反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

ヘルベルト、マルクーゼ「ユートピアの終焉」~過剰、抑圧、暴力~。マルクーゼの日本版ウィキにあまりの短さに唖然。英語版は写真4枚、長文解説。当時も今も社会状況の違いの大ききさは今様、葛藤の米国民主政中身乏しき様々な意匠の一種としての受容で確認。トランプをどう受容するのかみもの。

W。本を読むのは良い。ネット情報は結局のところ、その情報に対し自分に今まで備わってきた価値観によって、即座に、情緒的に●×の判断を下しているだけで、その時点に立ち止まり自ら進んで現実と照らし合わせたり、想像を膨らませ、アレコレ自分独自の想いを巡らせる機会は極めて少なくなる。その判断材料の情報を得た時点から、ネット上の関連情報がクッキーで寄ってくる仕組みもあり、ソレに飛び付けば、ベルトコンベアーのように次々に関連情報に接することができる。また同分野のもっと込み入った情報をやや時間をかけて探し、取捨選択もできる。

 この場合は前記の同種情報伝導ベルトに頼るよりも情報を得る時点での地力度が高いが

いずれにしても本を読みながら考えることよりも他力本願度が高い。自分の持ってきた価値観による●×判断の世界から認識範囲を広げることにはならない。

もっとも読書の対象にもよるが。

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 マルクーゼは1960年代後半から70年代前半にかけて、先行西側諸国の青年学生叛乱が盛り上がっていた時代にその運動内部や周辺の者にとってその名は知れ渡っていた。そして運動の退潮と共に取り上げられることのない思想家になったが、今現在の日本と欧米ではマルクーゼの思想の影響力に大きな違いがある(ようだ、としか言えないが)。

 自分の知る限り当時の日本では著作を読んだというヒトにお目にかかったことがなかったが、大衆運動の退潮期に思想誌にマルクーゼの紹介記事が頻繁に載っていたと記憶する。このタイムラグが日本の運動と思想状況の特徴である。

 フランクフルト学派研究者の清水多吉さんの名もよく見かけたが、当時その世界ではかなり名を知られいた人のウィキペディアはネット上で今やその気配さえなく現在の消息も不明。ユートピアの終焉」の前説の最後に記された 2016年、3月上旬 冷雨降る洗足池の茅屋にて~~W日本の3月上旬は寒い雨の多い季節なのだ、とあらためて思う~~と記されている。1933年生まれ(昭和8年かな?)だから90歳になられるはずなのだがネットで調べようのない程、今現在の情報がない。日本におけるマルクーゼの忘却振りも特徴的だが代表的な研究者に至っては~~しかし「ユートピアの終焉」の長い前説は久々にナルホドとおもうものがあった。

 逆にマルクーゼじゃ欧米の大衆運動では「教祖」的存在だったようだ(ようだ、としか書けないほどマルクーゼやフランクフルト学派は日本の大衆運動には影響力を与えなかった。)

   ↓          ↓

   日本版ウィキ  

経歴紹介は日本語12行。すぐ主な著作を年代順羅列し簡単解説。マルクーゼ思想の重要性はなんとなく分っていたつもりのWはこれを見たとき呆気にとられた。

>同じ世界の若者の叛乱に立ち会いながらも当時の日本の社会経済と欧米は違っていた(大衆運動の基盤、形態は社会状況と経済状況、歴史状況に限定される)。さらに言えば、思想政治の在り方にも影響される。

英語版の極々一部の転用であるにしても紹介記事はお粗末すぎる。

ja.wikipedia.org

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    英語版ウィキ Wの予想通り、長文、写真4枚。

本文⇒Early years。Institute for Social Research(W。フランクフルト学派の発祥、大学の社会研究所時代)⇒Emigration to the United States(アメリカ移民)。⇒第二次世界大戦期の活動⇒戦後の経歴⇒

Herbert Marcuse giving a lecture in Berlin, 1967.(W.この時の討論集会の内容が「ユートピアの終焉

Marriages⇒Children⇒Death

Marcuse's early "Heideggerian Marxism"(Wハイデガリアンマルクシズム~こういうとらえ方は知らなかった。)

