反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

最終回、ガルブレイズわが人生を語る。~所得配分に公平になり、需要の流れが安定的であればあるほど、経済は良くなる。  ゆとりの少ない中間層や貧困層は、受け取った所得を確実に使う。そこに選択の余地はない。その意味では、需要の流れを生み出すという点では頼れる層といえる。一方、富裕層は所得を消費に使うか、貯蓄して資産を増やすかという選択肢がある。

  10価格統制責任者

wacwac、注釈。

国のかたち。国民のかたち。日本、中国、アメリカ。-丸山真男対談集(1946年、1960年)より抜粋ー論証過程は丸山の頭の中だけにあるのだが、識者が良く使うフレーズのネタ元満載。 - 反俗日記

該当箇所引用

「E、アメリカは<社会があって国家がなかった>

>タウンシップから発達したんで、国家とか中央集権的なモノや官僚組織は全部後からの産物。
1930年代の不況を克服するため連邦政府の権限が強化されたのでその歴史は非常に新しい。

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*W。ガルブレイズは1930年代の統制経済の根幹である物価統制の実質的責任者の職に就いたが、その選出過程は丸山が指摘する中央集権官僚制の形成期、そのものずばりである。今でも中央集権的官僚制の固定化状態とは異なり大統領が変われば、中央官僚制度のトップも変わる。こうした「先進」国は米国以外に存在しない。このようなトップダウンの国家意思の決定制度は国力が下降局面になるとアメリカ的大衆政治の逆効果と相まって、世界中に混乱をばらまく発生源となる。

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  丸山引用

「しかしアメリカは世界で指導性を発揮しだしてから、ヨーロッパ的な意味でのナショナリズムを意識した。
アメリカのデモクラシーアメリカ内の人間関係だけでなく、国家の制度であり、守るべき国体と強く意識され出した。
 アメリカは元来国家がなかったから、つまり国家と社会の2元性もない
そこで社会的デモクラシーが全体として敵対者を意識しし始めると、内部における抵抗の契機は出にくくなる。
マッカーシーイズムもアメリカンデモクラシーのための運動と云うことで出てきた。
大衆を基盤とした国体擁護の運動がアメリカでは起こり易いという面がある。」

W。トランプ症状は止まず悪化する。

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「ガルブレイズわが人生を語る」

  

引用

    10価格統制責任者~大統領選後、突然誘い~

「価格統制をやってみないか」。そういってきたのは、NDACの上司で、今は新しくできた価格行政、民生供給局の局長になっている人物だった。

<価格統制の方法に関する原稿を私が書いていたことが採用の一つのきっかけになったようだ。

 最初に白羽の矢を当てたのはニューディールの中心になっていた人物だったが、別の仕事があって就任を断られたという。わたしはついていた。

価格統制を担当するメンバーは当時7,8人。

だがこれが最終的には数千人規模に膨れ上がることになる。政策については「インフレを防ぐためには適切なあらゆる合法的措置をとる」という強大な権限が与えられていた。

その年の夏には、ゴムくず鉄などの価格が軍用と民生用の需要増加で上昇し始めた。我々は上限価格を決める手続きにいったW注釈。三環節論

 想像を絶するいそがしさであった。対象になった製品を巡る状況を調べ上げる。価格統制に関係する業界の代表に説明する。ここにいた2年間でその後の40年分以上働いたのではないか、と思うぐらい猛烈に働いた。

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W。注釈

三環節論(さんかんせつろん)とは - コトバンク

引用

「1930年代日本の貿易構造を,貿易相手地域と商品構成の組合せにより把握しようとした試み。名和統一『日本紡績業と原棉問題研究』の補説に著わされたもので,名和三環節論ともいう。

>日本の商品貿易を対欧米貿易=第一環節,

大英帝国圏貿易=第二環節,

対植民地・中国貿易=第三環節に分け,

日本が植民地侵略を強化すればするほど全体として第一・第二環節への依存を深めざるをえないという構造的ジレンマを析出し,日本の経済構造の脆弱性を指摘した。」

   大阪商大事件

大阪商大事件 - Wikipedia

1943年3月15日、内田穣吉を初めとする大阪の「貿易研究所」のメンバー5名(内田を除く4名が商大卒業生)が検挙され、また満鉄調査部事件の関連で名和統一商大教授が検挙された。商大における非公然研究会の存在は、これらの検挙を通じて警察に発覚したと考えられている。この結果、名和のグループに関与していた卒業生3名、非公然研究会に参加した上林および学生32名、商大経済研究所嘱託の坂井豊一、さらに1942年春に東北帝国大学法文学部講師に転じていた立野保男が、同年3月30日から11月にかけていずれも治安維持法違反により検挙された。12月には学生約40名が短期拘留ないし不拘束のまま特高の取り調べを受け、1945年1月にはさらに2名が検挙された。

