反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

カナダのサーフバンドThe Surfrajettes’シンシナチLudlow Garage演奏から帝国の合同VS帝国未満の戦争の時代認識へ。今の若者は仮想現実の世界で<死>と向き合う時代の空気感のなかに漂っている。精神的に弛緩した戦後民主政イデオロギー論者は若者と共通の磁場を喪失。

W。Review: The Surfrajettes’ album ‘Roller Fink’ – Rock At Night

Review: The Surfrajettes’ album ‘Roller Fink

                      April 19, 2022  

 左から

Nicole Damoff (guitar)W。リードギターサイドギターは曲目によってシャーミーと交代する。 

Samantha Maloney (drums)Shermy Freeman (guitar),Sarah Butler (bassist)

The Surfrajettes

はその意味で限定客層の<通好み>のバンドである。

今回挙げた、The Ludlow Garage is a music venue located in Cincinnati, near the University of Cincinnati

で演奏する "Penetration" and "Roller Fink" はオリジナル曲。

ステージのバックのサーフシーンとマッチしている。

演奏冒頭、客席からビーチボールが舞台に投げられ、サイドギターを担当したニコールが舞台上で2回けって客席の戻すシーンは何かサーフミュージックの流行った時代の舞台と客席の自由な一体感を醸し出しているように思えてならない。コメントには、このビーチボールへの指摘はない。ファンからすると当たり前のことなんだろうか?

www.youtube.com

 

7年前、カナダ トロントで結成された。サーフラジェッツは1960年代のサーフミュージックのトレンドを再現するバンド。

The Surfrajettes – Wikipedia

ブリトニー・スピアーズの名曲Toxicのサーフ バージョンで、バンドは 2018 年にYou Tubeチャンネルで全国的な注目を集めました

ほとんどの曲はギタリストのニコール・ダモフとシャーミー・フリーマンによって書かれています。

「2022 年にリリースされたデビュー アルバム Roller Finkには、オリジナルの曲だけでなく、ビートルズの曲She Loves You(Wサーフミュージックにできない。選曲に無理がある)

ブロンディの Heart of Glass(W?)クラシックなサーフ スタイルの新しい解釈が含まれています」⇒W。ブリトニースピアーズの<TOXIC>はリズムギターサイドギターの掛け合いで異次元空間を演出できたアレンジの傑作。ただしサーフミュージックの乗りは全くない!

 

>しかし、その他のカバー曲ベンチャーズのパイプラインなどを聴く限り、ピント外れ乗り悪く迫力もない悪く言えば最低ラインベンチャーズコピーバンドは今の日本でも活動しているが、この手の淡々としたサビも山場もない演奏をするバンドがいない。カナダ系のバンドのせいかノリが出せない。

淡々と流している感じで一曲が終了する。

自作曲を演奏するとき、このバンドの特徴であるサーフミュージック感が出ている。コレが良くも悪くもこのバンドの極端な特徴である。

 演奏のレベルを聞き分けるほどの知識と経験はないが、ギタリストとベーシストのテクニックはかなりのレベルドラマーは女性には珍しく凄い迫力2曲目の"Roller Fink"<オリジナル曲>はパワフルなドラムが聴ける。ベースの使い方も上手い。

ベーシストは上手い。コンサートスケジュールの関係で代役が代わりを務めることがある。コメントによればグループ外の活動もあるらしい。

 新加入したSamantha Maloney (drums)のパワフルなドラミングで、このバンドの欠点である淡々とした演奏スタイルに強いアクセントがつけられるようになった。長い活動歴を支持してきたファンの評判はものすごくよい。ビーチボーイズのウィリアムズ兄弟の若くして亡くなったドラマーの演奏スタイルと似ているような気もする(この女性の方が上手い)。(上体を激しく使ってリズムをとる)コレだけパワフルドラミングをした後、疲労は大変なものだろう。

 オールマイティーではなくサーフサンドのノリに特化した今頃珍しいバンド。仮にオールマイティーに演奏できるバンドであれば、もっと需要はあっただろう。

1960年代、サーフミュージック系の最も売れたグループはビーチボーイズだったが、本当にサーフミュージックの演奏に特化したバンドはアストロノーツなどで音楽シーンの主流ではなく、ワンパターン演奏が多くヒット曲後の活動は長続きしなかった。