      自動翻訳アプリ使用

フライブルク滞在中にマルクーゼは、マルクス主義ハイデガーの著作『存在と時間』(W.哲学嫌いのためだけではなく難しすぎて投げだした過去がある)(1927) で始まったハイデッガーの基本的な存在論を統合する可能性を探る一連のエッセイを書きました(W。フランクフルト学派マルクス主義存在論に突き刺さる問題意識を共有している。ロシアマルクス主義レーニン「経験論批判」⇒フランクフルト学派の理論は日本にも輸入され一世を風靡したが瞬く間にコミンテルンの批判にあって異端とされた。しかし、レーニン存在論ボルシェビキ党の指導と責任の分散の活動に集約される。徹底的な政治主導の党への自己犠牲的活動。人民の意思党の伝統もあった。近代的自我を個々人が持つ欧米でそれが成り立っていくのかどうか。ローザルクセンブルグボリシェビキ批判と社民党支持の軍隊による虐殺~マルクーゼはルクセンブルグとリープクネヒトを支持する社民党員であり兵士評議会に属して戦った。) ハイデッガーに対するこの初期の関心は、マルクーゼの「具体的な哲学」の要求に続いたものであり、マルクーゼは1928年に「同時代の人間存在の真実に関わるものである」と宣言した[23]。これらの言葉は、主流の新カント主義に向けられたものであり、 個人の主観がほとんど役割を果たさなかった修正主義者と正統的マルクス主義の代替案の両方に反対した[24]~正統派はマルクーゼを青年ヘーゲル派に模す。 ハイデガーがナチズムを支持した後、マルクーゼはすぐにハイデガーから距離を置いたが、ユルゲン・ハーバーマスなどの思想家は、マルクーゼの後期の思想を理解するには初期のハイデガー的影響を評価する必要があると示唆している。」

Marcuse and capitalism

W。欧米のマルクーゼ受容の基本テーゼ。

W.以下ウィキペデアの解説の引用。平板な文脈が続く。マルクーゼが欧米で受容された要因はその開放的批判の文脈も手伝っている。

『一次元の男』の冒頭でマルクーゼは、

「人々は自分たちの商品の中に自分自身を認識する。彼らは自動車、ハイファイセット、二階建ての家、厨房機器の中に自分の魂を見出す」と書いている[27]。これは資本主義の下ではそれを意味する( 消費社会では、人間は購入する商品の延長となり、したがって商品は人々の心と体の延長となります。

裕福な大衆技術社会は管理され、操作されている、と彼は主張する。 大量生産と大量流通に基づいた社会では、個々の労働者は単に商品と商品化された生活様式全体の消費者になっています。 現代の資本主義は、商品の消費に向けた誤ったニーズと誤った意識を生み出しました。それは、人々が商品の中で自分自身を認識する必要性を生み出した一次元の社会に一次元の人間を閉じ込めています。[28]

個人を社会に結び付けるメカニズム自体が変化し、社会の制御はそれが生み出す新たなニーズに根付いています。 最も重要なことは、消費主義の圧力が労働者階級の資本主義システムへの完全な統合をもたらしたことです。 その政党と労働組合は徹底的に官僚化されており、否定的な思考や批判的考察の力は急速に衰退している[29]。 労働者階級はもはや、革命的な変化をもたらすことができる潜在的な破壊勢力ではありません。

マルクーゼは、現代のテクノロジーは自然に抑圧的であると主張する理論を長年にわたって展開しました。 彼は、資本主義社会でも共産主義社会でも、テクノロジーの進歩が抑圧されるカニズムにより、労働者は自分たちの生き方に疑問を持たないと信じていた。 テクノロジーの使用により、人々は自分たちの周囲で何が起こっているのか、たとえば、これらのテクノロジー同じ仕事をより迅速かつ安価に実行できるため、すぐに仕事を失う可能性があるという事実に気づかなくなるようになりました。 彼は、現代の労働者はカール・マルクス時代(19世紀)ほど反抗的ではないと主張した。 彼らは、自分たちのニーズを満たし、生き残るために、自分たちが置かれているシステムに自由に従っただけです。 彼らが従順だったため、マルクーゼが必要だと感じた人民革命は決して起こらなかった。

その結果、マルクーゼは労働者を革命の前衛として期待するのではなく急進的な知識人と、まだ一次元の社会に統合されていないグループ、つまり社会的に疎外されている人々、追放者やアウトサイダーの基層、 他の民族や肌の色、失業者や失業者から搾取され、迫害されています。 これらの人々は、その生活水準が耐え難い状況や制度の終焉を要求しており、一次元的な社会に対する抵抗が体制によってそらされることを望まない人々でした。 たとえ彼らの意識がそうでなかったとしても、彼らの反対は革命的であった。