上記の被検挙者約50名のうち約30名が起訴され3名が実刑判決を受けた(うち若干名は執行猶予により釈放された)。起訴されなかった者もそのまま未決囚として拘置所・刑務所に拘留された。このため拷問、栄養失調などにより3名が獄死、数名が精神に異常をきたす結果となった。この事件の被告・拘留者は、1945年10月のGHQ/SCAPによる政治犯釈放指令をまって初めて解放された。」

   

  13ドイツ爆撃調査~弱者ほど被害大きく~

 町は空将によって徹底的に破壊されていた。~

ところが軍需工場などでは無傷で残っていることろが結構ある。空襲は軍需産業の経営者や町にいる母親、子供のようにより大きな被害をもたらしたのだ。

終戦直後の日本に行ってからも全く同じ印象を受けた。

    

  14終戦直後の日本

戦略爆撃調査団は、今度は日本に対する空爆の効果や影響を調べることになった。わたしはこれにも参加した。終戦直後の1945年秋のことだった。

~その日、泊まったのは帝国ホテルである。

疲れてベッドにもぐりこんですぐのことノックの音がした。ベッドから起き上がってドアを開けると、小柄な日本人の男が立っている。手にはウイスキーの瓶。ラベルには英語で「本物のサントリーウイスキー」とある。さらに「日本訪問中の占領軍の皆様のために、特別に瓶詰めしたものです」と続いていた。

 悲惨な戦争が終わってまだちょっとしかたっていない。それなのに早くも商売気丸出しにして「訪問客」に品物を売り込もうとする男がいる。

ベッドに戻った私はこう思わずにはいられなかった。この国の経済復興は早い、と。

 見る影もなく破壊された東京の町を見たときに受けた印象は、ドイツの諸都市で感じたものと同じだった。

~被害を最も受けたのは、やはり、罪のない普通の市民たちだった。

~私は米国が原爆を開発し、保有している話を早くから知っていた。戦略爆撃調査団の同僚である

ジョージ・W. ボールとは - コトバンク

がそっと教えてくれた。その恐るべき破壊力について聞かされた時は、原爆が実際に使われることがなければよいのだが、と強く感じたのを覚えている。しかしその願いはカネ得られなかった。

 米国には、原爆のおかげで米軍兵士の日本上陸が不要になり、数十万に達する可能性があった日米両国の人的犠牲が少なくて済んだという人が多くいるが、わたしはそうは思わない。もちろん原爆投下の影響が小さくなかったのは間違いないけれども、決定的だったわけではない。日本はいづれにせよ降伏の決意を固めていたのだ。

 戦略爆撃調査団も、1946年夏に出た報告書の中で、「米国が原爆を落とさなくても、あるいはソ連が参戦しなくても、日本は1945年末までには間違いなく、おそらくは11月1日までには降伏していただろう」という結論を下している

     

  16国務省~ドイツの経済再建に携わる~

日本から米国に帰国した後、わたしは国務省(日本の外務省に相当する)に勤務することになった。

 国務省で働くことになったのは、わたしがドイツと日本という二つの敗戦国を自分の目で見た数少ない経済学者の一人だったからだ。日独の経済状況をウォッチしたり、採るべき経済政策を考えたりするのが仕事である。

国務省の仕事のほとんどは、ドイツの経済復興に関わることだった。一日仕事をしていると、30分は日本関係で、残り全てドイツか、オーストリアなどドイツが支配していた地域に関連したsごとという感じであった。

 理由ははっきりしていた。日本は戦後も自ら統治することが可能だった。有能な官僚がそのまま残り、効率的に政府を運営する能力があったからだ。ある程度米国の助けさえあれば、それで十分だったのである。実際、戦後の日本政府は日本人によって担われていた。我々が取り組まなければならないような日米関係の問題が持ち上がれば、それはむしろ驚きであった。