 ところが今調べたところ、アストロノーツの日本での最大のヒット曲(演奏だけでなく日本語の歌詞をつけて流行った)はYou Tubeにアップされていなかったしかも同バンドは内陸部コロラドで結成されたバンドであり活躍の場は中西部だった。

 ということは当時、エレキギター演奏で異次元観を演出したヨーロッパの系のバンドということになる。それが回り回ってカナダの女性バンドに引き継がれ、こうして7年も地道に演奏活動している、なんて音楽も含めた文化のPenetration(この舞台1曲目のオリジナル)~浸透力~の不思議を感じる。今の日本でベンチャーズコピーバンドはいても夏の海岸シーンを演出するバンドはハワイアンバンドしか見当たらない。サーフミュージック以前の古き良き時代のハワイアンが日本では生き残っている。ハワイアンミュージック出身の有名なミュージッシャンー芸能人はジャズ出身者とともにたくさんいる。

 日本では米軍占領下で戦前に抑えられた洋風ポピュラー音楽への欲求が米製音楽シーンの一挙の上陸で解放されると同時に米兵観客相手に高額ギャラを背景に数々の才能が結集した。そのためか、日本でのポピュラークラシックといえば今でもジャズとハワイアン。

先日、久しぶりにラジオで珍しいジャズ番組を聴いていると、ルイアームストロングの<バンブーブリッジ>の唄が流れたが、なぜか、どこかで何回も聴いた懐かしさを覚えた。1937年デッカレコード盤のシンプルな歌詞はそのまま入ってきた。そういう単純な道具立て、ゆったりとした素朴なリズムでみんなの支持を得た。

その同じ日の音楽番組で今の若者向けの歌が掛かったが、<死>が何度もリフレインされているにもかかわらず<軽すぎる>仕掛けの曲が流れた。<死>はテーマではなくムードとして扱われている。若者にとって直接、生死と向き合う場面も機会もない今において<「死」>は軽チャー。しかし言い換えると<死>と仮想現実の世界において向き合う時代の空気感のなかに漂っているという切実な時代認識を間接的に言い表している、と解釈する。

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激動する世界 沈みゆく日本 WeN20230128 - YouTube

若者の今を感じとれないだらけ切ったコメンテーターの会話が長々と続く。

>萩原博子

荻原博子 - Wikipedia

というTVでよく見かける人を呼んだ結果、全体の話題が茶の間の愚痴、井戸端会議レベルに引き下げられしかも最悪なことは、弛緩し緊張感がない。(この人の関心の向かう方向は個々の家計の目先の損得勘定。だったらその程度のことはこの人に教えてもらわなくても個々が事情に合わせて解決する。この根本問題が解っていない。戦前に戦争に進んだのも個々の目先の損得勘定を土台にしていた、ということをこの人は努力して研究していない。満蒙国策にのるのも損得勘定だがそれよりも大きな歴史的万力が働いていた。帝国主義戦争と市場の拡大、国際利権、民族の解放の歴史的ぶつかり合い問題である。ウィキの荻原論理でいけば、ウクライナロシア系地域と政治勢力棄民しないプーチンは「正義」ではないのか。北朝鮮軍の南進も南のイデオロギー的同胞を棄民しなかったからだ。政治には戦争手段を放棄したがために同胞の血の流れることを我慢する政治があった普遍的な価値観政治制度はない、時と場合によってそれは変わるこういう会話は若者の置かれた世界とかけ離れているし、共感よりも反発を受けると思う。斎藤氏が一番問題意識を持っているが、全面展開する「枠組み」を持ち合わせていないので、言いきることができない。

ブラジルとチリが通貨統合を協議しているというは初耳の話題は経済のブロック化と指摘するだけで、左派政権同士でしかも経済力の弱い国同士が~云々で率先して簡単片づけたのは萩原で後のものは何の言及もなかった。

