、コングにて
 2014/06/04(水) 23:10:19 | Author:naokoguide
アイルランド政府公認ナショナル・ツアーガイド。2000年よりアイルランド在住。 http://naokoguide.blog33.fc2.com/blog-entry-1849.html
引用
「永遠の名作『静かなる男(Quiet Man)』のロケ地として知られる、アイルランド西部のコング村(Cong, Co. Mayo)。
半世紀どころか2012年には映画公開60周年を迎え、その頃から(やっと!)、『静かなる男』を意識したプロモーションが進んでいるようです。

グループのお客様は村に隣接するアッシュフォード・キャッスル・ホテルにご宿泊、私はお城に部屋がなくて村のB&Bに宿泊。メイドの気分で毎朝歩いてお城へ出勤するのもなかなか楽しく、久しぶりにコング村を楽しみました。

今回久しぶりに村で過ごしてみて、以前より村がにぎやかになったような気が・・・。お城に宿泊している皆さんも村に出てきて、可愛らしいカフェやグローサリーでひと安みしながら、映画のロケ地めぐりを楽しまれました。
イメージ 2村のマーケット・クロスと「Cohan Bar(コハン・バー)」。このパブでのシーンは映画に何度も出てきますが、実は店内での撮影はハリウッドのスタジオだそう。パブは外観のみ使用されました。実はこの建物、一度もパブだったことはなく、看板のみなのですが(笑)
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ペーパーミントグリーンの宿屋兼パブ、ダナハーズ(Danaher's)で、出演者やスタッフがしばしばたむろしていたそうです。店内には撮影当時の写真あり
 
 
 
 
セレブリティのアイルランド 4/5
引用
「アッシュフォード城)
イメージ 31時間半のドライブで、アシュフォード城の門到着しました。
なんと城門からお城までは500mもあり、
森を通ってゴルフ場の中を通って行きます。
もの凄く広大な敷地(140ヘクタール=東京ドーム30個分)のお城で
乗馬やゴルフも出来る、超豪華古城ホテルになっています。

門には守衛さんが立っています。
宿泊か、どうか聞かれます。
いえいえ、宿泊なんて恐れ多い、見学というと5ユーロ/大人も
入場料をとられます。

イメージ 4じゃ~ん、これがアシュフォード城ホテルです。
古城ホテルの前には、ランドローバーの新旧2台のSUVが鎮座しています。
な、なんだ、このオーラは、うちだって1人5ユーロ、
2人で10ユーロ払ったじゃないか、堂々としろ!

ホテルの前にもモンタ、お茶飲めますかと聞いたら、宿泊客だけと
ガード固く、あえなく撃沈。
仕方なく、お庭にまわる。わずか89室。

ジョン・レノンも、レーガングレース・ケリーも泊まった。
イメージ 7ここは湖に囲まれた景勝の地。
このカワイイ船に乗って365の島が浮かぶという

コリブ湖クルーズに衝動的に乗っていましました。

だってセレブも、きっと乗ったに違いない、

同じ経験してみたい。
アシュフォード城ホテルの石橋です。

橋の右端が船着き場で、先ほどのカワイイ、緑の船が

見えるので石橋の大きさ、よくわかると思います
イメージ 5イメージ 6
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
              <アシュフォード城>
アッシュフォード城(英語: Ashford Castle)は何世紀にもわたって拡張され、メイヨー州とゴールウェイ州の境界のコングの近くで5つ星高級ホテルとなった中世の城であり、アイルランドにあるコリブ湖のほとりに建てられている。アッシュフォード城は、ザ・リーディングホテルズ・オブ・ザ・ワールド組織の一員で、以前はギネス家が所有していた。
    初期の歴史
アッシュフォード城は、1228年にノルマン系イングランド人(W。アングル人サクソン人とノルマン・コンクエスト - Wikipedia)のバーク家によって、修道院の遺跡の境界に建てられた
所有が3世紀半以上続いた後、デ・ブルゴスの軍隊とコノートの長官であるイングランドの役人リチャード・ビンガム卿らの激しい戦いに続き
休戦が合意されて1589年にアッシュフォード城はビンガムのものになった。
ドミニク・ブラウンはブラウン家(オランモア男爵)の出身で、彼は1670年か1678年に勅許で屋敷を受け取った
18世紀末にブラウン家の分家がアッシュフォード城を相続した。
    ヴィクトリア建築の再建
1852年に、屋敷はサー・ベンジャミン・リー・ギネスによって抵当不動産裁判所から購入された
彼は、2つの大きいヴィクトリア朝様式を増築した。 彼はまた屋敷を26,000エーカー (110 km2)広げ、新しい道を作り、数千本の木を植えた。
1868年のベンジャミンの死のすぐあと、屋敷は彼の息子アーディロン男爵の手に渡り、彼はネオゴシック様式の建物をさらに広げた。

 <アーディロン男爵>は巨大な森林の造成を監督する熱心な庭師だった。
彼はまた、いくつかの蒸気船事業を援助した。最も有名な蒸気船はレディー・エグリントン号で、コリブ湖上流の地域の村とゴールウェイ市の間を定期的に往復した
W。地図参照。
ロケ地のコング村には鉄道は通っていない!「静かなる男」の冒頭の汽車の停車駅はスタジオセット。
もっともそのためもあって現在でも俗化されていないようだ。
 
