大リーグの中継動画をみていると、昔に比べて、黒人選手が少なくなった。(観客席にも黒人ヒスパニック系がイナイ)。その理由は?
観客席に黒人、ヒスパニック系が見当たらないのは、ローカルTV中継放送網の発達(黒人家庭に平均的TV視聴時間は7~8時間NHKサイトによる)、貧困のため生観戦の入場料を惜しむ、静止時間の長い野球ゲームに適応できない、等々の理由であろう。国人選集は少なくなったが、ヒスパニック系の選手が昔の黒人選手に近づくほど増加した。
MLBの“人材難”背景に黒人選手の野球離れ 2015年04月26日 MLB NEWS
引用
「近年は、大リーグでの黒人選手の減少に歯止めがかかっていない。
米紙『USAトゥデー』の調査によると、黒人選手が最も多かったのは1975年の27%。
それが昨季開幕時のロースター(登録選手)では8・3%、そして今季は7・8%まで減ってしまった。各球団のメジャー枠40人のうち、平均3・1人しかいない計算になる。 」
米紙『USAトゥデー』の調査によると、黒人選手が最も多かったのは1975年の27%。
それが昨季開幕時のロースター(登録選手)では8・3%、そして今季は7・8%まで減ってしまった。各球団のメジャー枠40人のうち、平均3・1人しかいない計算になる。 」
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参考資料
YAHOO知恵袋
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W。上記の回答は、ブロックリンドジャース時代に黒人選手ジャキーロビンソンを積極的に登用したウォルターオマリー、オーナーの積極経営が指摘されていない。
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「ジャック・ルーズベルト・ロビンソン(1919年1月31日 - 1972年10月24日)
1890年頃以降、有色人種排除の方針が確立されていたMLBで、アフリカ系アメリカ人選手としてデビューし活躍。有色人種のメジャーリーグ参加の道を開いた。」
1890年頃以降、有色人種排除の方針が確立されていたMLBで、アフリカ系アメリカ人選手としてデビューし活躍。有色人種のメジャーリーグ参加の道を開いた。」
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1952 World Series, Game 7: Yankees @ Dodgers
ヤンキースは黄金時代へとかけのぼっていく
Gene Woodling and Mickey Mantle (若き日のミッキーマントル)homered, and Billy Martin(ビリーマーティン) made a game-saving grab of an infield popup gone awry, as the Yankees recovered from a three game to two deficit to win their fourth of five straight World Series, in seven games over the Brooklyn Dodgers. Mantle's homer in the sixth gave the Yankees the lead for good, and an insurance run in the seventh made it 4-2. With the bases loaded and two outs in the bottom of the inning, Jackie Robinson (ジャキーロビンソン)hit a high pop up that Yankees first baseman Joe Collins appeared to lose it in the sun. But Martin charged in from second base to snatch the ball at his shoe tops to end the inning and snuff out the Dodgers' last threat as the Yankees secured the championship.
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「かつて黒人選手の台頭は、大リーグに大きな影響を与えた。
ジャッキー・ロビンソン - Wikipediaの大活躍で、ドジャースが所属するナ・リーグは積極的に黒人選手と契約。
その結果、1950年から20年間のオールスター戦(59-62年は年2試合ずつ開催)の成績で19勝5敗1分けとア・リーグを圧倒した。
アメフットのNFLや、バスケットのNBAに比べて、
ジャッキー・ロビンソン - Wikipediaの大活躍で、ドジャースが所属するナ・リーグは積極的に黒人選手と契約。
その結果、1950年から20年間のオールスター戦(59-62年は年2試合ずつ開催)の成績で19勝5敗1分けとア・リーグを圧倒した。
アメフットのNFLや、バスケットのNBAに比べて、
大リーグは今後も米国内での“人材確保”が困難。アジアやキューバだけでなく、欧州やアフリカにまでスカウト網を張り巡らせている背景には、黒人の野球離れがある。
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黒人のMLB入り遠ざける手薄な大学奨学金制度
http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/tamahiroi/kiji/K20140413007962930.html
「 大学に進学するときにバスケットボールかフットボールに移ってしまう。なぜなら、この人気2競技には学費全額の奨学金があるが、野球選手の奨学金は学費の10%から15%程度。経済的理由で野球を続けられない。私の場合、ドラフトで1巡目指名だったのでインディアンスと契約した。でなかったら大学に進み、フットボールに転向していた」。
