反俗日記。
下図のサイトに日本のファンダメンタルズを把握する上で必要な各分野の情報が載っている。俯瞰的な視座が獲得できて面白い。
>読み込み次第では<謎解き>の部分がある。
情報をアップしている本人たちにそのつもりは無くても反俗日記にはエッ!と思う情報がある。
@この前の記事で日本の国土(?)が北緯20度付近にまで拡がっているとの指摘を受けてビックリした。
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①日本の最南端は沖縄の南西諸島、波照間島北緯26度ではなかった。
@普通の地理的観念では小笠原諸島の南、<硫黄島~小笠原諸島として返還されても米軍基地残存。自衛隊と共同訓練基地として使用。>、そのまた南の<鳥島>海域に<沖ノ鳥島>があると想定する。
>沖ノ鳥島北緯20度、郵便番号100 2100東京都小笠原村沖ノ鳥島
@<沖の鳥島>は日本の国土である、と~~。
拡大を続ける西之島(2):ウナギやアナゴとの素敵な関係(巽好幸) - エキスパート - Yahoo!ニュース
「ウナギは、伊豆諸島の遥か南の「スルガ海山」、アナゴはフィリピン海に1mほど顔を出す岩礁で日本最南端の「沖ノ鳥島」周辺が、彼ら彼女らのランデブー地点であった(図)」
「九州・パラオ海嶺。伊豆・小笠原から西マリアナへと続く「海底山脈」。
2つの海底山脈は、もともとは1つの海底火山帯だった。
今から約3000万年前、
>まだ日本列島がアジア大陸の一部であった時代に誕生したこの火山列では、活発な火山活動によって、
>数千メートルに及ぶ深海底から聳え立つスルガ海山や沖ノ鳥島のような巨大海底火山が形成されていた。
2500万年前に
この火山列島が2つに分裂し、伊豆・小笠原・西マリアナ列島は九州・パラオ海嶺を置き去りにしたまま、東へと大移動したのだ。」
反俗日記⇒8月の米騒動の発端となった日向灘沖地震による南海トラフ地震注意報発令とその後の神奈川内陸部地震の関連を問う、
>フィリピン海プレートは3つぐらいに分割される。
①その一つが下図の九州、パラオ海嶺の延長線上で日向灘に向かうプレート。
②もう一つは室戸岬に向かう海嶺(薄く確認できる)
③その3がそれよりも東方の太平洋プレートとせめぎ合っている「部分」。
A図。
B図 コレって大発見ではないのか!?辻褄は合う。
阪神淡路大震災⇒東日本大震災⇒能登半島地震⇒日向灘沖地震。下図の300万年まえのフィリピン海プレートの西向き運動方向への激変と直接間接に関連している。
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300万年前にフィリピン海プレートが大方向転換:これが東日本大震災(太平洋東北沖地震)の元凶か?(巽好幸) - エキスパート - Yahoo!ニュース
2020/2/12(水) 6:30
300万年前にフィリピン海プレートの動きが激変
「激しい東西圧縮が起きると、当然東北沖の海溝付近にも大きいひずみが蓄積し、それを解放しようとして巨大地震が繰り返し発生することになる。3・11超巨大地震は、このようなフィリピン海プレートの移動に伴う東北日本の圧縮と、太平洋プレートによる圧縮のダブル効果だった可能性が高い。
もしそうであるならば、
300万年より以前は、
この地域では超巨大地震や直下型地震が頻発せず、比較的穏やかな地域であったに違いない。当時日本列島には人類はまだ到着していなかったが、ゾウたちは比較的平穏な日々を過ごしていたのだろう。」
西南日本では「中央構造線」が発現
一方、西南日本でも、フィリピン海プレートの運動方向がほぼ真北から北西方向へ変化することで、地殻変動の様相が激変した。運動の西向き成分が西南日本を西へ引きずり始めたのだ。この巨大な力が働いたことで、力学的な弱線である地層境界が「横ずれ断層」と化したのである(図)。この断層こそが、九州から関東地方まで総延長1000キロメートルに及ぶ長大な活断層「中央構造線」である。
この大断層の出現によって、西南日本では様々な地殻変動が誘発されるようになった。⇒W阪神淡路大震災。
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@この項の結論から先に云うと、日本の当局の沖ノ鳥島が日本の領土であるという論理が正論であるとするなら、中国の南シナ海の強行な環礁堡塁作戦を本質的なところで否定できないはずだ。同じことをやっている。
