反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

NHK教育ラジオPM10、25~11、30。村上春樹の紀行文「遠い太鼓」朗読を聴いていたら睡魔が。気がつくと朗読はギリシャの同じ心象投影風景のままだった。

 毎週土曜日22時25分からNHK教育ラジオは村上春樹を朗読している。以前放送した一回分を一挙に取りまとめた長時間の再放送だ。
 
 村上にまったく関心が向かわなかった。
 小説として態をなしていないものが芥川賞を受賞している。
 
 エンターテイメント小説にしても、文体自体が、物語に没入させるほど、こなれていない。
 
 読者層も薄くなっており、文芸雑誌やエンターテイメント小説雑誌などの発行部数は以前と格段の差がある。
作家志望者の絶対量が足りず、必然的に質も落ちてきて、訓練しても大きな限界がある。
 
また、当該国の文化環境のあり方にも大きく影響される。この点においても日本の文化の劣化ははっきりしている。カネの多寡が唯一の尺度の如き社会では文化は萎えてくる。
 
 先の記事で、小田実の「日本の知識人」(1964年ごろの問題意識であり、今としては、古いとことが多い)とういう大上段の振りかぶった評論を問題にした。
 
 なぜ?という問いは確かにそこにふんだんにある。
しかし、なぜ?のなぜ?がない。
 (この項<思想の場、と生活の場の入れ子細工の日本的特性。)村上の小説が難解になるのも、この点が原因かもしれない上手く処理し切れていないから難解になる>は字数オーバーのため省略した。)
 
 >>一応、以上のような、日本的思想と生活の場の論者、作家の混同を前提とした上で、
村上春樹に立ち返る。
 
 村上春樹を無視してきたにもかかわらず、注目したきっかけは、彼の東日本大震災福島原発事故の同年のスペイン、バルセロナの某文学賞受賞記念講演であった。
講演内容は過去のブログ記事にチラッと触れたが、連綿として続いてきた日本人の精神風土のありきたりの確認である。
悪く言えば、綺麗ごとに終始し、自己検証が足りない。先にあげた論理で云えば、なぜという外国人の疑問に対する一次的な説明であっても、そこからの掘り下げはまったくない。
 
 >>が、なぜか自分は村上春樹という存在が気になりだした。
彼の姿かたちは
 
 
見ての通り、典型的な日本人顔である。両親は国語教師。京都伏見に生まれ、西宮、芦屋に育った、典型的な関西人であり、吉本お笑い系、ズバリである。
この絵ではネクタイをしているが、講演のスタイルはラフなカジュアルウェアーだった。
身振り手振りを使ってしゃべる姿は典型的日本人スタイルに似つかわしくなく、日常会話に不便したであろう欧米での長い生活(日本を脱出したのはバブルの頃)をうかがわせる。
典型的日本人スタイルと身振り手振りの極端な欧米流は実にアンバランスで、はっきり行って格好悪い。猿真似の雰囲気?。
 
 しかし、自分はそんな姿に興味を覚えた。
彼はそれにかまわない、ある種の図太さを身につけたお人である、とみた。
これからの日本人として大切な姿勢である。
己、個人を頼みとしている。
 
 さらに、年齢よりもズット身体が若くすっきりしているところがものすごく印象に残った。
自分は現代人はどんな状況に至っても身体を鍛錬すべし、と思っている。
よって、自分のなかで村上春樹株は急上昇した。
 
 その後に彼の小説を図書館で借りてきた。
400万部を突破した「ノルウェーの森」や「IQ84」大ベストセラーは貸し出し中で中編小説集だった。
が、冒頭数ページで、早々と読書放棄。
難解な本でも、必要ならば、我慢して読むが、彼のその小説世界は自分にはまったく興味のない世界だった。
 
 彼の描く世界の人間たちが悩んだり、あれこれしている世界はどうでもよくて、読書の苦行に耐え切れない。
 
 >今、この記事を書くにあたって、グーグルで「ノルウェーの森」のあらすじと概略を確認した。
小説の設定する世界は、時代背景もあってよく理解できるが、行動主義者の群れの真っ只中にいた自分にとって、主人公の当時の激動する対象世界と自己との距離感の自覚的おき方は、自分が既に高校生の頃に切り捨ててきたものであった。
 
>そういう情勢と行為の間にある躊躇、間合いの取り方だけからは本物の思念は生まれない、のではないか。
 
 本当の敗北、挫折、混沌の中に身を挺する姿勢と機会のないところに、本当の自覚は生まれないのでは?
 