>支配層が大きな存在論的な物語(日本人と日本国民)をしかも<帝国>の<合同利害>として出してきたときに、個々の家計の小さな損得の物語の現実性は薄れる。しかも戦争経済になれば一時は経済膨張が実現してきた。コレが歴史のリアルである。反俗日記がMMTを強固に非難する理由がここにある。統制経済に行きつくしかない。しかもその影響力は他国に及ぶ。さらに食料調達ができない日本は徹底的に不利な立場を招き主体性を失う。食うに事欠く人間集団は動物化する。荻原さんの出発点の問題意識から言えば、「長野県の満蒙開拓団はムラで食うに事欠く真面目な人間たちが満蒙開拓に脱出口を見た。「楢山節考」の徴兵検査不合格の深沢七郎は役所関連で満蒙開拓団員の募集係だった。

命や健康の領域のリアルを対置すると風向きは変わってくるし、それ以上の問題を提出したとき、我々の物語は対抗力を持つ。荻原さんは国家と戦争、住民動員の調べ切った初志をこれからは忘れないよう、また自分で現代用に咀嚼して人前で語るべきだ。啓蒙の対象である中年家計防衛女性層の意識も時代とともに変化する。しかも同じ切り口でしゃしゃり出て語っていると、若者の反発を生む。

プラザ合意受諾に至る日米貿易摩擦の経過、その後の日本経済という、まさしく近現代史を米中対立を俯瞰するときに並立するのも一考だ米国支配層は己に対抗する戦略性の乏しい勢力の存在を許さない。執拗で計画性がある。

日本政府は威圧され押し込められ政治経済の構造まで変えたが、曲りなりにも中国は安保理事国、米国との間の軍事同盟関係もない。台湾にも米軍基地はない。ウクライナロシア戦争、米中対立は帝国の合同の成果をかけた戦いの様相になってきた。そういう方向の政治経済戦争によって損をするのは日米欧国民の7割から8割の層であるとはっきりしている。しかも軍隊の兵士も国民。命を投げ出してまでたった1割程度の国民のために戦う愚を犯してはならない。大災害に際して出動するのは自国民の為が大前提。武器を向ける方向が違う。コレはロシア、中国にも当てはまることだ。

米国は民間武器使用国家なので危険を顧みず世界を巻き込ん徹底的に叩き潰す。コレが二度の世界戦争を通じて覇権国家となり現実的な利益を得てきた者たちのリアルな歴史認識であり、物理的構造的な基礎は軍産体制にある。階層化が深刻になると軍隊に逃げ込む家族が増え戦争状態が「定期的」に必要になる。

 ウクライナ、ロシア戦争、と米中対立はグローバル資本主義が行き詰った結果(本国の階層格差大拡大とその資本輸出、経済要因としての新興国台頭~この傾向への打つ手は絶対にない!)としての<帝国化><合同化>(EUは帝国の典型)

戦後世界体制の片方であるスターリン主義の残存物(ロシア)とスターリン主義体制(中国)の国家資本主義化の発展による世界市場の再分割戦=二つのタイプの違った帝国同士の戦争である。今までの二つの世界戦争の経験を踏まえると、後発国のロシア、中国は一敗地にまみれ、そのために民主化する他方、「勝った」欧米日は戦争体制がそのまま継続する(国民総動員体制による破局的側面が出現しない限り、支配層は富の下方への分配は必要ない!)ので帝国未満のロシア中国と逆方向を辿る。同時に、新興諸国のヒトモノカネの吸い上げルートが欧米日向きになる。したがってこの世界的対立は東西冷戦崩壊後の第二弾の世界構造の再編になる。いまウクライナロシア戦争を遂行している奥底の本音はここにある。

このリアルな現実認識を抜きに米国流、欧州流、民主主義や人権の政治制度や価値観の基準でぶった切るのは現在の帝国の時代認識ではなく周回遅れした時代認識である。もっとも第二次世界戦争の欧米流の民主政のなかった敗戦国(煎じ詰めるとそのための土台がなかった)の住民にとって欧米の民主政によって解放された側面がるのだから、この歴史観は受け入れがたい側面がある。敗戦国への欧米流イデオロギー価値観の刷り込み効果は大きい。しかもそれによって平和と経済発展の長い期間があった。しかし、コレは歴史の公平は見方とは違うから各国で守旧派の強固な政治勢力が温存され、東西冷戦下で英米戦勝国と手を結んだ。