The New Left and radical politics 新左翼と急進政治

W。第1次大戦中ドイツ社民党に入党。1918年のドイツ革命のとき、兵士評議会の一員として闘争に直接参加。SPDと弱小諸政党の連立政権のワイマール共和国時代のナチスの台頭を目の当たりにしたヒトの民主政治下の民主主義の<行動する>政治の総括である。

    丸山真男 引用。

じゆうは置物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってのみ守られる

いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由になる。

民主主義というものは人民が本来制度の自己目的化物神化を不断に警戒しW。注 制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によってはじめて生きたものとなりうる。それは民主主義という名の制度全体について何よりも当てはまる

つまり自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義であり得るよう性格を本質的に持っている民主主義的思考とは、定義や結論よりもプロセス重視することだといわれて事の、最も内奥の意味がそこにある。」

                               引用終わり

   ウィキ、マルクーゼ引用 

①マルクーゼの1965年のエッセイ抑圧的寛容」は、資本主義民主主義には全体主義的側面があり得る主張し、保守派から批判された。

②マルクーゼは、真の寛容は「抑圧」への支持を許さないと主張する、なぜならそうすることで疎外された声が聞かれないままになるからである。彼は抑圧的な言論に対する寛容を「本物ではない」と特徴付けている。代わりに、彼は抑圧的な(つまり右翼)政治運動に対して不寛容な寛容の形を提唱しています。 

 以下マルクーゼの引用文 

W.バイデンVSトランプ。赤字の強調の部分トランプが復活すれば、と読み取ることもできる

②したがって、寛容を解放するということは、右派からの動きに対する不寛容と左派からの動きの容認を意味することになる。確かに、どの政府も自らの転覆を促進することは期待できませんが、民主主義ではそのような権利は国民(つまり国民の大多数)に与えられています。これは、破壊的多数派が発展する可能性のある道は遮断されるべきではなく、組織的な弾圧と教化によって遮断された場合、その再開には明らかに非民主的な手段が必要になる可能性があることを意味しますそれには、攻撃的な政策、軍備、排外主義、人種や宗教を理由とした差別を推進する団体や運動、あるいは公共サービス、社会保障、医療などの拡充に反対する団体や運動からの言論や集会の容認を撤回することが含まれる

        ↓                     ↓

歴史が常に否定に力で動くものであり、その否定の力によってもたらされた高次の次元といえども、決して肯定されるものではない

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W。注

W。民主主義制度の自己目的化=物神化の例読めば読むほど吐き気を催すような理屈であり偽善である。

spaceshipearth.jp

グローバル資本の搾取機構への新たな人材動員の魂胆が根底にある(イノベーションとの位置づけ)。

>そこに大学しか政治根拠地を見だせない米国政治社会では永遠の少数派に甘んじる米国的急進<リベラル派>の丸山の云う民主主義の不断の闘争が重なって

産業構造の超サービス化によって捨てられた労働階層、富裕層、レイシストなどを排外で取り込んだトランプ支持ブロックとの疑似階層対立を引き起こしている。

  • なぜポリコレが求められるようになった?
  • ポリコレに関する問題も
    •  言葉狩り
    • 表現の自由
    • やりすぎ・つまらなくなると感じる人も
    • davitrice.hatenadiary.jp

