反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

トレバーバウアーさんの去就。大谷翔平、山本由伸がNHK、BS朝の大リーグ中継に都合の良い時間帯、西海岸ドジャースで決まりだったようにMLB政治路線不適格者バウアーさん去就はネット民に嫌われても安保体制必要な多数派向けにNPBに割り振られている。

 2023年10月16日 19時51分

バウアー、球団選択へ3つの条件(1)優勝できるチーム(2)個人タイトルに協力的(3)ファン重視【DeNA】:中日スポーツ・東京中日スポーツ

  引用

球団選択の基準を聞かれたバウアーが口を開いた。「優先順位でトップ3をつけると、1つ目は優勝を狙える球団がどうか。2つ目は個人タイトルを狙わせてくれるか。3つ目はどれだけファンを喜ばせることができるか、です」

「優勝を狙えるかはどの選手も望むこと。今季の成績だけでなく補強もポイントになる。タイトルは「過去には狙える余力があったのに投げさせてもらえないことがあった。目指すことが勝利につながる」と確信している。ファン重視は「ファンがつかない選手はお金を球団や自分にもたらせることができない」とシビアな意見を語った。

 その上で、「やりたいことリスト」が重要だという。

残留し来季DeNAを優勝させることは「リストには入ってます。だが、子どものころからずっとやりたいこともあるからね」と絶妙な言い回しで最上位でないことを明かした。」

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 配信

前DeNAバウアーなりふり構わずメジャー復帰懇願も…結局「日本プロ野球」出戻りに現実味(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

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 配信

バウアーがDeNA残留か「日本にもう1年いる必要があるかもしれない」=米報道(東スポWEB) - Yahoo!ニュース

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バウアーがMLB球団へ最低年俸の逆オファー MLB復帰を切望するも去就未定 - プラメポータル

今オフはMLBへの復帰を目指しており、現地時間7日には自身のX(旧Twitter)で「莫大な金額での複数年契約を望まない、またはサイ・ヤング賞投手に多くの有望株を差し出したくないチームは私とリーグ最低年俸で契約したらいいだろう破産せずに勝ちたいチームにとって、私は1つの選択肢だ。」と投稿し、

               MLBへ“逆オファー”。

「フェタロフ氏は、この逆オファーについて「彼自身はどの契約チームにもプロモーション上の損失が生まれることを理解しており、何か問題があれば放出すればいいと考えている。」と説明。

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 トレバーバウアーの名前はクリーブランドインディアンス(現ガーディアンス)在籍の2016年ワールドシリーズ対シカゴカブス戦の頃知った。2016年ワールドシリーズはシカゴカブスがヤギの呪い(ビリーゴートの呪い)が解けるかどうか、のかかった対戦で最終戦までもつれたが、インディアンス先発投手陣の主力(エースではなく2番手か3番手)、バウアーはポストシーズン前にドローン修理中に利き腕の指にかなり大きなけがをしたとかで登板が危ぶまれていた。

 結局、2016年のポストシーズン、登板したバウア―は良い成績を残せずインディアンスは最終戦に負け優勝を逃した。

シリーズ中、インディアンスの総合力はカブスをわずかに上回っているとみたので、バウアーのケガさえなければ接戦のWシリーズ、インディアンスが勝っていたかもしれない、とチラッとおもった。

 当時、ドローンは今ほど流行っていないこともあって、なかなか面白い趣味を持っている(この手の趣味として中日の山本昌投手のラジコンが有名)しかも肝心なポストシーズン中にドローンで遊ぶなんて変わっているな、と思ったものだ。

 バウアーの絶頂期はインディアンス時代の2015年~2018年、連続二けた勝利、名将フランコ―ナ監督の下、走攻守(SSの選手が素晴らしかった)バランスの取れた常に優勝争いをする強いチームだった(しかし、相手を追い詰めるところまで行っても大逆転されてチャンピオンになれなかったのは一度ではなかった)。

トレバーバウアー野球の原点はインディアンス時代に培われた。インディアンスのホームグランドではチャンスを迎えると、インディアンの太鼓がのんびりしたリズムで打ち鳴らされ、観衆は大らか反応する様(ほとんどの人は無視)は目先の勝敗よりも今日一日、個々人が野球観戦を楽しむというスタイルに徹しているようで集団同調圧力が猛威を振るう日本のプロ野球の球場の対極のあるように思えた。

そういう雰囲気だからこそ、バウアーの勝ちたい優勝したい、という想いは研ぎ澄まされていった。

 それが暗転したのは2019年の連打が撃ち込まれKOされたマウンド上、フランコ―ナ監督が投手交代を告げに歩み寄ろうとする前にバックスリーンに大遠投でボールを投げ入れたときだった。

 翌年、弱小球団に成り下がっていたレッズにトレードされたが、かつてのビッグレッドマシーンを誇ったレッズ(広島カープはユニフォーム、ヘルメットのロゴをまねた)は有力選手を放出し球団経営をするチームになっていた。

バウアーがYou Tubeを派手にやり始めたのはレッズ時代からだ。横浜時代のYou Tubeとかなり趣が違って有名選手をゲストに呼んでテーマを決めてフリートークをしたりしてリラックスムードで結構面白かったが、滑るボールとスパイダーマンMLBシステムについての告発までエスカレートしていったころは全く視聴していなかった。

 サイヤング賞受賞は新型コロナパンデミックの最盛期のレッズ時代、90試合制の超変則シーズンだった。裏は取っていないがYou Tubeで滑るボールと滑り止め、MLBの関係を告発しながら、スパイダーマンを使うと公言しながら低防御率を維持しサイヤング賞に選出された。

一方、アメリカ社会は、トランプ大統領の下、死者がバタバタ出て二項対立が進み、野球どころではなかったのではなかったか。AAAマイナーは全試合中止した。

 バウアーのインディアンス在籍時代と田中将大ヤンキース時代は重なる。

  トレバーバウアー成績田中将大の成績、バウアー越え)

     田中将大の成績

 松坂大輔(ガタイが小さいので高校時代の投げすぎが田中将大よりも堪えた。(3年目故障かな?MLB成績だけの比較ではバウアーが上だ。

弱小レッズから勝てるドジャースに移籍しいい成績だったが、軌道修正できないばかりか、地元に帰って<天狗>になりすぎた

MLB球団には徹底的にダメなリーグぶら下がり球団がある。

アスレチックスなどは最低球団。そういう球団から来日する選手は要警戒。選手の能力は数字に表れている。特にサイバーメトリックスの数値は大事。下のような旧来の評価は個々人の能力値に踏み込んでいない。田中将大の投手成績もヤンキースのチーム力によるところもある。チーム力を外して個々の能力値を表すのがサイバーメトリックスの数値。

ここからいつもの持論が出る。

阪神ノイジーなんてMLB時代の成績がそのままNPBに反映(内野手守備率、950ってどういうこと?HR4本、OPS520。ま、この選手の数値を見ると大卒後伸びしろがほとんどなかった選手、とすぐわかる。アスレチックスでダメ出しを食らった選手。真面目一生懸命などは来日で宝くじに当たったようなものだからヤル気をだしのは当たり前。

*****ということで時間不足もあって、その後のX上でのバウアー発言の背景を探る資料を列記しておく。

在日米兵が死亡事故で服役、家族がバイデン政権に介入求める - CNN.co.jp

                                                  2022.08.18 Thu posted at 11:36 JST

飲食店駐車場に車で突っ込み3人死傷 服役中の米兵の身柄、米側に移送 2021年富士宮市で事故=静岡|静岡新聞アットエス

   2021年5月13時、対抗車線から道路わきに駐車場に突っ込んできた。 

 

なぜ日本人2人を殺した米軍人は「英雄」として釈放されたのか…米国人を日本の法律で裁けない「在日米軍」の闇 岸田首相はバイデン大統領の圧力に屈した (3ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

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en.wikipedia.org

W.経歴を見ると<ユタ州モルモン教の大学出身、法務畑を歩き上院議員に。

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synodos.jp

引用

日米地位協定の問題が日本全国で広く共有されるようになったのは、1995年以降のことです。意外と最近ですね。

きっかけは沖縄で起きた事件でした。米兵三人が沖縄の商店街で12歳の小学生一人を~~。

具体的にいうと、日米地位協定では、在日米軍の(1)基地の使用、(2)訓練や行動範囲、(3)経費の負担、(4)身体の保護、(5)税制・通関上の優遇措置、(6)生活、に関する特権を保証しています。

アメリカ政府が用意した草案の段階では、安保条約と日米行政協定は一つのものサンフランシスコ講和条約が発効して日本が独立した後も、占領期に米軍が使っていた基地はそのまま使用でき、自由に拡張できる。米兵や米軍属とその家族が起こす事故・犯罪について、日本側は刑事裁判権を持たない、などなど。⇒W.松本清張の短編小説に米軍基地からそっと抜け出した米兵の集団が近所の住宅地に入り込み乱暴狼藉をを働く、という筋立て物のがある。不気味なサスペンス調で事実が畳み込むように進行する様子をリアルに活写している。実際にあった事件という。

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日本政府はアメリカの草案を見て怒ります日本が独立しても、実質的に米軍の占領が続く内容です。しかし、当時まだ占領されていた日本は交渉上、弱い立場にありました。そこで、米軍の日本駐留の権利だけを書いた条約と、駐留米軍の特権について詳しく定めた協定の二つに分けることを、アメリカに提案して受け入れられます。前者が安保条約、後者が日米行政協定となります。

~省略

では、1960年に成立した日米地位協定で、日米行政協定の不平等な内容はどの程度改善されたのでしょうか。それを解説するには、まず日米地位協定合意議事録について説明しなければいけません。

      Q3.日米地位協定合意議事録、なにそれ?

新安保条約と日米地位協定は調印後に国会で審議されますが、日米地位協定合意議事録は国会に提出されていません。大多数の国民の目に触れることなく、成立しているのです。

 

1960年6月19日に条約と協定が自然承認されると、岸内閣は総辞職しました。その4日後、日米地位協定合意議事録はひっそりと、官報号外に掲載されたのみでした。

この知られざる日米地位協定合意議事録は、日米地位協定の本文より重要です。

>協定本文ではなく合意議事録にしたがって、日米地位協定が運用されているからです。

004年、普天間飛行場沖縄県宜野湾市)に隣接した沖縄国際大学に、訓練中の米軍ヘリが墜落。

学長などが仕事をする本館に激突して、建物ごと炎上しました。

事件発生後、約100名の米兵が普天間飛行場と大学を隔てるフェンスを乗り越え、大学構内に無断進入。一週間もの間、大学を占拠・封鎖します

日米地位協定第17条第10項bは、米軍基地外での米軍事故・犯罪の捜査について、米軍は「必ず日本の当局との取極に従う」と規定しています。

ところが、沖縄国際大学を占拠した米軍は、日本側の事故現場立ち入りを一方的に禁じました。

米軍のこの行動を可能にしたのが、日米地位協定合意議事録です。

合意議事録では、日米地位協定の規定とは逆に、日本当局が「所在のいかんを問わず合衆国軍隊の財産について、捜索、差押え又は検証を行なう権利を行使しない」と、取り決めています。

もともと米軍部は、日米行政協定の維持を条件に、安保条約の改定に同意していました。

岸内閣も最初、米側の条件に同意します。

ところが、岸首相のライバルの自民党政治家である河野一郎池田勇人三木武夫らが、「国民の日常生活に直接関係する行政協定の改定こそ最も大事」と主張、岸首相も無視できなくなります。

自民党内から圧力を受ける岸の政治的立場に配慮して、在日米軍既得権益を守るという条件で、日米行政協定(W、サンフランシスコ講和条約締結時の協定維持⇒日米地位協定へ=協定合意議事録で運用)の改定を受け入れます。

アメリ大使の意思をくみとった外務省が提案したのが、国民に知られないよう、日米行政協定の運用を引き継ぐことを日米両政府の合意メモとして残す、日米地位協定合意議事録の作成だったのです。

    Q4.日米合同委員会が諸悪の根源?

 この理解は誤りです。

なぜ日米合同委員会が日米地位協定の諸悪の根源のようにいわれるのか。それは、日米地位協定合意議事録の存在が、沖縄国際大学ヘリ墜落事故が起きるまでは知られておらず、外務省のホームページにも掲載されていなかったからです。

日米地位協定ではなく、その合意議事録にもとづいた協定本文の規定に反する運用。それが、日米地位協定合意議事録を知らない人の目には、日米合同委員会で「密約」が結ばれているように見えるのでしょう。

          Q5.ドイツやイタリアと比べて不利?

 日米地位協定の条文じたいは確かに「NATO並み」です。

とりわけ、刑事裁判権に関する規定(日米地位協定では第17条)では、日本もNATO加盟国も不平等を強いられています。

基地内外に関係なく、事故や犯罪の加害者が米軍関係者で公務中に起きた事件・犯罪の場合には、米側が一次裁判権を持ちます。米軍が「加害者は公務中だった」と主張した場合には、日本もドイツもイタリアも大抵、米軍の主張を受け入れざるをえません。

@また、同盟国の「好意的配慮」があれば、

同盟国側が米軍事故・犯罪の一次裁判権を持つ場合でも、アメリカに裁判権を譲ることができます

>するとどうなるか。事件・事故を起こした米軍は、同盟国の政府に好意的配慮」を示すよう圧力をかけてきました。

 安倍晋三内閣は2018年以降、「NATO加盟国間の相互防衛の義務を負っている国と、それと異なる義務を負っている日本の間で地位協定が異なるということは当然あり得る」と、主張を変えています。

これに対して、日米地位協定が、NATO加盟国であるドイツやイタリアの地位協定と比べて、どれだけ不平等な内容なのか強調する議論もあります。どちらが正しいのでしょうか。

地内外に関係なく、事故や犯罪の加害者が米軍関係者で、公務中に起きた事件・犯罪の場合には、米側が一次裁判権を持ちます。米軍が「加害者は公務中だった」と主張した場合には、日本もドイツもイタリアも大抵、米軍の主張を受け入れざるをえません。

また、同盟国の「好意的配慮」があれば、同盟国側が米軍事故・犯罪の一次裁判権を持つ場合でも、アメリカに裁判権を譲ることができます。

するとどうなるか。件・事故を起こした米軍は、同盟国の政府に「好意的配慮」を示すよう圧力をかけてきました。

日米地位協定の問題は、Q3で解説した通り、

>条文というよりもむしろ

日米地位協定合意議事録にもとづいた条文に反する運用です。

私は、日米地位協定とドイツ、イタリアの地位協定との大きな違いは

平時と有事の区別の有無にあると思います。

ドイツとイタリアでは、

>平時には米軍の訓練に両国の国内法が適用され、両国政府の事前の許可が必要です。⇒W.平時と有事の区別を法的に緻密化すると平時には国内法の適応すると、はっきりする(事前協議の対象ではあるが)がこの場合、あくまでも米軍の訓練における平時と有事の事故である⇔一方米軍の訓練は有事想定と矛盾するが、こうした訓練中の事故を平時有事特別視緻密化した場合は私用中の事故には国内法の適応一点になる。

>ただし有事には米軍に国内法は適用されません。ドイツ、イタリアと比べて日本の地位協定が不利だという既存の議論は、どんなときでも米軍の訓練に国内法が適用できるかのように、論じている点が誤りです。

 他方、日米地位協定の場合には、在日米軍はどんなときでも、非常事態、緊急事態を前提とした基地の使用が認められています

したがって、在日米軍は日常的に、有事を想定した訓練を行っています。深夜や早朝の離発着訓練、低空飛行、パラシュート降下訓練。いずれも米軍基地周辺の住民に、深刻な騒音被害や精神的苦痛を与えるものです。この点は、ドイツやイタリアと比べて、明らかに不利といえるでしょう。

  Q6.「沖縄基地問題」は沖縄の問題じゃないの?

実は、日米地位協定には、在日米軍基地外の飛行訓練に関する規定がありません。米軍の訓練は、基地の中で行うことが前提だからです

省が1983年に作成した、「日米地位協定の考え方〔増補版〕」にその理由が書かれています。一言でいうと、在日米軍の飛行訓練は周辺諸国への抑止力になっており、日本の安全保障にとって重要だから制限するべきではない。日本政府がそう考えているからです。住民の生活の安全や安心よりも、国防を優先する考え方です。

  Q7.なぜ変わらない?

