連載は中止する。知識不足もあるが、連載を続ける原動力、知らないことを知りたいと云う好奇心がこの分野には湧かなかった。
http://radiko.jp/#!/live/CRK
W。ラジオより有線がやっぱり良い音が出る。音源のレコード盤のまろやかで奥の深い音が聴こえている。
オトナのムードあふれるJAZZ番組。
◆パーソナリティ◆ 島崎保彦・阿里耶
水泳の歴史~4泳法のむかーし~
水泳 クロール 自由形 泳ぎ方のコツ やさしい泳法 楽な2ビート 4ビート 6ビートの覚え方 freestyle 3D・2
W。哺乳動物は、元々泳ぎができる。基本泳法はバタ足犬掻き泳法だ。
しかし、人間とサルは元々泳ぎが苦手らしい。
へそから上、頭までの<比重が重すぎて>哺乳動物本来の犬掻きでは浮力を維持できず早々と沈んで行ってしまう。進化の結果、身体の両足立ちしたときの前傾姿勢は、未だに残っているので基本姿勢からも、水の中では前に沈下するようにできている。
子供のころ、犬掻き泳法で頭が次第沈んでいく大胆なことをする遊び仲間を何度も見た。頑張っているから余計にその光景は目立つ。自分もそうして泳ぐことができたのかもしれない。
幼い子供が泳ぎ方を教えてもらうことなく自然に泳ぎ出すと、バタ足犬掻き泳法になる。
自分が汽水域の大きな川で最初に泳ぎを覚えた時も犬掻き泳法だった。周りの年上の子供のマネしたのだろうが、泳げないモノにとって一番簡単で楽だった。動物的本能で泳ぎ始めたのだ。
いきなり背泳やクロールができる子は見たことがなかった。
平泳ぎから始められる子供はいたかもしれない。
ただし、ターザン系の野性的な年上の少年は、クロールで格好よく速く泳ぐことができた。
その場合のクロール泳法は頭を水につけないやり方だった。
自分の今のクロールも頭は自ら出して泳ぐ。ゴーグルを使わないのでそういう泳ぎ方しかできない。
泳ぐこと自体は好きではないし退屈である。
昔の田舎には不良にならず徹底したアウトドア派、自然児のままの少年のいる場所があった。
自分もそこまで行かなくてもその系統だった。
いずれにしても
犬掻き泳法はちっとも前に進まないが、泳げたと少し感動したことを覚えている。
犬掻き泳法から平泳ぎに転じるのは余り日にちを置かなかったなかった。
プールで泳ぎを覚えた子供は、この進化過程をどうしているのだろうか?
塩分の水の浮力は想像以上に凄いモノがある。
塩分の混じっている場所で水遊びする子供に金づちはほとんどいないと記憶している。
ちなみに水中で目をあけていると塩分で目が真っ赤に充血するので<水中メガネ>は必要だった。
最初は今のゴーグル式の2眼水中メガネが発売されたが、間をおかず海女さんのような1眼が出てくると、ゴーグル式をつけている子はいなくなった。鼻がカバーされているので、鼻から空気を吸い込むと云う人間の自然動作を水中でついやってしまっても鼻から水を吸い込むことがなくなり、しぜんに口で息を吸い込む。
ビギナーにとってクロール泳法の難しいところは水の大きな抵抗力を少なくするため、頭を水につけたまま、水中で息を吐き、顔を横ぶりにして息を吸い込むタイミングである。
上手くいかない場合はゴーグルは鼻が露出しているので鼻から水を吸い込むことがある。
また、水中息吐き横ぶり息吸い込み動作を繰り返している間に、多少なりとも水を口の中に入れて、時には呑み込んでしまいがちになることだ。
勝手な想像だが、クロール泳法を精いっぱいやると、上体の比重が重すぎ、基本姿勢が前傾姿勢である人体の特徴から頭を沈下させえると顔を横ぶりにして息を吸い込んでも、水をのみ込んでいると想う。
クロール泳法の歴史の解説で、
引用 NAVER
「もともと、南アメリカやオセアニアの人々はクロールに近い泳ぎをしていた。19世紀においてインディオが非常に速く泳いでしばしばヨーロッパ人を驚かせていた。」とあるのは、頭を水につけたまま、顔横ぶり、吐いて吸っての今のクロール泳法ではなく、頭を今ほど水につけない泳法であった、と想像する。
今のクロール泳法は自然環境の泳ぎでは不自然な動作であり、そもそも目標めがけてまっすぐ泳げるのか怪しく、まっすぐ泳いでいるのは、コースの浮きラインを顔を横ぶりにした時に確認しているからではないか?