>ドイツは違った。

ナチス政権が崩壊した後の政府は、米英仏ソの4か国によって運営されていたといっていい。特に米国の影響力がおおきかった。このためドイツの経済問題には我々国務省の人間が直接かかわる必要が出てくる。

     

   21『ゆたかな社会』~経済学の前提が変化~

自分が書いた著作の中で、最も重要であり、かつ影響力も一番大きかった本といえば、間違いなく『ゆかかな社会』The  Affuent Societyであろう

~衣食住の欠乏を満たすために、人々が必死に働く。世界のどこでも、それがずっと社会の現実であり、当たり前のことであった。過去の経済学の書物も、そういう社会を前提にしてことを論じてきた。

~しかし、『ゆかかな社会』では、消費者の欲求はセールスや広告によって外から作られることもあるのである。

>生産者の側が需要を呼び起こすわけで、この結果、経済の主役は、消費者から生産者に移っていくのだ。

 そうした中で、公共サービスの供給は、飛躍的に拡大する生産に見合った形で自然に増えるわけではない。

これはごみの増加と議未収集サービスの関係を考えれば、分かり易い生産額に見合った公共サービス提供という「社会的バランス」が重要だ。

また、生産を論じる時には、環境への影響という観点も考慮に入れる被露がある。

~~

批判を浴びせてきたのは予想通り主流派経済学者たちである。

必需品とそれ以外の消費を区別する考え方や、消費者の欲求が部分的には生産者によって人為的に作られるという主張が批判の対象になった

 ~

政治面への影響も見逃すことができない。

米国の政治において共和党が比較的成功を収めているのは、大多数の米国民が『良い生活』を守りたいと考えている事実によっているところがい。

人々が衣食住など日々の暮らしに困っている社会とは政治に求められるものが異なっているのである。米国の民主党も選挙に勝つためには、そうした新しい現実を考慮せざるえなくなっている。

 その副作用といえるのは、少数派になった貧困層の声が政治的に軽視されるようになっていることだ。貧困問題への対応は、人々の同情心というあやふやなものに頼らざる得なくなっている。

  

    26米国経済学会会長~保守派の反対は逆効果~

~後に『新しい産業国家』として世に出るこの本の執筆に最も力を注いだ。

多くの人は、大手自動車メーカーのGMのような大企業と町にある新聞スタンドはまっやく違う存在と考えているが、経済学の教科書では、しずれも同じ市場参加者と考えるどんな企業も影響力の及ぶことのない競争市場が存在するとみなすのであるそのことが正しいかどうか検証されないまま、それを前提にして、経済学の講義の多くは行われている。

『新しい産業国家』は、数少ない大企業が総生産で大きなシェアを占め中小企業にない影響力を持っているという現実である。影響力は価格決定にとどまらない。消費者の好みや政府の政策に及ぶのである。

 その強大な影響力ゆえに、大企業は一定の計画を立てることが可能になる民間経済

のほぼ半分を占める、こうした大企業による経済部門を、『計画システム』と名付けた。

 そして計画を立て、設備投資を決める支配力を持つのは、以前のような資本家ではなく、企業組織内の専門家集団である。これを『テクノストラクチャー』と名付けた。

     

      28米国経済の現実~富裕層優先が悪影響~

 経済政策をめぐる米国の政治的対立は、基本的に企業の利益、中でも特に大企業の利益を擁護するのか、それとも国民全体の利益を守るのか、というものである。

国民全体の利益というのは、例えば医療、社会保障の充実であり、公共的な投資を増やすことである。これらは私的セクターでは提供できない種類のものだ。

~そこでは公共的な問題でも企業の利益が尊重されてきた。典型例が環境政策だ。

電力関連企業の利益が、環境保全地球温暖化阻止という長期ニーズに優先した。

 国防政策も軍需産業の強い影響力を受けている。

ジョージブッシュ政権下で起きたイラクの悲劇も、企業経営と軍事パワーが結びついたことによって生じた。

 マクロ経済政策では企業の利益に配慮して必ず減税が行われてきた

恩恵を受けるのは企業経営者などの富裕層である。こうした政策こそが、経済全体を浮揚させるのに役立つという考え方に基づいている。

 しかし私の考え方はこれとは全く異なる。

所得配分に公平になり、需要の流れが安定的であればあるほど、経済は良くなる。

 ゆとりの少ない中間層や貧困層は、受け取った所得を確実に使う。そこに選択の余地はない。その意味では、需要の流れを生み出すという点では頼れる層といえる。

 一方、富裕層は所得を消費に使うか、貯蓄して資産を増やすかという選択肢がある

貯蓄に回る分だけ全体の需要は制約されることになる経済を支えるという点では、必ずしも頼れる層ではない。恵まれない層に配慮した政策の層が、富裕層配慮よりも経済にプラスなのだ。