フランスは1966年に、NATOの軍事機構からの脱退を表明し、米軍が駐留する国内の基地をすべて閉鎖しましたが、当時も現在も変わらずNATO加盟国です。

これらの国々は、同盟関係を規定する条約と、米軍駐留に関する協定を別々に結んでいるからです。

、安保条約の場合には、同盟関係と米軍駐留が切り離せない構造になっているため、米軍の日本撤退は同盟関係の解消につながりかねません。加えて、日本は戦後ずっと戦争を放棄する憲法9条のもとで、米軍の日本駐留によって安全保障を確保する方針をとってきました。

在日米軍にとって不利益でしかない日米地位協定の改定が、

>米軍の日本撤退につながるリスクをおかしたくない

これが、日本政府の偽らざる思いではないでしょうか。

国務省が2015年に発表した「地位協定に関する報告書」には、米軍を受け入れている国がその存在を必要としていれば、地位協定についての交渉でアメリカは常に優位に立てるとあります。日本はまさにこの典型です。

W.東アジア太平洋の国際政治は仮想敵国同士の支配者が政治軍事力学上、裏で繋がっている場合も想定できる。中国や北朝鮮の支配体制(戦後世界体制の残存体制)は旧西側同盟の軍拡への対抗措置を政治的軍事的基盤としている。旧西側の資本制支配層は東アジアとアジアの軍事危機を煽ることで階層的既得権益を保守拡張しようとしている。

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W、反俗日記は過去記事で何度かトレバーバウアーの動画を取り上げたが、そこに鮮烈と思える試合前の準備段階のシーンを見出したからであって「面白いひと」という感想はあったが人間性を云々することはなかった。そんな烏滸がましいことが出来るわけがない。

もともと、競技能力と人格は全く切り離して考えてきたが、

バウアーさんの場合、ハイスクール飛び級して少数派の野球に熱中、学校の勉強ができて、そのままUCLAの工学部~普通のスポーツ選手は実習や取得単位の多い工学部に入らない~~入学(多分奨学金、特待生)、ドラフト1巡目指名順調にマイナーの階段を上って大リーグの実績を積んだ経歴

特異なエリート意識を醸成させたまま閉鎖的なMLB職業社会の中で他の社会と交わることなく(大金を持っているのでその限りで欲は叶う、怖いものなし。)空回りして来たのではないかな。

 その一方でバウアー自身の知的好奇心は外の世界と自分の野球世界を融合したがった。それが過剰なクラウド上の活動になってしまうところがある種の悲劇である。個人のYou Tuberのアップしている動画を総括すると所詮、私小説の類であり自分領域から外に出ていない。いやその活動に時間をとられている限り、外には出られず自分自身に回帰する。

 日本野球界ではバウアーみたいな野球選手はアマチュア時代の理不尽な上限関係や反復練習で振り落とされてきたのでNPB一流選手の中で過去も現在も誰もいなかった

アメリカ、アマチュア野球界、マイナー組織はバウアーだけが希少種としてギリギリ生き残る環境にあった。

しかし、チームメイトとの折り合いは一貫して悪かった。

MLBの先発投手は基本、チームと帯同して遠征に出る。バウアーと一緒に長くいることをチームメイトは嫌がった。ドジャース時代「片目をつむって投げてみた」などと発信しているが、その理由が障害のある選手の想いを知るためといったところで傍の選手は理解できるわけがない。なにしろバウアーは大金を獲得して動いている選手。

 その一方で、MLBの使用球や滑り止め問題の指摘はそのものずばり正論過ぎて、コミッショナー個人と利権問題を直撃している。加えてスパイダーマン使用を公表して傷口に塩を念入りに塗りこむようにサイヤング賞まで受賞した。この年の短期シーズンの成績はアドレナリン出捲くって異常な好成績だった。

 しかし、MLB復帰の見通しは甘すぎた。条件もメジャー最低年俸まで下げた。

それでも音沙汰無しということは~~MLBの現状と向かう方向はバウアーのような存在を取り除くことで成り立っているといわざる得ない。

アメリカ外から選手を調達する、

国内プロ競技との競争に打ち勝つための政治路線は

>異常な流行コンプライアンスへの準拠であった。

アメリカ流民主主義の世界的伝播とともにMLBは歩むということである

 大谷翔平の移籍先が話題になっているころ、あるヒトは云った

NHKBSの朝中継の都合があるため大谷移籍はMLBコミッショナー案件で朝中継に都合の良い西海岸のチームで決まり、と。東海岸だと時差が12Hぐらいあるので朝中継がAM3時。4時の中継開始になる。

 バウアーの去就も裏でNPBに決まりではないかな、政治案件として。

ネット上のコメントで嫌われていても「日本人の80%は安保条約に賛成している」のだ。

おかえりなさいバウアーさん。

高知県沖、フィリピン海P共に巨大な海山の沈み込み。海山は1946年の南海地震の破壊過程に対して、バリアー・フィルター的な役割。潮岬沖、周辺どころか紀伊山地までもすっぽり覆うほどのドーム状の岩体。その重みで岩体の沖側のフィリピン海プレートがたわみ、割れ目や断層に水が入り込んで力を溜めにくい脆い領域形成。

過去20年間のビッグデータから見えてきた南海トラフ地震発生帯  2022/10/13

https://www.jamstec.go.jp/j/pr/topics/column-20221013/

W.余談ですが本記事のタイトルを急ごしらえしていて東南海、南海地震のイメージが半分程はできた(巨大海山と超巨大岩体の存在で)。四国高知県は波動の長い地震波になる可能性大で津波警戒。紀伊半島、三重,東海は高速強震地震波、津波警戒。太平洋沿岸四国、淡路島は危険区域、大都市圏水の都大阪水没、家屋倒壊インフラ壊滅で都市機能マヒ。東海地方の浜名湖以東は東南海、南海地震で空白地のままなのでストレス溜まって解放警戒。

         沈み込むフィリピン海プレートの上に異様な岩体を発見

図

    「海底下構造探査」の仕組み

「地球サイズのCTスキャンを用意することはできません。そこで、地球科学の研究では、X線の代わりに船に搭載したエアガンから人工的な地震波(音波)を発生させ、あらかじめ海底に設置した地震や、船に装備した計測器で受振し記録します。このデータをもとに海底下の構造を2次元の断面図で描きます(図1)。」

 

      南海トラフ域の海底下構造探査を実施

「いくつかの特徴的な①不均質構造 W。注1と、以下②。③の南海トラフ巨大地震震源域の分布の関係が明らかになっています。」

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昭和東南海地震 - WikipediaW。注2

1944年 震源としては熊野灘破壊が進行⇒紀伊半島東部の熊野灘三重県尾鷲市沖約20キロメートル北緯33度8分東経136度6分)から浜名湖沖まで

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素晴らしい地震学者がいた。

                今村明恒 - Wikipedia

「明恒は、震災予防調査会のまとめた過去の地震の記録(歴史地震)から、関東地方では周期的に大地震が起こるものと予想~~~W今は文献だけではなく地質調査など科学的方法とすり合わせて精度を高めている~~~。1905年に、今後50年以内に東京での大地震が発生することを警告し、震災対策を迫る記事「市街地に於る地震の生命及財産に對する損害を輕減する簡法」を雑誌『太陽』に寄稿した[3]。この記事は新聞にセンセーショナルに取り上げられて社会問題になってしまった。そして上司であった大森房吉らから世情を動揺させる浮説として攻撃され、「ホラ吹きの今村」と中傷された[4][5]大森・今村論争)。

しかし1923年(大正12年)9月1日に関東大震災関東地震)が発生し、明恒の警告が現実のものとなった。その後、関東大震災地震を予知した研究者として「地震の神様」と讃えられるようになった。

翌月には、摂政宮を務めていた皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)に震災について進講し、当時の最先端理論であった地震地球の地殻のせめぎ合いで起きることや大陸漂流説のほか、今回の震源相模湾と推測されること、江戸時代に比べて近代化に伴い可燃性の石油など市中に増えたにもかかわらず消防能力が「殆ど皆無」に低下していたことを指摘。地震自体の防止は不可能だが、火災の防止は可能であるとして防災の大切さを訴えた。この時の手書き原稿『一般地震関東大地震との就いて』は遺品の一つとして現存しており、1929年(昭和4年)1月には学会誌にほぼ同内容で掲載された[6]

先立つ1911年には今村式強震計[7]を開発した。

1923年に亡くなった大森の後を継いで地震学講座の教授に昇進する。1925年に北但馬地震、1927年に北丹後地震が発生し、次の大地震南海地震と考えた明恒は、これを監視するために1928年に南海地動研究所(現・東京大学地震研究所和歌山地震観測所)を私費で設立した。明恒の予想通り1944年に東南海地震、1946年に南海地震が発生した東南海地震後には南海地震の発生を警告したものの、被害が軽減できなかったことを悔やんだと言われる。

1929年、1892年に解散していた日本地震学会を再設立し、その会長となった。

1931年に東大を定年退官したが、その後も私財を投じて地震の研究を続けた

>1933年に三陸沖地震が発生した際には、その復興の際に津波被害を防ぐための住民の高所移転を提案した。

>また、津波被害を防ぐには小学校時代からの教育が重要と考えて『稲むらの火』の国定教科書への収載を訴えた。それが実現した後、1940年に『『稲むらの火』の教え方について』を著して、その教え方についても詳しく指導している。

1944年12月7日に前述の東南海地震が発生した際には、陸地測量部が掛川-御前崎の水準測量を行っていた。この測量は今村の強い働きかけによるものであった[8]この測量の時、地震前日から御前崎隆起する動きが確認できた。これが現在の東海地震の発生直前の地震予知が可能であるという根拠とされている。墓所多磨霊園。」   

                                 引用終わり

昭和南海地震 - WikipediaW。注3

1946年 潮岬南方沖78キロメートル(北緯32度56.1分 東経135度50.9分)、深さ24キロメートル震源単に「南海地震」といえばこの地震を指すことも多い。

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  W。注1 不均質構造

「例えば、室戸岬沖の昭和南地震の破壊の伝播が及ばなかった領域には、富士山級の海山が沈み込んでいること(Blue Earth 48 P33)が分かりました。

********W.現時点で理解不能の動画、図、解説はパスする。***

  南海トラフに巨大な海山の沈み込みを発見

https://www.godac.jamstec.go.jp/doc_catalog/external/metadata/be48_all/file/be48_all.pdf#page=18

   海陸境界域深部構造探査で得られた海山の沈み込み構造図

 土佐ばえ側に大規模に沈み込む海山が存在している。1946年の南海地震の破壊を止めるバリアの役割をした可能性がいわれている。

フィリピン海プレートの沈み込み帯である南海トラフ辺域では、これまでおよそ100年から200年といった間隔でマグニチュード8を越える巨大地震が繰り返し発生しており、海底下の地殻変動が活発な海域として知られている。

最近では1944年の東南海地震(M8.0)、1946年の南海地震(M8.0)が起こっており、それ以前には1854年に東南海地震、南海地震が発生している。
また、1707年の地震(M8.4)では、四国沖から東海沖に至る広い地域が破壊したと考えられている。

 反俗日記 

「100ねんから200年周期」の200年周期の根拠は明応地震 - Wikipedia

応仁の乱1467年~1477年。三好長慶が上京し幅を利かせていた時代。「M 8.6 に換算

「明応東海地震津波の高さは、1854年に発生した安政東海地震の約3~4倍もあったと考えられている」以前の周期を南海地震以降の周期に当てはめているのだろう。

W。南海トラフ地震は南海と東海地震がほぼ連動していること。さらに伊豆半島から東の地震とも関連性がある。

今回発見された海山は、地磁気異常からすでにその存在が示唆されていたが、長さ約50km、高さ約3kmもの規模があり高知県室戸岬沖東方(土佐ばえ)、深度約10km付近に沈み込んでいることが初めて確認された。

 また、この巨大海山は、1946年の南海地震の余震域の境界域に存在していることもあわせて明らかになった。

1946年の南海地震データの波形解析結果でも、

>海山の東方で大きな地震波を伴う高速破壊が生じると、

>海山西方では主として津波を伴うゆっくりとした破壊が生じる、

という断層モデルが得られている。

>海山は、1946年の南海地震の破壊過程に対して、バリアー・フィルター的な役割を果たしたと推定される。

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 また、昭和東南海地震昭和南地震震源域の境界となる紀伊半島潮岬沖下には、

沈み込むフィリピン海プレートの上に、周辺より硬く重いドーム状の岩体が存在すること(Blue Earth 92 p10-11)も大きな発見でした。

 紀伊半島潮岬沖下に沈み込むフィリピン海プレート上の周辺より硬く重いドーム状の岩体については、潮岬沖周辺どころか紀伊山地までもすっぽり覆うほど大規模であることがわかりました(動画3、図3、図4)。

*****
>その重みで岩体の沖側のフィリピン海プレートがたわみ

>そこにできた割れ目や断層に水が入り込んだことで

>力を溜めにくい脆い領域が形成され、

>昭和の大地震発生時の滑り硬く重いドーム状の岩体の側面に沿って、その脆くなった領域に伝わったであろうと解釈されました。

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 図3:四国沖から紀伊半島沖にかけてのフィリピン海プレートの沈み込みに伴う構造

a西南日本の残差フリーエア重力異常*3図です。

周辺より密度が大きいことを意味する正の異常を示す赤色部分(>100mGal)


周辺より密度が大きいことを意味する正の異常を示す赤色部分
(>100mGal)が、b, c図の岩石が硬いことを示す地震波速度の大きい領域とほぼ一致しており、点線で囲まれた領域に周辺より重いドーム状の岩体が沈み込むフィリピン海プレート上に存在することを示しています。

**********黒線A-A’ B-B’で切った断面を図bcに示します。

   フィリピン海プレートの沈み込み角度の平均値は

>四国沖の約5度から、

紀伊半島沖の約10度まで変化します。

1944年の東南海地震1946年の南海地震地震時の滑り域(1m以上滑った領域)です。

bc中の破線は、フィリピン海プレートの地殻の上面と下面を表しています。青星印と青線は、それぞれ、1944東南海地震1946年南海地震震源位置と地震時滑り域の範囲です。

図4:テキサス大学が実施した南海トラフ域の3次元的なモデル化によって可視化された紀伊半島潮岬沖で沈み込むフィリピン海プレート上の巨大な岩体(赤色の盛り上がり)です。カラースケールは図2と同様で、赤色は周囲より硬く重いことを示しています。この岩体はこの海域の巨大地震の発生に十分影響を与える規模のものであることがわかりました

W。能登半島地震の大きな要因となった珠洲市地下Tドーム24杯分の巨大な流体の存在

南海トラフに置き換えると

紀伊半島沖に沈み込むフィリピン海Pの上にのった比重の重い巨大な岩体(大きさはほぼ紀伊半島分)

 紀伊半島の地形は鉄道で一周したときも、巨船に乗って海上遠くから眺めたときも一種、異様な感がした。地下深く、沈み込むフィリピン海プレートの上に巨大な岩体が乗っているとは!