ただし南シナ海は自国の経済水域を主張する国が多すぎる。
フィリピン、ベトナム、マレーシアシンガポール、インドネシア、まだほかに小国がある。さらに海域は原油天然ガスの埋蔵地帯でもありエネルギー資源を巡る各国の思惑も絡んでいる。また南シナ海域は重要な海上輸送ルートでもあり戦略的な重要地域でもある。
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>一方、沖ノ鳥島、に絡む大きな政治的経済的利害関係は想定できない。
「沖ノ鳥島が日本国の領土であり、その周囲に日本の領海・領空を持つことは、どこの国家からも異論が出ていない。⇒W.サンフランシスコ平和条約の中での沖ノ鳥島。W注。
ヤルタ会談1945年2月。樺太、千島列島、満洲における権益などの代償を提示してソ連に対して対日戦への参加を要請。
敗戦によって日本領土から切り離された海外植民地、島々とサ条約第3条で米国施政権下の国連信託統治とされた島々に<米国の施政権返還は1968年小笠原諸島インクルードされてない島々が2か所ある。
一つは千島列島である。
詳しくはW注。
サ条約第3条の指摘する島々は歴史的地質(地理)的観点から厳密に仕分けされ、日本領土から切り離され国連の意匠をまとった米国の施政権下に入ったもの、と解る。GHQの日本占領の実態と同じだ。その後、朝鮮戦争へとこの構図は続く←戦後世界体制(東西冷戦)。
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W.参考資料
カサブランカ会談1943年1月
アメリカ大統領フランクリン・ローズヴェルトとイギリス首相ウィンストン・チャーチル
「アフリカ作戦の成功後、シチリア島・南イタリアへの上陸作戦をとることを確認したことと、枢軸国に対して無条件降伏を要求する方針を確認した」
「1942年のアメリカ合衆国の恋愛ドラマ映画。 監督はマイケル・カーティス、出演はハンフリー・ボガートとイングリッド」
W。戦意高揚映画と云われる所以である。カサブランカ会談に合わせて大急ぎで作った形跡がある。基本、スタジオセットだけのカネのかからないB級映画の作りである。
サッチモの音楽シーン。ハンフリーボガード、イングリッドバーグマン、こじゃれた演技とセリフ。映画のストリーは尻がむずむずするような安易なものだった。
ボガードは「マルタの鷹」ジョン、ヒューストン監督。「戦艦バウンティン号の叛乱」。もう一つメキシコの均衡探しジョン、ヒューストン監督。の汚れ役が良かった。
バーグマンは殺されたはずのロシア皇帝の娘アナスタシア妃を演じた「追想」は名演技だった。
「対日方針を協議するため1943年(昭和18年)11月22日からエジプトのカイロで開催されたフランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、蔣介石中華民国国民政府主席。W。日本に留学(東京振武学校)⇒大日本帝国陸軍に勤務。高田の陸軍十三師団の野砲兵第19連隊の士官候補生( - 1911年)
による首脳会談を受けて、12月1日に発表された「カイロ宣言」。蔣は会談で、ルーズベルトの問いに答え、皇室存廃に関しては日本国民自身の決定に委ねるべきだと論じた。米国が起草した宣言案を英国が修正し、日本の降伏と、満洲・台湾・澎湖諸島の中華民国への返還(W澎湖諸島に尖閣は含まれない。沖縄、など、その後1945年のヤルタ会談の.樺太、千島列島内容は無かった。)、朝鮮の自由と独立などに言及した宣言が出された。カイロ宣言の対日方針は、その後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承された。
ヤルタ会談1945年2月
「①ルーズベルトが既に病身であったために強い姿勢に出られず、樺太、千島列島、満洲における権益などの代償を提示してソ連に対して対日戦への参加を要請した。4月12日にルーズベルトが死去し、副大統領に就任してわずか3か月であったハリー・S・トルーマンが急遽大統領となった。②トルーマンは外交分野の経験は皆無であり、また外交は主にルーズベルトが取り仕切っていたため、アメリカの外交政策は事実上白紙に戻った上で開始されることとなった。」