さらに当時の共産党の時代認識はソ連を防衛課題とする<帝国主義戦争>であった。宮本百合子の「1932年」というリアルルポの様な小説を読むと事情が解る。

Wは若いころより社会党共産党の思想とは一貫して無縁なところにいたので彼ら政治的常套句は全く使わなかった。また位相の違う政治的存在を視野にいつも入れるようにしていた。ヒットラーナチスのことに関しては詳しいつもりである。革命に関心のある人間として知っておくべきことがたくさんある。そこから今に適応できることがあるとすれば、一度世界体制にチャレンジし敗北しただけではなく、再びナチス党という異様形態に行きついたドイツの国民性には深い疑念を持ち続けてきた、ということだ。結局、EU統合からユーゴ空爆参戦を経てヨーロッパの東の隅で世界戦争に発火する還付性のある戦争を引き起こしている責任の一端はドイツ政治にある。南へ東への拡張主義はほんのうてきなものである。

「第2次大戦は帝国主義戦争だった」と手短に語り、全存在をかけて戦う姿勢を示すWを信用する右翼もいた。ただしケチな常套句で戦後民主主義の構造物を批判するも徒はきっぱりと一線を引いた。

 

上記の時代認識がリアルであるもう一つの大きな理由がある。

グローバル資本主義は二つの大きな理由で行き詰る一方で、どうしたことか国家資本主義の道を選んだロシアと中国は経済的に先進国よりの経済発展しているという現実であり(開発独裁という概念で割り切れるわけがない。もっとグローバル資本主義の時代にふさわしい本質的なものがある長い歴史の目で見たら本質的に枝葉疑似民主化、本質的に経済支配の独裁化の欧米よりも独裁国家ロシア中国の方がいうところの民主化<革命>のチャンスがある。エマニュエルトッドの欧米が民主主義から遠ざかっている時代に新興国は民主主義に近づいている、との説は身に染みるほどの真実にあふれている。)、当然にも世界市場で重きを増す傾向にある。グローバル資本主義が発達すればするほど格差拡大とともに地域的な経済交流の割合が多くなるであれば先進国は経済的にも政治的にも近隣排外的になり(諸君砲撃せよ!しからば国民は団結する!ヨーロッパ支配層の行動原理)、特に近世以降各々の文化圏が引きこもり状態にあり、近代以降、植民地支配とその民族的反発にあった東アジアはその政治上部構造として、相互ばらばらに国家資本主義化の傾向を帯びてくる。

 その際に、先進の経済的余裕から、民主政や人権を手続き上、形がい化してそのまま残すことができる欧米と東アジア状況に差異ができる。ウクライナロシア戦争もその一種であり、ウクライナ中間層はエレファントカーブの図を期待して暴動で政府を倒しロシア勢力を追いつけていった。(帝国主義の不均等発展は21世紀も通用する経済史の法則)。日本資本主義政府は余裕がなくなっているから、近隣への排外主義と民主政、人権の形骸化が不可逆的に進行するがソレは相手を刺激する。EU、NATOのような集団体制による戦略性が二国間同盟である日米安保体制に置き替えられているというのも、北朝鮮や中国の戦後世界体制の残滓と位相は同じである55年体制とかいって足ざまに扱われてきた意味はここにある。戦後史的に社会党の代わりを共産党はできないのに、その後共産党は組織的スターリン主義ヒエラルキー清算せず、民主党政権に小沢問題を切り口に反対し、かつての社会党と同じような言説で野党固定勢力の立ち位置に座ろうとしている。

米国からすれば東アジアは分割して統治せよ!ということだが、コレは今まで日本側から安保体制から抜け出すチャンスを与えられているようなものである。旧社会党共産党の言う日米安保条約破棄が現実味を帯びてきた外観はここにある。

おそらく、今後は米ハブを残したまま実体的には多国間の軍事同盟に推移させる画策が進むと思う。ここまでやらないと米国は中国に本格的に手を出さないだろうアジア諸国の国民の動き如何によってさゆうされる。ここではっきりさせておきたいのは日本国民は米国によって支配されているのではない一義的に日本政府と国家機構によって支配されている、という冷厳な事実である。従属論に破綻の兆しが見えたのは60年安保闘争のときだった。対米従属論を掲げていると、広範な民族的激憤を組織化できるような国民統合の政治幻想がある。東アジアに近現代史において抑圧民族であった日本人の民族意識は排外主義以外の方法で統合不可能である。