 彼が好むスコット、フィツジェラルドの「偉大なギャピィー」にしても、第二次大戦後のアメリカの好景気と挫折の時代背景にどっぷりと身を投じる中から生まれた。
 
 逆に「ライ麦畑につかまえて」やフォークナーは自らの観念世界に閉じこもり、独自世界を独創した作家である。
 レイモンド、カーバァーも厳しい育ちの経験を糧にした、生身の人間に対するやさしい視点よる、人生の機微が作品に漂っている。
しかし、カーバァーの一編を村上訳で読んだ限り、市場原理が家庭と個人に浸透するアメリカ的孤独を哀愁、人生の機微として最後のプロットとしているが、そこまでのストーリーは淡々としすぎていては底が浅すぎる。
村上の短編小説もよく似た世界があった。人は死に人は動転し、悲嘆している割には血のにおい、涙と汗と葛藤の乏しい淡々とした無機質な世界である。
 
 
 グーグルによる解説。
作品の特徴>~平易な文章(当っている)と難解な物語(難解を装っているだけと見る)
 隠喩能力。
コレは現在の日本作家だけでなく、海外を見渡しても、抜群。
解りやすく他のもの真似できない情景描写できる。彼の最大の武器であり、紀行文には連発されている。作家に必要不可欠な才能にあふれたお人である。他の人には真似できない。
 
 「平易な文体で高度な内容を取り扱う」。
 
 高度な内容が物語の中に凝縮されているとはとても思えない。
小説において選択する材料によってなんとなく、読者を、そんな気にをさせているだけなのだが、コレが世界中の現代小説の重大要素になってしまっている現状なのだから、その分野での彼に選択の妙は威力を発揮する。
もう小説の時代ははとっくに終わっている世界を前提とした小説家。それが村上春樹である。
 
 >もやや現代小説は巨大に発達した情報媒体の提供する膨大なone ob them。
従って、小説読者は小説に対して実人生からの激しい渇望、解決、真理を求めていない。
なんとなく考える振り、<<共感できる要素>>があればいい。小説のファション化だ。
そんなコンセプトにピッタリ当てはまっているのが村上春樹敵世界である。 
 従って、日本的分類に従えば、すべての小説はエンターテイメントの分野であり、よくいって中間小説である宿命を帯びる。
 
 エンターテイメントと思想を融合したした小説本来のスタイルは最大限に見積もっても、1950年代までに死滅している。
何しろ、総合芸術といわれる映画の世界自体が袋小路に入っているのだから、活字の小説の世界はいうに及ばない。
 
 村上の小説世界は小説材料と比ゆ能力に依存しまくった一種の風俗小説であり、難解ぶっているだけである。
が、たいていの人は風俗小説に付き合う必要も時間もない。現代人は知らないことが多すぎるが、小説世界はその欲求に答える手ごろなアイテムでなくなっている。
 が、知識欲と不安は募る。
そんな状態においては村上春樹の世界で済ませればいいのである。何かがあるように装う世界でいいのである。彼の長編小説の読者に読後感想文を書いてもらったら、面白いだろう。何も確たるものはかけないのじゃないか。
 
 また、春樹的世界は程度の差はあっても自分および、自分の周りにふんだんにあった事実だから何も珍しくない。
それだけ、自分は現実から飛んできたのである。
彼にいまさら小説の世界で、飛躍を提示してもらわなくても結構だ。
 
 
>総合的批評。
 柄谷行人。 「描かれる「風景」が人の意思に従属する「人工的なもの」だと喝破。
村上の作風を保田與重郎などに連なる「ロマンティック・アイロニー」。<コレは深い指摘だ。自己愛の充満する作家によって選択された世界だ>
そこに描かれる「風景」が人の意思に従属する「人工的なもの」だ。
 