⇒①、②は小さなフォーカスを反ソ連、反ロシア、北方領土返還の観点から針小棒大にしているだけ。言い訳と歴史的事実は違う。後述したナチスのソ連侵攻作戦とソ連の総反抗をみれば、ヨーロッパ戦線の連合軍におけるソ連軍の果たした役割の多きさから、
針小棒大のご都合主義だと解る。
①。②は現時点の日本の立場(北方領土返還、日ソ友好条約を一方的に破ってソ連軍は満州、樺太千島に侵攻。⇒それをいうならヤルタ会談と独ソ不可侵条約を破ってバルバロッサ作戦を敢行した同盟国ドイツをどうとらえる。シベリア抑留も加味)
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@この手の次元の条約文とその後の事態、現情勢を加味してあ~でもない、こ~でもない、と論じるのは結局、資本制支配層の金儲け収奪優先の立場の論理からきている。
対外戦争で一番惨禍に巻き込まれるのは住民だ。軍人の常日頃やっていることっと、政治家の立場とやることは区別される。一般住民の立場はもっと違う。ココがはっきりしないと国民は戦争に巻き込まれる。
****ブレスト=リトフスク条約
「1918年3月3日、ロシアのソヴィエト政権がドイツなど同盟国側と結んだ単独講和条約。第一次世界大戦の東部戦線での戦闘を終結させ、ソヴィエト=ロシアは旧ロシア帝国時代の領土を大幅に減少(ポーランド、バルト三国、フィンランド、ウクライナなどを放棄)させたが、革命遂行の前提である戦争停止を実現した。しかし、ソヴィエト政権の確立を恐れるイギリス、フランス、アメリカ、日本は共同して革命干渉に乗り出しシベリア出兵を行った。同年11月、第一次世界大戦でドイツ帝国が敗北して消滅したことにより、この条約も消滅した。」⇒W,大局的見地に立ってドイツ敗北の戦局の読みもできている。~塹壕戦の膠着状態、ロシア兵の疲弊ぶりもあったが、戦争末期の行く末は見通しから断固として敵軍に有利な条件で条約を結んだ~そして「条約は消滅した。」ウクライナはスターリン主義体制ができる以前にソビエト政権が樹立された。もともと、ウクライナの東部と南部オデッサは人民の意思党の時代からロシア南部の活動家組織があった。ペテルブルグ、モスクワで弾圧された活動家はこの方面に潜伏した。ぽランドの影響力の強い西部地域の事情はあまり具体的に知らない。
>情勢に対するリアルな見通しと大胆な政治決断が大事だ。何を守るか誰を守るか、が肝だ。今のウクライナ、ロシア戦争の本質はG7支配層とスターリン主義体制崩壊を受けロシア民族主義で国民統一を図っているプーチン体制の戦争なので、ユーゴスラビア内戦を見ても分かるように戦争は長引き、G7支配層が兵器とかね、物資、傭兵をつぎ込んだウクライナの劣勢が続けば、NATO軍が間接直接に戦争に関与していくだろう。そうすると物量的にロシア軍の劣勢は避けられない。
>この状況でロシア側に戦術核兵器を使用するかどうかの選択肢が生まれる。
@侵攻開始前後のプーチン体制の見通しの甘いなし崩しの動きを見ているとNATO軍がでてきても決定的な対応はできない。
@したがってこの戦争はユーゴスラビア内戦のように長引き、結末もプーチン体制の瓦解に終わるか可能性が大きい。
@同時に、G7諸国の国民も戦争の長期化によって負担を強いられる。
>この情勢の推移を受けた中国、北朝鮮の動向は米支配層はもともと侵攻を前提にした戦略(中国市場分離)をとっているので、台湾国内情勢、韓国、日本の動向次第になる。特に東アジアの経済情勢の推移が3国の動向を左右する。
>世界規模の戦争の進行のカギを握るのは資本主義である限り、イデオロギーは意匠に過ぎない。経済情勢の推移である。
>日本の場合、そのファンダメンタルズによって、縮小再生産は避けられず、それが何時、どのように外向きベクトルになるかだが、自ら選択できず、結局、米国の動向次第となる。国内は日米体制的な民主制、身分社会化する。自民党の総裁候補はほとんどアメリカンスクール出身者なのは偶然ではない。
>NHK朝の野球、ドジャース大谷一色。125億円の放映料を支払っている。日本で一番人気のあるプロスポーツNPB選手の頂点にMLBが存在する。ところがそのMLBは米国で人気3番目のプロスポーツ。この構図を批判している。せめてサッカー程度に治めておくべきでNHKはやりすぎ分別が無い。