一般のプールでコースの右側使用が規則のようになっているのは、クロール泳法のライン確認のためであろう。
背泳ぎもライン確認の厳しい泳法で、一般の人々には進行方向の確認もままならない。
海女さんが付けているモノが遊びには視角が広くて最適とはおもうが、シュノーケルを使う場合や水中深く潜る時は二眼のモノが良いのではないか。
ゴーグル形式のモノは、プール泳ぎ(ゴーグルしか使用できないが、水中メガネが解禁になると一般利用者はゴーグルを手放すだろう)、競泳用のモノで水遊びには不便ものである。
水を怖がらず(いや怖がるのが人間の原理、怖がらないように努めるという表現が正しい)、大きく息を吸い込むと身体がふわっと浮く感覚を覚えると、あとの手足の動作は自然に身に就き、平泳ぎに近い泳法に自然と移行する。
海難事故にあったとしよう。本能的に浮遊物を探すのだが、ヒトはクロールでは泳がない。
クロール泳法はサバイバルに適さない泳ぎ方で競泳限定の泳法である。
海峡横断などの長距離をクロールで泳いでいるが、必ず並走する船が必要なはずだ。
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最近プールで泳ぎ始めて気付いたことがある。
バタ足だけでが懸命に足を上下させてもゆっくりゆっくりしか前に進まないし、力むと脚を動かしている割に前に進まない。身体の姿勢が進行方向にまっすぐでなくなって、空気の800倍という水の抵抗力が増えているのだろう。バタ足自体は大した推進力にはならないのだ。ボートのオールや船のスクリューとは大違いだ。
コレを利用して、脚力強化のトレーニングにしている。
余計な負荷はかからないし、腰、脚の全筋力を使うので水中歩行より有効なのではないか。
浮力を維持するためにボードを持つ方法もあるが仰向けになるとボードは必要でない。
うつ伏せバタ足だと、(やったことがないが感覚的に)上体は沈んでいくと想う。
猿人から出発し進化した現世人類は、遠い祖先の体幹の前傾姿勢が残っているし、なにしろ頭の<比重>が重すぎる。
うつ伏せバタ足は仰向けの裏側だから、まんべんなく筋力を強化する為に今度やってみようと想う。
浮きボードは使えと本能が教えている。
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という事で泳ぐことに関して腕と手のひらが主たる推進力になることが今頃、わかった。
脚はカエル脚がもっとも推進力になる。
クロール泳法の腕のストロークは、どんな泳法にも共通の主たる推進力である腕のパワーがもっとも発揮できる上方振りかぶり振り降ろしの間断のない回転力を利用する合理的泳法あるが、難点は頭を水につけたままの上体の比重が重すぎて、鼻から口から水を吸い込むことが間々ある、ということで、サバイバル泳法としては疑問がある。競泳限定の泳法じゃないか。
その際のバタ足は身体を推進方向にまっすぐバランスよく保ちながら補助推進するだけの動作である。
理屈をこねているが、クロールは苦手だ。
川や海の水遊びの中で速く泳ぐことをやらなし、泳ぎのテクニックは課題ではなかった。
水泳自体で優劣を争うと、速度と距離を基準とすること以外に他に方法はない。
昔の自然の中で育った子供はヒトよりも速く競争をしなかった。
水遊びに泳ぎのテクニックは必要ではなかった。
泳ぎが達者になると、即、水に飛び込んだり、水中にもぐったり、魚を捕まえる(道具を使って殺傷すると云うことだ)スリルとサスペンスが優先されるようになる。水泳は水遊びを面白くする手段にすぎなかったが、本質的に水が苦手な人間の水難に対する生きたサバイバル訓練の場でもあったのではないか。
潜ることにエネルギーを使うのが面倒くさくなると、大きな石を抱いて底に沈んで行って、向こうから近づいてくる好奇心の強い魚と面談する。
子供の遊びの水泳で速く泳ぐことは必要ではないが、長時間、水中に浮かんでいる技術は必要である。
資料
水泳の歴史 (世界大百科事典より)
W。下線部分、何を指しているのかさっぱり分からない。
マーカーの泳法は身体の疲れない自然な泳ぎ方で、他の泳法とのコンビネーションに使うと、長時間、水に浮かんゆっくり進むことができるサバイバル泳法である。