南海トラフ系の歴史的地震を仁和地震から紐解き、関連事項を列記。

南海トラフと根室沖の巨大地震 発生確率80%|災害列島 命を守る情報サイト|NHK NEWS WEB

  この情報は2018年2月に公表されました

 

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仁和地震 - Wikipedia

    引用

887年の巨大地震、南海トラフの西側と東側で同時発生:朝日新聞デジタル

887(仁和3)年に起きた「仁和地震」は、南海トラフの西側と東側の震源域で同時に起きた巨大地震

静岡県磐田市で見つかった津波堆積(たいせき)物の分析と、文献の記述から、年代を推定した。

磐田市で見つかった津波堆積物の地層に含まれる植物断片などの放射性炭素年代測定により、7世紀末、9世紀末に津波が押し寄せていたことを特定した。堆積物が確認された地点は当時の海岸線より2キロ以上内陸だという。

 一方、平安時代の歴史書日本三代実録W注 には、887年に南海トラフ西側で地震が発生したことが分かる記述があり、同じ日に「(東海地方を含む)広い範囲で強い揺れを感じた」という記録もある。 

 W注 日本三代実録

平安時代中期に編纂された清和、陽成、光孝天皇の代である天安2年(858)から仁和3年(887)の国史

日本書紀続日本紀など六国史W??のうちの一つ

宇多天皇の命により編纂され、醍醐天皇の延喜元年(901)、藤原時平らの手で完成。

 
 

日本における国家事業としての史書の編纂は飛鳥時代から平安時代前期にかけて行われ、6つの史書が残されたため、これを六国史と呼んでいる。そのため、日本において単に国史と言えば、六国史のことを指す場合がある

     ↓

六国史の後も「新国史」と称される国史編纂計画は存在したが完成には至らなかったと言われている。⇒W。当たり前!中国に倣った律令国家体制(藤原摂関政治)が崩壊し、中世軍事貴族が政権を握る(二重権力状況)、顕密権門体制<荘園公領制>⇒室町時代まで続く。

また明治維新後にも六国史以降を対象として、史書編纂は計画されたがさまざまな事情により実現せず、

>代わりに大日本史料が編纂されることとなった

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菅原道真 - Wikipedia

  W。宮廷内政治の暗闘の結果、藤原氏が引き続き摂関政治の実権を握った

W。道真神格化は「いしん」以後だろう。

菅原道真(天満宮) のように、実在の人物が死後に神として祀られたケースには他に何がありますか? - Quora

菅原道真のような人は、死後に怨霊として祟りをもたらしたとされ、それを鎮めるために神として祀り上げられました。

この場合、

  • 生前からの知名度や影響力
  • 政争で彼に勝利した側の「彼は恨んでいるだろうな」という後ろめたさ
  • 天災が発生し、それが「怨霊の仕業」と見なされること

などの様々な文脈が合わさった結果が神としての祀り上げになります。」

一方、日本には古くから「ご先祖様」を祀る祖先崇拝の習慣はありました。しかしこの場合、「ご先祖様」の数は膨大なので、固有名を持った個人として祀ることは通常ありません。

怨霊化を経ずに、天寿を全うした人を個人として神に祀り上げる習慣は、おそらく室町時代吉田神道に始まります。

吉田兼倶(1435–1511)は吉田神道を創始し、日本中の神社はすべて吉田神社大元宮の分社だと主張(捏造)し、実際に全国の神社の神職任免権を掌握する権力を握りました。

死者を埋葬した上に廟を建てて神として祀る、というシステムも、この吉田神道で考案されたことです。この吉田神道式で神となった人に、天下人・豊臣秀吉がいます。豊国神社は秀吉を祀る神社です。

明治時代になって、朝廷に対する功績があったとされる歴史上の人物を祀る神社が数多く作られました。後醍醐天皇楠木正成など南朝の功臣を祀る神社の多くはそれです。

これは「天皇中心の国家作りのための明治政府の意向による」ものです。

というわけで、本人の意志であれ後世の人々によるものであれ、かなりの部分は政治的意向によって決まります(道真の時代には「神事で怨霊を鎮める」のも政治の内でした)」

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W。現天皇醍醐、上皇宇多の確執と藤原氏摂関政治の継続意思が絡む宮廷内の陰湿な暗闘の結果、殿上人の総意を集めた藤原氏が勝利し、菅原道真一家は排除された。

太宰府への移動はすべて自費によって支弁し、左遷後は俸給や従者も与えられず、政務にあたることも禁じられた.」

  長男の高視を初め、子供4人が流刑に処された(昌泰の変

左遷から2年後の延喜3年(903年)2月25日に大宰府薨去し、安楽寺に葬られた。享年59。刑死ではないが、衣食住もままならず窮死に追い込まれたわけであり、緩慢な死罪に等しい。」

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         日本三代実録、以降。

律令制の崩壊と武家政権への移行に伴って消滅した天皇中心史観が明治「いしん」後復活し、敗戦後途絶えたが

1951年に坂本太郎史料編纂所所長に就任し、W.タイトルを大日本史と変え1952年より刊行を再開した。100年を超える大事業となり、平均すると年に数冊の刊行ペース、これまでに422冊(2022年1月現在)が刊行されている。東大の史料編纂所というのはそんなところだったのか!全く知らなかった。籍を置いて他の専門研究をしている人もいる。福田英子 - Wikipedi

第一人者は史料編纂所所員(女性)。

    ↓

 大日本史料 - Wikipedia

1895年明治28年)に帝国大学文科大学に史料編纂掛(現・東京大学史料編纂所)が設けられて歴史書の編纂が始まった。」

敗戦に伴い1945-1951年の間、刊行が途絶えていたが、1951年に坂本太郎史料編纂所所長に就任し、1952年より刊行を再開した。100年を超える大事業となり、平均すると年に数冊の刊行ペース、これまでに422冊(2022年1月現在)が刊行されている。」

坂本太郎 (歴史学者) - Wikipedia

学位論文である「大化改新の研究」は、先行する津田左右吉の「大化改新の研究」(『史苑』5-3~6-5、1930年 - 1931年)を批判するものであった。坂本は、津田の『日本書紀』の記載についての史料批判については一定の理解は示すものの、津田が『日本書紀』の記載を否定的にとらえるのに対して、坂本はその記載を厳密に史料批判しつつも、とくに大きな矛盾を生じないものについては容認してきた。ただ、坂本の考えた大化改新の位置づけは、明治以降に形成された大化改新像そのものであり、原秀三郎から、近代天皇制イデオロギーの立場に立つものとして批判された。

また、六国史中心の古代史研究について、アカデミズム守旧派の中心人物であるとの批判を受けた。

化改新の詔の「」の字は「」でなかったとする、いわゆる「郡評論争」において、坂本は論文「大化改新詔の信憑性の問題について」(『歴史地理』83-1、1952年)で、井上光貞「評」説に反駁したが、藤原京より「評」字の木簡が出土されたことによって、井上の説が正しいということが証明された。のち、坂本は自叙伝(『古代史の道-考証史学六十年-』)のなかで、「ただ『日本書紀』がどうして郡字に限って評字を使わないで、後世の用字を原則としたかという疑問を私は未だ捨て去ることができない」(著作集12巻、137ページ)と述べている。

坂本は自らを歴史家と呼ばれることをよしとはせず史料の取扱人でよいとした。⇒六国史の文章(漢文)と大和朝廷の地方支配の実態が「大化の改新」でしるされている唐的律令制度と大きく違っていたということである。地方豪族支配に中央派遣貴族が乗っかった体制は「大化の改新」とは言えない。現地取材の実感が無さすぎる。歴史的記述の信ぴょう性は他の歴史材料ですり合わせて証明するしかない。遅れてきた皇国史観の持ち主である。

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M 8.3などと推定されているが断片的な記録しか有しない歴史地震である

発掘調査

愛知県稲沢市の地蔵越遺跡から平安時代前期の層から噴砂の痕跡が確認され、東海道沖の地震震源域で地震があったことを示唆している。さらに東海地震震源域である静岡市の上土遺跡でも地震の痕跡が発見されている。

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                            永長地震 - Wikipedia

「この地震嘉保年間に起きたが、この天変地異を期に約1ヶ月後の12月17日(ユリウス暦1097年1月3日)に永長改元され、年表上では永長元年となることから永長を冠して呼ばれる。『後二条師通記』、『中右記、『百練抄』および『康富記などに地震被害の記録がある」

地震の記録

「藤原宗忠日記である『中右記』には、この地震に関する詳細な記録があり、地震動が一時(約2時間)程続き、東大寺の巨鐘が落下、薬師寺の回廊が倒壊、東寺の九輪が落下、法成寺の東西塔が破損、法勝寺の御仏等光が破損したと記されている。」

地震前後から約2年後の康和地震頃まで多くの地震の記録が見られ、活発な余震活動が続いた。永長2年11月21日(ユリウス暦1097年12月27日)には再び改元され、元号承徳に改められた。

マグニチュード M = 8.4に換算されている。震源時間の長い多重地震を思わす長時間の地震動から永長地震南海道沖の地震を含んだ宝永型であった可能性を検討する必要もあるとされる。」

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  康和地震 - Wikipedia1099年

「この地震承徳年間に発生したが、この天変地異やこの年の夏に流行した疫病を期に康和改元され[2]、年表上では康和元年に相当することから「康和」を冠して呼ばれる。『後二条師通記』および『広橋本兼仲卿記』などに地震被害の記録がある。もともと、畿内付近の地震とされていたが、土佐の被害記録の発見により南海道沖の地震と推定」

マグニチュード南海道沖の巨大地震と仮定するならばM8.2

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正平(康安)地震 - Wikipedia

「室町時代前期(南北朝時代)の1361年に発生した大地震南海トラフ沿いの巨大地震と推定されている[2]

この地震名の正平」は南朝元号から取ったものであり北朝元号である康安から取って康安地震(こうあんじしん)とも呼称され、多くの史料が北朝の年号で書かれているため現在の日本史学の慣習に従って「康安地震」と称した方が良いとする意見がある。」

摂津四天王寺の金堂、奈良唐招提寺薬師寺山城東寺など堂塔が破損、倒壊したと記録される。『斑鳩嘉元記』によれば、法隆寺で金堂の仏壇が崩れ、東大門の築地の破損、東院伝法堂の壁が落下し、塔の九輪の上部の火炎(水煙)が折損した。

6月22日の地震(前震?)の日は盛夏にもかかわらず冬至前後の様な寒さでが降りだしたことが記録されている。この夏雪の記事は当時の公卿の日記には見られないが、『高野春秋』に「辛丑六月廿二日、俄大雪降積」とあり高野山では降雪があった可能性があるとされる

   津波

法隆寺の文書である『斑鳩嘉元記』

海岸から約4kmの距離にあった天王寺(W.現、四天王寺のこと)の西に位置する安居殿御所の西側まで津波が押寄せたことになり、津波宝永地震よりもさらに1km程内陸に及んだと解釈され、宝永地震と同様に連動型地震の可能性があるとされる。ただし宝永期とは海岸線が異なることが考慮されていない。⇒W.一遍上人絵詞では四天王寺の西門の直ぐ近くに海が迫り入水自殺をする庶民が描かれている。

奥書には、1299年正安元年)一遍の弟子にあたる聖戒が詞書を起草し、法眼の地位にあった画僧円伊が絵を描いたとある。

 W。絵巻の絵の選択。視線が低いところにある。

このサイトの絵は炊き出しの場面が多い。遊行する一遍上人一行を迎える側は、まず歓待の意を表すために飯を出す。そこに地元に人も集まる、説教と念仏踊りが始まり陶酔の境地になる。今、こういう教宣スタイルの宗教はなくなった。矢野阪神前監督がはまって選手たちに胴上げまでさせた予祝とかいうのもこの一種かな?

note.com

当時、天王寺西門の坂下には「西浦」などと呼ばれるハマグリなどを採集・販売を生業とする商人らが居住する地域が広がっていたという。当時の海岸線は江戸時代とは異なっており、西浦と呼ばれた地域の西端天王寺と今宮の境界である日本橋筋辺りと推定され、津波の遡上高は最大で4.65m程度、少なくとも3.3mと推定され、安政津波は上回るが宝永津波を上回ったかは不明であるとされる。」

地震津波の描写と思われる『太平記』の冒頭の部分は方丈記』にある文治地震における「山はくづれて河を埋み、海は傾きて陸をひたせり。」の記述に似る難波浦大阪市上町台地を少し降りた中心部~中央区~)では津波襲来の約1時間前に数百(数10km)潮が引き、干上がった海底の魚を拾い集めようとした漁師ら数百人が突如襲来した津波により溺死した。」

「阿波の雪湊(現・徳島県美波町由岐地区)において大津波で1700余りの家が流失した様子も記され「家に居た僧俗男女、牛馬鶏犬。一つも残らず海底のもくずとなった」とある[19]

>雪湊は『平家物語』にも登場し、この頃、土佐および九州への中継の立寄り湊として1700余戸の家数を持つ当時としては大きな湊町であったことは妥当であると推定される。

naganokai.com

W. NHKBS「とうちゃこ」で訪れていた。寂れた過疎地という雰囲気はなく小さくまとまった田舎街風情。周囲は農業地ではない。あんな狭いところにそれなりの人が寄り集まって暮らしていけたのが不思議だ。大昔から人間が寄り集まって暮らしているところにはそれなりの雰囲気が今でも残っている。こんな町が寂れ切ってヒトが居なくなったころ、本来ヒトが住むべきところにヒトが居なくなって、日本はしかるべき状態になっている。

マグニチュード M = 8.4に換算

遺跡の発掘や地質調査および大坂における津波の遡上範囲から、正平地震は宝永地震と並ぶ大規模な南海トラフ巨大地震であった可能性を示唆している

>また潮岬橋杭岩転石は、高い流速をもつ巨大津波によって移動した津波と推定され、その移動は①1707年の宝永地震によるものと、12-14世紀頃の移動の痕跡が認められ正平地震の可能がある⇒氷河が巨石を運ぶのは知っていたが、日本では<ツナミ>が巨石を運ぶ。正確に言えば転がした(転石)。名所旧跡は関心ないがこういうのは興味が湧く。

undefined

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明応地震 - Wikipedia

室町時代後期(戦国時代初期)の西暦1498年9月20日[注 1](明応7年8月25日)に日本で発生した大地震

紀伊から房総にかけての沿岸に津波押し寄せ、伊勢大湊で家屋流失1千戸、溺死5千、伊勢・志摩で溺死1万、静岡県志太郡で流死2万6千などの被害が出たという

マグニチュードM 8.6 に換算

、波高は駿河湾沿岸の江梨や小川で8m、伊勢志摩で6 - 10mであった。

津波規模は安政東海地震を上回り、伊豆半島西岸や志摩半島では局所的に大規模な津波が襲来していた。

古文書の記録や伝承によると、静岡県沼津市においては、津波が斜面を駆け上り海抜36メートルを超える地点まで達してい可能性があることがわかった[。明応東海地震津波の高さは、1854年に発生した安政東海地震の約3~4倍もあったと考えられている。

ちなみに、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震 (M9.0) による大津波では、津波岩手県宮古市の斜面を39.7メートルまでさかのぼったとも報告されている

津波鎌倉鶴岡八幡宮参道にも襲来し、また高徳院の大仏殿はこの地震による津波で倒壊して、鎌倉の大仏が室町時代末に露坐となったとする説がある[43](後述、異説有)

     日本最古の高台集団移住

志摩半島三重県鳥羽市国崎町は最大波高15mに達したとされ大津集落は明応地震津波で壊滅的な被害を受け、地震後住民は高台に移転し、その後500年間、2011年現在に至るまで低地に戻らなかった。漁師は高台から浜に通うのが普通だという

>1707年の宝永地震津波や、1854年安政東海地震津波では溺死者を少数に抑えた。

特に安政東海地震では国崎は津波特異点となり、「常福寺津波流失塔」の碑文によれば75(22.7m)にも達したと記録されている。⇒W。先人の知恵と決断実行力。東北太平洋岸の低地の住居の高所移転の現状はどうなっているのだろうか?