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ただし下記のように、沖ノ鳥島を基点とする排他的経済水域(Exclusive Economic Zone、略称:EEZ)および大陸棚の設定(W?)について、日本国と、中華人民共和国(中国)・中華民国(台湾)および大韓民国(韓国)の3か国の間で主張が異なっている.」
@メタンハイグレード(深海のメタンガスが低温高圧で泥や砂に混じって結晶になっている状態)の採取できる一帯<南海トラフ、日本海>でもない。なおメタンハイグレードが重要資源になるなどと騒ぎたてている向きもあるが地下にほぼ無尽蔵にあるが天然ガス(メタンガス)に比べてメタンハイグレードは採取にコストがかかりすぎてペイできない。採取の際に発生するメタンガスは環境汚染は二酸化炭素と桁の違う汚染度である。以上、2点において米国のオイルシェールとは全く別物である。
ところが全くちがう!<沖ノ鳥島>は地質学的にマリアナ海嶺と関連性の深い小笠原諸島(居住地は父島とその南、船で5時間の母島)と全く関係の無いフィリピン海プレートの海嶺上の環礁であり
沖縄本島の南の南西諸島の南方北緯20度付近に位置する。
従ってハワイ、ホノルル北緯21度よりも南に位置する。経度を西にたどれば台湾島の中心線あたりになる。
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詳しいW注。
1941年6月から12月にかけての戦線
1942年5月から1942年11月にかけての戦線
1942年11月から1943年3月にかけての戦線
1943年2月から8月にかけての戦線.。スターリングラードで包囲されたナチス軍
「1943年1月後半、スターリングラード(W。ヴォルゴグラードは、ロシア連邦のヴォルガ川西岸に南北80kmにわたって広がる都市。)~~で包囲されていた約10万人の枢軸軍(W。B集団)は、第6軍司令官フリードリヒ・パウルス元帥の決断により投降して捕虜となった。一方、コーカサスで進軍が止まっていたA軍集団も、この方面でソ連軍が大規模な反攻を開始したために退路を断たれる危険が迫ったが、こちらはヒトラーに撤退を認められ、2月に包囲網が完成する前に辛うじて撤退に成功した。この結果、ブラウ作戦の目標はどれも達成させず、ドイツは膨大な兵員と資材を失っただけであった。ブラウ作戦の失敗、とりわけスターリングラード攻防戦の敗北は対ソビエト戦における決定的な勝利の可能性を失しただけでなく同盟国に与えた影響が大きかった。何よりも人的資源の余裕のないドイツにとってこの敗北の影響は大きく、予備兵力のほとんどを投入せざるを得なくなる。」
1943年8月から1944年12月にかけての戦線
1945年1月から5月にかけての戦線
⇒枢軸国側についてナチスと共に侵攻した国々。ロシア近隣の東欧諸国。
ルーマニア(反俗日記過去記事ハンスカロッサの小説は第1次世界大戦のルーマニア戦線を描いている~ドイツハンガリー帝国の影響力の強い地域の住民<ハンガリー系住民もいる>は親ドイツ<比較的裕福な農民小説の描写から>それ以外は中立。小説の描写からは解らないが軍医カロッサのみたロシア兵捕虜集団は風体の描写からウクライナ人兵士(金髪、大柄、素朴であっけらかんとした農民の風貌)
ブルガリアとフィンランド(ものの本によればファシスト政権が樹立されていた)
ハンガリーはドイツ側に留まった⇒1956年のハンガリー動乱。もともとドイツハンガリー帝国。
「南部ではヤッシー=キシナウ攻勢の影響によりルーマニアでクーデターが発生して枢軸を離反、逆にドイツに宣戦を布告した。9月にはブルガリアとフィンランドも枢軸側より離脱した。一方ハンガリーは、ドイツ軍主導のパンツァーファウスト作戦の工作により枢軸側に留まった。」
反俗日記⇒こういう反ロシア的歴史を持つ国と住民をソ連圏に一括するのは無理が多すぎた。歴史的な通常の経済発展のルートから外れた人為重視の経済体制をとっている本国の負担は異常なものがあった。ソ連の住民がソ連圏支配の負担をしていたともいえる。一方、資本主義の発展段階である金融寡頭制の資本主義は海外からの超過利潤を収奪する仕組みを構造の中に内包している。