 リベラリズムか、保守主義化という思想の違いはない。

共和党は企業重視、民主党は人々全体の利益重視というように両党の政策が明確に分かれているわけではないことも指摘しておかなけれなならないだろう。それが米国政治の現実である。

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かつての大企業は資本家が力をもっていたが、これは反トラスト法など様々な法律によって制約され、独占的なパワーを悪用した搾取的な傾向はある程度抑えられた。

しかし、経営者が牛耳る現代の企業は制約を受けることなく影響力を行使できる状況にある。 

 経営陣は自分たちの収入を決める力まで持っている。彼らは人は友なく、自らにはとても寛容だ。企業だけではなく、ニューヨーク証券取引所ですら、トップが莫大な報酬を得るという問題が起きた。

 こうしたことは社会的な問題になりはしたが、法的な制約を厳しく受けるようになったわけではない。ストップオプション(自社株購入権)などの形で巨額の報酬を得る行為は、罰せられていない。企業スキャンダルがメディアでは大きく騒がれたが、刑務所に置く割れた人は極わずかにすぎない。

 最近のもう一つの問題は、経済の実態と金融、特に株式市場が盗美ついていないということである。

現実と関係のない将来について想像が金融市場に影響を及ぼしている

その背景には金融マネジメント産業が急膨張していることがある。IT(情報技術)バブルとその崩壊はこうした問題を映したものだ。

    

    29日本への期待~知的な楽しみ重視を~

 日本経済は1990年代初めから長期にわたって停滞を続けたが、この原因について私なりの見方がある。

それは日本人の生活上の基本的欲求がすでに十分満たされている、ということである。

日本人は自動車、電気製品をはじめとする消費財をすでに保有しており、もう新たに買う必要はない。一方こうした製品に替わって、人々の興味や関心を引くものは十分に供給されていないのだ。

衣食住の基本的な欲求が満たされれば、人々の関心はモノではなく、楽しみや知識に向かう。芸術、科学、教育などである。もちろん日本もこれらに向かって進んでいるが、こうした新興にもっと努力すべきだ、と思う。モノが満たされた社会では、発展の方向はここしかないからだ。

日本はこれまで製品の生産に関心が行き過ぎたきらいがあるのではないか。

 米国の力の源はモノの生産にあるのではない。大学など高等教育を重視してきたことや、芸術、スポーツなどが栄えてきたことに大きな特徴があり、コレが強みである。世界はもっと日本の音楽や芸術であふれたほうがいいと思う。

~日本はこれまで他の国の真似をしようとしすぎたコレが日本の弱みである多くの人が欧米を見てどうすべきか考え、自発性や自分自身の決断を軽視しすぎた。

~自分のデザイン、自分の創意工夫に日本人はもっと自信を満つべきだ。

こうした視点で見れば、工場が日本から中国に移ってしまうのではないか、という中国脅威論は誤った心配である。そういうことは本質的な問題ではない。あまり経済パフォーマンスを考えすぎないことだ。

 日本には人生を喜び楽しみといった経済以外の側面をもっと重視する国になってほしいと思う。GDPに向かいすぎた関心をGNE(グローバル、ナショナル、エンジョイメント)に向けるべきだ。

フランスは経済はそれほど安定的ではないが、人々は芸術、料理など人生の楽しみを大切にしている。こうした生き方などは一つのモデルになるのではないか。

 私は日本を見ていて一番うれしく思うのは、経済が軍事的な影響から逃れている点だ。軍事に関わらない分野だけで、強い経済を維持してきたことである。

コレはこのままずっといてほしいし、他の国もこの点は日本に倣ってほしい。

 唯一残念に思うのは、戦争の被害という多大な不幸を経験して初めて、日本が世界平和を希求する国になることができたということである。

 最近は日本に行っていない。

日本がデトロイトを見習うのではなく、知的な楽しみを享受する国になっているかどうかを見るために、もう一度日本を訪れたい、と切に思う。

                     最終回終わり