なぜかその前のローマオリンピックの記録映画を見ていたから比較していたのかもしれない。記憶は定かではないが、前編でローマが上映され後編で東京が上映されて比較対象できたのかもしれない。
ローマオリンピックの記録映画の撮り方は主役の西ドイツのアルミン、ハリーという白人の100mのドイツの金メダリスト候補を主人公にし、他方で記録映画的要素を同時進行させた映画だった。
主人公のハリーは当時としては最高タイムの10、0秒で見事本番で優勝する。多分白人の100Mランナーとしては最後のゴールドメダリストでなかったか。コースは今のような人口のものでなく文字どうりのアンツーカーだった。
参考資料②
一部引用
「<車椅子の生活>
その後は障害者スポーツの選手として活躍する道を選びました。事故から4ヵ月後に行われたイギリス、ストーク・マンデビルのパラリンピックに彼はアーチェリーと車椅子競争の二種目に出場しています。(パラリンピックは1948年ロンドン・オリンピックの際、ロンドンのストーク・マンデビル病院で行われたのが最初とされています。実は、それは第二次世界大戦で障害者になった兵士たちのためのスポーツ大会がきっかけでした)
その後、彼は1971年にノルウェーで行われた犬ぞりレースにも出場し、なんと優勝しています。
1972年ミュンヘン・オリンピックにゲストとして招待された彼はマモの銅メダル獲得を喜びながらも、自らの境遇がかえってつらく感じられ、落ち込んだ様子だったといいます。そんな精神的なストレスと長旅の疲れのせいか、帰国後彼は急に事故の後遺症に悩まされるようになります。腕のケイレンや頭痛に苦しみ出した彼は、その後入退院を繰り返すようになり、1973年10月25日静かにこの世を去りました。
http://zip2000.server-shared.com/abebe.htm
引用
「<混乱の国エチオピア>W混乱とは思わないが。
彼の死後、数ヶ月たった1974年2月エチオピアでは社会主義革命が起きます。皇帝ハイレ・セラシエによる独裁体制は国民生活を改善するどころか、かえって悪化させたため、国民の反発をかい、彼はその帝位を奪われました。その後、彼は国外に追放されたとされていましたが、その行き先はわからないままになりました。その居所がわかったのは、1992年のことです。その年、今度は社会主義体制が崩壊、その際ハイレ・セラシエの遺体が宮殿内で発見されたのです。彼は革命の際、その場ですぐに処刑されていたのでした。
かつてアベベの後継者としてメキシコ・オリンピックで金メダルを獲得したマモは、1992年に誕生した新政権のもと軍人時代に無実の市民を処刑した罪で逮捕され、9年の獄中生活を強いられました。その後、長い獄中生活の後、彼は病に冒され、釈放はされるものの、すぐにこの世を去ってしまいました。」
一部引用終わり
ロシア、ツアーリ一家の最期の様子を記した資料がソ連邦崩壊のころ発見され分厚い書籍の一部に載っている。皇帝一家と主要な一族はシベリア送りの列車に乗せられ、途中下車して大きな家屋に写真撮影の名目で集められ、一斉機銃掃射により絶命した。
イングリッド、バーグマン(ユルブリンナー)のアナスタシア妃の映画は何度見てもスリリング、ブリリアントではあるが王妃は無慈悲に射殺されていた。
対して市川昆監督の東京オリンピックはテーマが拡散し、物語性もなければ記録性もない、中途半端な前衛的作品に終わっていたように思う。子供心にも感動が得られなかった。作品に対する肯定的評価は少なかった。当時は映画評論の世界もうるさ型というか、確たる自分の視点を持つ評論家が数多くいた。
東京オリンピックのハイライトは何といっても東洋の魔女と言われた鬼の大松監督率いる日紡貝塚を中心とした全日本女子バレーの大活躍だろう。彼女らは猛練習で回転レシーブ、時間差攻撃という現在では当たり前になっている攻守を得意としていた。パワーと高さのソ連との優勝決定戦はまさに技と鍛錬が世界を制するの図だった。
市川監督はローマ的演出から行けば彼女らを主人公にすれば良かったが、当時は前衛映画の最盛期で映画芸術を目指す監督はみんな前衛足らんとしてわけのわからない作品を撮っていた。またそんな作品が評論家の高い評価を得ていし、何より評判から客が映画館に詰めかけた。
筆者も高校生の時代、街一番の高級映画館でわけのわからんギリシャ映画を見た記憶がある。友達に映画好きがいて連れて行かれたが最初から最後まで何のことか理解できなかったが、分からないというのが特別な意味を持つ時代であった。風俗小説というジャンルが一時あったように風俗映画とでもいうべきものだったのだろうか。フランスのゴダール、イタリアのトリフォーも今の時点から見直すとこの種に連なるものであろう。
さて横道にそれたが石原都知事が再度、東京にオリンピックを招請したいと空しい悪あがきをしているようである。100%無理なことに賛同するミノモンタさんは石原さんのすぐ隣で頑張るぞーとばかり拳を振り上げている。
ちょうどこんな光景は大阪オリンピック招致活動で展開されていました。
桂三枝師匠は何を血迷ったのか絶対無理な大阪オリンピックに向け空しいパフォーマンスを繰り広げていました。
三枝落語の才能を評価する者として違和感を覚えたが、大阪オリンピックなるものには断固として反対であった。
あり得ない。市内でホームレスの方々が数千人も野宿されている。この状況への対応が遅れたままのオリンピックなど。また会場アクセスも整備されていなかった。結果、招致活動途中で無理とわかっていながら招致活動に五十億ものカネをつきこんだ挙句、落選。カネは文字どうり溝に捨てられた。もっとも活動費を猫ババしたセコイこっは役人がのちに逮捕されたのは大阪らしいが。
オリンピック東京招致活動の現状をみると失敗した大阪と瓜二つだ。一部の利害関係者だけが盛り上がっているが足元に反対者多し。主導者の政治的基盤は揺らいでいる。全国的盛り上がりは皆無に等しい。ほぼ確定的な候補地が存在する。必要条件と十分条件がオリンピック、NOを突きつけているのに一点突破、全面展開風に主導者と取り巻きだけが力を空しく入れている。
大阪は50億をどぶに捨てた。緊急にカネが必要なところにカネを回さずに。
東京も同じではないのか。もっと多くのカネが使われていると思う。
本当に不思議でならないのは首長になったら巨大開発方面にだけ財布の紐が緩んでいくこと。
その代わりと言っては何だが必要なところにけちけちする。
勘違いしている人間しか首長になれないのか首長になって環境に変身させられるのか?