>中国、ロシアなどとG7の対立は資本制システムの大きな相違からきているともいえる。G7支配層はこの広大な地域、人口から超過利潤を巻き上げ、それが同時に全世界にグロバル資本制の支配層を作り、ともに全世界に住民を収奪することを夢想している。それは国家資本主義では政治リスクが大きすぎるし、支配層としての共通認識もとり辛い。この本音は語らず表向きはキレイごとを云う。
米国のネオコンはその意図をもっとも露骨に表明している。自民党総裁候補小泉進次郎の口走ったことはネオコンの巣、ヘリテージ財団の指針である。同財団はトランプにもアプローチしている、という。
1945年1月から5月にかけての戦線
「4月16日、ジューコフ元帥のベルリン総攻撃が開始される。4月30日、ヒトラーが自殺。5月2日、ベルリンは陥落した。後継大統領に指名されたカール・デーニッツ元帥のフレンスブルク政府は降伏を決断し、5月7日にフランスのランスで降伏文書の調印が行われ、5月8日午後11時1分に休戦が発効することになった。
8日午後11時からはベルリン市内のカールスホルストで降伏文書の批准式が行われ、連合軍代表ゲオルギー・ジューコフ元帥とアーサー・テッダー英軍元帥、ドイツ国防軍代表ヴィルヘルム・カイテル陸軍元帥が降伏文書に批准した」
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W関連資料
EUは旧来の国境を無くして、第1次、2次世界大戦の発火点の要因を無くしたかもしれないが、結局その周辺で<10年単位の戦争>を勃発させてきた。イロイロな内実、耳触りの良い理由はあるが俯瞰的に見ればそういうことだ。
昔、この内戦について込み入った論文を思想誌で読んだことがあったが、何を言いたないのかさっぱりわからなかった。今から想うと西ドイツの論者は中途半端な左翼のイデオロギーが邪魔をしていた、とウクライナロシア戦争を通してわかった。
小林秀雄がいっていた。歴史というものは遠く離れると解るが近くでは良く見えない!
ナルホド、歴史は過去振り返り専門だ。一方、目の前の事態は観察者を含めて生の動きをしている。状況から自己を分離して客観性を得て状況に還る、とは言葉では簡単だが無理なことが多い。
@ただし、卑近に言えば競馬予想の方法が最適としているが、目の前の状況と将来予測は競馬予想よりもよりも簡単でよく当たる。
@特に日本はある意味、グローバル運動に対して純化傾向が強いから解り易い。
>その点で、エマニュエルトッドさんは読み込めば結局日本のことが分かっていないヨーロッパ人だと解る。日本語が読めなければ日本の歴史は解らない。彼は日本の歴史を知らない。だから広島の原爆資料館を訪ねたけれど、注釈付きで日本核武装などという。原爆資料館を訪ねたWは、立ち尽くした。石の大きな階段に佇むヒトが原爆投下の一瞬に階段の石に影だけを残して消えた。
@平和記念公園の入り口に石碑があった。大きくはなかった。
「二度と過ちは繰り返しません」
@腹が立った。文言が曖昧過ぎる。主語が無い。<過ち>も意味多様。イロイロな読み込み方ができる。解っていてそういう文言に落ち着いたのだと思う。
@今度戦争をするときは二度と負け戦はやりません、とも受け取れる⇒今度戦争事態になれば、米国と一緒に戦います、という宣言に受け取るのは邪推か?これは自民党や支配層の基本理念に受け取れる。
>G7支配層はグローバリズム、グローバリスト云々という以前に、グローバル資本制に普遍的な共通利害をみいだしている。その追従者も同じだ。言い換えと、もう一方の多元的なベクトルが働いて<①南の人口増殖、資源の供給の力、②いわゆる権威主義国家の力>分裂する余裕が無い。そこが1次2次世界大戦との大きな違いだ。
①地球儀をじっくり見ればわかる。地球環境の破壊をしているのはいわゆる工業国の集まった北半球の国々で焼き畑農業や森林伐採を取り上げた地球環境破壊をいってそれを責める権利は北半球の「贅沢」生活にはまっている人々にはない。ましてやG7支配層の生活スタイルが環境に優しいとはとても思えない。
②について。民主主義というイデオロギーですべての政治傾向や支配体制を壟断するのは政治思想として容易いことだ。
