前回の記事で中谷巌さんが取りげた我那覇潤の中国化という概念は、転写記事のなかで取り上げなかったが、
下敷きは内藤湖南 - Wikipediaの唐宋変革 - Wikipediaである。中谷さんもそのように説明している。
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前回の記事は日本からみた東アジア(中国、朝鮮)と欧米の歴史的な関係を改めて見直す基本視座を獲得するための資料を提出する目的があり、記事作成中から論者、中谷巌の結論の曖昧性(積極的構造改革論者から抜け出して以降、拠り所を模索中)我那覇潤の方法論(妄想の類、日本のグローバリスト、ネオコン急進派。「いしん」決められる政治支持表明。)は解っていたが時間の都合上そのままにしておいた。
内藤湖南の唐宋変革論とそれ以降の政論は日本のアジア軍事膨張を学的に基礎づけた議論であることも中国論を特集した本によって知っていた。
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そのときは理解不十分だったが、今回の中国人留学生の博士論文PDF記事によって全貌が解った。時間不足で全部読み切れなかったが、解りやすく精緻にこの方面の議論のほぼ全域を網羅している。
タイトル 中国における内藤湖南研究 著者 于, 伝鋒 - HOKUGA
博士論文にしては高い水準にあると思っていたら書籍化されているようだ。¥1600。安い。1980年生まれ、中国山東省出身。山東大学(威海校)、北京師範大学日本語学科を経て、煙台大学日本語学科に勤める。2016年来日、2019年北海商科大学博士号
- 出版社 : 風詠社 (2021/4/23)
- 発売日 : 2021/4/23
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3 湖南研究に関する論文数の推移 -
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ただし、内藤湖南、以降、宮崎市定などに続く中国学者系譜(京都学派)の中国研究はスケール大きく東洋史まで仮想し(文化移動説)独創的創造性、説得力があり(王朝興亡史ではなく、西洋史に通底する時代区分を適応し中国史の先進性と老成を解明~~Wはココに魅かれた。今日の日本は古典的帝国主義国として老成の域に達している、との見方は先進性と老成の論理を適応した~~)ある意味で真理をついている面が多く改革開放後の中国のその分野の学者たちの、批判的議論の対象となっている。
その一方で日本では、高度経済成長後半以降、アジア侵略の歴史が鋭く反省を迫られる政治トレンドのなかで(山上徹也の母親世代はこの影響を受けている。統一教会=反日カルト論はこの点を無視。トンネル工事下請け業はエリートではない)侵略の歴史と表裏一体のものとしてふたをされ、
さらに韓国台湾経済成長から中国経済の規模の経済の威力が発揮されだすと、内藤湖南に始まる京都学派のスケール感のある議論は見向きもされなくなった。
だから、上記の中国人研究者の受け入れ先は北海道の小さな私立大学しかなかった。その割には研究成果の水準は高い。調べていないが今の日本人の中国文化研究者にここまで研究できる人はいないと思う。
>しかし、日本に自生したスケール感のある独創的議論の威力の残滓はいまだに残っている。
>日本に自生した独創的議論は
その②、講座派、半封建日本資本主義論。
その③、京都学派のアジア文化移動論
その④、丸山真男の日本支配層無責任体系論
我那覇潤いう<中国化>とは、京都学派の論拠づけるアジア主義の超スモール版である日本的特殊性への拘りを捨てグローバル資本制の世界的な大波に乗りなさいという、ただそれだけの教え(第2の開国)である。福沢諭吉的脱亜入欧戦略の今日版=グローバル時代の国民国家の処世術を説いている。
我那覇潤の評論は最後に掲載されている。
