二 無縁介護 ~在宅介護の現場から~
引用
「なぜそうした死に方か。
背景に何があるのか。
社会と人、人と人とのかかわりとは何か、が問われている。
繰り返すが一人暮らしのライフスタイルは何ら気になる世帯ではない。
>といって『(孤立死や無縁死)する覚悟があるのか?』などと問えようか。←W!?
今や時代は、人間の生老病死とて人為的な介入を可能とし、生殖から延命まで、すなわち『ひと』の始まりから終わりまで医療的な操作ができ、実施をめぐる是非論から生命倫理が問われる時代だ。←W。人性のクリアランス傾向が強化されている。
>その時代に誰にも看取られることなく逝ったとき、それ自体が人権や尊厳に反することなのか!←W。人権や尊厳をここで持ち出すのはお門違い。
『野辺送り』という言葉を思い出した。」
************
W。参考資料
YAHOO知恵袋
昔やられていた野辺送りは墓場まで遺体を運んでゆくことですか?江戸時 ...
「仏教僧侶が一般民衆の葬儀をするようになったのは、江戸時代の檀家制度以降です。(W。日本最大の信徒数といわれる曹洞宗が最初に葬式仏教の段取りを実行し他宗はに広まった)ですから、野辺送り自体がそれまで行われてきた神式(氏神)方式に、突然仏教僧侶が行う事に、僧侶間でもかなり戸惑いがあったようです。そして、今のように火葬場の時間に追われる事無く、また、各宗で統一的な葬儀作法もなかったため、各地での葬儀方法は千差万別であったようです。
京都の私の地域での最後の土葬は昭和50年前後だったと思います。」
京都の私の地域での最後の土葬は昭和50年前後だったと思います。」
************
~~
「国家の誘導は巧みだ。公的介護保険では『在宅か介護か』とあたかも両者を利用者サイドで選択できるように喧伝したが、そうは問屋が卸さなかった。
そもそも両者にバランスある量と質が確保されておらず、結果的に入院抑制や特養待機はかえってひどくなった。
前者は社会的入院と呼ばれ早々と追い出され、後者は42万ベッドに『待機が42万人』。
>言い換えれば新しい人を受け入れるのにはそっくり古い人がいなくなって初めて可能という数字だ・。
*在宅介護からは家庭崩壊の事例も届いている。
↑ ↑
W。個々の事情は違うが、同質の事例は全国無数で増加傾向はとどまるところはない!
だから、この特殊事例の中に普遍性を見出し、一般的なところが特殊となってしかるべき、という逆転の発想が必要となる。
1月事件から教訓をくみ取る営為は、小市民的道徳や情緒を嘲笑い侮蔑し、普遍的化した特殊を掲げ<すべてよし!>とする個々人の死生観までつきぬけ爆発的力に転嫁するところまで至れ、と考える。
『住み慣れたところで』というアメに『『あとは家族で、足りない分は在宅サービスを』というムチの所業から、
ごく身近な在宅『嘱託殺人』 『介護離職』 『認、認介護』 『孤立死』も発生している。
続く