>民主政とは人類史上、原初的家族形態から生まれた種族の自己統治のやり方だと歴史を辿れば多くの人は勘づく。原初的生活を営む族の長たちが集まって話し合って重要な物事は決める。自分がこの方面のことで一番、読書から得た知識は、古代朝鮮半島新羅山中の盆地の国家的創成の原風景だった。邪馬台国の世界も呪術を駆使する卑弥呼が一族を統治した訳ではなく合議制で物事は決められたはずだ。奈良県明日香村を訪ねて一帯を散策したときの直観はココは原始的世界が広がっていたのだ、という想いでマスコミや歴史教科書の云う世界(盛りすぎだ!)とはかけ離れた原始的風景を散策しながら想い描いた。生産力が発達すればそれに合わせて家族形態と統治形態は民主合議性から指示命令系統のはっきりしたものに変わっていく。拡大家族は農耕の発展と共に集団営農に相応しいものに変わっていった進歩に証だ。日本列島でも江戸時代の中期ごろまではまだ拡大家族形態が残って武士の家系である直系家族は下に浸透していなかった。
>ヨーロッパ史においてローマ帝国の支配領域を西方からの移動で覆したゲルマン民族は原初的家族形態と統治形態を持っていた。ヨーロッパの封建時代はゲルマン民族に原初的家族形態と統治形態の影響を大きく受けていた。
@暗黒の中世ヨーロッパはいまでは否定されているらしいが、部外者の歴史に興味があるモノがヨーロッパ史の教科書的知識を得ようと読めば、どうしても不可解な事態が多すぎる(ローマ教会教皇と世俗の王権の関係は不可解~宗教的共同政治幻想が過ぎる~~日本の天皇家と権力を握る途上の武士<軍事貴族>の関係は早々と鎌倉幕府に帰着したので権門大戦論の視点からでも解り易い。)。
その謎は当時のヨーロッパはゲルマン民族の残滓がある独特の原初的世界であり、当時の世界の先進地域はアラブや中国にあった、という<歴史の逆転>の発想をもてば中世ヨーロッパの不可解な事態、所作はどうにか納得できる。<先進地域が後進地域になり、後進が先進になる>こういう歴史の逆転はある。
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そうすると歴史のどこを何を結節点と見るかということに尽きる。
①新大陸発見によるドレイの使用(奴隷は古代ギリシャ、ローマ帝国に時代からの伝統、中国史ではあまりお目にかからないイスラム、インド、東アジアでも半ドレイはいても本物の奴隷はいない。)、と金銀のヨーロッパへの大量移入。MMT論者が泣いて喜ぶ見方だが、
モノの価値基準ある金銀が大量に出回ることを切っ掛けに商品生産流通と労働する者の流動化と拡大が起こる。もちろんその時点で支配層の一部に金銀があつまる。
そうすると商売に重きを置いた東西の大洋を跨いだドレイ、金銀、香辛料などの貴重品を交易と収奪のルートが組織的に国家的に維持拡大されていく。
②工業生産手段の発展が重商主義による富に蓄積,浸透の最終勝者であるイギリス帝国で先進的に進行し、ジェントリー層を軸とした市民革命がイギリス起こったのも当然である。そうしてイギリス帝国は同時に資本主義の先進国、大英帝国になった。
③イギリスの植民地であった北アメリカ(仏系ケベック、ルイジアナを除く)は結果的に、独立戦争を通じて本国イギリスよりも原初性と特徴とする絶対核家族(不平等、権威無し)に帰着した。アメリカ市民戦争(米国の教科書は南北戦争などと云う呼称はない)を通じて米国風民主主義が全国化したが(新移民受け入れは同時に内外に排除の対象を見つけた上で成り立つ)、1960年代の公民権運動の果たした役割は大きい。
1930年代の大恐慌時期の南西部の(A)貧農の離脱(スタインベック「怒りのブドウ」に描かれている、オキー、アーキ―)60年代の公民権運動、70年代の家族革命(第2の人口転換)(B)バイブル・ベルト - Wikipedia、IT産業革命による重厚長大産業地域の没落、(C)ラストベルト - Wikipedia
以上(A)、(B)、(C)の方々が歴史的に降り積もって巨大な政治ブロックを形成し
民主党だ、共和党だ、などという金に飽かせた醜い非生産的な争いをしている。
それを実しやかに逐一取り上げる日本マスコミはトランプ大統領候補銃撃事態とあべ首相手製銃暗殺~~陰謀説を唱える人は事件現場を取材したことも無ければ、花火の延長線上に~~を結びつけることはできない。
>米国の政治分岐も根深いが日本も本当は分裂している。
>なし崩し的に前回の記事で指摘したような社会状況になる。民主制身分社会!