このように、彼は商業を拡大するために地域開拓をした。アッシュフォード城近くのロッホ・マスク・ハウス(キャプテン・チャールズ・ボイコットの家)で起こった小作人の暴動に代表される19世紀末の土地戦争で、彼は小作人による扇動活動の際に多くの人から「進歩的な」地主とみなされた。
    <ホテル>
アッシュフォード城はアーディロン男爵の甥、アーネスト・ギネスに渡り、1939年にアイルランドの政府に贈られた
 
ノエル・ハガードはホテルとして屋敷を開き、そのホテルは釣りや狩猟のような田舎の娯楽の供給として有名になった
>1951年に、映画監督のジョン・フォードジョン・ウェインモーリン・オハラが主演する『静かなる男』を撮影するためにアイルランドの西部を訪れた。アッシュフォード城の土地及びコングの近隣は、映画でエピソードの多くの背景として使用された。

1985年には、アイルランドアメリカ人の出資者のグループがアッシュフォードを購入した。
そのグループにはチャック・フィニーやトニー・オーライリーも含まれていた。
アッシュフォード城は、これらの出資者によって2007年に5000万ユーロでゴールウェイを本拠とする土地投資家のジェリー・バレットと彼の家族に売却された
 

バレットの広大な地所の貸し付けのいくらかがアイルランド全国財産管理機関(NAMA)によって管理されながら、アッシュフォードはスコットランド銀行(アイルランド)によって融資された
スコットランド銀行は、ホテルがアイルランドのホテル経営会社のティフコホテルグループが経営する企業であり続けたにも関わらず、2011年11月に地所を財務管理下に置いた
 
2012年9月、ホテルはコンデナスト・トラベラーによって、アイルランドで一番の行楽地、そしてヨーロッパで3番目に良いホテルとして投票で選ばれた
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2012年10月にホテルは売りに出され、2007年にバレットが支払った半分の約2500万ユーロの価値が付いた。ホテルは現在83室あり、うち6室はスイートである
2013年5月、ホテルはいくつかの他のブティックホテルを所有するグループのレッドカーネーションホテルによって、2000万ユーロで購入された。
新しい所有者は地所で大規模な改装を計画し、売上はおよそ160の雇用(繁忙期、閑散期には120に減る)が維持されるだろう。
管財人によると、アッシュフォード城は管財人管理下にある期間ですら、利益をもたらした
>土地の長年のマネージャーであるニール・ロックフォードは、ホテルの残存を確実にするために、職員は20%から30%の減給を受け入れたと語った。
今日、客の多くはアメリから訪れ(60%、アイルランドから30%、他の地域から10%)、カリフォルニア州からの客が最大の割合を占める
 
W.米国バブル崩壊→欧州金融危機で、アイルランド経済は混乱し、アシュフォード城の価値は5000万ユーロ
(約50億円)→2500万ユーロ(約25億円)→2000万ユーロ(20億円)と下がった。アイルランドバブル経済がはじけたのだ。ホテル経営のコンセプトは最初からセレブ専門だが、ヨーロッパには他にも似たようなところがあり(避暑地?)競争激化。
 
アイルランドの田舎でのんびり
旅行時期2014/03/21 - 2014/03/24 (2014/04/27投稿)
現地写真多数は省略(W.素人写真なのだが)
 
「夫の友達の結婚式でアイルランドのコングに行ってきました。

ものすごい田舎で、散歩ぐらいしかすることがないのですが自然を満喫。

どうせすごい田舎で何もすることがないだろうと全く何も調べずに行ったところ、ホテルの近くの村が有名なところだったらしく、その村を散歩していると日本からのツアーのご一行様に出会いました。夫と二人でびっくり

ちょうどイースターの4連休だったので3泊し、のんびり過ごせました。

しかしアイルランド人の英語は訛りが強くてイングリッシュの夫でさえよく分かっていなかったみたい。」
「この道を歩いている時に日本からの御一行様と出会いました。

この道は「静かなる男」という1950年代に作られたジョン・ウェイン主演の映画の舞台になった場所として有名なようです。
 
注釈2は省略
 
W.注釈3イニスフリー島へ The Lake Isle of Innisfree 
ウィリアム・バトラー・イェイツ - Wikipediaの詩
こんな機会がなければ、イェイツの詩に接することはなかった。日本では戦前、文学者の間で人気があった。
 アイルランドの細道

The Lake Isle of Innisfree

  I will arise and go now, and go to Innisfree,
  And a small cabin build there, of clay and wattles made;
  Nine bean-rows will I have there, a hive for the honey-bee,
  And live alone in the bee-loud glade.


  And I shall have some peace there, for peace comes dropping slow,
  Dropping from the veils of the morning to where the cricket sings;
  There midnight's all a glimmer, and noon a purple glow,
  And evening full of the linnet's wings.


  I will arise and go now, for always night and day
   hear lake water lapping with low sounds by the shore;
  While I stand on the roadway, or one the pavements grey,
  I hear it in the deep core of the heart.
                                    

逐語的な翻訳を知りたい方はネットで色々見ることが出来る。例えばhttp://homepage3.nifty.com/TAD/poems_1/poem_63.htm
 
W。注釈4対決シーンの動画9分
The Quiet Man Fight