反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

総括。衆議院選挙。小選挙区民主、比例、社民に投票したが。

 小選挙区民主党候補者には信条的に違和感があった。政策の根幹は自分の基本「思想」に反すると思った。この時期にホームページ上で治安維持のため警察官の増員やポリボックスの増設しか掲げず、年金、医療、介護に一言もないのは許せない。(選挙が始まって公約)
 しかし自民党のやってきたことはもっと許せない。犯罪に等しい、との感覚がある。自民党を打倒するためには民主に投票するしかない。また政治は大きな視野に立って違いを乗り越えなければならないとも。自分の「思想、信条」を純粋に表明しようとすればそれこそ、泡沫候補のように単独で立候補しなければならない。 大きな妥協をだった。
 
 民主党は様々な階層、信条の支持者がいる国民政党だ。理屈としてかなりハイレベルなサイトのコメント欄に一般の読者の意見が載っているが、民主党を支持するとはどういう人たちとも共通の立場になるか教えられる。意見が理論的に提出されているから違いが鮮明になる。
 正直、こんな人たちと同じ党を支持するのだと納得しなければならない。
 私の立場は労働や生活の<めだま>から世の中を見つめていくが企業や市場の立場から見ていく人も民主党の支持者にはいる。ものすごく違和感を覚えるが民主党支持するとはこういう人たちと同じ立場に立つということだと、納得して小選挙区の民主候補者に投票した。

 別の違和感もある。これはそれほど気にすることはないがやはり確認しておく必要がある。
民主党の政策のアレコレにいろいろ過大な意味を見つけ出そうとする傾向。
典型的なインテリの悪い傾向だが、こういう人は昔からたくさんいた。意味付与する対象が今は民主になっているだけだが、裏読みすれば民主にはインテリの知的好奇心をある程度満足させられるところがあるということだ。自民党がチンケな市場原理主義者を引きつけているよりもましだ。
 しかし気をつけなければならないのはリベラル的意味付与が幻想を広範に呼び起こし、実際の政治を民主党が行っていく過程で、これらが幻想であった、と明らかになった時だ。
 反動が来る。しかもそれが大衆レベルでくると民主党への支持が一過性になって政治的無関心へと展開していく。これはやがて自民党公明党的政治の温床となるのだ。
 だからリベラル派の民主党政策への過大な意味付与は問題なのだ。
 民主党は国民政党だから国民の様々な階層、職種、職域の利害を調整する運命にある。
 政治的な立ち位置は中道だ。かつて、日本が成長期にあったとき一貫して政権を担当してきた自民党の政治内容も実質的に中道政治だった。55年体制社会党が集約した労働者の要求を自民党が修正して、資本家層の要求とすり合わせて、現実化した。この過程で官僚の果たした役割は大きかった。あの当時、実体的に修正資本主義が行われていたのであり、小泉竹中以後のむき出しの市場原理主義とは大きく異なる。
 言い換えると修正資本主義、国家独占資本主義が行き詰ったところから、市場原理主義が登場したがはたしてそこまでやる必要があったかどうか?
 この点は支配者としても真面目に問題とすべきだった。冷戦構造の解体が行き過ぎを助長したのと思う。
 アメリカのオバマ登場、日本の民主党躍進の底流には行き過ぎたものへの修正がある。
 その政策は左派、でもリベラルでもない当たり前の中道路線。
 それが何かしら左派、リベラルのごときものとして攻撃されているところに行きすぎた奴らの政治的位相の極端さを見る。極端な立場に立つものが国民全体の利害をまっとうに調整できるはずがない。 やはり自民党は死ななければならないのであり民主党自民党に代わって調整の政治をやらなければならない。 ただそれはできないろ思う。行き過ぎは余りに大きすぎて舵を切る時間も与えられないし政治経済の逆流か強すぎる。

 歴史とはその時々で最も勢いのあるものがやりたい放題やってきたものだ。だから争い戦争に満ちている。

 社民党への投票は護憲を評価してのものでない。
日本国憲法はそんなに素晴らしいものとは思わない。妥協、折衷の産物と思った。
ただ改憲は日本、世界の政治状況を熟慮すれば必ず日本を悪い方向に導く。
 タガが外れるという言葉がある。改憲すればタガがはずれ必ず魑魅魍魎が跋扈する世の中になる。
 良心的改憲論者は政治を実体論として考えていない。
タモガミのような奴の登場は右翼にとって長年の悲願であった。政治的軍人が日本を破滅させてきたがタモガミにも同じ資質がある。