@今回の自民党総裁候補者はほとんど米国留学を潜っている、という。偶然ではない。
@日米安保体制の永田町的表現である。
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>西ドイツ空軍はNATO軍として出動し、強烈なセルビア爆撃を行い戦況を一変させた。
「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国解体の過程で起こった一連の内戦である。1991年から2001年まで主要な紛争が継続した。」
⇒W。ウクライナ、ロシア戦争も長期化必至だ。
G7支配層とソ連邦崩壊後、ロシア民族主義で国内統一を図ったプーチン勢力の権益と面子(大義とかいう大戦争につきものの自己正当化の旗印もある)が掛かっている。
現ウクライナ軍は各国から参集した傭兵が支えている。もちろん武器、カネは外部から供給されている。援助した巨額のカネがウクライナの闇に消え武器輸出の見返りもあり、ソレラは大きい言えばG7支配層に還流している、とみる。タックスヘイブンを通せばそういった資金移動は自由にできる。
>今ロシア領内に進行している主力は傭兵である、との情報がある。
@傭兵供給―ルートが先細ると、最終的にはセルビア内戦と同じようにNATO軍(空軍出動、長距離ミサイル供与、発射)が出動していくと予測する。
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東西ドイツの統一の際にイギリス、サッチャー。フランスのミッテランがそのイデオロギーの違いを超えて危惧したのは統一ドイツの拡張主義の脅威であった(両者は年齢的に身を持って体験している)。EU発足のもう一つの理由は統一ドイツの影響力をEU内に閉じ込めることであった。ドイツ拡張の脅威の底流にはドイツ資本主義のヨーロッパでは頭抜けた効率的経済発展のシステムがある。ナチスが敗北してもドイツ資本主義の構造は残って分割国家西ドイツは直ぐに経済発展の途についた。敗北による各分野のダメージの中でドイツ経済界のダメージは低く抑えられた。文化思想文藝分野はナチスの台頭と支配の期間に大きなダメージをうけたので戦後ドイツは経済発展に比べてそういった分野に見るべきものが無い。(ナチスシンパ、弾圧、収容所、亡命。ユダヤ人大虐殺の内省、東西ドイツ分断)。なお、環境保護はナチス思想のもう一方の政治的支柱であった。ワンダーフォーゲル運動。ドイツ緑の党はドイツの環境保護の歴史を引き継ぎ、イデオロギーとしても民主主義を信奉するEU推進、米国戦略追従(米民主党経由で台湾民進党に異常な肩入れ)の政党である。日本には農本主義の伝統があり、コレも扱い方によれば旧日本帝国主義イデオロギーを意匠を替えて復活させる要素がある。日本にはこの流れの中で参政党がある。
ロシアにとっての「広島・長崎」 ヴォルゴグラード
広島市との姉妹都市提携15周年を記念して命名された「ヒロシマ通り」も
BBC⇒
プーチン氏、ドイツ戦車に「再び脅かされている」 独ソ戦80周年 ...