    • W。ネット情報化社会の影響は全く考慮されていない論考である。もちろん反俗日記の前期の指摘も考慮されず、米国の新左翼とかいう政治潮流とマルクーゼの抑圧的寛容の文脈の影響力が若者世代の不寛容の理由とされている。コレは現下の政治対立を情緒的に見る見解である。さらに嘆かわしいことに日本政治はポリコレ風潮を米国現地の生々しい対立など起こりようが無いので鵜呑みにした結果、もともと火種の小さなところに煙を立てている。今様、米国ポリコレ的民主政とは大きく距離を置くべきだ。SDGSなどと云うのも日本に渡来すると怪しげなものになるのだが社会風潮のごとく受け入れている。
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    •  なにがNSN(ソーシャル、ネットワークサービス)なのか!負の側面も大きい。ほとんど人工的仮想現実の開陳に過ぎない。短い文面、写真などの情報を不特定多数に提供するように仕組まれた企業ツールは基本的にやればやるほど人的物的時間的資源不足が前提にあるので生身の人間から離れた個々人の世界の開陳に偏重するしかない(情報提供するものと視聴者、個々人の物象化である)所詮私小説的世界に収れんする。底が浅いから飽きてくる。***************************************************************************************************    
    •   清水多吉、前説で注目すべき論考
    • マルクーゼはかつて「理性と革命」(1941年)において
    • ヘーゲル弁証法あるいは歴史観に対する後継者たちの解釈に、大いに異議を申し立てたものである。後継者の多くは、ヘーゲル弁証法あるいは歴史法則を次のように理解した。
    •  つまりある現状(テーゼ)を否定する運動(アンチテーゼ)が、結局、ある高次の状況(ジンテーゼ)をもたらすものと単純に理解したのである。
    • コレに対してフランクフルト学派の面々は、歴史が常に否定に力で動くものであり、その否定の力によってもたらされた高次の次元といえども、決して肯定されるものではない、と理解した。この学派のこのような思考性はナチズム体制のみならず、スターリン体制下の社会主義体制に対しても鋭い批判を投げかけることになる。
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    •  エーリッヒ、フロム「自由からの逃走」(1941年)~マルクスフロイトの結合の試み~
    • この著作の中で、現代人が疎外感や無力感から逃れるためマゾヒズム的」に権威や画一性にひたすら同調し、この社会の弱者や同調不能に対してはサディズム的」に対応すると分析した。おそらくこの著作は、現代人の性格分析としてなおも古典的名著たる資格を失わないだろう。
    • ⇒W.米国のトランプブロックにこの傾向が顕著にみられる。そして日本社会の場合、戦前(明治維新以降か?)から引き継ぐ社会の病理傾向にまでなっている。
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    •    マルクーゼ W.体験的な真理である。高木のメタセコイア切り込み作業とその後の騒動を経験して真理を突いている、と解った。手間のかかる作業だったがやっている途中はそう快感があった。普段やらない大きな動きは心にもそう快感を与える。木の伐採は古来日本人がやってきた破壊と再生行為なのでそう快感が出てきたのかもしれない。そして手続き不足、批判、不快感を周囲に与えたの承知していたが、やるしかなかった。その機会に恵まれた、今やるしかない、と自覚していた。
    • 遊ぶとは、
    • 単に理論としてばかりでなく、人間の在り方としても新しい人間学の理念であり、自由を求めてのヴァイタリティーにあふれた要求の成立であり、展開である。
    • いかなる自由を求めてか?
    • それはもはや疎外された労働という必然性と辛気臭さに基礎づけられたり、制約されたりすることのない自由である。」
    • ⇒W。マルクーゼの使う文脈は上記のように読者の体験を理論的に昇華させ、自信を植え付ける作用が働いている。この点に批判者は目をつむっている。
    • ************************************************付録
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    • news.yahoo.co.jp

    • 西側諸国の民主主義は、機能不全どころか、消滅しつつあります。
    • ヨーロッパの共同体(EU)に関しては、もはや完全に寡頭制(W.EU帝国主義そのもの、という歴史認識必要。広域経済圏と準統治権が重なれば拡張を本質とする帝国になる必然)
    • ウクライナ戦争も同様です。ヨーロッパは民主主義の価値のために戦っているふりをしているだけで、これは完全な妄想
    • 西洋以外の人々はそれを見抜いています。彼らは、私たちをありのままを見ているのです。西洋は、何か違うものに変わりつつあり、もはや十分な生産ができなくなっています。⇒W。世界の歴史によるタイプに違う金融寡頭制の高度技術、資源を巡る争闘戦が三度、ヨーロッパで勃発!
    • また先ほど言ったように、グローバル化とは、第二の植民地時代、つまり「グローバルな植民地時代」であることが判明⇒W.だったら、ウクライナ戦争はウクライナというグローバル時代特有(戦後世界体制の崩壊=冷戦の終結以降の政治軍事経済的所属未定地域が東ヨーロッパとロシアとの端境に出現)の植民地を巡る再分割戦。
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    • 私たちのシステムは、もはやダイナミックな民主主義ではなく、消えゆく民主主義なのです⇒W.バイデンVSトランプの前哨戦があり結末の政治力学はさらなる戦争と階級格差を世界中にばらまく。
    • そして、戦争によって、この状態に誰もが適応する必要が出てきました
    • 戦争とは結局のところ、私たちにとって、現実を確かめる究極の試金石
    • しかし、「以前のような民主主義に戻れるかもしれない」「戻せるかもしれない」という考えは、妄想です。  つまり、私たちは、新しいことに備えなければなりません。戦争とは関係なく、私たちはもっと悪い事態に備える必要があるでしょう。⇒Wウクライナ戦争、イスラエルパレスチナ戦争による階層格差を覆い隠す国民統合。その一方の後発国の経済発展は資本投下の渇望。こういう状態は世界的過剰資本にとって、ぼろ儲けのちょうどいい塩梅。