究極のサバイバル泳法は、海難事故や泳いで渡河作戦をしなければならないときの兵士の泳法。立ち泳ぎ、横泳ぎは必要で、誰でも知っていれば簡単に実行できる泳法である。
プールのキッズ水泳教室や学校の体育の時間では教えない。せめて平泳ぎより遥かに楽な横泳ぎぐらいは教えといた方が良いのだが。
(1) 能島流 野島流とも書く。紀州藩の能島水軍の伝統をひくといわれ,南北朝時代に村上義弘が海賊流として創設,のち能島流となり,名井家,多田家に伝わった。平体と巻足 (まきあし) の立体を主とする簡素厳格な泳ぎである。←W。調べてみると立ち泳ぎをした際の足の使い方が巻き足になると云うことらしいが、コレに類する泳ぎ方は立ち泳ぎをして、前に余り進まないときに自然と出てくる。
武具を装着したまま浮力を維持するためにはこういう泳ぎ方に自然となるだろうが、泳法として定式化して訓練しているか否かでは雲泥の差がある。なにしろ命がかかっている。
>普段着を着たまま水難事故にあった際には、非常に役に立つのではないか。
浮力を維持したままの状態で、水につかって泳ぎの邪魔になる服を脱ぎ捨て、身軽になって泳ぐことができる。
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となれば、子供は余りやらないが(動物的勘で危険性を予知している)、遠くまで泳ぐことができるようになる(遠くまで泳いでいくのは単調で面白くない。競泳の一歩手前の大人の泳ぎ方である)が、この時の泳ぎ方は日本の古式泳法、横泳ぎ、立ち泳ぎというエネルギーロスのない泳ぎ方が簡単で、他の泳ご方とミックスすると長時間泳げる。
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遠くまで一人で泳いでいくと途中で目標地に到達できるのか不安になり、動揺して動作の無駄になりエネルギーロスをもたらす。広い川や海は深度によって潮流の変化や水温の低下がある。
自分が真冬の小笠原諸島、母島(沖縄南西諸島よりも水温も大気も暖かい~海洋性の気候かな?~)の小さな港湾の入口の両側の岬の先端から先端まで横切ったときは、湾内の中程で急激な水温が低下にびっくりし想わず引き返すことが頭をよぎった。
酒が入って大胆になっていたのと(ヒトを襲うサメはいないと聞いていたが、いても不思議でなかった)、一眼水中メガネをしていたことでじっくりと身体をリラックスして(ゴーグル装着していたら水死していただろう。水死とは空気の代わりに口から鼻から水をのみ込むことである)海水に身体全体を潜らせ、手を掻いは浮上し息を吐いては数の繰り返し動作ができて、少しづつ目標が近づいてくるので、安心感が出てて目標地点にたどり着くことができた(前に進まない立ち泳ぎはやらなかった。平泳ぎと横泳ぎをミックスした)。
疲れはほとんど感じなかったが港に帰ってきたときに地元のヒトに「危ないことをやるな」と叱られた。
何かあると助ける準備をしていたらく、申し訳ないとおもった。
現状、息が乱れると即プールから上がる。
上がり方のコツも最初は身体をプルの縁に正面から向けて上がっていたのでぎこちなくきつかった。
エッーこんな事でもたつくのかと。今想うと正面から身体をリフトしても腕の長さの限界があり、泳いだ直後の疲れた脚を横向きに伸ばして上げなければならずぎこちない動作になる。
フトした切っ掛けで、プールの縁に背を向け、両腕を後ろに回しプール端に掛け、尻から一気にリフトすれば力を使わなくても簡単に上がれることが解った。現世人類の尻の位置と腕の長さは大体同じ長さにできている。腕が伸び切った時点で尻がプールの縁に面白いほどスムーズに着地する。
泳いだ直後コースの端で息を整えて上がる必要はなくすぐ上がれる。
走り高跳びの背面跳びの要領で、両手と浮力があるので楽なものである。
考えてみると、あの飛び方も不思議だなぁ~。
頭と上半身の比重の重さと進化による前傾基本姿勢と関係があるのか、前に倒れ込んでいくよりも、後ろに倒れ込んでいくほうが滞空時間が長い。
プールには長居をしない、やることをやったら直ぐ帰る。