もちろんそれ以上に、来るべき西日本大震災に備えて~。

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慶長地震 - Wikipedia

 江戸時代初期の慶長9年12月16日1605年2月3日)に起こったとされる地震津波である。震源については諸説があり、南海沖(南海トラフ)単独地震説と南海沖と房総沖の連動地震説、ニューギニア海溝フィリピン海溝などの遠地地震など。津波被害による溺死者は約5,000人(1万人という説もある)だが、地震による陸地の揺れの記録が殆ど確認されないのが特徴である。

また震源や被害規模も不明な点が多い。

津波は夕方から夜にかけて、犬吠埼から九州に至る太平洋岸に押し寄せた。津波襲来の範囲は宝永地震に匹敵するが、後の元禄地震津波や宝永地震津波によって多くの史料が流したものと推定され、

>また紀州徳川家土佐山内家らが移封される前後であったなどの世情から、現存が確認される歴史記録は乏しい[

従来想定されている南海トラフ沿いの地震とはメカニズムが異なるため、将来の活動は予測できていない。

津波地震という性質のため、三陸津波チリ地震津波などと同じく、予兆なく津波が襲来した場合の被害は想定以上のものとなる可能性もある。」

*************以下、時間不足で中断******

NHK 引用 東日本大震災を遥かに上回る西日本大震災

「この地震(W,1946年南海地震)からおよそ70年が経過していることなどから、政府の地震調査委員会は、これまで今後30年以内の発生確率を「70%程度」としてきましたが、

>2018年、「70%から80%」に見直しました。

国の被害想定によりますと

⇒W。列島原住民でないヒトは政策の優先順位が違う。

津波と建物の倒壊、火災などで、最悪の場合、全国でおよそ32万3,000人が死亡し、238万棟余りの建物が全壊や焼失するおそれがあるほか、避難者の数は、地震発生から1週間で最大950万人に上るなど影響が長期化するとしています。」

関東地方の地震を分析した政府、地震調査研究推進本部の詳しい報告書と読み解く。@地震と日本社会経済の変動を総括すると<社会経済の変動をうまく乗り切った時代>、関東地方に大きな地震の続発はなかった。ハンドル操作ができなくなって世界の流れに追従した時代は<大きな地震が多発した>⇒地震による社会経済のダメージが沈み石となった。

W.一般民にわかりやすく詳しい地震災害情報NHKだった。

能登地震発生直後の女性アナウンサーの「逃げてください!」という絶叫は今想うと地震の災害規模をリアルに表現していた。

W,政府 地震調査研究推進本部のサイトは研究に基づいた情報を一般に知らせる意識で記述されており充実している。

>もっと一般民の関心を引く解りやすい包括的な地震関連の情報がネットにアップされているのが普通の状態と思うが、どこを探しても断片的で中途半端に専門的な情報が多すぎる。

福島第一原発事故発生を受けて米国各地の原発や地域の状況を調べたことがあったが、詳しく解りやすい多様な情報(当地の原発の過去と現状、環境問題、反対運動、その他諸々)が開示されており、読めばだいたい現地の様子が解った。

>フランスの各地の原発のホームページは言い分は一方的だったが、カネをかけているのが一目でわかった。当時、自動翻訳アプリも今ほど洗練されていなくてフランス語が全く分からないので調べるのを中断した。

@日本の各地原発情報はブログの延長のようで何より情報量が圧倒的に少なすぎる。いまでも新型コロナパンデミックの頃、国立衛生研のHPを開くとコレが政府系機関とは思えないブログ状態だった。

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 地震学の研究情報を理解するためには背後にある科学の知識が必要であり、一般民の理解は不十分になりがちだ。情報化社会ではヒトは納得しなければ動かない。

能登半島群発地震(2024年1月1日の大地震災害までの半島地下揺籃の過程)の要因に珠洲市地下の巨大な流体の存在が大きな役割を果たしている、とマスコミなどを通じて情報発信されても、切迫感を持てなかった。

 研究機関、マスコミなどの地震予知情報の発信には限界がある。

統治機構が研究機関の集めた情報を総合し、実効力のある施策を実行していくしかない。

団体、個々人の対策には大きな限界がある。極端に言えば弱いもの年老いたものほどその地域から逃避し安全を守るしかないするが弱いもの年老いたものほどその場にしがみつくしかない。団体についても同じことがいえる。

 

 もっとも戦後日本をキャッチアップさせた高度経済成長期、巨大地震はなかった~新潟地震だけかな~せいかのか、日本では地震対策の戦略的優先順位は経済活動の低位のままだったが、

>その国の潜在的なファンダメンタルズが機能開花するグローバル資本資本制下で状況が変わってきている。

国際金融資本に国境は無く、資源原材料に恵まれた国、耕地面積の広い国、人口の多い後発国に大量の資本が投下され経済発展し先発国になり、

>大地震などの自然災害や戦争、原発事故などの人災に脆弱な先発国で昔ながらの経済発展コースから抜け出せない国(地方の大地震原発事故、大都会の東京五輪、大阪カジノ万博<西日本大震災?>のコース)は停滞したままになる。

日本は歴史上、大地震災害に見舞われながらも復興し発展してきた、と単純には言えない。世界市場の競争に見舞われているグローバル資本主義の時代は産業革命後の資本主義の時代でも特殊な歴史段階に突入している。古い有効需要喚起よりも地震対策の優先順位をもっと上げるべきだ。

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www3.nhk.or.jp

活断層研究19号 200万分の1日本列島活断層図 40km/㎡の活断層の長さ

W。活用できるのは上のタイトルの図だけだった。

首都圏は活断層過疎地帯!首都直下型地震が大地震発生の度にマスコミの話題になっているがその真相を政府、地震調査研究推進本部の報告書を読み取りながら明らかにする。結論は最後に挙げた。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/afr1985/2000/19/2000_3/_pdf