金融寡頭制に統合されている日本の国民生活に向かってこの認識は通用しない。日米支配層は安保を体制化し共通の利害の立場にあるから軍事予算を増加し社会福祉を削る。分断国家韓国の長い民主化闘争の頂点の時でも米軍の直接介入はなかった。チリのアジェンデ政権は自国軍のクーデターによって殺された。米軍は後ろ盾だった。安保条約にも在日米軍の内乱出動はしないとある。加えて条約破棄権があることから、米国基地という邪魔者を先に日本から取り除いて、その後の本格的民主化をする(もっともその内容ははっきりしない)、という政治段階的戦略が生まれるが、グローバル資本制下で日米支配層が共通利害の立ち位置にある、のでこういった状況認識と庶民感覚はづれて政治啓蒙一辺倒になる日米支配層間に内部矛盾は日米貿易摩擦の時代ははっきりしていたが、

プラザ合意、日本バブル、構造協議を経て日本側が米国利害に自国民と自国経済の利害を削る戦略をとっていこう、東西冷戦という日本経済の最適の外部環境までも喪失し、ついに余力の無くなった日本支配層は米国支配層の立場に移行した。

>日本の長期経済停滞の要因の中には歴史人口学や世界工場中国の近隣存在の他に上記の日本を富ませてきた安保体制の逆向き移行がある日米安保体制をやっている限り日本支配層としての身は削らなくてもよい、むしろ儲かる出世を約束する仕組みでさえある

経済成長が停滞する内外環境の日本国民にたいしてグローバル資本制下で急経済成長を持続させてきた東アジア諸国民の生活は輸出主導経済のリカード的恩恵を被って豊かになった。その一方で海外資本輸出を本格化した日本の製造業企業の市場占有率は低下した。

日本の動画を観察すると生活様式の差異はほとんど無くなった感がある。良いことである。貧富の差は人間性をベールに被う。日本発の動画の中には近隣諸国の問題点だけを拡大した動画も目立っているが、東アジア諸国はその点、どうなんだろう。どこの国にも民族的偏見に満ちた人は一定数いるとおもう。しかもそうした人の限ってWEB発信に夢中になる傾向があるが、その面での相手方へのアクセスが上手くいかないのは残念である。

 

中国は農村戸籍維持の貧困格差による工場労働と農産物低価格維持から生まれる剰余価値で富裕層と日本人口の倍ほどの中間層ができた。こういったやり方は変則的な資本主義発展コースでそれを中国の規模の経済発展の立場からすれば、人権制限化の社会主義経済運営と言い換えても良い。農民工は人権制限が経済格差につながるのだから理不尽な想いをしていると思う。

ただし、東アジアの諸国民の努力は日本を超えるものが現実にあった。一生懸命学習し働き社会全体が豊かになったのである。

中国現体制は経済上位層と政治経済体制の系列が一致しているところが最大の矛盾点である。世界市場を二分するほどの実力はないし経済成長に合わせた軍拡も外圧警戒のためであり、かつてのソ連のような立ち位置にもある、というのは本当のところである。

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この新たな日米関係は属国関係や従属関係などという生易しく、センシブルな関係ではなく、文字通り太平洋を越えた物心両面の一体化なのである。上下関係は日本支配層には気にならない。むしろ明治維新の志士風の進取摂取の気分さえある。日の丸と星条旗を掲げて数寄屋橋で街頭演説していた日本愛国党、赤尾敏の心境に日本支配層はとっくの昔に達している。右翼にとって大切なのは<こころ>とイデオロギーであって経済ではない。経済は本質的に愛国を語る道具である。経済に愛国存在論の入り込む余地を大きく作ると目が曇る。そもそも右翼をやっていればどこからかカネが集まるくにである。

 

だから、分解する中間層の上の部分は、帝国と帝国未満の世界的対立構造が激化したときよりましな>制度に安住を求める。先に挙げた動画番組は、相変わらずの言説を繰り返すしかないむなしさを半ば自覚しているがゆえに弛緩した茶飲み話に堕している。

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