元々、俳優山本太郎を高く評価していた。
の舎弟、新庄公平 - 山本太郎ははまり役で、勝新太郎の八尾の朝吉、「悪名」シリーズの朝吉の弟分、モートルの貞、田宮二郎と同等か超える軽快かつ個性的な演技に注目していた。
神奈川テレビの被り物トーク番組の声優を担当していたのも声質、軽快な畳み込むような関西弁からして山本太郎ではなかったかと思う。たわいのないトークなのだが、アドリブが効いたテンポの良い会話についつい引き込まれ最後まで見ていた記憶がある。
山本太郎さんは、俳優、タレントとして才能のある方だった。
その後、2011年3,11大震災、福島原発事故を通じて、活動の場に身を置いた結果、タレント俳優としての道がマスコミ資本によって閉ざされ、政治方面に転身するようになって今日に至っている。
その間に政治家、山本太郎と意見の違いは、昭和天皇の園遊会に招かれたとき、手紙を渡した行為だった。
反俗日記で批判的な記事を書いた。
園遊会に招かれた加山雄三は出席しないで当時の神奈川県知事とクルザーの乗っていたことをマスコミに取り上げられた。なぜなんだろうかということは加山雄三の母方の血筋をたどればおおよその見当はつく。
引用
「父は岩倉具顕(ともあき、具定の五男)で、明治の元勲・岩倉具視は曾祖父に当たる[2]。東伏見宮依仁親王妃周子(かねこ)は父方の伯母にあたる。弟の岩倉具憲は存命当時パシフィックホテルの社長であった。
つまり、明治維新にいたる政治過程で過激公家といわれ強烈な反幕府、尊王の闘士であり、公家たちの中で最も政治に深入りし明治天皇替え玉説では張本人とさえされる明治の元勲、岩倉具視の家系は敗戦を契機に一気に華族制度の廃止と共に没落した。
小桜葉子が加山の父、人気俳優上原謙と結婚しなければ、どうなっていたのだろうか?
他方、天皇家はアメリカの戦後世界体制確立、対日間接統治のキーポイントとして、日本国憲法の本文冒頭の第1章~第8章において、その立憲君主的位置づけがしっかりと刻まれた。華族制度廃止によって権威と財力の裏付けを喪失した華族をしり目にある意味で戦前よりも安穏たる地位を獲得したのである。この両者の落差は大きく、人間的葛藤がないという方が不自然である。
加山には園遊会で、ずらっと並んだ一同の中で昭和天皇から声をかけられることを拒む理由があった。そこには日本国憲法における天皇制度を相対化し得る根本的な契機が潜在している。
天皇に手紙を渡した当時の山本太郎は天皇に何を期待していたのだろうか。
当時、様々な意見はあったと思うが、政治家、山本太郎にはこの課題を突き詰める契機はないまま、当人は①当選枠から外れた参議院選挙、そして②今の東京都知事選挙出馬に至った。
①についても大きな勘違いがある。
>不条理は個々人の哲学的な課題であっても国政の場の政治課題にはならない。
また不条理は個々人にとって、高く掲げて進む戦う原動力である。
>一方、不幸はともに共有し改善できる余地の大きい国政の場における政治課題たりうる。
@当時、Wが想ったのは山本太郎氏自ら国会議員になるべき、ということ。
山本太郎氏は不条理と不幸をはっきりと分けることをしていない。
そういう方面の不足の続きが
②の都知事選出馬である。
参議院選挙で国会議員になっていれば、都知事選出馬はなかった。もっと言えば予測される都知事選における山本太郎の惨敗から「れいわ」の泡沫政党定着の結節点にはならなかった。
A ,宇都宮候補との違いは財政政策であるとの国政と都政の場をわきまえぬ、さらにB財政金融膨張政策という歴史において破産が宣告された理屈への信奉に露呈された。
@2014年(舛添要一知事誕生)~細川陣営(民主党、生活の党など支持)は反原発を前面に小泉純一郎など有名人の応援をえて街頭で大変な動員数を誇ったが、蓋を開けたら地味な庶民生活密着の政策を掲げた宇都宮健児候補(共産党、社民党、緑の党、市民運動団体)の得票数に及ばなかった。
ちょうどあの時、IWJの動画をみながら、反俗日記上で宇都宮候補を支持した。
原発事故から3年目だが、細川候補の反原発シングルイシューのような政策(反原発で一致点を見出さなければ小泉統一郎元首相を引っ張り出すことはできなかった)は都政の場に相応しくないと思った。自己と他人は根本的に違う。思想哲学レベルのことと現実の政治は違う。山本太郎氏はこの区別がまだはっきりしていない。もっともこの不分明が政治家としての全身全霊をささげるように見える迫力につながる。
一方、宇都宮候補の政策は都民の生活の場の要求をくみ上げていた。前者はエネルギー政策の課題を含み環境問題に及ぶ国政レベルの政治課題を都政の場に持ち出し、「統一戦線」のムードを煽っているように見受けられ、庶民の地道な活動の視点を重視する自分の立場からほど遠いものであった。
今回の都知事選。
山本太郎氏の票は意外に伸びない。
理由ははっきりしている。
彼がキモとする、財政政策なるものが間違っているからだ。
政策の基礎となる理論は今でも半ば世界の基軸通貨の立場を維持しているアメリカ合衆国では反対派の見解としてムード的に受け入れられるが、その環境がまったくない日本では受け入れられない。選挙民に、庶民に。
ただし、その政策が実行される危険水域に日本政治と経済はある。しかしその実行主体は、山本太郎氏次元の庶民レベルではなく日本の支配層と国家機構である。それが戦間期と敗戦直後の日本の政治経済史のリアルな現実であった。上流の満々たる水を貯めたダムが耐え切れなくなると大放水を開始する。その際に下流の村々の堤防は決壊し田畑、人家は激流に流され、あるいは水没する。
山本太郎氏などの推奨する現代?貨幣理論が政策として実行に移されるとどういう事態になるか、歴史的事実が証明しているが、大戦争的破壊という脱出口がなければ、上記に示した様な上流ダム大放水で下流の庶民の生活が破壊される事態になろう。
MMTは日本においては、支配層の最終政策手段を事前に予告するものとしか機能しない。
フルオープン【6/30 18時半~配信】都知事選重要争点の財源問題を徹底議論!山本太郎候補の「都債15兆円起債! 1400万都民に現金給付 10万円!」は実現可能か!?第1002回 明石順平弁護士