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    地震本部の紹介 | 地震本部

相模トラフ沿いの地震活動の長期評価(第二版)について

https://www.jishin.go.jp/main/chousa/kaikou_pdf/sagami_2.pdf

東京以東の関東地方活断層の密度は低い(上の図)この図から阪神淡路大震災(横ずれ活断層地震)のような直下型活断層地震発生確率は低い(震源の深度が浅いので家屋ビル構造物倒壊、火災発生するかもしれないが)。

~~~①相模トラフ震源地震 M8クラス(太平洋Pのフィリピン海Pへの沈み込みプレート境界が固着していることにより、沈み込みに伴って、両プレートの間にはひずみが蓄積~~~

さらに②房総沖地震 相模トラフ系地震よりも一回り小さいM7=「南側から沈み込むフィリピン海プレートの下に、東側の日本海溝から太平洋プレートが沈み込んでおり、非常に複雑な地下構造」

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   ①相模トラフ系地震の評価

Ⅰ.相模トラフ沿いのM8クラスの地震
相模トラフ沿いのM8クラスの地震については、以下の三つの手法により発生間隔を推
定した。
(ⅰ)地形・地質データ浜堤列、海岸段丘、津波堆積物)では約3000年の間に9回のM8クラスの地震の発生が確認されている(図6)。

この間に地震の見落としがないと仮定し、発生間隔のばらつきを考慮して平均発生間隔を推定すると約390年となる。

******
(ⅱ)歴史記録から確認されるM8クラスの地震は、

永仁関東地震(1293年)、

元禄関東地
震(1703年)、

大正関東地震(1923年)が知られている。これらの地震の発生時期より、平均発生間隔は約320年と推定される(図6)。

****
(ⅲ)測地データから推定されるプレート間のひずみの蓄積速度大正関東地震(1923年)の推定すべり量から、平均発生間隔を推定すると200~500年となる。

>発生事実が明らかである地震の実際の発生間隔は410年、220年とばらついている。次に発生する地震を評価する上で、発生間隔のばらつきは重要であり、

これを地形・地質データから推定すると180~590年となる(説明文第4章参照)。
この発生間隔と最新活動(大正関東地震(1923年))からの経過時間90年を用いて、
相模トラフ沿いのM8クラスの地震今後30年以内の地震発生確率をほぼ0~5%

今後50年以内の地震発生確率をほぼ0~10%と推定した

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   Ⅱ.プレートの沈み込みに伴うM7程度の地震

  W。平均し27.5年に1回の頻度でM7程度の地震が発⇒0.3~71年と大きくばらついている。

********

平均し27.5年に1回の頻度でM7程度の地震が発生(東京方面は関西に比べて地震だ度々あるという感覚は

>②房総沖地震地震フィリピン海Pに太平洋P沈み込みの特殊形態)のためである。

平均して27.5年に1回の頻度でM7程度の地震が発生ししプレートの沈み込みに伴うM7程度の地震として、

嘉永小田原地震(1853年)や、

安政江戸地震1855年)、

明治東京地震(1894年)等、

9個の地震を対象とした。

地震活動に静穏期と活動期があるように見える。

元禄関東地震(1703年)4年後⇒~~~W.南海トラフ系の1707年宝永地震⇒富士山宝永噴火口!火山灰大量降下堆積=神奈川農業長期不能~~~と大正関東地震(1923年)の間の220年間でみると、地震活動は前半は比較的静穏で、後半に活発になっている。

また、大正関東地震(1923年)以降現在に至る90年間でみると、
M7程度の地震千葉県東方沖地震(1987年)のみであり(W。それ以前は頻発)、静穏な期間が継続している。今後、次の関東地震の発生に向かって、地震活動が活発になる可能性がある。

 

短期間内に連続して発生する場合がある例えば1894~1895年にかけて3個、1921
~1922年にかけて2個発生している。

③実際の地震の発生間隔は、0.3~71年と大きくばらついている
元禄関東地震(1703年)と大正関東地震(1923年)の間の220年間でみると、平均し
27.5年に1回の頻度でM7程度の地震が発生している。

これを平均発生間隔として確率を計算すると、

象領域内でのM7程度の地震の今後30年以内の発生確率は70%程度

今後50年以内の発生確率は80%程度と推定される(表2)。 

 W。詳しい地震年表は末尾に挙げた。確かに地震多発地帯である。その理由もはっきりしている。

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地震の発生する場所と大きさを模式的に示す。また、深さの目安も示す。
① : 活断層等で発生する浅い地震(深さ0 ~ 20km)
② : 陸のプレートとフィリピン海プレートとの境界付近で発生する地震
(深さ20 ~ 50km)
③ :フィリピン海プレートの内部で発生する地震(深さ20 ~ 50km)
④:フィリピン海プレートと太平洋プレートとの境界付近で発生する地震
(深さ50 ~ 100km)
⑤:太平洋プレートの内部で発生する地震(深さ50 ~ 100km)

W.難しく込み入った個々の解説をざっくりとまとめると下図、

①は北米Pの末端

②はフィリピン海Pは伊豆半島を突端にユーラシアPにぶつかった地点(ホッサマグナ地帯)

③はフィリピン海P

⓸は太平洋P~~複雑なプレートの交叉地帯は地震を多発しながら貯まったストレスを解放している。

>関東地方の地層は地震を多発させながらバランスをとっている。

@ただし、明治維新以降かなり長期に渡ってM7クラスの地震はなかった

 

>大正地震関東大震災)以降、1930年代から太平洋戦争まで大規模地震が多発した。

 

高度経済成長期に大きな地震はなかったが、

 

日本資本主義が本格的なグローバル資本制に踏み込み日本社会の編成が変わり経済停滞が続く2000年以降、地震が続発している。

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地震と日本社会経済の変動を総括する

<社会経済の変動をうまく乗り切った時代>、関東地方に大きな地震の続発はなかった

 

ハンドル操作ができなくなって世界の流れに追従した時代<大きな地震が多発した>地震による社会経済のダメージが沈み石となった。

社会経済の変動の激しい歴史の曲がり角での地震後の復興は容易ではない

物理的な意味だけではなく精神と政治が固くまとまってしまって狭路にはまってしまうのだろうか?起死回生の一発勝負に出る。それが裏目にでて~~。

 

地球の中心"コア"への旅 - YouTube 28分の要所を23枚の解説と感想付の静止画像に。【全記録】過去に発生した南海トラフ巨大地震を全て集めてみた(684年〜2020年) - YouTube⇒参考になるコメントを載せた。。

W。今回の記事の本編(地球の中心"コア"への旅 - YouTube)

⇒最近の地震関連記事の続編

地球深部の水の循環を担う鉱物の性質解明 | 東工大ニュース | 東京工業大学

W。動画は下図の解説のはずであるが、

図右端の最新研究の島弧火山の部分(プレートの沈み込み⇒H層による水の輸送)には一切触れられていない。

        ↓        ↓

プレートの沈み込み帯の短期的な流体移動の痕跡を
上盤マントルで発見
沈み込み帯における地震活動と流体との関係を示唆―2023 年 4 月 6 日 

https://www.kek.jp/wp-content/uploads/2023/04/pr20230406.pdf

引用

「過去に沈み込み帯の上盤を構成したマントルの岩石から、特徴的な反応帯(注 2)を伴う鉱物脈(注 3)のネットワークを発見しました。微量元素分析により、この鉱物脈は沈み込むプレートから供給された流体の痕跡であることを示しました。

 さらに熱力学的解析及び物質移動モデリングにより、

>その流体活動の継続時間が非常に短期間(数ヶ月~数年)であり、流速が大きい(秒速 0.1~1cm)ことを見出しました。

 本研究で明らかにされた流体活動は、

>現在の沈み込み帯で観測されている微小地震の継続時間震源の移動速度とも類似し、沈み込み帯における地震発生過程と流体活動との関連を示唆しています。」蛇紋岩

かんらん岩などが水と反応し、蛇紋岩化作用(もしくは蛇紋石化作用)を受けることで生成する。蛇紋石化作用は主に超塩基性岩類中のカンラン石で起こり、カンラン石と水から蛇紋石と磁鉄鉱が生成される反応で表される。蛇紋岩化作用の程度は岩体により様々で、作用の弱いものは原岩を構成する鉱物が多く残り、作用の強いものはそのほとんどが蛇紋石化している。かんらん岩はマントル上部を構成する岩石の一つであり[4]、そのほとんどが地下深くに存在。

低圧では斜長石かんらん岩、中圧ではスピネルかんらん岩、高圧では柘榴(ざくろ)

能登半島地震の要因⇒珠洲市地下の東京ドーム24杯分の流体の存在(群発地震⇒流体の移動⇒2023年5月地震⇒2024年1月1日能登半島活断層の一気の逆ズレ。下流体と地震の関連の研究は最近のもの。流体の半島北部への移動も観測されていたときに2023年5月地震が発生し、コレによってストレスは解放されたという予測もあり、半島沖の活断層地震に直結するという予測はなかった。地盤、水、圧力の関係の地震研究が進められているが、熱力学では観測の始めと観測の終わりの間の途中経過は法則的に明らかにできない。データによる経験則による大雑把な予測しかできない。


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プレートの下部マントル到達以前に

プレートに含有水分が上昇地下に貯まったマグマを刺激膨張させ火山噴火を起こす火山のマグマの揺らぎは地震と連動する

 能登半島地震の特異な要因とされる珠洲市地下8kmのTドーム24杯分の巨大な流の半島北部への移動(岩盤のスロースリップ、流体圧力による剥がれて浮き上がった状態)による23年24年の続発地震太平洋側の東日本大震災を含むプレートの沈み込みによるマントルHによる水の移送(解説を素人ながら解釈する限りは)とされている。

地球内部構造と地球深部への水の輸送

引用

H相マントルと核の境界付近の2900キロメートルまで水を運ぶ可能性を持っています。

水の存在は岩石の溶ける温度を下げるためマントル最下部でのマグマの発生を引き起こし

これによりマントル最下部に観測される超低速度層や、この付近に起源を持つマントル上昇流(プルーム)などの原因になる可能性があります。

また、地球中心核の主要物質である溶融鉄への溶け込みなど、地球深部の物質や運動(ダイナミクス)の解明において、重要な影響を及ぼすものと考えられます。

今回決定されたH相の弾性的性質は、このような地球深部の水の循環経路を調べるうえで非常に重要な情報となるでしょう。⇒W。過去の能登地震記事で珠洲市地下のTドーム23杯分の流体はどこから来たのか?という問いがあり、東日本大震災時からの水分含有Pの沈み込みの結果、という情報があったが、巨大流体は大震災以前からの太平洋Pのもぐりこみによってもたらされた、とすれば納得できる

東日本大震災による日本列島東の太平洋側への反発は、

②西日本列島のフィリピン海Pの沈み込み西進圧力との、

③ホッサマグナの西の端、丁度能登半島辺りでの捻じれ現象となって半島沖の活断層の巨大な逆ズレ、ストレス解放になった。

であれば①東日本大震災はは巨大なトリガー、②能登半島地震は東と西の捻じれの部分的ストレス解放にすぎず、③の南海トラフに貯まりに貯まったストレス一気解放に結果する、との予想も成り立つ。

>①と②の間の熊本地震

下図は中央構造線ができるまでの日本列島の内帯(北に位置)外帯(中国南部に位置)トイザナギPの状態を示す。従って熊本地震を引き起こした活断層は広い意味で中央構造線の残骸である。そもそも阿蘇山のような巨大火山がある地域は巨大地震警戒区域

錦江湾はどうやってできたのですか?桜島の前に広がる錦江湾は、実は火山の噴火でできた海なのです。 約29,000 年前、現在の錦江湾奥部で巨大噴火が起こり、大量のマグマが噴出して地下が空っぽになり、地表が崩れ落ちてへこんでしまいました。 
 
 
 
 

地球内部構造と地球深部への水の輸送

 

W。大陸P(一つが分割した大陸)と海底P(海嶺で新規生成P、地球内部に沈み込み、あるいは分裂~インド洋、インドネシア沖~~、横滑り~カリフォルニア沖~~)。

>海嶺で地底から浮上したPが日本列島周辺で地球の底に沈み込んでいる。

大陸P側の島嶼部日本列島は海底Pの激しい沈み込み(地質年代でいえば)に引っ張り込まれ(1億数千万年前のイザナギPは地球の底に沈下)、

>その逆作用で地殻沈下(日本海誕生)。

>一気反発(東日本大震災)による東北地方の太平洋側への東進と西日本の大陸側への引っ張り込みストレス。⇒列島の捻じれ(ホッサマグナは日本列島が大陸から分離するときの南海トラフ日本海溝の捻じれによって真っ二つに割れた痕跡。

  解説⇒「ここが地球内部への入り口です」

⇒W。入口があれば出口がある。地球内部のマントルは循環している。ソレが動画のテーマ。

「地球全体から見るとプレートは卵の殻のような薄さ。」⇒W大きさ比較だけの紛らわしい説明。

       硬い岩石でできたマントルの世界
 高温熱放射の現象でマントル以下は輝いて見える

>熱放射を取り除くことができれば(W.無理。人間は12kmしか掘れない)

@本来の色を見ることができる(火山噴火によってマントル内部の物質は回収されている。)

  かんらん石 ガーネット、ダイヤモンド、など。

 ゼノリス 数百年前に火山活動によって噴出した石(かんらん石、ガーネット、その他)

*******

 W参考資料~高温であるはずの地中深部のマントルが個体状態なのか、?この動画は肝心なところに答えていない・

マントルの主組成がゼノリス状態(固形カンラン石、ガーネット状態)でなく、高温高圧の液状であれば、地球の大きさと比較すると卵の殻ほどの厚さしかないプレートの規則的な運動はない。

****

 物質は温度と圧力に応じて何になりますか?
物質は,温度と圧力に応じて固体,液体,気体のいずれかの状態をとります。 状 態が変化しても,その物質であることに変わりはありません。 そして,このような物 質の三態の変化が起こるのは,粒子の不規則な動きである熱運動があるからであり, 粒子間の力があることから,粒子どうしが離れたり離れなかったりするのです。」

********

地球深部のマントルは高温、高圧状態で粒子の不規則な動きが抑えられ固体状態を維持する。

ダイヤモンド 800度C

マントルは深くなっても組成の物質は変わらないが押しつぶされることによって色が変わる。下図は超高圧実験結果。中心部の色の変化。


*************文系なものでコレ以上詳しく深堀しない****

 下部マントルマントルの大部分を占める広い場所。深さは2,000キロ以上。

深さ550キロ以上。ゼノリスのような物質が上がってこないので今まで実態不明

           ↓

 地震波を調べることによってレントゲンで診察するように下部マントルの状態が解るようになった。

 赤い部分ー温度が高い部分。青い部分ー温度が低い部分

W.いよいよ、グロテスクなハイライトシーン登場!大きさ数千キロメートル!

「最も変化の激しい場所はマントルの底にありました」

マントルの底から温度が高い塊と低い塊を見上げた絵図。下降する塊はプレートの沈み込み(太古のイザナギPもこうしてマントルの底に沈んでいった。上昇する塊はマントルの底で熱せられ上昇する塊=大海の海底海嶺から新生プレートとして誕生(前々図、フィリピン海Pが発生した場所にまだ熱い塊がある)~~伊豆半島フィリピン海Pにほって日本列島にぶつかった~~。

 マントル内の温度変化を表した図。左の板状の塊は<スラブ>と呼ぶ。

     マントルの底はスラブの墓場」

   「長いスパンで見るとマントルは滞留している」1年間に50センチ動く。

マントル対流を見る時間は1億年以上。

>W。学者の説明では下の疑問はサラリと流している。素人には難しすぎるからだろう。

物質は温度と圧力に応じて何になりますか?
物質は,温度と圧力に応じて固体,液体,気体のいずれかの状態をとります。 状 態が変化しても,その物質であることに変わりはありません。 そして,このような物 質の三態の変化が起こるのは,粒子の不規則な動きである熱運動があるからであり, 粒子間の力があることから,粒子どうしが離れたり離れなかったりするので

外核2000キロ以上ー溶けた鉄ー水のような非常に流動性のある状態。

マントルは比重の高い鉄の海に浮かんでいる。W.地球物理的自然は上手くできている!地球上のプレートの分割、沈み込み、マントル対流外核の鉄の海、地震火山活動地球の生命体の生成発展消滅はトータルで超巨大な無常の循環であった。

鉄の流れから電流が作り出され、磁場が生まれる。外核の流れ1時間に1メートルは熱をマントルに逃がすため。

内核は鉄の塊。緑と茶色は同じ物質圧力によっての色の違い=マントル、銀色外核=鉄の流動体、内核=鉄の塊。巨大なシンプル構造。

 内核の大きさ月の三分の二ほど。

>先ほどからの課題にココに至って答えている。

物質が液体から個体に固まる条件というのは、温度と圧力で決まる。

>地球は内部に行くほど温度が高くなるが、圧力の方が上回って地球の中心部から固まって内核ができた。

    内核は約10億年から20億年前にできた。

約40億年前に誕生した生命は徐々に進化し、まずは細菌古細菌に分かれ、その後真核生物が誕生し3つのドメインが形成されました。「細菌と古細菌に分かれ」る直前の細胞は、現在の全ての(細胞性)生物の共通祖先であることから、LUCA (Last Universal Common Ancestor)と呼ばれています。はっきりとした年代はわかっていませんが、おおよそ、35億年以上前の存在と考えられています。

W。ウィルスは生命体と非生命体の中間的存在で上記とは別系統。宿主に寄生してRNA遺伝子を継続。変異が常態であり進化しなかった。恐竜絶滅以降⇒新生代、以前中生代。ヒト新生の時代などと云うカルチャー教室的見解もあるがそれよりも「猿の惑星」が相応しい。原作ピエール・ブール - Wikipedia」

特異な経歴に注目。最後のシーン、禁断の海岸に埋もれた<自由の女神>発見はフランス人らしいオチとみる。映画化したフランクリン・J・シャフナー - Wikipedia1920年生まれ)監督は6歳まで日本で育った(宣教師の息子)。

地球の歴史

内核の表面。100メートルほどの鉄の樹が生い茂っている。W。個体が流体になろうとしている。磁場の影響も大きい

外核には硫黄、炭素、水素などの不純物⇒泡粒のように外核に立ち上って光を発している。実験の結果外核の不純物が要因

外核の滞留はマントルに熱を逃がすために起こっている。

マントル(緑と茶色ー物質は同じ、圧力がかかって色が変化)。外核内核は組成の違い、比重の違いで混じり合わないまま、内から外(地表)に熱を逃がしている(海嶺と火山)。海嶺で地表に現れた新生海洋プレート押し出され移動しは古い大陸プレートに沈み込んでいる。

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【全記録】過去に発生した南海トラフ巨大地震を全て集めてみた(684年〜2020年) - YouTube

    コメント欄 

これだけの記録が残っていることに驚きです。日本のご先祖様ありがとうございます。

資料を遺してくれた昔の人々に感謝しきれないよね、起きるのがわかるだけでも有難い。絶望せず諦観せず対策しとかないと!

南海トラフ辺りの大地震は、ほぼ先に東側半分が揺れてから西側が揺れるパターンが多いようですね。同時に起こる場合も何度かあったようですが…。これは本当に貴重な記録だと思います。
1000年以上前の地震記録が残ってるって凄いなこれらの地震に耐えてきた法隆寺すごい

周期として、だいたい100年に一回ぐらいは来てると思うと本当に来るんだなと実感しちゃう。

昭和東南海地震昭和南地震って結構ヤバい地震なのにあんまり触れられてないイメージあるよね 東南海の頃は戦争真っ只中だったのもあってその存在が秘匿されて被災地への支援すら全然なかったとかいうすごい地獄だったらしいし南海地震も戦後の混乱期へ追い討ちをかけるように地震発生という両者とも結構悲惨なやつなんだけど

過去に発生したこれら地震を書いた歴史書や古文書などを紹介するまとめ動画とか無いかな?個人的にすごく興味のあるテーマです。

こんなに昔のデータが残っているとは…凄いとしか言えないよな

地層じゃね

何度も立て直し復興させてきた先人達は本当に凄い。思いやりに欠け、ネットで他人を攻撃する事に喜びを覚え、自分の事しか考えない人が増えた今の日本人に果たして先人達のように復興が出来るのでしょうか…

記録残ってるのすごいな。具体的にどういう感じで記録に残ってるのかに興味ある。当時の偉い人の日記とかかな。

地震は過去の文献もそうですが、津波により打ち上げられたものが地層に残されるので、数mの地層を垂直に取り出してその時期を分析することで文献と比較出来ます。これによって地震の存在が明らかになります。

今から4年前、熊本地震がありましたが、友達と熊本って大きい地震とか起きる事ないよね〜熊本って本当に安全だよね!って話を学校帰りにしていました その話をした当日の夜にあの地震が起きました。内心、私がこんな話をしたからなのではないかと思っていましたが、大きな地震はいつ来るかどこで起きるかわからない。常に準備をしていつでも逃げれる状態にしておく事が大事、たわいもない1日がどれだけ大切か思い知らされました。  いやー、今思えば地震の話をしたその日の夜に地震は恐怖でした。

間違いなく来ますね!! 悲観しても仕方がないので楽しみに待ちましょう!

宝永地震で富士山が噴火したのか‥‥こう見ると‥‥確か‥‥富士山噴火も1707年(W.斜面に噴火口=宝永火口。火山灰、東に流れの農作被害甚大~神奈川~。)だったよな

じゃあ南海トラフ来たら富士山噴火するかもしれんって事?(>д<*)コワイ

南海トラフは来るのが遅くなるほど規模でかくなるから来るなら早く来て欲しい…

こんだけ巨大地震がえぐい頻度で来てるのに滅んでない日本最強🇯🇵

文字での記録は無いけど、約2000~2300年前と約4000年前に起きたらしい南海トラフ超巨大地震(津波)をいつか解説して欲しいです。

津波堆積物は70センチだった方そうですね 宝永地震津波堆積物が30センチなので  いかに巨大だったか分かりますね mは8.8〜9.3程度?

プレート地震である「南海トラフ地震」は、「必ず発生する」「前回との間隔が長いほど、規模も大きくなる」が特徴、、だよね

3:11安政東海地震1854年におきて3:50昭和東南海地震が1944年で1854+90で1944年になる計算だから今が2021年だから90年ぴったりに南海トラフ地震がくるとしたら1944+90で今から13年後の2034年が丁度90年後になるね。

日本はこれを乗り越えてきてるってことは今回も大丈夫ということ。 ただ昔と変わったことは高い建たしかに2000年以上天皇陛下万歳でいれてる国ってスゲェよな。物が増えたこと。 よし田舎に住もう

山が崩壊して川を堰き止め、それが決壊したりなんてこともありますからね。 by長野県民

南海トラフ地震のときダム湖ができて海なし県だけど海の地名がついてるんでしたっけ

私の記憶が正しければ、887年に南海トラフで巨大地震が発生し、海から100km以上離れている八ヶ岳山麓で大規模な地滑りが発生千曲川をほぼ1年間堰き止め、恐らく日本史上最大の天然ダムを形成しましたが、翌年888年に決壊し(W、前回の黄河上流青海省の中国BC4000年のポンペイ記事。地震でできた天然ダムの決壊⇒大洪水!住民は逃げる間もなかった。)記事かなりの被害が出て当時の朝廷にも報告される程の大災害だったようですね。 恐らく、地名については八ヶ岳のすぐそばにある小海町だと思います。 余談ですが、この小海町は「君の名は」や、「天気の子」を作った新海誠監督の出身地でもあります。


地震ってかなり事件だと思うけど、歴史の教科書にあんま載らないよね

大きな地震を全部載せてたら歴史が地震だらけになるからでは? まぁ、歴史の教科書って割とどうでもいい内容が多い気もするな。

歴史を学ぶことも大事だと思うけど、偉人が亡くなった事件とかより過去の災害の記録の方がずっと役に立つと思う

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鎌倉の大仏がなぜ外に有るのか? それは大仏様が納められていた大仏殿が、南海トラフ地震の大津波で吹っ飛んでしまったからです。 恐ろしいです。

W。鎌倉は日本の都市で一番好きな場所。周囲ぐるりと里山風の山系に囲まれ、前には由比ガ浜海岸が開け(ここで辺りが真っ暗な夜、友人と泳いだことがある。沖まで泳いで行って不気味な思いをした。)、海岸は江の島まで続く。勘違い!江の島は逗子方面。

江ノ電に乗らず、海岸沿いを腰越まで歩いたこともあった。寺の山門に登る階段は長い年月と人跡で風化し角が取れて丸まっている。こんなの京都には見られない。あの鎌倉の小世界は鎌倉武士たちの争闘があった、と思いをはせるには丁度良い。大仏殿は興味がなかったが行った。大仏の背後には寄進した近在の豪農や商人の名前が刻まれていた。奈良東大寺の大仏よりも人間の営みが背景に伺われ親近感がわく。

>大仏殿が大津波で崩壊したというのはピンとこない。鎌倉の大仏は海岸からかなり高いところにある。川倉の背後をぐるりと取り囲む低い山系を北鎌倉の紫陽花寺から尾根伝いに歩いたことがあった。そのとき鎌倉市街を眺望し由比ガ浜から次第に山系に高くなっている地形を確認している。ということで大仏が安置されていたという建物が大津波で流されたなんて想像できない。

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    鎌倉の明応津波〜大仏殿は流されたのか?
                    萬年 一剛(神奈川県温泉地学研究所

https://www.onken.odawara.kanagawa.jp/files/PDF/tayori/63/onkendayori63-02.pdf

鎌倉大日記くらいしか、検討に値する文献が無いのです。

「鎌倉大日記は、誰かの日記のような名前の文献ですが、基本的には年表の類で、治承四 (1180) 年から天文八 (1539)W三好長慶(みよしながよし)が上洛応仁の乱 (1467)年から文明9(1477)主に東国で起きた事件を記した書物です。

南北朝時代の頃から書き継がれてきたと考えられていますが、執筆の経緯や著者は不明、原本も残っていません。

明応の津波について取り扱っている書物はこのほかにいくつかありますが、ごく最近まで江戸時代の文献しか知られてきませんでした。

 現代語に訳すと、「明応四年八 月 十 五 日(1495 年 9 月 3 日 )

「大地震と洪水があった。鎌倉由比ヶ浜の海水が千度壇に至った。水の勢
いが大仏殿の堂舎屋を破った溺死人は二百名あまりを数えた」

 

      大仏殿は津波で流されたのか?

 歴史学者や、歴史地震に詳しい地震学者はほとんどいないのです。むしろかなり自信を持って大仏殿が津波に流されたというのを「俗説」として退けているのです。

なぜかというと、鎌倉大日記が津波発生日としている明応四年八月十五日(1495 年 9 月 3 日 )の前に、大仏殿はすでに無かったという文献があるからです。
その文献は万里集九が書いた「梅花無尽蔵」です。作者は室町時代の禅僧。

鎌倉大日記に比べる書かれた時期や著者がはっきりしていて歴史のプロは梅花無尽
蔵の方が鎌倉大日記より信頼性があるだろうと考えているのです。 

*****

>W.以下実に庶民的な光景が描かれている!

今のヒトよりも室町時代のヒトがアッケラカンとしている。風通しが良い。日本庶民が歴史の舞台に登場したのは室町時代まで。これが民衆史観にたつWの想い。戦国時代なんてほとんど興味が湧かない。

明治維新まで今は宮内庁管轄で絶対立ち入り禁止の古墳を庶民は遊山の場所としていた、という記録がある。禁断の古墳掘り起こせなくて何のための日本考古学なのか!(もっとも盗掘で何も出てこないよ!)なぜなら禁断の場所になったのは「いしん」洗脳の後だった。

それなのに他所の国にって王家の墓を暴いている。恥ずべき精神構造である。一種の山師根性だな。

 

「「長谷観音の古い道場を見て、数百歩行くと、二つの山の間にある銅で出来た大仏に逢う。高さは7〜8丈。腹の中は空洞であり、数百人は入れる。後ろに穴があって、わらじを脱 いで腹の中に入る。みんなが言うことには、この中に往々にして、ばく
ち打ちが昼日中からいて、サイコロをふっているというお堂は無くて、露座である

梅花無尽蔵の記述の注目点は、この時代、大仏は見る影も無くさびれていて、お堂も無いような状態であった、ということでしょう。⇒W。庶民にとって風通しの良い時代下剋上はわかる。

大仏殿が流されたと読むのは間違えですよ、というのが通説になっているのです。

じつは、当の鎌倉大日記も、応安二 (1369) 年の記述として「大仏殿転倒」、としているのです。。

なぜなら現在の大仏がある地点の標高は 14m ほどあるので、もしこの高さで津波が来たら鶴岡八幡宮の前も津波で浸水していなくてはいけないのです(図 2)。要するに鎌倉市街は大半が浸水してしまい、そうであれば「鎌倉大日記」の記述もそれなりのものになるはずです。

***

 ごく最近になって伊東市教育委員会の金子浩之さんの研究によって、明応四年の地震は、明応七年の南海トラフ地震とは別に確かに存在し、しかも南関東に甚大な被害を与えたかもしれないということが明らかになりつつあります。

決定的なのは、「熊野年代記」という熊野三山の社家が記した記録で、

>これには明応七年の南海トラフ地震について詳しい記述があることに加え、

「明応四年八月十五日乙卯、鎌倉大地震」という記述があります。

ようするに、明応七年と別個に、明応四年に鎌倉で大地震があったことが明らかになったわけです。


>また、静岡県伊東市にある宇佐美遺跡では標高 7.8m のところに、津波堆積物がみつかりました。⇒W。現代の大地震周期研究は故文献と津波痕跡の地質研究(専門用語がある)の「両方をすり併せて確証を得ている。

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>宇佐美は伊豆半島の東岸なので津波を引き起こした地震南海トラフでは無く伊豆半島より東側の海域、つまり相模灘で発生した、と考えるのが妥当でしょう。

ちなみに、宇佐美での津波高は大正関東地震で4〜7m 程度とされていますから、標高 7.8m のところに津波堆積物というのは、大正関東に比べてかなり大きい津波と言うことになります。 

     相模トラフ系地震の系譜

W.。明応四(1495)年に発生地震⇒元禄地震⇒大正関東大震災~~相模トラフ震源地の地震200年周期である

前回の記事で首都直下型地震の信ぴょう性を疑う記事を載せた活断層はあるが関東平野の地形から首都直下型大地震短いスパンの発生確率は低いとみる。   以下省略

******

>大地震情報が古文献に残されているのは統治者の文書(記録された場合は詳しい情報である)ではなく、

>神社系が自然神崇拝を根本にしているので大地が揺らぐ地震情報に敏感に反応するためと思われる。

>寺も地震による破壊を寄進によって修復する関係から記録に残す必要があった。

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          コメント続き

亡くなった祖父母は昭和東南海地震浜松市中心部で遭っているはずなんだけど、戦争中で余り記憶がないって言ってた。艦砲射撃と空襲の方が恐ろしかったらしい。対戦レベルだと人災>天災なのかな

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親が大阪市で二度の南海トラフ地震に遭いました・・が記憶に殆ど残っていません。十代の終わり頃ですから記憶は確かな筈なのに、 室戸台風の記憶は鮮明で後の地震については「確か東海地方や四国で大勢が亡くなったらしい」と言うだけです。 次の地震に備えて東海地方と四国の方は特にご注意を。

***

その地震の時に和歌山に住んでた方がいて、当時胸まで津波に浸かったと聞きました。

***

100年に一度ならあと30年位あるから居住地を海側から山側に移動させろと思う

***

阪神・淡路大震災が起きた時、朝方のまだ寝ている人が多い時間帯に発生して瓦礫に埋もれた人が多かったというのを聞いたけど、も南海トラフみたいな化け物が2時3時くらいに発生したらと考えたらもう助かる確率3割きるよね

***

経験者ですがまだ子供でしたがみんなパジャマ姿とかでした、、あと冬だったのでストーブつけてた家が多かったせいで火災も多かったとか、、

***

南海トラフが来る前に早死にするか、長生きして南海トラフに遭遇するか、で考えると 長生きして南海トラフに遭遇する方が幸せだよな。当たり前だけど。 待ってろよ!南海トラフ!(震え声)

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地震の後にもそこに住み続けるメンタルが理解できない…。怖くてムリ。

***

本当に機械のようにほぼ正確に決まったスパンで来てるんだね…こりゃ予測もしやすいわけだ… やっぱ地震大国だから慣れてしまっていることもあるけど、日本全体でまだ防災の意識が低いとは思う

***

先に東側だけ揺れたら西側も後からきっちり揺れるんだなとよくわかりました

***

逆にいうと本来住めない場所なのかもしれない、日本は地震が多すぎる。関東もいつくるんだ

***

不謹慎ではあるがこういう歴史的に定期的に打撃を受けるとわかる地域に今も住んでいる人が居るのはなぜなんだろう

***

サイクルが長くて忘れるから。 例えばAという県があってそこに10年〜20年に一度ぐらいの間隔で大地震津波きてたら流石にそこには人住んでないと思う

***

東だけ揺れたら必ずすぐ西も来るんやな これはいい情報知ったわ

***

今の日本にでさえ経済がボロボロなのに南海、東南海地震が起きたらヤバいな。
***

記録に残る地震では、東海、東南海、南海地震は必ず同時か時間差で連動する。全て同時に起きたら東日本大震災を遥かに上回る大災害になる事は間違いない。3・11の津波では20分の猶予があったが多数の死者が出てしまった。南海地震では地震発生から数分で津波が襲う。まして夜間なら逃げる暇も無く死者は数十万単位で出る。オリンピックや万博などやってないで備える必要があるはずだが

再録、大地震と「地盤と水」、(そこにはたくさんの水があった)。参考資料一覧⇒人類史。二酸化炭素地球温暖化。気温周期、離心率、地軸の傾き、揺らぎ。列島縄文人弥生人度合い。水循環に伴う鉱物の変化。

 反俗日記 過去記事 

W.下の長ったらしいタイトル記事に載せた能登半島地震の絵図がやっと理解できた。⇒W。難しすぎて一知半解だった。その後、記事を重ねるごとに解りかけてきた。

スケールの大きなことは自分も含めて想像力が及ばない。学習が必要だ。

常識、情動の範囲を大きく超えているところに科学は成立している。

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      タイトルを論点ごとに分解する。

地底の東京ドーム23杯分の流体岩盤の隙間に流体が入り、浮力や圧力が高まって岩を破壊することでゆっくりとした地殻変動を引き起こして断層がずれ、次々と地震を起こし、

地震発生源の活断層のある能登半島沖に拡大

2023年、6月27日~7月3日、週間ウィークリー地震ニュース。同年5月に能登半島地震

>研究グループは珠洲市地下に巨大流体あり、の情報発信。能登半島先端部の地殻は特異な動き。特異なケース。2024年1月1日にその結果能登半島地震として判明。

 

W.なぜか南海トラフ系の巨大地震の周期は40年後発生確率90%とか聞いたことがない数字を挙げてごまかしている。説明は上手くても流石、読売系日本テレビ。キチンと数字のトリックを使っている。どこから40年後という数字が出てきたのは聞いてみたい。南海トラフ系大地震発生周期は90年。長く見積もっても100年

>歴史的文書や沿岸の隆起と沈下の周期(専門用語がある)で90年周期が出ている。

>加えて今回の記事で地下水が周期を確実にする役割を学んだ。1946年南海地震+90年⇒2035年+ー5年。⇒2030年~2040年に間に南海トラフに貯まった地殻のストレスは大解放される。

一人一人の自助で対処しましょう、国や地方自治体はオリンピックや万博の飽きもしない一点集中巨大開発、限界の地方公共事業に替わる宿泊観光、米国世界戦略の2軍の任務、台湾有事(中国分割)のためにある、ということ。日本支配層の国民統治支配と利権の立脚点はココにある。

清澤洌 暗黒日記青空文庫

W.読んでいて嗤えて来るほど戦中の精神主義振りはブラックユーモア。国民の抵抗はなかった(極一部を除いて)。ナチスに対し暗殺、海外亡命などで抵抗した人たちなどはいた。イタリアにパルチザンが生まれた。

 嗤えるほどの支配層に従順だった日本人の本質が変わったとは思えない。長期経済停滞で新しい装いの支配追従、体制順応メンタリティーが社会の随所に台頭し大勢を占めるに至った。

若者の保守ぶりは凄いな。世界一じゃないかな。日本一番の世界に誇れる産業は従順な若者を育てる教育生産工場。
   

活断層が隣にあるということは、隣で火事が起こっているのと同じような危ない状態であることは間違いない」

   

 だったら付加体列島住民の地の底は火事だらけ

   

五輪だ!万博だ!と華美に走るのは地歴忘却本能列島原住民の宿痾。

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  資料1

迫る南海トラフ地震!「予知」のカギを握る「地盤と水」の意外な関係(中川 隆夫,ブルーバックス編集部) | ブルーバックス | 講談社(3/7)

W.トラフに水が溜まっているから地震は周期的に発生する、という解釈!

  延岡の海岸に残された“痕跡”