「江戸時代は終わったか?閉塞する政治の構造と展望」
一時期、流行った、幕藩体制下の微細な統治形態、風俗風習を良いところ取りに現代的にアレンジしもちあげ日本国民のアイデンティティーする魂胆である江戸時代すばらしい、現代日本人の習俗原点論に対抗する議論である。(江戸時代が言うほど素晴らしい時代であるなら、中国清朝時代の総人口増加と比べて人口停滞などなかったはず。封建ムラ支配の緻密さ、搾取されつつも百姓たちの年貢ムラ請負の健気さこそが世界に類例を見ないものであり、そのごの明治維新政府の礎になった。その精神はグローバル資本制の戦時体制にもみんな一緒に適応していこうという共同性に繋がっていると思う。)
この論考の結論はあけすけに「いしん」政治に展望を見出しているところである。
「いしん」は日本の長期経済停滞により、中間層の階層分解と孤立への危機感にたいしていつまでも実現できない甘言と政治アドバルーンを打ち上げ、コレに反対するものを敵に仕立て上げ、共同政治幻想で囲い込み、国民分断分裂支配を目論むグローバル資本制支配層の別動隊であり今日の日本版ファシスト政党である。
この魅惑的な中国史の見方を知ったのは反俗日記で西洋中心史観ではない世界史を調べていたとき、偶々三島由紀夫記念館の館長がネット上にアップした中南米の古代文明を含む<本当の世界史>の細かい概略に接したときだった。長い文脈の説明をなるべく避けて(込み入った説明は注釈)メモ風にキーワードを書き出し図式化。いまでもアップされれいるかどうか不明。
それより前に、宮崎市定 - Wikipedia
編集の中国史の専門家の人たちによる個性的な中国史の見方⇒王朝の栄華盛衰に象徴さ中国史の見方ではない、面白くてココの勘所が解れば中国史の展望が開けるような読み物で中国史の見方が変わった。
グローバル資本制の不可逆な世界潮流に乗った世界史の将来像論=中国化。
⇒翼賛政治、官僚、財界の肥大化する三位一体の寡頭政治政体による
グローバル資本制をとことん追い求める<急進主義>。
各欧米型の特殊性もあるが基本構図は同じ。
江戸化=個性的国家共同幻想重視することでプレゼンスを高めていく⇒<中間団体のリアルな共同体が希薄化し家族や個々人が原子化しているので、伝統や価値観、習俗などの共同国家幻想が拠り所となる>
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W.付録 時代区分の手法で世界史の全体像をつかむ方法論は西洋中心史観に行きつく、という問題意識(Wが内藤湖南の中国史の西洋史流時代区分に魅かれたのも日本の歴史教育の時代区分が刷り込まれていたせいだが、中国史は王朝盛衰史であり適応しない。あえていえば古代からの中世がずっと続いて区切りなく近世になって半植民地になった。もっとも日本史も世界史もずっと記述方法に疑問を抱いていた。共産党宣言を読む前は、漠然とした民衆史観を抱いていたが、素朴な民衆史観が通用するのは戦国時代までだ。世俗権力への抵抗の拠り所一神教なき民衆、中国的民衆大乱なき民衆は武装解除され権力者の軍事力で土地に縛りつけられ搾取対象となった。江戸時代の百姓一揆も叛乱というほどのことはなかった。濃密なムラ年貢請負支配(縦連帯責任社会、個人なき家父長社会、近隣分断社会)を250年間も実体験すると精神構造もその枠内に収まる。日本人が個性を発揮するのは物事や他者に無関心を装うときだけ~逃散の抵抗~)をもって、この論を読み込もうとしたが、もともと本人に持論がないのだから単なる比較をしただけに終わっている。日本人らしい中庸、教養の蓄積にすぎない。米国の世界史(州ごと違う)は世界の歴史を読み込む技術を教えているところに注目した。世界史がリアルにあるというのは仮想の現実に過ぎない。
テキサス州の世界史教科書は社会主義を全体主義の一列に加えている、というのあるある、だ。フランスで社会主義といえば社会民主主義のことだよ。そもそも社会民主主義の一派からロシア革命後社会主義のリアル政治が始まった。