大学のバスケットボールとフットボールの強豪チームはプロチーム並みの収益を挙げる大学経営の柱。
「 大学に進学するときにバスケットボールかフットボールに移ってしまう。なぜなら、この人気2競技には学費全額の奨学金があるが、野球選手の奨学金は学費の10%から15%程度。経済的理由で野球を続けられない。私の場合、ドラフトで1巡目指名だったのでインディアンスと契約した。でなかったら大学に進み、フットボールに転向していた」。
大学のバスケットボールとフットボールの強豪チームはプロチーム並みの収益を挙げる大学経営の柱。
大学スポーツ界の競技による集金力の差が黒人選手を野球から遠ざけている。
W。日本の高校ー大学野球を頂点とするアマチュア野球隆盛の歴史的位置を、米国ではバスケ、アメフトが占めてきたのではないか。メジャーの系列組織を頂点→アマチュア野球の序列が早くから完成し、後発アメフトバスケはアマチュア→プロ。
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参考資料
<歴史>
1869年。
1チーム25人ずつのプレーヤーによるゲームで、キックかヘディングによりゴール数を競い、先に6点取った方が勝ちというゲームだったことが記録に残されている。しかし、この時点ではまだボールは丸いサッカーボールで、ボールを持って走ったり、投げたりすることは認められていなかった。
そして、コロンビア大学、プリンストン大学、ラトガーズ大学、およびエール大学から成るインターカレッジエイト・(サッカー)フットボール・アソシエーション(Intercollegiate Football Association)←W。サッカーはアメフトと区別するため使用されだした米国英語ではないか。フランス、イギリスでもサッカーはフットボール。が、ルールを標準化するために1873年に作られた。
一方、ハーバード大学はこのグループに参加することを拒否。他の相手を求めてカナダのモントリオールのマギル大学からの挑戦を受け、1874年5月14日、ラグビールールの試合を行った。そしてその後も2校は、ラグビールールの下で、1874年から1875年にかけてシリーズ戦を行った。
>ラグビータイプのゲームはまもなく他の学校にも流行り始め、その後十年以内にアメリカンフットボール特有のゲーム形式が発展して行った。
>そして19世紀後半以降、アメリカンフットボールは大学のスポーツとして人気を博すことになる。大学における発展
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YAHOO知恵袋
W。ベストアンサーはでたらめ!正解は簡潔明瞭!此方。なぜか本当のことを書くといけないらしい。
スペイン語ではfutbol,ポルトガル語はfutebol、英語(アメリカを除く)はfootballです
アメリカはfootballといったらアメリカンフットボールになるのでsoccerという単語が生まれたらしいですよ(事実かどうかは知りませんが)
アメリカはfootballといったらアメリカンフットボールになるのでsoccerという単語が生まれたらしいですよ(事実かどうかは知りませんが)
W。サッカーと呼ばれるようになったのは高度経済成長初期。
「◆日本ではフットボール,ア式蹴球しゅうきゅう,蹴球などの名で呼ばれてきたが,1960年ごろからラグビーやアメリカンフットボールと区別してサッカーという呼称が用いられた.。
W。格闘技的要素が強く、ある意味合理的なルールを人工的に作ってアマチュア アメフトが隆盛してきた米国では、世界的スポーツ、フットボールを軟弱お遊びスポーツモドキと見下すために故意に上記のような簡略俗語が意図的に造語されたのだろう。
W。サッカーと呼ぶ国は、旧植民地国家、途上国、小国が圧倒的に多い。戦後の米国英語の影響力が及んでいたためと思われる。
>日本においてサッカーという呼び名が広まったのは、1960年日米安全保障条約改定以降であることは注目に値する。文部省の指導によるものと思われる。
オーストラリアでサッカーと呼ぶのは国民的スポーツオーストラリアン、フットボールと区別するためだろう。
1920年、上記のような問題を管理・統括するために、現在のNFL(National Football League)の前身となるAPFA(American Proffessional Football Association)が11チームで結成された。
1922年にAPFAはNFLと改名、参加チームは18チームだった。
ナショナルリーグ(1876年 - 現在)
アメリカンリーグ(1901年 - 現在) W。後発のアリーグ指名打者制採用 1971年 アメフトルールに習う。
<人気>
1、プロアメリカンフットボール 33%
2、野球 15%
3、大学アメリカンフットボールフト 10%
4、モータースポーツ 6%
2、野球 15%
3、大学アメリカンフットボールフト 10%
4、モータースポーツ 6%
5、プロバスケットボール 5%
アメリカ大手世論調査会社ハリス・インタラクティブの2015年12月時点での調査によると、最も好きなスポーツのトップはプロアメリカンフットボール(33%)であり、2位に野球(15%)、3位に大学アメリカンフットボール(10%)が続いた。
プロと大学を合計した場合、アメリカンフットボールは43%であり、15%の野球に対して圧倒的な差をつける結果となった。
>この調査は1985年から開始されており、1985年時点ではプロアメリカンフットボール(24%)と野球(23%)は僅差であったが、それ以降その差は広がる傾向にある。
最も視聴したいスポーツはアメリカンフットボール(39%)であり、2位の野球(14%)や3位のバスケットボール(12%)を大きく引き離している。
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日本でもやがてサッカー人気が野球を上回るだろう。