~~~そこにはたくさんの水があった~~~

数千万年前当時南海トラフ地震クラスの地震が起きた跡

延岡衝上断層の地図と延岡衝上断層に残る石英脈の写真

地震が起こる地下8kmから10kmでは、200~250℃という非常に高い温度環境においてシリカケイ素=  シリコン Siのこと、原子番号14の酸化物 SiO2=石英、水晶 が水に溶け込んでいる

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シリカ石英として沈殿して隙間を埋めていきます
***

つまり、石英脈の存在は、地震が起きた際に生じた亀裂に水が通ったことを示している。

 そして、

大きな地震が起こる場所には、水がたくさんある

W。地球上の地震多発地帯はごく限られたエリアでしかない!地震多発地帯で古代文明は起こらなかった⇒メソポタミア文明BC9000年小麦農耕~~後記事で取り上げるセルビア、レベンスキービール遺跡はドナウ川沿いの漁村<狩猟>~~BC5000年都市)・エジプト文明定住農耕は紀元前5000年ごろインダス文明BC2500年頃から1500年頃まで都市文明)・ 黄河 文明紀元前5000~1500年頃まで長江 文明をふくめて中国文明

もっと遡ると地震多発地帯は現生人類の起源と発展の末端であった。絶えず揺れ動く大地は人類共通の普遍的価値観を生み出せる土壌ではなかった。

イメージ 11

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喇家遺跡 - Wikipedia

らつかいせき、ラーチアいせき、

W。黄河上流。乾燥した高度地帯の丘陵に横穴を掘った今でも現存する住居スタイルの集住地が地震による黄河の氾濫W?事情不明!のために一瞬にして泥水の底に埋まった。発見は厚い堆積物のため2000年、と遅れた。「東洋のポンペイなどと称されているが 紀元79年8月24日、とBC4000年では文明史的価値がまるっきり違う。また遺跡の規模はラーチアはあまりにも小さすぎる。災厄の原因火山爆発火砕流地震による洪水と違いすぎる。

、青銅器文明。

出土した麺 BC4000年 アワと雑穀混合の麺(W.乾麺にして保存食?だから遺物として残存)

回族, トゥ族自治県

 回族

中国最大のムスリム集団。言語・形質等は漢民族と同じ(イスラーム)を信仰。中国全土に広く散らばって住んでおり、人口は約1000万人で、中国に住むムスリム人口のおよそ半数。鄭和ムスリム。唐時代に中東より移住。

 

海東市中の民和県の位置

 

安史の乱 - Wikipedia

節度使安禄山とその部下の史思明、およびその息子たちによって引き起こされた大規模な反乱。 禄山・思明両者の姓をとって、「安史の乱」

   W。安史の乱の戦域は中国内陸北西部。乱鎮圧とその後はウィグル、チベット軍と唐軍の外交関係を緊密化させた。地政学的な関係は古代から今日まで続いている。さらに大陸正面の台湾島(面積九州、人口2800万九州の2倍~この当たりを踏まえて台湾の人々が独自にどういうリアリズムの自画像を獲得するのかが課題。台湾は表面を取り繕った米国製民主主義)を契機として中国分割の目論見もある。

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「821年ウイグルチベット・唐の間での三国会盟が締結された。一部の学者は当時の国税調査の記録などから、安史の乱の死者数が唐の人口の3分の2にあたる3600万人に上ると概算ヨハン・ノルベリは著書にて死者数は8世紀の世界人口の約5%を占める1300万人に及ぶと述べた.」

⇒W。朝廷を支える貴族層が一掃され中国専制国家体制が成立していった。

唐宋変革 - Wikipedia

引用

魏晋南北朝・隋唐は門閥貴族層を中心とする律令政治が行われていた。皇帝権は弱体で、簒奪が多かった。宋代になると貴族制が崩壊し、後世に「君主独裁」と呼ばれる体制が構築されることとなる。また官僚は「士大夫」と呼ばれる知識人層が中心となり、新たな政治の担い手となった。」宋代に科挙殿試が導入されると、官僚の出自は大きく変化し、旧来の貴族は一掃された士大夫と呼ばれた知識人の実家は地主や富裕な家庭であり、儒学などの教養の専門家だった。」

 

******************************************************************************* 雨の日にタイヤがスリップしやすい理由

岩どうしの圧力だけではなく水圧というまた別の現象による影響にも、地震を引き起こす可能性がある

  ポイントは圧力

パックがあれほど勢いよく滑るのは、台の下から空気を出して、パックを浮き上がらせているからです。強力な空気の圧力で浮き上がったパックは、台との摩擦によって減速することなく勢いよく滑る。パックが揺れる地盤、空気の圧力が水圧にあたる。

ぴったりとくっついていた断層を引きはがすような力、すなわち水圧が大きな地震を引き起こす一因を担っている。

水圧が高く、岩と岩のあいだが開くほどの水圧が効いていた──。その痕跡が、石英として残っているということが、今回の私たちの研究の要点です」

従来のモデルでは、水圧は地震発生後に、いったん大きく下がるだろうと考えられていたんです。エアホッケーの例でいえばパックがいったん浮いて滑った後は、空気による圧力を失って、パックが台上にペタンと落ちるイメージです。

断層が動いた後も、水圧はある程度、残ったままになっているのではないか

もし、地震の後の水の圧力の変化が大きくなるようなら、残った石英脈の幅が広かったり、長さのばらつきが大きくなっていたりするはずです。しかし、それがある程度の長さや幅に収まっていたり、方向がそろっていたりする。

水圧の変化図

****W。もう一度読み込んでみるとこの時点の反俗日記の以下の部分の解釈にはハッキリしない部分があった。

つまり、正しい解釈は

2023年5月の能登半島地震震度6弱)と2024年1月1日の関連性において

半島地下、7km8kmのTドーム24杯分の流体(シリコンが溶けた高温流体~当然にも岩盤に対して滑りやすい、圧力もかける⇒スリップし易くなる)⇒流体の半島北部への移動検知半島沖の眠っていた活断層刺激一気の逆断層地震(漁港海底隆起は逆断層型地震の証拠)

  間違った解釈

南海トラフの底に水が入って浮き上がった状態のまま、という仮定はこの説明から明らかになっているが、それは周期性(約100年であり200年という歴史記録はない)の短縮ではない、と反俗日記は漠然と指摘しているだけだった。

>その状態を厳密に言えば、

歴史文書や海岸露出岩の隆起沈下の周期で明らかになっている周期性をより堅実にする要因になるということ

今まで接着面が浮き上がった状態だったので100年周期で南海トラフ地震は「確実に」発生してきたということだ。

 

@日本列島の周辺で南海トラフのような巨大地震を短い周期で発生させている地震の超巨大な巣はない。

 

大正関東大震災相模トラフを発生源とする地震であり、その前の同トラフ発生源の地震元禄地震だった。周期性は約200年以上。

>首都直下型地震がよく言われているがコレは海溝型地震ではなく、阪神淡路大震災型の活断層のずれが引き起こす地震だが、

>東京を中心としてみた場合の関東平野の山系までの後背地が広大で平坦な形状は、巨大な直下型地震が発生する可能性が高いとは思えない。

@ 関東大震災は相模トラフ震源地の平野部の活断層連動型の地震

阪神淡路大震災型の活断層地震の記録はない。迎える大地震に対する切迫度において東京、関東地方と西日本太平洋側では違いが起こって当然である。

なのに大阪準キー局は~~。住民レベルからもカジノ万博と来るべき南海トラフ地震を関連付ける情報は少ない。

   引用

平安時代の878年鎌倉時代の1293年に起きた地震は、関東大震災と同タイプの地震と考えられる。 有史以前も含め、この地震200~400年間隔で起きてきたようだ」 産業技術総合研究所活断層地震研究センター

>それと関東地方は軽震度地震が西日本に比べて多いことも活断層に貯まったストレスが軽度に度々解放されている証拠とみなすこともできる。

@東京キー局発の首都直下型地震の報道は非科学的な部分がある。

>この手の根拠の薄い報道を受けて「悪戯に不安を煽る」という発言が起こってくるのか?