 田中康夫。 「『女の子は顔じゃないよ。心なんだよ』といった小説好きの女の子を安心させる<縦文字感覚>(縦文字感覚も鋭い指摘。村上春樹は実は日本的隠者の文学の現代的継承者。でなければ、夫婦で海外を彷徨しない)」
「彼のエッセイは、常に『道にポンコツ車が捨ててあったから、拾ってこようかと思った』という内容。」(云いえて妙!その意味で読者心理をくすぐる。「遠い太鼓」全編がコレ。その意味でワンパターン。紀行文として限界あり。)
 
大江健三郎。 「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作。」
 
 以上はドンピシャ当っている。
 
 NHK教育ラジオの「遠い太鼓」と題するギリシャ紀行文を聴くと、以上の村上評に同意する。
 
 
>>最後にNHKラジオにおけるギリシャのある港町の滞在記から、風俗の上っ面をなでただけの、
田中康夫評する「エッセイは、常に『道にポンコツ車が捨ててあったから、拾ってこようかと思った』という内容」。
の一例を挙げておく。
 
 村上夫妻は港町の<<共産党経営のカフェ>>に朝食をとりに行く。
滞在ホテルの朝食500円。共産党の建物の一階で経営するカフェたったの100円。こういう当時のギリシャの物価の安さの実例を旅行先で毎度丁寧に上げる。ワインとシーフードがお好み(典型的なおしゃれ感覚)であり、日本との違いを際立たせる。
 
 村上はその建物の屋上に翻る赤旗にはハンマーと鎌のデザインがあるとして、カフェの中での漁船員やら共産党員と思しき人物たちどうしの怒鳴りあいに近い活況を活写している。この辺の描写は大変うまい。
 
 「遠い太鼓」は1993年刊行。
もう20年も前のギリシャのひなびた港町の一政治?風景として、さらっと触れているだけでも読者に大いに興味をそそるものだが、ギリシャに結構長く滞在している割には認識不足ではないか、と疑問に思う。
 
 >赤旗にハンマーと鎌のデザインがギリシャに田舎の港町に翻っている建物は共産党の事務所ではなく、ギリシャのトロキストの全国政党のものである。
コレは追放されたトロツキースターリン主義に対抗した創設した第4インターを継承する政党に共通する赤旗とハンマーと鎌の絵図である。
 
 有名なところでは名映画音楽でも知られる名画「日曜は駄目よ」の軍事政権から亡命した女優さん、監督はこの政治系列の人。
そして、軍事政権崩壊後、この党はズット、ギリシャ政治の中枢にあった第4インターの後継政党の旗印そのものである。
経済破綻した当時の政権党でもあった。だから、田舎の港町でもハンマーと鎌の赤旗が翻り、生活に密着した地道な当時の日常活動があった。
スペインでいえば、政権担当政党であるスペイン社会労働党である。
 
 ソ連東欧に接近したヨーロッパではイタリアを除いて非共産党系の流れを汲む「社会主義」左翼の勢力が伝統的に強固である。
 
 村上春樹は「道で落ちていたポンコツ車を拾っておこう」 「風景を人の意思に従属させる」文体からは、そんな事実への関心が向かわない。
便利な感性なのである。面倒なことはさらっと済ませることができる編集力があるのか。でも、それで本当に難解、高尚なことが物語れるのか。大いに疑問。
 
 もっと云えば、学生生活を早稲田で送った時代の空気との葛藤はあったかもしれないが、赤旗の片隅にハンマーと鎌をデザインする日本の第4インター系の政治組織すら、知らなかった。
ノンポリ学生だったのだ。
 
 であれば、その葛藤の中身が問題になってしかるべき。
 
 彼の激動の時代風潮とのノンポリ的葛藤も、あの時代に充満していた風俗であった。むしろこちらの方が圧倒的多数派だった。
何も彼が高尚に煩悶していたわけでない。
 
 それはそれで事実でなのだが、
 
そんな彼が「IQ84」で描く世界はテロリズムとか、そういったものを含む政治世界というではないか。
それを真に受けることができないのは当たり前である。