 

@ソレに対して「西日本大震災は必ず起こる、」という大学名誉教授の発言。

自分自身、その発言を知る直前に他人に南海トラフ震源地とする巨大地震は必ず起きる、と見ず知らずの人に断言していたのでびっくりした。

@その名誉教授は一歩踏み込んだ勇気ある発言をしている

地震学者(地球環境学火山学)、普通、逃道を用意した発信をする

先ほど引用した学者さん南海トラフは発生源の地震の周期を100年~200年としている。歴史文書、データから周期200年という数字は出てこないはずだ。

100年と200年では大いに違う。

1946年から200年あとなら21世紀が終わって22世紀になっている。

現時点から想像できる22世紀地震がどうこうというよりも、世界がどうなっているのか今の状況から考えが及ばないそれくらいあらゆるものの時間経過が急スピードである。

産業革命以降の資本主義の時代はそれまでの歴史推移と別次元で考えた方が良い、と無機質なデータやグラフを物語っている延長線上で考えてしまうのは<歴史の罠>である。

   「悪戯に不安を煽る」などという見地も実に日本人らしい見地。

 OECD諸国で日本だけが度々大地震に見舞われている

優先順位をキチンとつけ対策をうったうえで「いたずらに不安を煽る」とけん制するのは頷けるが、オリンピックや万博に走って「悪戯に不安を煽る」とは~~~。

日本の高度経済成長期に巨大地震などの災害はなかった

近代化以前の地震災害記録(文書、文学)もその精神はあまり参考にはならない

>しかし、鴨長明方丈記」の災害の世界の記述が今もリアルに迫ってくるのはなぜか

日本的イデオロギーは社会も自然の延長のような感覚でとらえる傾向がある。天変地異、激しく地政学的周囲に陸続きで攻めてくる敵がいなかった列島を取り巻く環境がそういう温和な社会観を育んできたが全球一体化するグローバル資本制の拡張性とソレに対する反撃の時代の趨勢に対処するためのは、またしても同調圧力を列島中充満させての一丸となって一つの狭い道を歩んでいくほかない。

「暗黒日記」を読んでいて意外だったのは、戦時中のマスコミ状況報道でも<事実>は全く大本営発表一色で塗りつぶされていたわけではないということだ。歪曲されていても大事な事実の報道はあった。したがってそれらを繋ぎ合わせて状況を察知することはできた。その一方で多くの人は事実の直視にかえて情動報道に心の救いを見出した。コレも窮地に陥った人間の集団心理である。共同で絶望することは人間本能としてあり得ない。何とか希望を見出そうとする。もう一つ、物資不足や物価高騰で人心が荒廃しコソ泥能な類が増える一方で精神主義が社会に横溢する。

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以下の解説で能登半島群発地震特に2023年5月の大きな地震(この時点で珠洲市地下深くに巨大な流体の存在は検知されていた~電気の伝導率の違い~~半島北部への移動も解明されていた~~~)と2024年1月1日の半島北部の東京D24杯分の流体の役割が理論上は明らかになった~~半島沖の活断層を刺激~~この活断層震源地となった。

──なんだか恐ろしい話ですね……。それはつまり、南海トラフ地震の周期が短くなるということですか?

「そうではありません。地震発生の周期は、古文書にも残っているように、100〜200年ごとに起こることに変わりないんです。

今回の研究からいえるのは、

>一般的に、大きな地震の後には(W.能登半島群発地震、2023年5月⇒2024年1月1日のケース、)滑った地中の水はパッと散ってしまって水圧が大きく下がると考えられていたのが、

>じつはそうではなかったということです。

先ほどのたとえでいえば、地震周期のあいだ、エアホッケーのパックはずっと浮いたままだった。つまり、ちょっと押してやるだけで、すぐにまた滑り出すことがわかったのです」(大坪さん)⇒W.能登半島の続発地震のケース。******南海トラフのケース(過去の記録)で南海トラフ巨大地震の発生前に、内陸部で予兆の地震発生安政地震は奈良で地震。戦中の2度の南海地震言論統制で首長だけに内務省から通達だった。新聞には小さな記事。1946年の南海地震も余震はあったはず(調べていない)海溝Pが事前にスロースリップしているはずだから、内陸部の活断層が先に反応する。

──水圧がかかりつづけていることが、地震の周期に関係しているわけではない、と。少し安心しました。

水の圧力の変化の大小によって、地震の周期が長くなったり短くなったりすることはないだろうと予想しています。100年だろうが1000年だろうが、地震が起こる断層のまわりの水圧自体には、さほど

──水圧があまり下がらない状態で100年もつづく100年も水圧が変わらない、圧力計付きの計測器をトラフ地中心部に埋め込んだのは2018年(予定より埋め込む深度が足りなかった)。それ以前の観測データはない。)

いうことは、私たちが日々暮らしている足元の地面は、想像している以上に不安定ということですね。⇒W.日本列島の地質学的形成史からいえば、当たり前。地学のみならず文化、芸術、思想、政治、風俗に影響を与えている。

「そのとおりです。私たちを含む地球科学の専門家たちもいま、地面はものすごく不安定なのではないかと考えはじめています

古文書に残るような大地震だけでなく、

もっとひんぱんに、小さな地震とかゆっくりした地震(スロー地震)が観測されるようになってきています。⇒W.能登半島震度1の地震は計算上、1週間の半分ぐらい発生。大きな地震もあって明らかな強度な群発地震発生中だった。

大きな地震が起こるようなエネルギーの蓄積には、

面の変形がともなわなければいけないので、そのためには時間がかかるそれが100年とか1000年の周期につながっているんでしょうね」(宮川さん)

たとえばば南海トラフの場合には、海底からどれくらい掘るイメージですか?

海底から6kmくらい掘り進んで設置する必要がありますね。じつは、こういったプロジェクトはすでに進んでいます。掘削船『ちきゅう』南海トラフ地震が起こるような海底を掘り進んで岩石を採りながら、そこに水圧に限らず、さまざまなセンサーを設置しようという研究が進められているんです」(大坪さん)⇒W。日本国って変わった国だ。先にやるべきことを後回しにする。コレも国民性なのか。小林秀雄は日本人は「方丈記」(天変地異)と「平家物語」(戦争ー敗戦)の感性のままだといった。

──2018年から19年にかけて海底下2800mまで掘ったプロジェクトですね

「そうです。そのときは予想以上に海底下の岩盤が固かったりしたことで、目標地点まで掘り進めることができなかったのですが

次のプロジェクトが立ち上がれば、水圧計測についても提案できるのではないかと期待しています」(大坪さん)

W。予算措置の優先順位に問題がある。

「地球の息づかい」をとらえる

──大坪さんは「地球の健康診断をしたい」と仰っています。水圧の変化をモニターする試みは、まさに健康診断といえますね。

「ええ。水圧に限らず、何かしらの変化というのはすべて、『地球の息づかい』だと考えています。だから、その1つの候補がとらえられたというのは、私たちが長年、手がけたかったことの1つではありますね。

私たちは地球の上で生活していますが、多くの人が日常で考えていることは、経済や政治、生活そのもののことだと思います。⇒W。地震(火山噴火)の活動期に突入中。対策が遅れると消費意欲にも影響する時代に待ってきた。

でも、地球の息づかいを知ることは、地上に暮らす者として欠かすことのできない重要性をもっている。特に、日本のような地震大国はなおのことです。

そうすると、どうしても精度の高い地震予測を期待されると思いますが、残念ながらなかなかそこまでは到達しない。水圧がどこまで高くなれば、地震が起こる条件が揃うといえる可能性は高まりましたが、それが『いつ起こるのか』を予測するのは、まだまだ難しいというのが正直なところです」(大坪さん)⇒W.いつ大地震が起こるか、なんて予知を地震学に期待するヒトは!?

>W、日本は国土の3分の1が海抜0以下のオランダに学んだ方が良い。華美なことは慎み、質実剛健、政治経済文化風俗に進取の合理主義精神がある。

>W。自らよって立つ足下のぐらつき対策が遅れている。足下が決まっていないと今後、ファンダメンタルズの在り方がものをいうグローバル資本制下で良い仕事はできない。

>W。「先進国」で地震大国なんていう国は日本だけだ。だったら、対策は相応しくやらないと。

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        今後の記事作成のための参考資料一覧

 素人は地質学、地学(地球史)と人類史、世界史、日本史と一体に考える。

資料① ヨーロッパ中心思考。現生人類が北アフリカ中近東から北上して西に進む方向しか取り上げていない!調べると米国系ユダヤ人の粋の出の学者だった。

David Reich (geneticist) - Wikipedia

日本版ウィキは書くべきことを省略。「父親は米国ホロコースト記念博物館の初代館長を務めたジョージ・ワシントン大学教授のウォルターライヒです。

www.nikkei.com

W.中国の最新研究。東に別れた現生人類~~以上を中国の北京原人以来の研究を継承しようとしている。無理があるようだ。出アフリカ、中近東の旅がヨーロッパに向かったのは距離的に近いという事実もある。ドナウ川などの大きな河川、地中海伝いは北上し易い。

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資料2。

忘れられた大陸 | Nature ダイジェスト | Nature Portfolio

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クロマニヨン人

解剖学的に現生人類とされているいろいろな断片的情報ネアンデルタール人と共存していたが遺跡出土数が少なく論理的脈絡なくネアンデルタール人の情報に飛び移る。)を総合するとヨーロッパ人の祖先とするのが素直な見方

コーカソイド - Wikipedia

の祖先という考え方もあるが、「近年の国際的な学会では、人種分類としてのコーカソイドという名称から、地域集団の一つとしての西ユーラシア人」(過去記事でに和訳のコーカソイドの分類を図の英語分類では西ユーラシアンと表記)腑に落ちなかったのはそういうことだったのか!という名称が一般的になりつつある(詳しくは人種を参照)。それは後述のように、コーカソイドには濃い目の肌の色を持つ人々もいるためである。「コーカソイド」は、日本語中での用法は白人・白色人種のヨーロッパ風の表現として認識されることが多い。」

******W.ヨーロッパアメリカでこの方面の研究先行**一歩戦前日本では皇国史観。最後は鬼畜米英(新聞で堂々と一面)。**研究はマイナスから始まった**
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資料3 

メソポタミア文明よりも古い、という触れ込みだが、ドナウ川峡谷に面した半漁業半狩猟の原始的集落の遺跡にしか見えなかった。セルビア民族主義が根底にあるユーゴスラビア連邦の反ナチパルチザン国家形成の時代に頂点を迎えたのではないだろうか?

ドナウ川を北上するとヨーロッパ中央に達するルート。グレートジャーニーは以前計算したところによると1か月に4km、狩猟採取しながら進めば達成できる当たりのモノを食い尽くして別のところに移動する何のことはない当たり前の狩猟採取民の営み。

氷期でなければ植物、河川などが遮って移動は困難。現生人類が移動してきたのは氷期間氷期に定住した。マンモスを負って陸続きベーリング海を渡ったというのは真相に近い。

ameblo.jp

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資料4.

よく言われる二酸化炭素温暖化はない、論へのデータを用いた治験。

本当に二酸化炭素濃度の増加が地球温暖化の原因なのか | 地球環境研究センターニュース

W。小氷河期は地球地軸の揺れによる気温低下である。本物の氷河期は約1万年以前に退潮。人類の農耕定住文明が開化した。

過去1000年の気温変動:太陽活動の低下が原因といわれる300年前ごろの小氷期の気温低下は1°C未満。気候モデルによるシミュレーションで再現できる。

 

だから、二酸化炭素排出量急増⇒温暖化、という結論。

グロ資本が率先して叫ぶ地球温暖化への反論に魅かれてもデータは尊重することにしている。自分らで勝手に地球を汚して金儲けにまい進する一方で、民には節制を強いる。

技術開発に先行している先進国が優位に立てる。

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資料5 この論文は前記の情報の氷期の気温低下1度C未満とは違う。

本物の氷期

人類誕生前「異質」の温暖化が起きていた【脱炭素社会への「本質」理解 第7回】

W.下図は氷期間氷期を理解する上で大事な図。E。T。P。3要素によって氷期が周期的に訪れる。現在は間氷期。小氷期(鎌倉中期~江戸時代)は気温1度Cしか低下していない。W.ミランコビッチはセルビアの学者さん。

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資料

縄文人の痕跡を現代人に探る ゲノム科学で迫る先史時代 - 日本経済新聞

渡来人、四国に多かった? ゲノムが明かす日本人ルーツ - 日本経済新聞

ヤフーが2020年まで実施していた遺伝子検査サービスに集まったデータのうち、許諾の得られたものを解析した。1都道府県あたり50人のデータを解析したところ、沖縄県縄文人由来のゲノム成分比率が非常に高く、逆に渡来人由来のゲノム成分が最も高かったのは滋賀県だったW,滋賀県安土の神社の伝説では武士は船に乗って渡来してきて、やがて地元豪族と融和し荘園経営支配層となったと記されているとのことだった。出自と解釈すれば納得できる。典型的な渡来系苗字、秦氏が多いのも滋賀県

沖縄県の次に縄文人由来のゲノム成分が高かったのは九州や東北だ。一方、渡来人由来のゲノム成分が高かったのは近畿と北陸、四国だった。特に四国は島全体で渡来人由来の比率が高い。

大橋教授は「九州北部では上陸後も渡来人の人口があまり増えずむしろ四国や近畿などの地域で人口が拡大したのではないか」と話す。

近年の遺伝学や考古学の成果から、縄文人の子孫と渡来人の混血は数百~1000年ほどかけてゆっくりと進んだとみられている。弥生時代を通じて縄文人と渡来人が長い期間共存していたことが愛知県の遺跡の調査などで判明している.⇒W。愛知だけが特別ではない。稲作環濠集落の遺跡と1kmほどの近所に同時代の縄文遺跡があった、しかも交戦したような跡が一切ない、弥生式の埋葬スタイルを掘り出すと縄文人の人骨が出土した、と地方史に載っている。

共同体の富の「私的所有」を巡って階層分解しないと他の共同体と戦争はしない。コレが原則。

農業ほど生産手段の進歩が遅い分野はない。

日本の農村では高度経済成長前期まで牛や馬に引かせた農具で田畑を耕していた。需要が一定レベルのままであれば、生産用具の改良の必要は生まれない。

日本の経済低成長の要因は労働の末端で未だに労苦が幅を利かせ、後発諸国の低賃金労働と対峙しているからだ。キャッチアップの切っ掛けがない。

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資料  未検討。難しい研究成果。反俗日記で繰り返して取り上げてきた地下の巨大水と地震との関連問題。

www.titech.ac.jp

地球内部構造と地球深部への水の輸送

 

よって立つ足下のぐらつき対策が遅れている。足下が決まっていないと今後、ファンダメンタルズの在り方がものをいうグローバル資本制下で良い仕事はできない。 「先進国」で地震大国なんていう国は日本だけだ。だったら、対策は相応しくやらないと。

地球プレート図  プレートテクトニクス  大陸が移動する 地震発生源

イメージ 11

W,世界の地震地帯(国)⇒南北アメリカ大陸8チリ、ペルー、エクアドル、中米諸国南から(コスタリカニカラグアエルサルバドルグアテマラ)北米カリフォルニア。

キューバを除くカリブ海諸国(ドミニカ国ドミニカ共和国トリニダードトバコ。)

ドミニカ国 奄美大島  英語 (イギリスより1978年に独立)アフリカ系86.6% 混血9.1% カリブ族2.9%

ドミニカ共和国九州+高知県~~台湾は九州よりやや狭い人口2300万、九州1400万日本の人口密度の2倍~~ スペイン語 (スペインより1865年に独立)混血73% ーロッパ系16% アフリカ系11%。日本フィリピン台湾インドネシアニュージーランドトルコギリシャアイスランド。アフリカが人類発祥の地であった要因は「天変地異」の日常生活及ぼす影響が少なかったらだ。

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    宇宙史-地球史ー人類史(切り離して考えられない)地球史から記事を始めようとしたが断念。いづれにしても地震系の情報は一般人にとってその規模が一生を超えるスパンを問題にしているので想像力を駆使して対処する必要がある。地震列島の歴史を背負ってきた日本人は列島の宿痾を直視しないようにしてきた。鴨長明方丈記」を超える境地はなかった、という不思議。

*********人類史のしてんをリアルにするためにクロマニヨン人をとりあげる****自分にとって新説だった。*****

クロマニョン人 - Wikipedia

  引用

「現在ではクロマニョン人を、現世人類と合わせて解剖学的現代人英語anatomically modern human (AMH) と呼ぶことがある.

後期旧石器時代に属し、約4万 - 1万年前のものと考えられる。

⇒W日本列島であれば縄文人の時代と重なる。もちろんクロマニヨン人はヨーロッパなのだが。***

「骨格が頑丈で多くの点で現代人と似ている。コーカソイドの直接の祖先である可能性が高い。⇒W初耳だ。

「180センチメートル前後の長身、頭が大きく、直顎で、頤(おとがい)が見られる。」

⇒W.言語を操った、ということかな?

なお、下図の時期と今では気候や地理的条件が違う。「第四紀の氷河時代約200万年前より約1万年前まで地球温暖化と共に大型動物の狩猟ができなくなって滅びた、という。現生人類と共存していた可能性がある。なのでコーカソイドに遺伝子継承となっているのか。

W。下図によればネグロイドとアジアのモンゴロイドとは遺伝的に遠い。骨格が違う。

遺伝的近縁図

変動ゲノムワイドパターンから求められる51集団の遺伝的系統樹 Science vol319(22 FEBRUARY 2008)

変動ゲノムワイドパターンから求められる51集団の遺伝的系統樹 Science vol319(22 FEBRUARY 2008)

Y染色体ハプログループの拡散と人種褐色がネグロイド青色がオーストラロイド黄色がモンゴロイド桃色がコーカソイド

W。日本語の解説と下図のアフリカン(アフリカ南部)、東ユーラシアン(モンゴロイドと東南アジア⇒オーストラリア大陸、南太平洋、西ユーラシアン(中東、ヨーロッパ)の3大分類とは違っている。

 

 

 

 

第3回】ヒトとはどのような存在か?

 

 

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インド洋でプレートが分裂中? | Nature ダイジェスト | Nature Portfolio

W。難しい理屈ではない。当たり前の現象。インドネシアスマトラ島で巨大地震が起こる要因が解る。

インド・オーストラリアプレートの内部で少なくとも4つの断層が同時に破壊され、マグニチュード8クラスの地震が2時間の間隔で2回発生した。⇒W。反俗日記過去記事。横ずれ断層は4分割する応力がかかる。それがプレート規模で発生中なのでインドネシア地震源は4プレート列島集合の日本と同じくアブナイ。

ンド・オーストラリアプレートの内部で変形が始まったのは約1000万年前だった。

このプレートは北に向かって移動しているが、

インド側部分ユーラシアプレートに激しく押しつけられており、

ヒマラヤ山脈が隆起してインド亜大陸動きも遅くなっている

*****

>一方、プレートのオーストラリア側部分は、何の障害も受けずに前進を続けている。

@このようなアンバランスのため、インド・オーストラリアプレートには張力によるねじれが生じ、中間のインド洋部分でプレートが引き裂かれつつある、と考えられている。⇒W.大きな視点から見ると横ずれ断層ではなく捻じれだが、部分で見ると時間差で横にずれている。

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キーワード 1億3000万年前 イザナギP(北進)

>すでに1億8000万円1億3000年前から日本列島構成陸地は大陸Pと海洋Pの境界線上にあった。地震多発。周囲が浅い海の南部日本列島組成(島!である。)が北方向に移動。

 キーワード 7000万年前 中央構造線 

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***********W。右から左に地質年代経過。

W。日本列島から恐竜の化石は出土。日本海側が多いのも上図(1)から頷ける。太平洋側は付加体が多い。

  1億6500万年もの間続いた恐竜時代

ジュラ紀・・約2億1200万年前~1億3000万年前    

白亜紀・・・1億3000万年前~6500万年前 6500万年前、恐竜は忽然と地球上から姿を消してしまった。小惑星衝突説が有力。イリジウムは地球外起源物質。衝撃は核兵器数千個分であったと推測

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フォッサマグナ - Wikipedia

引用

「    フォッサマグナの誕生

この地域は数百万年前まではであり、地殻が移動したことに伴って海の堆積物隆起現在のような陸地になったとされる。

原始の日本列島は、

現在よりも南北に直線的に存在して、アジアに近い位置にあったと考えられている。

>約2000万年前にプレートの沈み込み

に伴う背弧海盆の形成が始まった。これによって日本海が現在のように広がり日本列島もアジアから離れていった。

  背弧海盆の形成

海溝にプレートを巻き込む力に対する巻き返しの反発力で生じたもの

https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20180226/」

W。能登半島地震東日本大震災の関連を指摘した解説文を挙げた。下図①②の能登半島地震の応用編。能登半島珠洲市地下深部の東京D24杯分の巨大流体の発生理由。富山湾の海水浸透。東日本大震災を契機とする水分含有のプレートの長い年月をかけた能登半島地下への進出から下の原理による水分発生。

図3

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         ホッサマグナの説明の続き

@ドラステックな構図だ!

                   ↓      ↓

 ただ、日本近海の海溝は向きが異なる南海トラフ日本海溝の2つだったため、

>日本列島は中央部真っ二つに折られる形アジアから離れた

折れた原始日本列島の間には

日本海太平洋をつなぐ海が広が

新生代にあたる数百万年間、などが堆積していった。

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>そして数百万年前、フィリピン海プレート伊豆半島を伴って日本列島に接近した時に、真っ二つになっていた列島が圧縮され始めた。

>この時、間にあった海が徐々に隆起し、新生代の堆積物は現在陸地で見られる地層になったと考えられている。

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 以下大事な箇所。

南海トラフ地震の90年~100年周期説を裏付ける根拠。

>ほかにも大学退官のセンセイが指摘する高知県の漁港の古文書などで検証できる。

 

 

 

紀伊半島は約100年ごとに大きな地震がある。
地震の度に2mほど隆起しては元に戻ることを繰り返しているという。

⇒W。上記の現象には専門用語がある。古文書の参照だけで南海トラフ由来の地震、周期説を唱えているわけではない。

⇒w。予測では1946年南海地震から沈黙。ストレスたまり解放される時期は2030年+ー5年。南海トラフ由来地震は東海、西日本一帯は古来から人口多く、歴史地帯。一番、様々な古文書の記録が保存されている。それの重複する漁港のなどの上昇と復旧沈下周期性の間隔もほぼ同じ。

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W。以下は非常に興味深い、説得力のある学説。反俗日記の過去記事で取り上げたときは簡単説明過ぎて地盤と水、圧力の関係の原理が解らなかった。

能登半島で2024年1月1日大地震以前に現地調査が進行していたが、強い警告を出すまでに至らなかったようだ。南海トラフ現地の現地調査は2018年から開始されているが海洋地下深度の確保に苦労しているようだ。

www.aist.go.jp

W.下の長ったらしいタイトル記事に載せた能登半島地震の絵図がやっと理解できた。

地底のTドーム23杯分の流体は岩盤の隙間に流体が入り、浮力や圧力が高まって岩を破壊することでゆっくりとした地殻変動を引き起こして断層がずれ、次々と地震を起こし、大地震発生源の活断層のある能登半島沖に拡大。「活断層が隣にあるということは、隣で火事が起こっているのと同じような危ない状態であることは間違いない」だったら付加体列島住民の地の底は火事だらけ。五輪だ!万博だ!と華美に走るのは地歴忘本能の列島原住民の宿痾。

W.能登半島の南側でスロースリップ。下の絵図、解説文では理解できなかった。

それで下図でなんとなく解ったような気になった。

W。下の詳しい理論を知って初めて解る絵図と解説文だった。解りやすく書くのは難しい。

      延岡の海岸に残された“痕跡”

──このほど、地震と、地震が起こった場所にある水圧の関係について、論文として発表されました。地震と水の関係」に着目するというのは、地震学の素人には意外な印象があります。

──調査をおこなった宮崎県延岡(のべおか)市の海岸には、その“痕跡”が残されている。

「はい。数千万年前というたいへん昔のことですが、当時南海トラフ地震クラスの地震が起きた跡であると、多くの研究者によって支持されているのが『延岡衝上(しょうじょう)断層』です。延岡の海岸に露出しているこの断層は、南海トラフ地震のような地震が当時起こったプレート境界付近でできたものだといわれています。

現場に行ってみると、石英脈』石英によってできた鉱脈)がたくさんあるのがすぐにわかります。石英脈がたくさん残っていることから、水の研究をするのがいいのではないかと考えたのです」

「延岡衝上断層の、特にメインとなる断層の周辺を調査すると、白い筋がやたらめったに見える。それらすべてが石英脈ですから、そこにはたくさんの水があったということを示しています」

延岡衝上断層の地図と延岡衝上断層に残る石英脈の写真

白い筋が石英ですが、石英は、岩石がパカッと割れたところ石英入ったことを示しています

ズレているのではなく、パカッと割れるということが、断層の物理学では非常に重要です。そういう箇所が数多く存在するのが、延岡衝上断層の特徴なんです。

シリカでできているクオーツ(石英)は地球の地殻の70%ほどをつくっている鉱物ですが、

]地震が起こる地下8kmから10kmでは、200~250℃という非常に高い温度環境においてシリカが水に溶け込んでいます

ここで地震が起こると、まわりの岩石が割れて、シリカが溶け込んだ水がその割れ目に入り込んでくる。そして、水が通る際には、シリカ石英として沈殿して隙間を埋めていきます

つまり、石英脈の存在は、地震が起きた際に生じた亀裂に水が通ったことを示している。

>そして、大きな地震が起こる場所には、水がたくさんあることがわかっています

 

     雨の日にタイヤがスリップしやすい理由

雨が降ると、道路がスリップしやすくなりますよね。それが示すように、水は摩擦を小さくします。

地震の場合も同様で、岩石と岩石のあいだの摩擦を小さくする水の存在が関連している

地震を起こしやすい地下8〜10kmの場所に水が多く存在していたことがわかります」

 

地震はもともと、『地中で岩と岩に力がかかってズレる』ことからスタートする現象です。

一方で岩どうしの圧力だけではなく水圧というまた別の現象による影響にも、地震を引き起こす可能性があることに考えがいたると、力の研究というのは、岩石と水圧の両方に取り組む必要がある。

そのことに、現場の石英を見て気づいたので、水圧を見ていこうという方針が生まれました」⇒W。南海トラフ観察では圧力計もトラフに埋めている。

      ポイントは圧力

W.ここから先は常識では推し量れない科学の分野。

「もう1つ、別のたとえでご説明しましょう。ゲームセンターなどにあるクラシックな遊具『エアホッケーはご存じですよね。エアホッケーで互いに叩き合う『パック』は、なぜあんなに勢いよく滑っていくか、わかりますか?」

パックがあれほど勢いよく滑るのは、台の下から空気を出して、パックを浮き上がらせているからです。強力な空気の圧力で浮き上がったパックは、台との摩擦によって減速することなく勢いよく滑る。

もうおわかりですね。これを地震に置き換えると、パックが揺れる地盤、空気の圧力が水圧にあたるということです」(宮川さん)

──えっ! 水圧で地盤が浮いてしまうんですか!?

ぴったりとくっついていた断層を引きはがすような力、すなわち水圧が大きな地震を引き起こす一因を担っているのだろうと考えています。

水圧が高く、岩と岩のあいだが開くほどの水圧が効いていた──。その痕跡が、石英として残っているということが、今回の私たちの研究の要点です」(宮川さん)

  地震発生後の「水のふるまい」

「概念としては、地震に水を絡めたモデルは古くからありました。しかし従来のモデルでは、水圧は地震発生後に、いったん大きく下がるだろうと考えられていたんです。エアホッケーの例でいえばパックがいったん浮いて滑った後は、空気による圧力を失って、パックが台上にペタンと落ちるイメージです。

ところが、断層のまわりに染み出した水の痕跡=石英脈を、長さや幅、向きなどからたんねんに調査してみると、断層が動いた後も、水圧はある程度、残ったままになっているのではないかということがわかってきました」(大坪さん

もし、地震の後の水の圧力の変化が大きくなるようなら、残った石英脈の幅が広かったり、長さのばらつきが大きくなっていたりするはずです。しかし、それがある程度の長さや幅に収まっていたり、方向がそろっていたりする。

すなわち、石英脈の厚さや長さ、向きによって、『過去の地震でどういう力が働いたのか、どのくらいの水圧があったのか』を追跡することができるのです。それをモデル化していきました」(宮川さん)

           水圧の変化

水圧の変化図

以下の解説で能登半島群発地震特に2023年5月の大きな地震(この時点で珠洲市地下深くに巨大な流体の存在は検知されていた~電気の伝導率の違い~~半島北部への移動も解明されていた~~~)と2024年1月1日の半島北部の東京D24杯分の流体の役割が理論上は明らかになった~~半島沖の活断層を刺激~~この活断層震源地となった。

──なんだか恐ろしい話ですね……。それはつまり、南海トラフ地震の周期が短くなるということですか?

「そうではありません。地震発生の周期は、古文書にも残っているように、100〜200年ごとに起こることに変わりないんです。

今回の研究からいえるのは、

>一般的に、大きな地震の後には(W.能登半島群発地震、2023年5月⇒2024年1月1日のケース、)滑った地中の水はパッと散ってしまって水圧が大きく下がると考えられていたのが、

>じつはそうではなかったということです。先ほどのたとえでいえば、地震周期のあいだ、エアホッケーのパックはずっと浮いたままだった。つまり、ちょっと押してやるだけで、すぐにまた滑り出すことがわかったのです」(大坪さん)⇒W.能登半島の続発地震のケース。******南海トラフのケース(過去の記録)で南海トラフ巨大地震の発生前に、内陸部で予兆の地震発生安政地震は奈良で地震。戦中の2度の南海地震言論統制で首長だけに内務省から通達だった。新聞には小さな記事。1946年の南海地震も余震はあったはず(調べていない)海溝Pが事前にスロースリップしているはずだから、内陸部の活断層が先に反応する。

──水圧がかかりつづけていることが、地震の周期に関係しているわけではない、と。少し安心しました。

水の圧力の変化の大小によって、地震の周期が長くなったり短くなったりすることはないだろうと予想しています。100年だろうが1000年だろうが、地震が起こる断層のまわりの水圧自体には、さほど

──水圧があまり下がらない状態で100年もつづく(W.周期には関係がない!)100年も水圧が変わらない、圧力計付きの計測器をトラフ地中心部に埋め込んだのは2018年。それ以前の観測データはない。はまだ検証されていない。)

いうことは、私たちが日々暮らしている足元の地面は、想像している以上に不安定ということですね。⇒W.日本列島の地質学的形成史からいえば、当たり前。地学のみならず文化、芸術、思想、政治、風俗に影響を与えている。

「そのとおりです。私たちを含む地球科学の専門家たちもいま、地面はものすごく不安定なのではないかと考えはじめています。古文書に残るような大地震だけでなく、もっとひんぱんに、小さな地震とかゆっくりした地震(スロー地震)が観測されるようになってきています。⇒W.能登半島震度1の地震は計算上、1週間の半分ぐらい発生。大きな地震もあって明らかな強度な群発地震発生中だった。

大きな地震が起こるようなエネルギーの蓄積には、

面の変形がともなわなければいけないので、そのためには時間がかかるそれが100年とか1000年の周期につながっているんでしょうね」(宮川さん)

たとえばば南海トラフの場合には、海底からどれくらい掘るイメージですか?

海底から6kmくらい掘り進んで設置する必要がありますね。じつは、こういったプロジェクトはすでに進んでいます。掘削船『ちきゅう』南海トラフ地震が起こるような海底を掘り進んで岩石を採りながら、そこに水圧に限らず、さまざまなセンサーを設置しようという研究が進められているんです」(大坪さん)⇒W。日本国って変わった国だ。先にやるべきことを後回しにする。コレも国民性なのか。小林秀雄は日本人は「方丈記」(天変地異)と「平家物語」(戦争ー敗戦)の感性のままだといった。

──2018年から19年にかけて、海底下2800mまで掘ったプロジェクトですね

「そうです。そのときは予想以上に海底下の岩盤が固かったりしたことで、目標地点まで掘り進めることができなかったのですが、次のプロジェクトが立ち上がれば、水圧計測についても提案できるのではないかと期待しています」(大坪さん)

「地球の息づかい」をとらえる

──大坪さんは「地球の健康診断をしたい」と仰っています。水圧の変化をモニターする試みは、まさに健康診断といえますね。

「ええ。水圧に限らず、何かしらの変化というのはすべて、『地球の息づかい』だと考えています。だから、その1つの候補がとらえられたというのは、私たちが長年、手がけたかったことの1つではありますね。

私たちは地球の上で生活していますが、多くの人が日常で考えていることは、経済や政治、生活そのもののことだと思います。

でも、地球の息づかいを知ることは、地上に暮らす者として欠かすことのできない重要性をもっている。特に、日本のような地震大国はなおのことです。

そうすると、どうしても精度の高い地震予測を期待されると思いますが、残念ながらなかなかそこまでは到達しない。水圧がどこまで高くなれば、地震が起こる条件が揃うといえる可能性は高まりましたが、それが『いつ起こるのか』を予測するのは、まだまだ難しいというのが正直なところです」(大坪さん)⇒W.いつ大地震が起こるかなんて予知を地震学に期待するヒトは間抜け!

>W、日本は国土の3分の1が海抜0以下のオランダに学んだ方が良い。華美なことは慎み、質実剛健、政治経済文化風俗に進取の合理主義精神がある。

>W。自らよって立つ足下のぐらつき対策が遅れている。足下が決まっていないと今後、ファンダメンタルズの在り方がものをいうグローバル資本制下で良い仕事はできない。

>W。「先進国」で地震大国なんていう国は日本だけだ。だったら、対策は相応しくやらないと。